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2026年11月2日月曜日

子供向けのホラーあれこれ

 ずっと前、学生時代に『ニック・シャドウの真夜中の図書館』と、講談社KK文庫の『学校の怪談』を比較して論じたレポートを書いた事があります。正直、教授とソリがあわんかったし、私の方もロクでもない文章だったのであんまし思い出したくないんですが、『学校の怪談』を好意的に書いていた覚えがあります。

で、話を現在にしますが、やっぱり自分の中で「子供向けの怖い話」といえば、最初に書いた『学校の怪談』や『怪談レストラン』、ポプラ社版の『学校の怪談』(特に前嶋 昭人氏のイラストが印象的でした)、『オウマガドキ学園』のようなシリーズでしょうか。それと、山口              理氏がコンスタントに書かれている怖い話の他に、実際に誰もやらなかっただろう教室のレクリエーションとして、怖い話をどう使うかという本を出版されていたのも、かなり影響を受けています。怖い話は数多く、児童書や絵本という分野で提供されていますが、それを教材としてどう応用するか、相手が子供だからこそどう配慮・説明すべきなのかを事細かに論じた本をあまり見なかったからこそ、そうなったのではないかと・・・。

で・・・こういう部分から、野暮だし当たり前の事に逆張ってる自覚はあるのですが、何か『怪談レストラン』とかポプラ社の『学校の怪談』とかって、ただ怖いだけではなく、そこに戦争や災害など、実際の人間が負った痛みなどが裏打ちされた話も多くあり、ただ刺激や演出として子供がバカスカ死んでいったり、破滅していくようなものだけではない、寧ろ人の痛みを想像する事を喚起する重みがあるからこそ、まさしく「子供向けの怪談」として、私の中に今でも定着しているのだと思います。小川 京美先生のコミカライズ版も好きでしたし・・・。

そのあたり、キャンディス・フレミング氏の『ぼくが死んだ日』でも同じようなものを感じました。怖い話の中でバカスカ死んでいっただろう子供達に、死者の尊厳を与えるという語りは、かなり好きだったというか・・・。 

ですが、「死」や「破滅」で処理するホラーが嫌いかといえば、そういうものでもないです。『絶叫学級』とか『ちゃおホラー』でも好きなものはあるし、「だから露悪は間違ってる!」というのも何だか・・・という思いです。 ただ、子供を死や殺人と結びつけるセンシティブさには、ちょっと敏感になっているというか・・・。これは、『怪談レストラン』や『学校の怪談』などでも行われてるので贔屓する資格なんてないですが、やっぱり、死ぬ事への刺激に対するレベルが考えも無しに上げられてる作品があるので・・・という感じです・・・。

で、こういう部分から(これってかなり前にもこの公開日記で書いたと思いますが)山口 理氏の本についていた読書カードを送った所、何と山口氏から自筆の葉書を頂いた事があります。これも、もう10年以上前の話ですが、山口氏の葉書は今でも大切に保管してあります。児童書業界における、百戦錬磨のプロからのお言葉という事もあるんで、なおさらこんな考えになってるんだろうな・・・私は・・・。 

2026年11月1日日曜日

絵具が買いてぇ・・・

 絵具が買いてぇ・・・です・・・。

明日買います・・・画材屋で・・・。 

2026年10月31日土曜日

横川ゾンビナイト

 昨日いいたい事をもうアップしてしまったので、今日は書くネタがありませんが・・・バスの窓から何かコスプレをした人がかなりおったんで何かと思ったら、ああ・・・「横川ゾンビナイト」の日だったのね・・・。で・・・横川ゾンビナイトにはちょっと思う事はあったし、知人とも過去にお気持ち表明したクチですが、それはそうと、『くいなちゃんはゾンビ!』を思わず想像しました。いうまでもなく、ゾンビ繫がり・・・でね・・・。まだ観てないけど、作者の平河 ゆうき氏が挙げていた「ゾンビランドサガ」ってどんなアニメじゃろ・・・と思ってます・・・。調べたら、結構いい意味でアクがありそうなアニメですね・・・。 

で、『くいなちゃんはゾンビ!』に話を戻しますが、今後の展開が楽しみなんで、続刊を待ってます・・・。

2026年10月30日金曜日

2つの線路を走る電車

(今日はちょっとまた、書きたい事があったんで二回目の更新になります) 
予定が重なっている時、私はよく、別々の線路を同時に走る電車を想像してしまいます。

実際にそういう状況があれば、やがて線路が離れ離れになった時に編成がバラバラになってしまうというか・・・そういうシュールな状況は、そうした空想が許される年齢期と、電車の玩具があってこそ・・・という感じでしょうか・・・。

ここで本題に入りますが、まず、古谷 経衡氏のWeb記事で、2021年で東日本大震災(に伴う原発事故もセットで)から10年という時に、福島で原発事故が発生した際における保守派の醜い実態が書かれていました。 水素爆発を見た時も、必死の思いで対応作業に当たる自衛隊員や消防隊員、作業員等への想像ではなく「これで日本の核武装が遠のく」といい放ち、「放射能汚染は恐るるに足らない」と矮小化するような言説まで出し、反原発派や原発事故の被害者すら「放射脳」と冷笑するような態度を見せているという感じでした。
そして、いつもなら保守派は領土問題に敏感なはずなのに、放射能汚染で国土が使用不可能になっている現実には、何の怒りも抱いていない・・・みたいに書かれてました。

まぁ・・・これはまた、(性懲りもなく)『ステイホーム』という児童書の話になりますし、こうした言説全般にもいえる事だと思いますが、本来ならコロナパンデミックの犠牲に晒されている医療従事者や貧困層に目を向け、その現実を直視して声を上げるような左派的な人達が、寧ろ安全圏で個人主義に引きこもり(『ステイホーム』で聖子おばさんがいっていたように)「コロナのおかげ」とか「コロナで働き方改革が推進されたのは、大いに礼賛したい」とかいったような態度を弄する様は、最初に紹介した古谷氏の記事で出てきた、原発事故で国土が使用不可になっている事を直視せず、むしろそれを指摘する人達をバカにするような保守派を思い出すというか・・・。自分の観測範囲だと、原発事故でホルミシス効果があり、寧ろ健康になれるとかいい出す科学者や、震災で大儲けできたというような外国人トレーダーもそういう内でしょうか。
個人的に保守派よりも悪質だと思うのは、普段は弱者を擁護する態度を表明し、こうした時に自民党政権の対応を居丈高に批判しておきながら、作中におけるネグレクト姉妹をるるこが「悪い子を家に入れないで」と拒絶したシーンを礼賛し、コロナ下の状況をいい事のように語るそのスタンスだと感じています。そこに対して、正に私が最初で書いた別々の線路を同時に走る電車を思い出すというか・・・。

で、最後になりますが、リンク先の記事では「マッドマックス的な生存競争」と書かれていますが、るるこ達は正にその相対的な勝者であり、あのネグレクト姉妹の切り捨てを無条件に礼賛(要するに、自分が思いを馳せている対象を裏切った)したレビュアーや評論家に、今後貧困や弱者を語る資格は果たしてあるのか・・・?と思います。だからこそ、私は記事内におけるスラヴォイ・ジジェク氏の言葉に共感するのです・・・。「ピンチをチャンスに」というのは、それだけの綺麗事がいえない人の口をふさいで成立する、暴力的な美化であるからこそ、『ステイホーム』でもその辺りが児童書で発行された事に対し、もっとみんな厳しい議論をすべきだったのではないかと・・・。

まぁ・・・自分だってどっかで二枚舌生活を送っとるから、気をつけんとな・・・(泣)

 

いま線画をいじってます

 いま線画をいじってます。パース関係でセルフツッコミが入ったもので・・・(汗)

そして最近、羊羹の賞味期限が長い事も知りました。この歳になって・・・。

という事で、絵具が乾くのを待ちます・・・。 

2026年10月29日木曜日

かっこいいと(自ら)いう問題

 最近、ネットで自衛隊の兵器、つまり戦車や戦艦、戦闘機などを「かっこいいぞ!」というタイトルで紹介している図鑑を知りました。まぁ、そこら辺の話ですが、子供向けの乗り物図鑑には高い確率で兵器が掲載されている場合がありますが、大体事務的な紹介に留まっていました。殆どスペックと簡潔で形容を排した説明・・・みたいな感じでしょうか。それがまともな紹介の仕方だと思います。児童書なら尚更・・・という感じでしょうか・・・。

そして、ちょっと前にも子供向けの乗り物図鑑にも自衛隊の兵器が掲載されており、某団体が抗議して増刷が中止になるという事がありましたが、寧ろこっちのほうに抗議すべじゃ・・・と正直思っています。あれだって、単なる紹介に留まっていたと思うので・・・。

子供が兵器を見て「かっこいい」と思うのは仕方が無いのかもしれません。その心理は否定しようがないです。私だってそういうゲームを数多くやってるし、そういう絵だって沢山描いてますから。子供の時は「ワールド・タンク・ミュージアム」という食玩も買いあさってましたし。
ですが、提供する側が自ら自衛隊の兵器を「かっこいい」と紹介するのはどうなのか?と思います。しかも、児童書という媒体で・・・。
災害による非常事態は経験していても、他国による侵略(戦争)をあまり経験していない日本だからそうなるのかもしれませんが、もし何かあれば、その切っ先が自分にも向けられるという危機感が足りない言葉だと感じます。まぁ、ロシアのウクライナ侵攻においても、「キエフの幽霊」とか「エースコンバット」みたいな受容の仕方が、SNS上では蔓延してますし・・・。

で、ここで思い出したのはやはり高橋 邦典氏のフォト絵本『ぼくの見た戦争:2003年イラク』です。内容がかなり生々しく、はっきりいって子供に推奨はできないものですが、「かっこいい」とされる(イラク軍・アメリカ軍双方の)兵士がバグダッドに近づく内にどんどん死体になっていき、「かっこいい」とされる兵器が社会の秩序を破壊し、醜い人間の本性を暴き出していく様子は、ああした「点」でしか見ていない兵器の現実を、それが一旦行使されたらどうなるのかという「線」という部分を容赦なく写し出していると思います。

だからこそ、一番印象に残っているのは血なまぐさい写真ではなく、バグダッドの大通りを走行する戦車の前を、テレビを略奪し、台車に乗せた市民が何食わぬ顔で通り過ぎていく写真です。ひとたび戦争が始まれば、社会はこういう風になるという事を、一番生々しく伝えているシーンであり、もし日本で兵器が実戦で行使される事があれば、こういう事も十分にあり得るというのは理解しておいた方がいいでしょう。上の方で『ぼくの見た戦争:2003年イラク』は子供に推奨できないとは書きましたが、自衛隊の兵器を「かっこいいぞ!」という(礼賛じみた)言葉で紹介する子供向け図鑑を見ると、「ああいう絵本が無ければ、分別はつかないんじゃない?」という思いも正直あります・・・。 

2026年10月28日水曜日

敷居の問題、再び

この文章でも、敷居がどうたらみたいな事を書きましたが、基本的に、初心者排他よりも敷居が低い方がいいに決まっています。今、自分が行っている活動と照らし合わせても、一部のギャラリー経営者やアーティストが「ニワカ」に侮辱や嫌味を表明しながら、高尚ぶってるのを見ると尚更だと感じてるんで・・・。それと、鉄道ファン界隈とかガンプラ界隈みたいなものを見ると、やっぱりな・・・という思いです・・・。何か初心者を踏みつける事が前提になっとる界隈って、性質上その文化すら汚しとるよな・・・と・・・。

ですが・・・何か『みい山』の炎上騒動を考えると、どっかで敷居の高さが必要悪で要るジャンルは、確かに存在するよね・・・正直思うんです・・・。なんていうのか・・・意図的に「社会通念上許されない行為」を楽しむようなコンテンツって・・・あるじゃないですか・・・。 エログロ・・・みたいな・・・。『みい山』みたいにセンシティブな分野を敢えて冒涜してるようなもんでしょうか・・・。大体、ああした分野は「なぜ人をいじめたり、傷つけたりする事が許されないのか?」というルールや責任の熟知、そして仮想現実の区別をきちんとつけられた上で、楽しむ資格が得られるものなんだと思います(だから、子供でも好きだから何でも容認・肯定すればいいのか?という話です)。
じゃないと、人権や自由、民主主義などが「わかってない人」のせいでバカを見て、結局そういうのが波及して、表現の自由すら首を絞めてしまう結果になると感じてるんで・・・。だから「来る者は拒まず」もどーなんかね・・・と・・・。

だからこそ、わかった人だけが日陰でアクセスできる状況がある程度必要なわけで、それを一斉に日向に上げた結果、どうなったでしょうか?『みい山』を分別つけて楽しむ人ばかりでしたか?「みいちゃん」という新しい差別スラングが生まれたり、旧優生保護法の復活を訴え、植松みたいな犯罪者を擁護する人が、Xあたりですごいいましたよね?それに限った事じゃなく、(『みい山』みたいな作品の土壌として)そういう事をダシにした差別やヘイト自体の正当化が、一般商業でも結構進出している状況だと思います。貧困や依存症の患者をクズ呼ばわりしたり、吃音や言語障害の特性をネットスラングで茶化すような表現は、はっきりいえば白昼堂々見せるもんじゃないと思います。


何か、色々底が抜けてるような感じがする今日ですが・・・。