まぁ・・・アレに関係した事が・・・2日遅れで・・・気をつけな・・・。
この調子で、気温が下がればいいんですけど・・・。
画家、藤高昇太の公開日記(ブログ)です。主に出展のお知らせや、近況などを書いていきたいと思います。なお、整理のために一部の記事が削除される事がありますので、ご了承ください。 ◎本ブログの文章の一部引用および画像の無断転載を許可いたしますが、以下の注意を守ったうえで、自己責任でお使いください。1.営利目的・非営利目的(何らかの収入を伴わない)に関わらず、出典の明記は大体わかる形でもかまいません。そちらのご都合に任せます。 2.政治的・社会的な信条にかかわらず、いかなる表現も許可いたしますが、最低限のTPOとモラルを守ったうえでご使用お願いいたします。なお、タイトルに◎がついた作品は、版権ネタですので無断転載をご遠慮ください。
最近、『みい山』のヤンマガ編集部炎上に関して、うなずける記事を見ました。
ヤンマガ・・・高校の時に、よく押切 蓮介先生の『でろでろ』とか押見 修造先生の『ユウタイノヴァ』とかいった作品を読みよったな・・・と思います・・・。
で、同じ執筆者さんが・・・こういう記事も書いていたので、「やっぱり・・・」という思いでした。
で、本題に入りますが、特に初めのリンク先の記事は、編集者への発言に対して、一定の批判意識は持ちながらも、「顔と名前の見える編集者個人に対しては匿名で人格攻撃を行う投稿も見られたことには、私は強い違和感を覚えた。これ・・・私が一番ドキッとした上に、強く共感した部分なんですよね・・・。だって、記事が指摘している通り、学歴や顔も出ている状況で、「いっちょ噛み」している俺達はプライベートな事死守してるじゃん・・・。アイコンの陰に隠れてね・・・。
実際、『みい山』の作者である亜月 ねね先生の過去作品どころか、(真偽不明であり、今の問題とはほぼ場違いの)プライベートまで暴露されてる状況ですが、本人特定している人達、ネットに本名と住所書け!本職も書け!ついでに顔も出せ!っていわれたら、する勇気あるんでしょうか・・・?自分は好き勝手に晒しながら、匿名のぬるま湯に守られている事の非対称性は、もっと論じられるべきだなと・・・。それに、自分が容姿とか学歴とか揶揄されて、いい気分がするんかね?とも・・・。ここら辺、単に躓いた人間が破滅するのを面白がる人間が沢山寄って来るから厄介ですね・・・とも・・・。何かロシア人をいじめただけで義勇兵ぶってる人を見てる感じです・・・。
ですが、自分だって、この文章 とかこの文章で『みい山』にお気持ち表明している訳ですが、あの手のリンチに手を出さないからといって無罪である訳ではなく、こうやって個人情報に一定のプロテクトがかかった状況でコメンテーターごっこをしょっちゅうやっているので、同じ穴のムジナである・・・という自覚は持っていきたいです・・・。ここまで来ればさすがに亜月先生の方に肩入れしたくはなりますが、急な鞍替えというのもダサいと思うので・・・。
だって、『みい山』は正直面白い部分もあり、好きなキャラ(特にモモとそのSっ気)もいるけど、その分商業ベースに乗せるべきじゃなかったし、だからこそアニメ化には反対というスタンスで、今もそれは変わってないので・・・。
「あついのー」の対になる言葉は、「さむいのー」だと思いますが、どっちで健康を害する方がマシか、ちょっと考えてるというか・・・。
そういえば、最近激辛のカツカレーを食べました。(ココイチみたいな所じゃなかったので)店主さんが「辛いけどいい?」と私が頼む際にいいましたが、私は「いいですよ」と答えました。で・・・予想通りでした・・・辛さが・・・。
もう額から汗がかなり出て、スプーン一杯ごとに水を飲む・・・そんな感じでした・・・。何か、角野 栄子氏の児童書で『おばけのアッチ』 シリーズがあるじゃないですか・・・で・・・余りの辛さに鬼の形相になってしまうというカレーが出てきたと思いますが、正にそれを思い出したというか・・・。
ですが、いい経験になりました(笑)
中松 まるは氏の児童書『ロボット、被災地へ行く』を読みました。
この作品は、舞台としてかなり重要な事を論じていると思います。
大体、被災地と聞くと(情けない事に、私も一瞬そう思っていました)東日本大震災を舞台にした話を連想してしまいますが、本作が題材としているのは2024年に発生した能登半島地震です。 東日本大震災は関東大震災と同じようにその犠牲者数や被害規模、重大な原発事故の発生などから、「普通の災害」と比べると現在でも多くのプロンプトが投げかけられており、原発事故や津波の被災者というプロンプトに答えを振り絞る事が社会のニーズと完璧にマッチするので、結果としてそっちが優先されるケースがかなりあるでしょう。それは日本国民全体の問題として波及したのだから、当たり前といえば当たり前の話なんです。
だから、結果として3月11日を(9月1日と同等に)災害の典型として向き合う事が、災害系の創作では定着している感がありますが、そうじゃない事は都合よく社会の無意識や創作の中で漂白、あるいは何でも東日本大震災の被害に吸収・統合されてしまう部分はあるんじゃないかと思います。2016年に発生した熊本地震から10年経った時、そのタイミングで「私はあの地震から10年経って、ようやく答えをだそうと思いました」みたいな事を悩みながら表明し、創作として吐き出したい位ショックを受けたクリエイターがどれほどいたんでしょうか?何かそのあたりにおける文化的な意味付けにも、正直居心地の悪さを感じる自分がいて・・・。
という事で、いささか前置きが長くなりましたが、『ロボット、被災地へ行く」ではこの手のわかりやすさをある程度拒絶しながら、災害における問題点や善意の葛藤を描いている所がいいと思いました。
小学5年生の少年、悠真は父親からプレゼントとして貰った、ペット見守りロボットの使い道を考えていました。
そんな中、能登半島地震が発生。児童書故にそこまで鬼気迫る書き方ではないですが、怒号のようなアナウンサーの声や、焼け野原となった市街地の描写には、かなり生々しさがありました。逆をいえば、あの元日における混乱や被害の状況を、中松氏がきちんと押さえていたからだと思います。
話を戻しますが、そこで悠真はロボットを能登半島地震の被災地で何とか役に立てようと思い、ロボットを石川に送る事を思いつきます。ですが、みんなが好意で迎えてくれるわけではなく、悠真はロボットごときに何ができるかという被災者の厳しい目に晒される事になります。へこたれそうになる悠真ですが、改めて努力するうちに、ロボットが持つ可能性を再認識するようになり・・・という感じです。
本作は能登半島地震そのものだけではなく、そこから被災者が抱えるジレンマ(「頑張っている被災者」という過剰な英雄視の裏にある、複雑な感情)や、今では全く報道されなくなっても、コロナ感染はある程度現在進行形である状況などが書かれていますが、最初にも書いた通り、テーマに対して読者と作家の合意形成が得やすい東日本大震災ではなく、能登半島地震をベースにして語っている所が、一番重要な所だと思います。更に、ただ能登半島地震ではなく、悠真が直面した現実を東日本大震災が孕む問題(間違った支援や野次馬)に話を繋げている所が、災害系の児童書として、非常に抜かりが無いと感じました。
だからこそ、語弊を恐れずに書けば、東日本大震災はその規模と内容故に、日本社会全体の命題による伝承と問題提起として選定されるケースが多いです、それだけ重要だからこそ、東日本大震災を物語の典型例として終始させるのではなく、他の問題にもしっかり目を向けているのが、『ロボット、被災地へ行く』の魅力だと思うんですよね・・・。
最近、千葉 侑生先生の『幼稚園WARS』という漫画を読みました。
やっぱり…一言でいうと「面白い!!」です。内容が・・・。
何かハリウッドセレブやコングロマリット経営者の御曹司が通う、ブラック幼稚園という 幼稚園があるんですね。で、そこには園児の立場上、彼らの命を狙う殺し屋や誘拐しようとする不届き者が度々寄り付き、多くの教員達が命を落としていました。なので、政府は毒を以て毒を制すを地で行くやり方として、殺し屋や服役囚等に戦闘訓練を科した上で、一年間教員として勤め、園児達を守り抜けば無罪放免にするシステムを作り上げました。
凄腕の殺し屋だったリタもその一人で、日々子供を狙う敵から死闘を繰り広げる中、同僚と恋や園児達の交流を重ねていく・・・そんな話です。
私が『幼稚園WARS』が心底いい漫画だと感じたのは、殺伐とした殺し合いの中で、それがただ不快にならないよう、大袈裟すぎる世界設定やラブコメ要素を入れて、読者を安心させる技量が本当に大きい事です。更に、エンタメとしてのアクション性にも抜かりが無く、敵もあの手この手の方法を駆使して、リタたちがどう園児達を守り抜くのかというエンタメ性を見事に彩ってくれています。
で、この辺りの荒唐無稽さが、現実におけるセンシティブな部分との関係性を見事に断っており、「ハラハラドキドキの絵空事」としてしっかり機能している事が、一番すごいと思ったんです。
実際、戦争や事件では、初等教育機関(及び中等教育機関)やそこに通う子供が標的にされる事があり、もし一歩間違えれば、『幼稚園WARS』はその極めてセンシティブな分野を刺激していたかもしれません。ですが、大仰なアクションやセリフ回し、ギャグ要素や非現実的な舞台設定を多用する事で、「子供が狙われ、殺される」という社会の琴線から徹底的に作品の性質が隔離されているのも、この作品が持っている利点の一部ではないか・・・そう感じています。
そこを間違えれば、いたずらに当事者を傷つけ、誤った認識を読者に植え付けてしまい、結果としてこういう事(つまり、全く関係ない所で弱者のセカンドレイプを助長して知らんぷり)になるわけであって・・・。
最近、何か「社会人」とか、「社会人経験が無い」っていう言葉をX上で何度か聞いたんですが、替えが効いて低賃金、キツい単純作業ってやっぱああなの・・・?みたいな感じが正直せんでもなかったんですよ・・・。そういう人達で社会はまわってるし、だからこそ、私だって短時間のバイトでヌクヌクやれてるのはわかりますが、何か「社会人」という言葉って、引っかかるものがあるというか・・・。
確かにスーツを着て会社に務めんと不利な事って一定数あるのは事実ですが、(オフィスに務める)サラリーマンとOLだけが労働の典型みたいな考えって、例え正規雇用である他の職種だったり、非正規雇用を知らず知らずの内に疎外してるんじゃないか・・・そういう考えがあります。
実際には働いていて、その姿をいろんな場所で見るのに、「社会人」という区分けみたいなものをされているのって、生きていても死んでるとみなされてるゾンビみたいだよな・・・という思いがあり、拙作を描いたというか・・・。
いやぁ・・・ゾンビという言葉を一番最後に使ったせいか、回りくどくなっちゃいましたね・・・拙作の説明が・・・。ちなみに、ゾンビは社会福祉士です・・・。