そろそろ制作に取り掛からなければ・・・と思います・・・お盆シーズンである分、仕事が量としてのしかかってきてたので・・・。
ところで、懸垂式モノレールって、保存が普通の鉄道車両より難しいな・・・と感じます。
「ポッポの丘」に行ったからわかるんですが、やっぱり車輪が天井部分にあるので、それをどうするか・・・という話ですよね・・・と・・・。
画家、藤高昇太の公開日記(ブログ)です。主に出展のお知らせや、近況などを書いていきたいと思います。なお、整理のために一部の記事が削除される事がありますので、ご了承ください。 ◎本ブログの文章の一部引用および画像の無断転載を許可いたしますが、以下の注意を守ったうえで、自己責任でお使いください。1.営利目的・非営利目的(何らかの収入を伴わない)に関わらず、出典の明記は大体わかる形でもかまいません。そちらのご都合に任せます。 2.政治的・社会的な信条にかかわらず、いかなる表現も許可いたしますが、最低限のTPOとモラルを守ったうえでご使用お願いいたします。なお、タイトルに◎がついた作品は、版権ネタですので無断転載をご遠慮ください。
そろそろ制作に取り掛からなければ・・・と思います・・・お盆シーズンである分、仕事が量としてのしかかってきてたので・・・。
ところで、懸垂式モノレールって、保存が普通の鉄道車両より難しいな・・・と感じます。
「ポッポの丘」に行ったからわかるんですが、やっぱり車輪が天井部分にあるので、それをどうするか・・・という話ですよね・・・と・・・。
今日は長楽寺方面に行って・・・やっぱりあそこら辺は、可部方面と同じように交通費が高くなるね・・・約500円位か・・・。
時間もかかるし・・・。
そういや『ちいかわ』の映画版・・・機会があったら観ようかと思います・・・。周りの反応から、こっちとの相性は悪いと思うけど・・・。
最近、興味深い記事を読みました。まぁ・・・『みい山』に批判的でありながら、そのアニメ化については慎重にディスタンスを取った上で、肯定を下していますが、これがただの左派叩きや反差別への逆ギレ(所謂、「表現の自由戦士」的な)みたいな罵倒になっていないのがよかったです。反対派の存在を尊重し、国旗損壊罪を支持した上で「表現の自由」が語られるからこそ、その理念を誰よりも理解した、重たい意志表明だと私は認識しました。
ですが・・・これは「不快だから止めろ」という話じゃないです。こちらの記事が指摘するように、『みい山』はそういう表現を基本的人権とか公共の福祉とかが優先されるような状況に出した結果、売った喧嘩が結果として買われているという、当たり前の状況ではないかと思うんです。
で、2つ目のリンク先の記事の話ですが、シゲオは何とか助かる(日常生活に戻る)けど、ツバサが淫獣モンスターとして描かれる方が問題であり、ミサンドリー的な男性描写(シゲオやマオくん、みいちゃんを暴行したチンピラとかが醜く描かれる)より重大なものだと思います。実際にそこら辺から、記事の指摘通り旧優生保護法の礼賛や植松被告のヒーロー視はかなり見ましたし・・・。
まぁ・・・なんでそういうのがいけんかといっても、いくらでも屁理屈は現れる訳ですが、誰だって年老いると病院や福祉の世話になるわけだし、いつどこかで障害者になったり、もしくは障害児を出産してしまったり・・・という状況になるかもしれない。そんな時に、自分を粗雑に扱うような漫画で現実をわかった気になり、ドヤ顔で社会の害悪かどうかを前提に論じられたら、どういう気持ちになるか・・・?という話であって・・・。
それと、第二次世界大戦時のミュンスターにある教会の司教、クレーメンス・アウグスト・フォン・ガーレンは(障害者について死や断種措置を望むという事は、勿論こういう史実も知ってるという前提で話を進めます)ナチスのT4作戦について、こう説教しています。
「(前略)すなわち、われわれが年をとり、非生産的になれば、だれもが命を危険にさらされるということなのです」(引用元:エリザベート・ツェラー『アントン:-命の重さ―』164Pより)
だからこそ、『みい山』への賛同意見は、結果として自分の首を間接的に絞めている事に繋がっていると思うんですよ・・・。それでいて、自分だけ人権を保障されて助かりたいと思っているのなら、民主主義の理念にタダ乗りしてるだけであって・・・。
そういう部分から、あんなコンテンツは予め基本的人権や公共の福祉が作用しない事を前提(要するに閲覧のハードルが高い)とした、暗い場所で公開すべきだったんじゃないかと・・・。実話系雑誌とか、成人向けコンテンツとか、提供者も受け手も、「なぜ差別やヘイトを表に出してはいけないのか」がお互いに分かった上で楽しむようなプラットフォームであれば・・・と・・・。
今日は満員の為、某所に入れませんでした。仕方なく、ケンタッキーで昼食を・・・という感じです・・・。
そういえば、そばをすするかすすらんかの話(『りゅうとあまがみ』の2巻でもありましたね)ですが、自分は気になりませんけど、スパゲッティですすってたら流石に「おいおい・・・」となります・・・。
Stable Dffusionを動かすために、必要なハード環境を到底そろえる事ができないので、ここでは、GeminiとGrokをメインに使ってみて、それなりにわかった事を書いていきたいと思います。
まず、大前提としてGrokはやや緩めですが、両者とも露骨なエロとロリ(未成年系の性描写)は言語道断で、残虐な内容の絵(例えば人体切断・凶器の保持など)も生成できません。これ・・・私が積極的にそういうプロンプトを入力しようとしたという意味じゃないですよ(汗)で、Geminiでプロンプトを入力し続けると、イラストが作成されるうちに線がガサガサになり、着色も溶けたようになってしまいます。
絵を売るには「絵柄」とか(これは、私みたいに下手という言い訳で機能しやすいですが)「個性」とかいった信用もついてまわるし、AIイラストってそこら辺が苦手だと思うんですよ。「可愛らしい」とか「萌え系」といっても、均一化されやすいですし。
最近でも熊本の地震におけるピース写真のように、著作権問題やモラル面でも白い目で見られやすいAIイラストが、商業の土壌に上がるかといえば個人的にそうでもない気が・・・。
なら、自分で描いた方が早いじゃん・・・という風になり、ああいうのはあくまでも遊び程度で・・・という結論になりましたが(課金もしてないザマなんで・・・)、だからといって反AIという立場かといえば・・・そうでもないんですよ・・・。
何か絵が描けない人がAIイラストを制作する事について、前者の人がその能力や才能を誇示するポストをXでちょくちょく目にしますが、ああいうのも何かね~と思います・・・。大体、絵が描けなくて小説が書ける人は、この世にごまんとおるのに・・・。全員が全員、あんびるやすこ氏や岡本 淳氏とは違うし、手描きを必要以上に特別視している徒党性も、何か嫌だな・・・とも・・・。そこら辺言語化できてないんですが、自分も手を出したから余計に感じるのか・・・。
小学生の時に、『ヤンときいろいブルンル』という絵本を買ってもらった事があります。何か、『いやいやバスの3ばんくん』とか『しょうぼうじどうしゃ じぷた』みたいな乗り物絵本かと思っていましたが・・・結構刺さってしまう話でした・・・。
なんか、とある家族にヤンという猫が飼われていました。で、ヤンはその家族が所有している黄色い小型車のブルンル(ズバリ、ワーゲンビートルです)と仲良しでした。ですが、旧型車のブルンルは故障が頻発し始め、堪忍袋の緒が切れた家族はブルンルを手放して、ついに新車を買います。ヤンはブルンルを探すために家から飛び出して、街を彷徨い、ついにブルンルと再会しますが・・・。
(ちょっとネタバレ恐縮ですが)ここに、作者であるやすい すえこ氏のシビアな問いかけがあるように思われました。ブルンルと再会したヤンは、ブルンルとの絆を優先し、結果として飼い猫という守られた生活を蹴ってブルンルに住み着く野良猫になります。これでブルンルが運よく誰かに拾われてレストアされ、ヤンもそのオーナーに飼われるというラストであれば、スカスカの美談になってしまいますが、安易な救いを用意しないラストだからこそ、痛みを理解させる深さと美しさが、『ヤンときいろいブルンル』にあるのだと思います。
ここで、ちょっと話が飛躍するようですが、私は「楽園追放」というアニメを思い出しました。あれだって、アンジェラはフロンティアセッターを助けた代わりに、ディーヴァを敵に回してしまい、(マテリアルボディに意識が閉じ込められたが故に)いつかは死ぬ生活を過酷な地上の世界で(ディンゴと一緒に)送らなければならなくなります。ですが、仁義の為に修羅の道を選ぶという面では、何か『ヤンときいろいブルンル』と共通点があるかな・・・とも・・・。
まぁ・・・「楽園追放」の方が何かラストは前向きだったし、どっちかというと楽しみを優先した作品でしたけど・・・。
(8月12日:ちょっと内容を加筆修正しました)
今日、JRを利用した所、接近メロディーがいつの間にか変わっていて・・・まぁ・・・別にいいですけど・・・。
何か色々とメンドい事が起きてるな・・・と思います・・・ホントに・・・。
ああ、そういや『みい山』みたいな話と実際の障害児にまつわる問題を繋げるのは、それこそあんな作品で現実を理解しようとする「横着」をしているようで嫌ですが、一応なんか腹の底から感じてきたものを出しますね。そこら辺のデカい声でされる障害者語りには思う事は色々ありましたから・・・。
ここからは、障害者やその福祉関係においてデータや学力を加味せず、経験則ありきで書いているので、同じようなスタンスで『みい山』を擁護している層と同罪だという後ろめたさを持ち、敢えて書いていきたいと思います。それで誤解があれば、私も加害者であるという自覚と覚悟を持って・・・。
私が小学生の時です。私より年下で知的障害を持っていましたが、敢えて特殊学級ではなく普通学級に通っている子がいました。その子はすぐ癇癪を起して泣きだしたり、他の子に抱き着いたりしていて、それを他の子達から逆手に取られ、「エイリアン」 とからかわれ、追いかけ回されていました。彼が狙われるのが主に登校中だったので、担任の先生が車でその間パトロールしていたんですが、ここで問いたいのは、パニックを起こしたり、誰彼無しに抱き着こうとする子が悪いのか、それとも、彼を取り囲み「エイリアン」といって囃し立てた子が悪いのか・・・?という話です。
正直にいうとあんな漫画をソースに、障害者や福祉を「わかった気」になるより、そういう事について突き詰めて考えて欲しい・・・そう思っています・・・。
ああ・・・それとこの文章も知的障害者が誰彼無しに抱き着くとか、癇癪が起きやすいみたいな話がしたい訳じゃないです・・・特性は人それぞれですし・・・。だから、「やらん子」もいるという事こそ、「真実」であり、みいちゃんやツバサのようにお店のものを無断で食べたり、教室で奇声を上げる事(そして、保護者も迷惑な存在として描く)「ばかり」を障害者の特性として描いた『みい山』で学ぶと、問題を100%見誤ると思います。
これだって(上にも書いたように)経験則で書いてる危うさはあるし、障害者が直面している現実は、彼らの自己責任じゃなく、健常者とその社会が孕む問題でもある・・・という事がいいたかったんです・・・すみません・・・拙い書き方で・・・。