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2026年10月25日日曜日

プリンタへの出力

 今度は、iPadで描いた絵を、プリンタで印刷し、それをベースにキャンバスに描いていく・・・という感じです。後ろ姿だが、大丈夫か・・・?

最近の精神状態で、ちょっと嗜虐的なタッチになってるから気をつけんと・・・とは思います。それで大学生活も悩んでたが、あの時は味方になってくれる人がかなりおったからよかったです。でも、そんな後ろ盾や言い訳が通用しない今、ある程度は一人で負の感情を処理していかなくてはならないので・・・結構しんどいかなと・・・。あ、四六時中じゃないですよ。そこは安心を(笑)

まぁ・・・会田 誠氏みたいにもう過激なもの描くスタミナないし、保守的になってるからね・・・表現の自由みたいな場所で・・・自縄自縛・・・。 

2026年10月24日土曜日

1月と5月

 早くも、来年における1月と5月の予定に関して、どんどんアレやコレやがのしかかってきてるというか・・・個展の事も考えないかんしなぁ・・・。

特に5月の方は、プライベート関係で通用するのかどうか・・・結構心配です。アレだからといって我儘が通用するとは限らんし・・・。 

だから今、iPadの方に絵を描いています。それをもとにしてキャンバス出力していくというか・・・。そういや「天才ペン」っていうツールを今、「Gペン(にじみ)」に代わって使っていますが、これがアミバ化せんようにやっていきたいと思います・・・それなりの高品質なツールだったんで・・・ね・・・(汗) 

2026年10月23日金曜日

PHP恐ろしや・・・

 何かPHPの話ですけど・・・あれ、正直PHP研究所の話かと思っていたら・・・そうした自分の平和ボケを凌ぐ事じゃった・・・恐ろしや・・・。

これで来年も乗り切れるかと思うと・・・不安です・・・。このブログにしても、インスタにしても、Blueskyにしても、どうなる事やら・・・。

そういやATMに行ってこようかと思います。買いたい本が見つかったので・・・。 

 

2026年10月22日木曜日

『ゆうれいフェルピンの話』の記憶

 本当に・・・これは申し訳ない話になりますが、小学生の頃、両親に広島駅近くの書店(今、中央図書館がある場所です)に連れて行ってもらい、立ち読みをさせもらっていた所、偶然『ゆうれいフェルピンの話』という絵本を手に取ってしまった事がありました。

この作者はアストリッド・リンドグレーン氏で、児童書や絵本に詳しい人なら、もうどんな人かはわかるはずです。 『やねのうえのカールソン』や、『長くつ下のピッピ』といえば、「ああ、あの人か」という感じでしょうか・・・。
で、基本児童書や絵本をメインに書いている人が、それらの媒体でふとダークな話を書く事があります。その辺りで見ると、那須 正幹氏の『ねんどの神さま』とか、内田 麟太郎氏の『ひとのなみだ』でしょうか。

本題に戻りますが、『ゆうれいフェルピンの話』で一番恐ろしかったのは、表紙でイロン・ヴィークランド氏の手で、おちゃらけたいたずら男フェルピン(鶏の脚を両手で持って振り回している!)が描かれてるんですが、ページをめくると中表紙でもうゾンビのようになったフェルピンの顔が描かれています。しかも、(先程もゾンビといいましたが)神すら恐れぬ真似をした事で、 変わり果てた死体となって生き続けたフェルピンのイラストと共に、当時の私は数週間ほどその悪夢に悩まされる事になりました。ついでに、その浄化として自由帳にお手伝いさんがフェルピンを背負って歩く絵を、3枚程度描いていたような気がします。

今ではトラウマ絵本とかトラウマ児童書といって笑ってすます事ができる話ですが、私はそういう一言で怖い話を片す風潮に、あんまし乗れない気分です。そこら辺、単なる露悪を子供に押し付けるような独り善がりな悪乗りがあったり、(『学校の怪談』シリーズや『怪談レストラン』シリーズはともかく、の話ですが)※『怪談えほん』のように、メインの読者たる子供とのコンセンサスを経ず、恐怖を語る大人の立場だけが独り歩きしているような作品も散見される中、その辺りが見落としている奥ゆかしさや不安だけでは割り切れないもの・・・を見ていきたいと私は感じています。

あの時、おばあさんの話を聞いた後でフェルピンにつかまったという誤解と絶望感に叩き落とされた少女を助け、 抱いてくれる父親の様な存在だって、子供向けの「怖い話」、特に絵本という媒体でも必要だという事を、私達は忘れてるのかもしれません。

 
※『怪談えほん』については、こちらの文章でも書いていますので、よかったら・・・という感じです・・・。全部が全部だめという訳ではなく、怪談として良質なものがあるのも確か・・・なんですが・・・。

2026年10月21日水曜日

タトゥー鑑賞

 最近、電車に乗っているとやっぱり外国人観光客らしき人が多く、まだ半袖の人もかなりいます。で・・・そこに刺青、つまりタトゥーを入れてる割合が高くて・・・。人によってそれは多種多様なので、それを鑑賞するのが楽しみ・・・というか・・・。

ですが、今日は見られなかったです。残念・・・。

まぁ、今日はちょっとした災難があって、バックアップができてなかったんです・・・。だから、画像を入れ直します。でも、大したもんじゃないしな・・・。 

2026年10月20日火曜日

逆にこっちに興味を持った

 この記事を読んでから、逆に『みい山』のパイロット版に興味を持ってしまっています・・・。ああ・・・そうね・・・パイロット版は未完だし、そこまでスキャンダラスじゃなかったという事でいいかな・・・?みいちゃんはそこまで癇癪持ちを強調されてるわけでもなく、そんな(読者の)ヘイトを稼ぐための大失敗をする訳でもない。DV彼氏であるマオ君の描写も商業版と比べれば、大人しかったようだし・・・。

今はもう、(日本自閉症協会みたいに)それなりに歴史も権威も有している団体まで言及するという事態になっていますが、個人的には『みい山』のような作品が突然出てきて大騒ぎになっているわけではなく、これまで商業という分野で積み上げられてきた土壌が(かなり不謹慎な表現を使うのは承知の上ですが)炉心溶融を起こした結果じゃないのか・・・と思ったりしています。
そういう何か、ネットで福祉とか貧困(自堕落な無業とか生活保護不正受給みたいなステロタイプ)とか、障害者みたいなものに対する差別的なコンテンツが蔓延していて、それをメディアの巨大資本みたいなものが利益の為に日向の社会に次々と引き揚げていった結果に、『みい山』の炎上騒動みたいなものがあるんじゃないか・・・そういう思いがうっすらとありまして・・・。 
だからこそ、何か表現の責任とか自浄作用について、そろそろ考えんといけんな・・・と考えています・・・。AIだって、これ以上開発を進める事を規制するかどうかで議論されとるじゃん・・・。
俺も昔、会田 誠氏の過激な作風に憧れて、危ない橋を結構渡ってた事がありました。でも、文化的な意義がありゃあ何やってもいいってわけじゃねえ・・・今はそういう思いも胚胎してるんで・・・。大学卒業から数年経つうち、何か自分の中でどんどん、「表現の自由」とか「タブー破りの意義ファースト」みたいなものが保守的な考えとして変容していったというか・・・。

2026年10月19日月曜日

『パレスチナの羊飼い』を読みました

 アン・ローレル・カーター氏の児童書『パレスチナの羊飼い』を読みました。

 内容は、タイトルの通り、羊飼いを夢見るパレスチナ人の少女のアマニが主人公で、「女性は羊飼いになれない」という定説を覆し、見事に羊飼いとなります。ですが・・・これもタイトルの通り、「入植者」つまりイスラエルが孕んできた(加害にまつわる)問題も当然絡んできて・・・という展開です。

ですが、ここで注目したいのは、本作はパレスチナ問題をテーマにしていますが、イスラエル人の少年ジョナサン等のキャラクターを通じて、相手がイスラエルだからといって悪い人ばかりではない、そこで諦めずに、状況や努力次第では共生(わかりあう)も可能ではないかという希望が託されています。この手の話は、特に日本の反戦系の児童書やノンフィクションで陥りがちなワナだとも思いますが、加害者サイドで庶民を軍人や政治家に抑圧される善良な人間として描くという、責任転嫁と矮小化に陥ってしまう危険性があります。それはちょうど、例えば(この手の作品はかなりあるので、タイトルはあえて列挙しません)満州や中国大陸に移住した日本人は中国人と仲良くやっていたのに、軍がそれを台無しにした、だから戦争はやってはいけないという類のものでしょうか。

だからこそ、話を『パレスチナの羊飼い』に戻しますが、ジョナサンがそうだからといって、本作はネタニエフや政治家、軍人達の責任に帰して終わらせるような、わかりやすい構造を提供してはいません。 自分の立ち位置によっては、どこかでその責任や行為は関わっており、それとどう向き合えばいいのかというシビアな問いがありました。