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2026年8月6日木曜日

『オレらは絶対だまらない:サイコーな毎日をとりもどせっ!』を読みました

 七都 にい氏の児童書『オレらは絶対だまらない:サイコーな毎日をとりもどせっ!』を読みました。まぁ・・・七都氏の代表作である『ふたごチャレンジ!』シリーズのDNAを引き継いだ問題提起系の話であり、久々のみらい文庫レーベルから出版された作品だったんで、新鮮味がありました・・・。七都氏のイラストといえば、もうしめ子氏の作品を長く見ていた事もあり、ちょっと視覚調整も必要でした(笑)

で、何か小学5年生になったばかりの札元 ダイヤや藤咲 マナカのクラスでは、担任の鷹野先生が考案した、「特別チャレンジ制度」が始まります。勉強や運動などを頑張り、ランキングに入れば特別チャレンジ券を鷹野先生から貰えるという決まりです。

全員が意気揚々と「チャレンジ」に挑む中、ランキングを巡ってクラス内では諍いが起き始め、しかも、成績がよかったりや運動が得意だったりしてもランキング外。しかも、ランキング上位にいる子供達が横暴な振る舞いを見せ始めます。

これは怪しいとダイヤ達は疑い、調査を始めますが、同時に「特別チャレンジ制度」の歪んだ事実が露わになり始め・・・というストーリーですが、私は(ここでも書いていますが)ランキングより、競争に対する私達の態度を問われているような重みがありました。

 あらゆることが数値化し、インセンティブが叫ばれる中、鷹野先生がやっていたような事は世の中にあふれています。女子や浪人生だけを入試で不利に扱い、特定の受験生だけを優遇していた東京医大を始めとした医大群、フォルクスワーゲンの排ガス不正問題等、真面目に競争に参加している側からは指弾すべき事が多数あります。私だってズルをしていたかといえば「NO」なんて断言できませんし・・・。

それと、ランキング上にされた子のふるまいのようなものも、私は現実で結構見てる感じがします。自分の例でいえば、東京芸大卒で賞歴もかなりある作家さんがそうでない人を侮辱するような発言をしていたり、自分のキャリアを暴言を吐く形で誇示する作家さんなどなんですが、競争自体が問題なのではなく、そのプロセス(参加する側と主催者)が、それをベースとして運用される社会だからこそ、厳しい公正性と倫理的なものに立っていなければならないという思いが浮かびました。 

だからこそ、(ここからはネタバレ恐縮ですが)鷹野先生だけを排除してめでたしにするのはどうかと思いました。これって、R・J・パラシオ氏の『ワンダー』でジュリアンを退学処分で済ませた事で反差別となす事のモヤモヤにも似てるんですよ。社会問題って、「善VS悪」みたいな単純明快なものじゃないです。お互いの行為の作用と責任を問わないと、正義としては片手落ちだと思うんです。

だからこそ、ダイヤ達が正義の味方として鷹野先生を成敗するというのは、社会問題の告発としては薄味に見え、多くの社会派児童書が陥っているワナを辿っているともいえました。これで子供ばかりに鷹野先生を糾弾させるのではなく、フラットな目線で問題を裁き、周りの大人のサポートが入っていれば、更によかったのに・・・と感じます・・・。

ところで、寧ろ、『ふたごチャレンジ!』で露骨な性差別やパワハラをしていた豆田校長が懲戒免職処分にならんのは不自然だなーと思いました。せっかく「ホワイト革命」までやったのに・・・。 

2026年8月5日水曜日

明日の問題

明日は・・・結構な問題になると思いますよ・・・。だって、高市氏だもんねぇ・・・。

国旗損壊罪についても、時間があればいっちょ噛みしてみたいなぁ・・・。 

2026年8月4日火曜日

ジャンキーな漫画

(8月5日:一部加筆修正しました)
 

―そもそも、あの程度のお遊びならネット中にあるじゃねえか!それなのに、どいつも無駄に大騒ぎをして、この俺の経歴に傷をつけようとしやがる!黙っていればいいものをよ!

                               コナミ「s.l.a.i」より 

まぁ・・・一応、レンタルコミックで『みい山』はちょっと読んでみたんですが、はっきりいって、こういう露悪寄りの話はよく実話系雑誌に掲載されているもので、つまり知的障害者とかセックス、夜職みたいなものを、便所の落書き感覚で題材にしたジャンキーな漫画と割り切って読めば、正直面白い部分もありました。モモとかココロみたいなキャバ嬢達の黒い本音とか、不快を煽る演出に依存しない、ギスギスの描き方はすごい上手いなと・・・。

実話ナックルズとか週刊大衆とか・・・正直、時折私も買って読むことがありますし・・・。

ですが・・・やっぱりストーリーの性質が性質故に、『みい山』はメインストリームに出してはいけない作品だったと思います。いくら口先で「差別はいけません」とか「弱い人には同情しましょう」とかいった所で、人権や平等といった社会の建前よりも、民意のリテラシーや意志というのは案外脆く、『みい山』の単行本があっという間に累計発行部数280万部突破しましたが、同時に知的障害者の正しい理解なんて進んだんでしょうか?「学びを得た」なんて人達が、真面目に障害者福祉に向き合うような事がありましたか?


Xあたりを見ればすぐわかると思いますし、その「好意的」な感想が、(知的障害者を揶揄する「みいちゃん」というスラングの定着に併せ)障害者の実態や福祉の現実を、漫画内の表現をソースにして間違った事を平気で書き、あまつさえ当事者の差別や迫害すら容認している以外のものが殆どだったと感じています。
「問題に関心を持つ機会として、ああいう漫画があっていい」という意見もありますが、そういうのは、「クルド人問題に関心を持つきっかけとして、石井 孝明氏や神谷 宗幣氏の活動があってもいい」という話と同じじゃないですか?

この記事を見ても「『みい山』が話題になる事はあっても、これら具体的な障害福祉の問題が真剣に話し合われる事はない。」と書かれています。そりゃそうだろうと思います。『みい山』は障害福祉を真剣に描いた漫画じゃないし、近親相姦とか(モモがいっていた)受容体がどうたらみたいな話に、「学びがある」真面目に受け止めるような人間に、やる気を期待する方が無理というものでしょう。問題なのは、新宿区議や公的な地位にいる専門家などが、そういう発言をしている事でしょう。前にも2回程書きましたが、児童文学作家までもがこの作品を支持している始末ですから。

こうした「民意」に応えるように、『みい山』はこの度アニメ化が発表され、炎上状態になっているわけですが、これまでの経緯を見れば、作者である亜月 ねね先生だけが悪いとはいえません。バズっているというだけで、相手がどういう人間なのかをちゃんと調べもせずにプロの世界へと引きあげて、彼女を教祖としてやりたい放題してきた講談社の編集部も、ギルティだと思います。

 そして、あの編集部の動画(編集者の無責任な姿勢)とか、一番悲惨なシーンをネタにしたアクスタ企画、よりにもよって相模原事件発生日にアニメ化を告知する節操の無さを、作品内容と併せると・・・ここからは、もう心を鬼にしなければなりませんが、アニメ制作は中止でいいんじゃないかと思います。これ以上、『みい山』に対する民意に応えるような事があれば、いずれネットの俗情と結託して規制緩和され続けてきた「表現の自由」が最悪な形でツケを払う事になると思うんで・・・。(アニメ化の効用を考えれば)国際的にも・・・。

俺もギャラリーの企画書ボツになった事があるから、敢えていうけど・・・。 

で、アニメ化及び『みい山』の擁護意見からは、表現の自由はともかく、「正義の暴走」とか「表現の自由とは不快なものを守る事だ」とか、noteやXでも屁理屈めいた意見をかなり見ますが、表現の自由とは、作り手の一方通行で決まるものじゃないです。
リンク先の記事の人も書いていますが、表現の自由より、人権問題の方が割と本人の生死について影響力があったりするので、前者を天秤にかければそっちが優先されるべき場合があると思います。社会の日向に近づけば近づくほど、人権や法律が優先される割合が高くなり、その辺りで折り合いをどうつけるかという議論に晒されるのは、至極当然の事でしょう。
だからこそ、表現の自由を守るという事は、自身の責任能力に基づいてTPOを選び、時にはその権利を留める事とセットでなければ、自由に値しないと思う訳です。それが嫌なら、日陰でひっそりとやるべきであって・・・。

そういう所から、(アニメ化を含め)『みい山』批判批判派の言動を見るにあたり、今の日本における表現の自由というのは、そうした権利や自由を行使するどころじゃない、切実な問題を抱えた人達が守られる事より優先されるものなのか・・・と思う訳です・・・。
塩見 鮮一郎氏も自著『作家と差別語』であの手の被害者意識を指摘してたしな・・・。断筆宣言のやつですけど・・・。

  

まぁ・・・まとまらん形で色々と『みい山』について書きましたが、これだけ亜月先生を中心にしてカネと人材が動くような状況まで持ち上げて、売上も還元してもらったんだから、講談社はちゃんと亜月先生だけに何かいわせるんじゃなく、やっぱり彼女をここまで育てた会社として、説明責任は果たさなきゃいけんのんじゃないか・・・そう感じています・・・。




 

 

 

2026年8月3日月曜日

反労働系

 この暑い中、バイトに行って・・・「ここでヘタっちゃいかんよ?」とか思う訳です。私よりも長い時間働いてて、しんどい仕事をしてる人なんか山ほどおるし、ですが・・・やっぱり学校が(何らかの理由で)休みになったり、仕事から早く帰られれば、「ラッキー」と思う人は、同じ数ほどいるはずです。

私も以前は食品工場の夜勤で、大晦日にはおせち料理を作るために(一応、休憩時間込みでしたが)13時間工場内で働いてた事があります。短期バイトでも、真冬の冷凍庫からローラーで、クリスマスケーキの入った箱をトラックへ運んでいました。そして、昼の1時から夜の1時まで、サッカースタジアムの観客が出す弁当や飲み物のゴミをひたすら処理していた事もあります。

で、その経験を照らし合わせた上なんですが、どうも左派系の一部における経済的な言説では、資本主義自体を否定し、その流れで労働自体も否定するという、トラバントが走っていた過去の国よりも極端なものが流通しているように見えます。 

自分も最近Xで、「労働にNOを突きつけたい」みたいなポストを見たばかりなので、敢えて書きますが、たとえどんな形でも、人は(ある程度の)社会参画から逃れられないと思います。これは松本 次郎先生の『女子攻兵』とか、最近では森川 成美氏の児童書『アントネストの羊』とかでも触れられている事なんですが、この社会で労働に絶縁状を突きつけてたとしても、結局は自分が嫌う概念に支えられて生きているというダブルスタンダードがモロ見えになっているわけです。ああいう何気ないような言葉をXでポストするのだって、電子機器メーカーの工員や発電所の作業員、そこまでいえるような余裕があるような、生活環境を提供しているだろう建設会社など、見えにくいだけで「労働」という概念が日常生活に密接に関わっている訳です。来ている服だって、あるいは食事だって、誰かの労働があるおかげで成り立っていると思うのです。「労働にNOを突きつけたい」といいながら、自分がやりたくない事で維持されている環境に依存するというのは、結構ズルくもないか・・・と・・・。

そこで自分の信念を貫徹させるには、同じように労働にNOが突きつけられた環境に住む他はありませんが、多分それはきれいな飲料水も出ない、エアコンもまともに動かない、電気だって供給されない、まさしく『漂流教室』とタメを張れるような地獄でしょう。ああ、そうそう。現実にあわせてロボットが労働を肩代わりしてくれるというのもナシです。

こういう話が、(かなり昔の話ですが)「働いたら負けかなと思っている」という極端なケースから出るのではなく、それよりも地位と意識が高そうな所からという所が、あの手の議論の根深い病巣かもしれん・・・とうっすら思っています・・・。 

2026年8月2日日曜日

ヘイト本の記憶

(8月2日:少し内容を加筆修正しました)

―「それはね、”劣等”というの。世の中には、あまり価値のない、劣っている人間がいる、と思っている人がいるのよ」

                エリザベート・ツェラー『アントン:-命の重さ―』より

 ちょっと前に、(特に)中韓をあからさまに罵るような本が相次いで出版され、ヘイト本として問題視された事がありました。『世界で嫌われる中国』とか『反日韓国のトンデモ実態』とかみたいな・・・。

私も、『NOヘイト!:出版の製造者責任を考える』という本を読んだ事があるんですが、こうした記事を読んでいると、あの問題が公園の散歩に見えてしまうような感覚にとらわれてしまいます。正直・・・。まぁ、ころから社の姿勢はある程度は好きですしね・・・。

リンク先の記事にもあるように、Xで細々とガラの悪い漫画を描いてバズっていた作者を、出版社が声をかけ、編集者が(動画内で)嬉々として弱者に対する嗜虐的な言葉を天然で並べ立て、挙句の果てには悲惨なシーンをネタにするようなアクスタをプレゼントするような企画を立ち上げるような現状、更に相模原事件の発生日にアニメ化の告知をするような認識の甘さを見ると、何か昔の方がはるかに、差別を悪として断じやすかったんじゃないか・・・そう思うんですよ・・・。例えヘイト本が著名人から推薦される事があったとしても、大体一部の大学にいるアレな教授やアレな作家だったりするので、支持層も併せて社会通念上容認させてはいけない事だっていう空気が曲がりなりにもあったと思うんですよ。でも、今はカタギ向けの論客(そして児童文学作家までもが!!)が知的障害者を素人目線で性欲モンスターとして戯画化してるような作品を、「(自分が勝手に想像している障害者のタブーについて)よくぞ描いてくれた」と、堂々と推薦しているような有様を見ると・・・。

何かXでの指摘通り、もう事態がここまで発展すると、亜月 ねね先生(断じて亜月先生がこれまでやってきた表現や言動を擁護する意味ではありませんが)自体の問題だけじゃなく、公式が彼女を教祖としてやりたい放題している事が原因になっている気がします。 

何かこれ、あれだけ問題を起こしておいて自浄作用とか見込めるんでしょうか?と、正直思います。上にも書いた通り、もう亜月 ねね先生だけの問題で済む自体なってない以上、彼女に声をかけ、原稿料と印税を払う立場になった自己責任として「どういう覚悟で……人の子供殺してるの?」という話にはならんでほしいです・・・マジで・・・。 

亜月先生をプロとして担ぎ上げ、その表現を商業ビジネス化して現実のセンシティブな問題に対して無頓着な事を繰り返し、アニメ化まで約束しておきながら、今更亜月先生個人の責任として裏切る事は許されんだろ・・・そういう思いがあります。 

 

 


2026年8月1日土曜日

ダルバートを食べました

 最近、ネパール料理の店が近くにいつの間にかできとったんで、ちょっと行ってみました。で、ダルバートという料理を食べたんですね。そこで支払いの際、店主さんが「オヤジがインド料理屋をやってるんで」とDMを渡してくれました。しかも俺よりちょっと年下・・・すごいよね・・・。

まぁ・・・これは安田 菜津紀氏の児童向けノンフィクション『故郷の味は海をこえて』 を読んどった時に、ダルバートが出てきたのを思い出して・・・という感じでした。何か最初は(こういうのも結構不適切な例えですが、許して下さい)飯テロみたいに食欲をそそられていくんですが、その裏に書かれた現実を見ていく内に、徐々に苦味が広がっていく・・・そういう感じでした・・・。

で、ネパール料理の店に話を戻しますが、何かモモとアルジーラを頼んだんですよ。モモ・・・それは果物じゃなく、ネパール風の餃子です・・・。なんかイギリスのロンドンなんかカナダの(オンタリオ州にある)ロンドンなんか・・・みたいな話を連想しました・・・。 

最近の動向

 何か絵本ランキングがどーたらみたいな話を、ここで書きましたし、最近でも『ぽんたとなっちゃん』という絵本を買ったんですが、まぁ・・・これは部門の問題だとはわかるんですが、もう講談社の最近の動向を見てて、もうあそこの本はしばらく買いたくないな・・・と正直思いました。こういうの、新潮社に続いて2度目ですよ・・・。部門の問題と書いたけど、同社の青い鳥文庫の公式サイトだってこういう事をしてるしなぁ・・・。

何か、編集者さんの動画も炎上してましたけど、はっきりいえば、こういう傾向には斎藤十一イズム以上のものを感じているというか・・・。

なんか、講談社の児童書も、青い鳥文庫も買ってた身として、その出版社の本を買いたくないなんて悲しい判断をさせるような事を、これ以上しないでくれよ・・・と正直思います・・・。