今日、JRを利用した所、接近メロディーがいつの間にか変わっていて・・・まぁ・・・別にいいですけど・・・。
何か色々とメンドい事が起きてるな・・・と思います・・・ホントに・・・。
ああ、そういや『みい山』みたいな話と実際の障害児にまつわる問題を繋げるのは、それこそあんな作品で現実を理解しようとする「横着」をしているようで嫌ですが、一応なんか腹の底から感じてきたものを出しますね。そこら辺のデカい声でされる障害者語りには思う事は色々ありましたから・・・。
私が小学生の時です。私より年下で知的障害を持っていましたが、敢えて特殊学級ではなく普通学級に通っている子がいました。その子はすぐ癇癪を起して泣きだしたり、他の子に抱き着いたりしていて、それを他の子達から逆手に取られ、「エイリアン」 とからかわれ、追いかけ回されていました。彼が狙われるのが主に登校中だったので、担任の先生が車でその間パトロールしていたんですが、ここで問いたいのは、パニックを起こしたり、誰彼無しに抱き着こうとする子が悪いのか、それとも、彼を取り囲み「エイリアン」といって囃し立てた子が悪いのか・・・?という話です。
正直にいうとあんな漫画をソースにするより、そういう事について突き詰めて考えて欲しい・・・そう思っています・・・。
ちなみに『エスプレッソ・コーラ』という漫画を、カドコミとAmazonでインディーズ版を読んだんですけど、『みい山』が障害者について分断を煽り、「わかったつもり」にさせる力が強いのに対し、『エスプレッソ・コーラ』みたいな作品は、読者の良識や理性に作用し、取り扱っている問題にまともな関心を向けさせる作用が強いなと・・・。勿論、障害者関係の問題提起については断然、私は『エスプレッソ・コーラ』のような表現を支持しています。
個人的には、話の重さを青筋立てながら怒鳴るシーンより、『みい山』みたいにシチュエーションの機微で表すような表現が好きですが(ついでにモモのSっ気も)、だからこそ講談社は安易に声をかけるべきではなかった・・・そう思います・・・。やっぱり日向の世界では、『エスプレッソ・コーラ』みたいな作品の姿勢が優先されるべきだし、人を興味本位で傷つけたり差別したりするコンテンツは、それを表に出せば教唆煽動に繋がるから許されないと理解している人達同士が、日陰で楽しむものじゃないかと・・・。