小学生の時に、灰谷 健次郎氏』の童話『けんちゃんのおばけ』という作品がかなり印象に残っていたので、それが他の童話と共に収録されている、『灰谷健次郎のどうわ:ようちえん ほいくえん』を読みました。で・・・まぁ・・・長谷川 集平氏の挿絵を見ると、私の自宅もそうですけど、今日のトイレは洋式が圧倒的多数だなと思いました・・・。実家も当然、そうだし・・・。『けんちゃんのおばけ』は違うアンソロジー集である『おばけにあいたい日の本』の(こちらでは、原 ゆたか氏が担当した)挿絵では、洋式でしたから・・・。
で、作中では「きんきんどう」というお店で、(多分親の店番を手伝っているのだろう)背中に派手な刺青を入れたおじさんが、それを褒めるとアイスキャンデーをくれ、逆にそれをディスる(「この刺青は消すのに消しゴム百個はいる」みたいな事をいう)と3発殴られるという、わかりやすいインセンティブを表明してるんですけど、おばちゃんに弱いという笑える弱点を持っているので、その類型的なガラの悪さと暴力性が見事に中和されています(笑)
そして・・・主人公が予防接種を受ける際に、医者の前で覚悟を決め「しけい せんこく」というシーンがありますが・・・これは正直シャレにならんぞ・・・!と思いました。黒古 一夫氏が灰谷 健次郎氏を自著で批判していた事とは遥かに微笑ましいものですが、実際にこうした例がが存在し、「トゥルー・クライム」や「デッドマン・ウォーキング」とかいった映画を観ている者としては・・・ドキッとしました・・・思わず・・・。
その他には、『いっちゃんはね、おしゃべりがしたいのにね』という作品が収録されており、これも印象に残っていた作品でした。いっちゃんという、話す際にあがってしまい、上手くおしゃべりができない少女が主人公です。そして、とある問題で勇気を振り絞ったいっちゃんが、ラストにおいて「せ・ん・せ・い・お・そ・ら・の・く・も・が・や・ぶ・け・よ・う・よ」といういっちゃんのセリフを発するのと同時に、雲の割れ目から青空と太陽がのぞき、先生と一緒にそれを見上げるシーンは、私が読んできた児童書屈指の美しいシーンだと思います。これは、クララが立ったというような美化ではなく、いっちゃんが勇気を振り絞った後に、自然現象を心理描写に繋げる巧みさ、そこから先生の勇気にも繋がっていく事への展開が美しかったという意味です。すみません、これはホントに説明が難しいんですが・・・。
今日、要領がよく、ストレスのかからないコミュニケーション能力ばかりが最優先され、「コミュ障(あるいは、コミュ症)」という言葉でそうじゃない人達を篩にかけて排他するような風潮を感じますが、後者に当たる人達の方が、遥かに人間や世の中を鋭く見ていおり、深い判断を下しているのではないかという痛切なメッセージを、『いっちゃんはね、おしゃべりがしたいのにね』という作品から、灰谷氏の長年にわたる教職経験に裏打ちされた筆致から読み取ることができるようでした。
いっちゃんの「上手くしゃべれない」という事を障害者として気軽に処理するような世相も併せて、じわじわ伝わってくるような気がしました。 それを特性として茶化すような漫画やアニメには、とうていいっちゃんが最後に先生にいったセリフですら勇気ととる事ではなく、「発音がおかしいコミュ障」という認識しかできないと思いますが・・・。