一昨日ぐらい、電車に乗っていると、隣に二人の男性が立っていて、その内の一人が暴力団に入っているみたいな事をいい出し、私の隣に座りました。私は思わず隣の席に移動したんですね。大学ノートに絵を書いていたし、それに目をつけらたら嫌だったので・・・。でも、当たり前とは思いませんでした。『ステイホーム』でガラの悪いネグレクト姉妹を拒絶する事をるるこは「あたりまえでしょ」と結論づけましたが、さんざん人権性の高い事をいいながら、本音で行動した自分への羞恥心がありました。
まぁ・・・新堂 冬樹氏の小説だって読んでるのに・・・この小市民的なザマは・・・。
で、昨日黙祷に関してあれこれお気持ちを書き、私は「分かりやすさの戦い」といったわけですが、語弊を恐れずにいえば、京都アニメーションの放火事件にあれほど同情と義援金が集まり、後に発生した北新地の放火事件がそれ程話題にならなかったのはなぜなのか、ロシアがウクライナに侵攻に反戦の声が次々と上がる中、今まで中東やアフリカの紛争には塩対応(無関心)ではなかったのかとか、アレ・・・つまり3月11日前後に大きくなる声の力量は同じだと感じるんですよ・・・。当事者ならともかく・・・。
だから、そういう中でうまく立ち回ってみんながスタンスを表明する事に、ちょっと違和感を抱いてるんですよね・・・被災者でもない自分がこんな事かくのはおこがましいとは百も承知ですが、やっぱり戦うとすれば原発でも震災そのものでもなく「分かりやすさ」・・・だと思うんですよ・・・。