封筒を買いました。これでカンペキ・・・!
そういえば、今日は雨がすごかったです。傘を持っていかなくてはならない程の・・・。まぁ・・・新幹線の切符も買いましたし・・・。後は夜行バスの時刻を忘れちゃいかん・・・という事ですかね・・・。 これまでと違うんで・・・。
画家、藤高昇太の公開日記(ブログ)です。主に出展のお知らせや、近況などを書いていきたいと思います。なお、整理のために一部の記事が削除される事がありますので、ご了承ください。 ◎本ブログの文章の一部引用および画像の無断転載を許可いたしますが、以下の注意を守ったうえで、自己責任でお使いください。1.営利目的・非営利目的(何らかの収入を伴わない)に関わらず、出典の明記は大体わかる形でもかまいません。そちらのご都合に任せます。 2.政治的・社会的な信条にかかわらず、いかなる表現も許可いたしますが、最低限のTPOとモラルを守ったうえでご使用お願いいたします。なお、タイトルに◎がついた作品は、版権ネタですので無断転載をご遠慮ください。
葉月 灯里氏の児童書『プログラムじゃありません!:トモダチとココロのつくり方』を読みました。『クララとお日さま』や(こっちの方は殆ど実体がありませんが)『恋するA・I探偵』と同じように、人工知能搭載の少女型アンドロイド、マキナが語り手となっている作品で、自我を持つAIとかロボット系とかの作品では、よく書かれているテーマだなと感じました。こういう話は一つ足を踏み外すと陳腐化しやすいですが、クラスのいじめとかAIの技術乱用とかを、アンドロイドに絡めてかなり上手く書いているなと思いました。
マキナは他者の困りごとを察知して助け、併せて人の心理を学習する為に小学5年生のクラスに転校生としてやってきました。そこで、何らかの悩みを抱えていると思しき愛名という生徒をマキナは発見しますが・・・。
それ以降の展開ですが、いじめの描き方がかなり絶妙なんですよね。※1経済的に恵まれていない家庭への偏見だったり、※2加害者の吊し上げだったり・・・ですが、この辺りを単に興味本位のギスギスや露悪を垂れ流さず、後味が悪くないようにコントロールできている所にすごさを感じました。大体、いじめや貧困家庭というと、どうしても読者対象(=子供)を説教の捌け口にしてしまいがちですが、それが無い作品こそ、問題を告発していると思うんです・・・。
それと、今日GoogleやX、それからOpenAIなどから次々とAIがリリースされ、IT技術が私達の想像の上を行くデジタル環境に晒されている訳で、当然悪用の手段もテクノロジーの発達と共に巧妙かつ過激になっていく訳です。その辺りを人工知能を主人公として告発させている辺り、かなり深い皮肉を感じましたね・・・。
こういういい意味での刺激的な要素があるからこそ、是非とも続きを読んでみたい作品です。
※1ネットでは普段から貧困家庭や生活保護受給者の側に立って政権を糾弾する割に、その口で(都合が悪くなれば)弱者を疎外してネタにするような人間が児童文学作家やその愛好家でも存在するので、登場人物の美玲のキャラクター造形は、そういう都合のいい善意とタメを張れる位の怖さがありました。
※2ここでも、『ともだち弁護士リッカ!:転校生は正義のミカタ!?』について書きましたが、愛名が 「だからこんな学級裁判みたいなこと、やめてくれる?」(124P)といってた通り、子供同士で裁判をやる事は、やっぱ美談にしちゃいかんな・・・そう再認識しました・・・。
豊林 サカネ先生の漫画『ふたりバス』を読んでいます。当然、既刊は全部買ってます。
何か、ヤマノエイ先生の『さむわんへるつ』でも感じたんですが、人間の心象風景の機微を丁寧に描いてストーリーを展開させていく作品が人気を得るのって、いい風潮(傾向)だと思います。しかも、地方都市のバスという公共交通機関がメイン舞台になっているのも・・・と感じました。悪意や害意で爆買いさせない安易さが無いというか・・・。
まぁ・・・何か公立進学とか私立受験って対立しそうな感じだし、下手な話ではどっちかをサゲてキャラクターを(後者を藁人形化して)正しく表現する・・・みたいになりそうですが、そういう構造が全く無いのもよかったなと・・・。誰もヘイトされずに話が進むのって気持ちいいよ・・・そういう意味じゃなくて・・・(汗)
私自身、田舎とある程度の都市圏(今住んでる所です)のバス乗車を経験しているので、あの狭い中での孤独感や閉塞感で生まれる人間関係・・・みたいなものってかなり臨場感を感じたんですよね・・・。
そういや話は変わりますが、電気バスって広島でじわじわ増えています。もうトロリーバスは古い・・・という事でしょうかね・・・。日本じゃ全滅したし・・・。
朝日新書の 『崖っぷちの私立大学:偏差値で測れない価値をどう見抜くか』を読みました。
全体的に、こういう系の本は正に「崖っぷち」に晒されている私大の問題点を、必要以上にスキャンダラスに書く事に終始しているものが多いと感じていましたが、世間に蔓延るBF大学のステレオタイプやそこら辺の民意にある程度(書き方は悪いですが)「忖度」したような財務省の意向などにきちんと向き合い、違う所は違うと丁寧に実態を説明している内容には好感を持てました。これは個人的な観点ですが、本書が指摘しているように例えBFの地方私大でも、相性がよく、本人が立ち位置を理解した上で努力すればちゃんと学業として成立するというケースがかなりありますし、私もそういう美大を出ていますが、卒業生が東京のギャラリー取り扱い作家になったり、教員にパンク関係で非常に実績がある人(ちゃんとそれが学生への教育として成立している)が存在しているわけですから。
そこで不満があるとすれば、たとえ中堅~中堅以下のデキる大学生や教員の話だけではなく、武雄アジア大学とか千葉科学大学とかいった「失敗例」も取り上げた上で、高等教育関係が抱える問題点を批判的に論じるというバランスを取って欲しかった・・・そういう考えがあります・・・。
ですが・・・同じ財務省の250校削減案に関して、著名な大学ジャーナリストである石渡 嶺司氏がこの記事においても豊富なデータや調査の結果を交えて「それはちょっと違うし、現実はこうなってるよ」と説明しているのに、ヤフコメでは石渡氏の揚げ足を取り、論点すり替えでBF大学淘汰論に固執している意見を沢山見かけました。だからそういう人達にはどういおうが通じない部分だってあるわけです。
だからこそ、私個人としては(特にネット受けする)高等教育関係の議論については感情論に基づくバッシングも、過度な美化に基づく存続論からも距離を取りたいと思っています。本当に国政に高等教育を晒すなら、寧ろネットのこういう両者の極論に背を向ける必要はあるんじゃないでしょうか?
特に後者に関してはただ延命目的の公立化が絡んできますし、教育は福祉だけではなく、公金投入もあるので(ある程度のインセンティブに基づき)厳しい目に晒されるのは当然だと思います。前者に関しては、財務省が(本書のように)実態をよく見ず「Fラン潰せ」という「パンとサーカス」に応じている部分があり、正にこの記事が主張している事と同じじゃないか・・・と思うわけです。
(追記)ネットに蔓延る「Fラン大学論」については、大阪はおろか、関西地方にすら一度として足を踏み入れた事が無いのに、「西成は怖い」とか「同和の闇」みたいな話を面白おかしく流布しているようなもので、何だかなぁ・・・と感じています・・・。