アン・ローレル・カーター氏の児童書『パレスチナの羊飼い』を読みました。
内容は、タイトルの通り、羊飼いを夢見るパレスチナ人の少女のアマニが主人公で、「女性は羊飼いになれない」という定説を覆し、見事に羊飼いとなります。ですが・・・これもタイトルの通り、「入植者」つまりイスラエルが孕んできた(加害にまつわる)問題も当然絡んできて・・・という展開です。
ですが、ここで注目したいのは、本作はパレスチナ問題をテーマにしていますが、イスラエル人の少年ジョナサン等のキャラクターを通じて、相手がイスラエルだからといって悪い人ばかりではない、そこで諦めずに、状況や努力次第では共生(わかりあう)も可能ではないかという希望が託されています。この手の話は、特に日本の反戦系の児童書やノンフィクションで陥りがちなワナだとも思いますが、加害者サイドで庶民を軍人や政治家に抑圧される善良な人間として描くという、責任転嫁と矮小化に陥ってしまう危険性があります。それはちょうど、例えば(この手の作品はかなりあるので、タイトルはあえて列挙しません)満州や中国大陸に移住した日本人は中国人と仲良くやっていたのに、軍がそれを台無しにした、だから戦争はやってはいけないという類のものでしょうか。
だからこそ、話を『パレスチナの羊飼い』に戻しますが、ジョナサンがそうだからといって、本作はネタニエフや政治家、軍人達の責任に帰して終わらせるような、わかりやすい構造を提供してはいません。 自分の立ち位置によっては、どこかでその責任や行為は関わっており、それとどう向き合えばいいのかというシビアな問いがありました。

