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2026年2月14日土曜日

治安の五十歩百歩

 まぁ・・・Blueskyを始めてから、アドビ参入のアレを見るにあたり、「こりゃマイクロソフトでも、グーグルでもそーなるんじゃ・・・」という思いはあります。AI推しならそうなるというか・・・。自分もAI利用を強要してくる機能に最初はキレそうになっていましたが、今ではその波に呑まれている部分もあるわけで・・・だって実質便利ですもん・・・GPTはともかく、ClaudeとかGeminiだって・・・。

それで、思い出したようにアドビのアレコレをBlueskyで検索してみて、最初は自分も「ある程度は仕方ないじゃん」と思ってました。ですが、Xの治安を嫌いながら、あの死体蹴りに参加する事を嬉々として正当化し、あまつさえそれに参加できなかったことを悔やむなんて、一体どの口がと、正直感じています。だから、こういう事が極めて少ないというのはかなり悲しい現実ですが、ホッとしています・・・。みもりんか氏のポストなんですがね・・・。

テガキも考えましたけど、コンセプト自体は好きですが、あの馴れ合いみたいなもんが正直嫌だし、メンテンナンス中という事でどうしよかねーと考えてます・・・。 

2026年2月13日金曜日

濡れ衣を着せられそうになりました

 まぁ・・・犯罪なんかじゃない、しょーもないケアレスミスですが、ちゃんとやっとったことをやってないみたいになってたんですよね・・・。まぁ、そこはお互いさまという事で・・・。

まぁ・・・もう他にお絵描き専用のSNSはないんかな・・・と思って探してます・・・。まぁ、見つけたっちゃ見つけたんですけど、反生成AIみたいなものを過剰に神聖視してるのもね・・・と感じています・・・。

で、Blueskyなんですが、AI使用を堂々と公言してる人っているんだなーと感じました・・・。 

2026年2月12日木曜日

Jホラー的な絵本

 15年くらい前の話、怪談えほんというものが刊行されて注目を浴び、そこからJホラー的な絵本が次々刊行されるにあたりました。怪談えほんの特設サイトを見るにあたり、お決まりの「子供にはショックや恐怖を与えてナンボ」という美辞麗句のもと、幼児にホラーを与える事をタブー視する「良識派」という藁人形を作り、勝手に対立構造の被害者として振舞っている・・・そういう典型的な(表現者特有の無責任な)特権意識だけが独り歩きしている一部という感じはしました。

こういう話って、基本的に生存バイアスで構築されていて、これは多分、五味 太郎氏も『大人問題 』あたりで皮肉っていたと思いますが、「文化」とか「芸術」とかいう大義名分がついた瞬間、多くのクリエイターが社会的責任に苛まれている被害者として振舞い、一番気をつけなければならない子供にすら、表現者ファーストで勝手な振る舞いすら要求してくるのは何故なのでしょうか?普通ならAVや「テリファー」みたいなものは子供に観せるべきではないというのは常識なのに、その規制緩和こそ正義だといわんばかりの空気って、一部の表現者界隈にありませんか・・・?

個人的な感想ながら、こうした怪談えほんの特設サイトの主張のような、「大人が子供に対して本気を出した」事自体が目的化する中で、本当に良質な子供向けホラーというものは、(ああいう美談では矮小化されがちな)こうした意見もちゃんと鑑みれるような姿勢の作品づくりではないでしょうか? 彼らの中では、リンク先のポストで原爆被害のドキュメンタリーを観た少女が心理的に疲弊した事すらも、「成長の機会」として歪曲されると思いますが・・・。

何かああいう空気を見てると、初心者をボコって楽しむ格ゲーマニアを見てるようで、何か正直嫌だなーと感じています。自分だって中学生の頃にいとこたちが家に遊びにきた時、「電脳戦機 バーチャロン マーズ」で遊ぶことになり、上のいとこが一番下の子も遊ぶので「(VOXリー&ルーみたいな)弱い機体で手加減してやれ」 と注意された事がありました。要は子供への手加減が軽視されてる状況(ダークな描写への規制緩和賛成)は何なのかと考えてるわけであって・・・。

それと刊行されたのは2011年、震災や原発事故の空気を読む事すら自分の活動への被害として受け止めるとか・・・あの時子供達が感じていた不安とショックすら想像して弁える事も疎外というのなら、クリエイターの独り善がりといわれても仕方ないとうっすら思います・・・。これは時折センシティブな作品を制作している自分への自戒もあるのですが・・・。 

 

 

2026年2月11日水曜日

特に何もなかったです

 今日は特に何もなかったです。

ですが・・・久々に写真用紙を使いました。結構緊張しますね・・・ああいうデリケートな高級紙を使う時は・・・。普通のコピー用紙とは違いますから・・・。

結局、印刷には成功しました・・・よかった・・・。 

2026年2月10日火曜日

最近、ちょっと追加しました

 公式サイトの方に、拙作の画像をちょっと追加しました。詳細はこちらをどうぞ。

なお、多少センシティブな表現があるので、注意してください。 

そういえば、トラウマ児童文学といえる作品がしばしば、X上(もしくは復刊ドットコム)で話題になって復刊されたりする事がありますが、逆張り人間の自分としては、何かアレって純粋に不快感を覚えたとか、そういう所から批判になったりする事ってないのかな・・・とか思ったりします。何かあの一方的な礼賛には引っかかるものがあるので・・・。どういうのか、児童書において(子供に)残虐なものを見せて、その反応を面白がる社会不適合オタクの悪趣味だったり、(随分と前にも同じ記事にリンクを貼りましたが)こういう純粋な拒絶反応が、前者の生存バイアスにより排除されてないか・・・という違和感なんですよね・・・。

だからこそ、「トラウマ児童書」界隈は児童書の意義から大きくずれ、ただいい年をした児童書マニアの独り善がりななれ合いのダシとなっていないか・・・?そう思うのです・・・。

私も『ゆめのなかの殺人者』とか、『恐怖の13時間』とか小学生時代に読んでから、「何でこんなものを児童書として出すんだよ?」みたいに、純粋に嫌だったからいうんですが・・・。 

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2026年2月9日月曜日

期日前投票でしたが・・・

 期日前投票に行きましたし、(ぶっちゃけ)中道改革連合支持ですが、個人的にまだ起きても無いような危機(「戦争が起きる!これから弱者が殺される!」等と)で騒ぎたて、自分が都合よく仕立てた仮想敵に罵詈雑言を浴びせるというのはもうXとBlueskyも同じだな・・・とぼんやり思います。Blueskyは直接的な暴言ではなく、それが遠回しな嫌味として同義のお気持ちを表明しているような感じがどんどんしてきてるし・・・。因みに、Adobeのアカウントにも酷い事やってませんでしたっけ・・・?

差別反対も戦争反対も結構ですが、「国民が愚かだから自民とか参政党みたいなものが支持される」という物語に耽っている限り、今後の見通しは暗いように思われます。

それと、芸能人が政治的発言をしていいのかどうか・・・ですが個人的にはこの記事が一番共感しました。 そうなんですよ・・・大体あの検察庁法改正の件だって、AKB48の総選挙のような(そうしてはいけないような状況で)見世物化が進んだだけで、記事の指摘通り、「感情的な応酬だけが残る、なんとも悲惨な光景」だったと記憶しています。それは森友・加計学園問題や原発の是非に関する激しい議論でも孕んでいた事ですが・・・。

ここからかなり誤解を招く表現になりますが、芸能人の政治的発言はマドンナ氏がトランプ大統領を名指しで批判した事や、セックス・ピストルズの痛烈な社会批判等といったものには、到底なれないし、性質も違うんじゃないか・・・と思います。

第一、(特に戦後の)日本はアメリカやイギリスのように戦って自由や民主主義を守り抜いたような国ではなく、「敗戦国」です。だからこそ、日本の民主主義社会は戦争そのものの忌避という自国中心の反戦意識や、(この度亡くなられた)モーリー・ロバートソン氏が指摘していたリーダーアレルギーのような責任概念なき被害者意識で醸造されてきた一面があると思うのです。だからこそ、リンク先の記事のように適当に高市氏やその政策を腐したり、もっともらしい「いっちょ噛み」をして誰を責任を引き受けず、「勇気ある発言」として発言そのものが本人の地位として機能した事しか残ってない・・・そんな惨状だと感じています。付け加えるなら、影響力のある「推し」なのに、そのフォロワーが社会にどういうコミットをするのかも本人への丸投げなので、結局政治が芸能ニュース化する事に手を貸してるんじゃないかとも・・・。

まぁ・・・私も政治的な作品をちょくちょく制作しているので、自戒としてこの公開日記で足りないお気持ちを吐き出させてもらった・・・そんな感じですね・・・。 

2026年2月8日日曜日

◎「海辺のうさぎ、明日を見にいく」と「おどろ、おどろし」にお邪魔いたしました。

 アートコンプレックスセンター様にて開催中だった、森 水翔氏の個展「海辺のうさぎ、明日を見にいく」と、同じく清水 幹氏の個展「おどろ、おどろし」にお邪魔いたしました。

以下に、会場の様子をアップいたします。

「海辺のうさぎ、明日を見にいく」

「おどろ、おどろし」

         

特に前者は大久野島(を象徴する)兎を題材したもので、開催者の森氏が主宰する絵本の原画がメインでした。私の出身地がテーマという事で、是非見ておかなければ・・・!という思いがあり、急遽東京行きを決めたのでした。そして、後者は同じリアリティながら、柔らかい雰囲気ではなく鬼気迫る何かを感じられて、二つとも動物をモチーフにしてるのに、対照的だなと思いました。特に、清水氏の作品ですが、爛々とした眼光をたたえて着物を着たニホンザルの絵が非常にインパクトに残りました。森氏が描かれる兎は、透明感のある自然の風景と併せて、澄んだ瞳でしたが・・・。

そして帰りは新幹線でしたが、いつものように京都まで来ると一安心・・・といった感じです。やっと日帰り圏内まで来れた・・・という謎の安心感があるのです(笑)