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2026年7月29日水曜日

ちょっと保留にしますね

 まぁ・・・昨日あんな地震があったんで・・・それさえ無ければ、馳 星周氏の『少年と犬』の長ったらしい感想を今日投稿しようか・・・と思ったんですが、やめときます・・・一旦保留にするんで・・・。内容が内容故に・・・。だからちょっと日にちが経ってから、適当なタイミングで出そうかと・・・。なんか飛行機が乱気流に巻き込まれた時も、ちょうどああいう感じだから嫌なんじゃ・・・。

また10年前、前おった家(佐伯区内でした)がかなり揺れて、翌日熊本の惨状を目にして絶句した記憶が蘇ったじゃないか・・・。

今日はこのくらいにしときますね・・・。 

2026年7月28日火曜日

『給食のおばちゃん:異国の友』を読みました

 これは1巻(すみません、そっちのレビューが書けてなくて)から読んでいるのですが、山口 恵以子氏の児童書『給食のおばちゃん:異国の友』を読みました。

管理栄養士の昼間 明子が全国の小学校を渡り歩き、ご当地の食材で子供達に魅力ある給食を提供し、そこに子供達が抱える問題が巧みにリンクしてくる・・・という内容なんですが、今回は、なんと私の地元である広島です。しかも、広島焼が出てきます。広島故に、多くの作品では(単なる)平和教育的な内容になってしまいがちな所に、サンフレッチェという広島の「今」を舞台に、移民がどのような問題に直面しているか、その課題解決にはどうすればいいかという話が、(こうした事を題材とした児童書が、陥りがちなワナですが)独り善がりの説教ではなく、読者をその捌け口にしないような描き方がされている事に好感を覚えました。

作中では、イスラム教では豚肉がNGという壁に、昼間がぶち当たりますが、同じように日本だって他国からこれまで同様の同情や配慮を受けてきたはずです。それを当たり前だと思い、日本は世界で一番愛されていると自惚れながら近隣諸国をディスる風潮がある今日、結構考えさせられるエピソードでした・・・これは・・・。

そして、次に印象深かったのは、福島県の郡山市を舞台にしたエピソードです。

一応、おさらいとして(皆が知っている通り)福島県は東日本大震災の被災地である事が書かれていますが、ストーリーの展開は震災と原発事故絡みではなく、今を生きる子供がみな感じるだろう悩みをベースにしており、ダイエットのために食べたものを吐き始めるシーンは、思わず、同様のテーマを扱ったスティーブン・レベンクロンの『鏡の中の少女』と『鏡の中の孤独』という小説を思い出しました。

広島のエピソードでも、昼間が平和記念公園を訪れるシーンが最低限書かれていますが、それをメインテーマにしなかった事に、山口氏の潔さを感じました。その辺りは福島のエピソードと同じように、作家と読者の間で必要以上のコンセンサスが得られやすく、結果として問題提起と告発だけが独り歩きしているような作品も見られます(故に、評価されやすい)が、敢えてそれに背を向けて普通の少女を描いた事は、震災や原発事故をちらつかせるよりも難しいし、だからこそストーリーとして成立している・・・と思いました。

ですが、ここは重箱の隅をつつくようですが、「昔は東京も網の目のように路面電車が走っていたものだが、今は都電荒川線、別名さくらトラム一本になってしまった。」(27P)という文章がありますが、実は・・・東急世田谷線はどうなんでしょう・・・とうっすら思いました・・・。ただ・・・荒川線と違って・・・世田谷線は併用軌道(一応、そういう形で道路を横断する区間がありますが)が無いからな・・・。 


2026年7月27日月曜日

掌返し

 まぁ・・・昨日の文章で『みい山』のアニメ化について「いっちょ噛み」したわけですが・・・。俺はそういう商法は大嫌いですが、これで反対派が有利だとわかった瞬間、今まで『みい山』をダシにして植松(被告)は正しかったとか、旧優生保護法を復活させろとXでデカい声が上げられよったのに、今はもう批判一色だもんねぇ・・・XでもBlueskyでも・・・。ひょっとしたら元から反差別ではなく、叩いてもいい空気ができあがってから乗ったんじゃないか・・・という疑念がチラチラと・・・。 

何か七都 にい氏の児童書『ふたごチャレンジ!』の2巻でも、そういうのって痛烈に皮肉られとったと思います。(吉良 辰紅のマスク問題から)共通の敵を作って攻撃するような団結は、状況次第ではすぐに掌返しをするという事が・・・。七都氏の作品を、こんなガラの悪いネタの引き合いに出して、本当にすみませんとは感じますが・・・。

まぁ、話は変わりますがまた、七都氏がみらい文庫で作品を出されるようで・・・余裕があれば、ちゃんと『オレらは絶対だまらない:サイコーな毎日をとりもどせっ!』は買いたいです・・・。 

何かこういう流れって、今まで戦時体制に順応だった人らが、いざ自分の国が敗戦したら、最初からそう考えていたように振る舞い、戦争反対と叫びだすんと同じようなものを感じるよね・・・。 

 

2026年7月26日日曜日

皆さんのいっている通りです

(ちょっと感情的すぎたんで、大幅に内容を削りました)
 何か今日、『みい山』のアニメ化が決定したというポストを見たんですが、何で(よりによって)相模原事件発生日にそういう事をポストするのか・・・という意見を見て、尤もじゃん・・・と思います・・・。炎上狙いじゃない・・・あの事件を知らんから最悪のタイミングで・・・というのが真相かと・・・。

で、もうこれは皆さんのいっている通りかと・・・。正直、何を今更感があるし、散々ああいう露悪表現をみんなで持ち上げ取ったクチじゃんとは思いますが、何かシュテルマーを流石に嫌いよったナチスの高官みたいだなぁ・・・。

最近、野田 正彰氏の『戦争と罪責』を読んでるんだけど、こういう騒動を見てると、何かやっぱり「ああいう系の開き直り」って、地続きだよな~と感じてる訳です・・・。

しかしながら・・・こうやって問題が不特定多数にいわれはじめた時だけ、グダグダ『みい山』についてしゃべってる俺だって、同罪じゃねーかという気が・・・(泣) まぁ、暑い時だし感情的になっちゃ部分もあったかなーと・・・(汗)

2026年7月25日土曜日

『ルポ 被爆2世』を読みました

 この文章で、小山 美砂氏の『ルポ 被爆2世』を読んだ感想を書きたいけど、暑さのせいで・・・みたいな事を書いてましたが、今はある程度大丈夫なので、やっていきたいと思います。

まぁ・・・自分の祖父もぶっちゃけいやぁ入市被爆しとるんで、手帳を持っていました。で、施設(地元の広島交通科学館とか、安佐動物公園とか)に入る際にそれを見せてたのを、よく覚えてます。

何か・・・正直にいうと自分がずっと大学に行くまでは広島の中で暮らしてたので、殆ど広島出身だからという理由で差別は受けませんでした・・・年月も経っていたからかな・・・でも、ネットを探せば、もっと酷い情報にぶち当たるんでしょうけど・・・そこで、何か『ルポ 被爆2世』の中で、1976年に自民党の議員がこういうとったんですね。

「原子爆弾の被爆者の人たちを絶滅するにはどういう方法をとらなければならないか。(中略)そうしますと、永久的に被爆者の援護を続けていかなければならないとということになりますると、依然もって戦後は終わらなくなりますので、これを絶滅する何らかの方法はないかどうかということです」(122P)と・・・で、 さらにこの議員は毎日新聞の記者にその発言を問われた際「被爆者には治療を続けさせ、都は、優生保護的な見地から、完治するまでは子供を持たせないような行政指導をすべきだ」(124P)といい放ってるんです。これが今ならネットで即炎上するレベルの発言だし、同時にXみたいな場所では、「よくぞいってくれた」と賛同されるでしょう。「オタク差別」にいつまでもしがみついている人々を中心に。

この文章の初めに私は、「差別は受けた事はない」と書きましたが、外部からの目線が必ずしも善意じゃない事も薄々理解していました。例えば、赤瀬川源平が提唱した「トマソン」という概念でも、原爆被害を茶化すような表現があったし(この文章でもかなり言及しています)、最近でも「ケロカス」というカープのサポーターを侮辱するようなネットスラングが問題になってました。 

同時に、(被爆者をルーツに持つ)私達だって、誰かをそういう目で知らず知らずの内に見ているかもしれません。あの議員みたいに、「アイツは社会のお荷物だから、子供を産ませるな、安楽死させろ」みたいな・・・。実際に、旧優生保護法という悪法が平成の世まで存続していた事を考えれば、この国の人権意識は予想よりも低いのかもしれません。私達を含めて。

こういう所から、『ルポ 被爆2世』は単に核災害のみに焦点を当てているだけではなく、読んでいる内に差別する側を思いやっているつもりになっている私達も、また差別する側になっているのではないか・・・という問いを突き付けられているような本でした。 

現在、サブカル的な露悪が一般商業にも進出しており、デリケートな概念を土足で荒らすような表現がネタとして許されるような風潮がありますが、冗談が許されない話題は断固として真面目に扱わなければいけない・・・そういう思いも抱きました。

2026年7月24日金曜日

暑くなりましたね

もう・・・セミが鳴き始めたし・・・廊下にもおったよ・・・セミが・・・。

早く10月になって欲しいです・・・。 

2026年7月23日木曜日

つきあう人は選ぼう?

 まぁ・・・絵本作家ののぶみ氏なんですけど、絵だけ見ればのぶみ氏は好きなんですよ・・・郷田 マモラ先生の『モリのアサガオ2』も、新刊が出れば買ってるし・・・。

正直、私よりもかなり絵が上手いと思います、のぶみ氏は・・・。何か背景の抜き方のバランスとか、陰影とか、あれってかなり鍛錬しないと自然に見せられるものじゃないなと・・・。

のぶみ氏を巡るアレコレのバッシングも、のぶみ氏というわかりやすい問題を備えた藁人形が存在したから、前者を口実にして炎上に燃料を投下しているだけの部分ってあると思いますし・・・。

ですが・・・やはりそうした議論にも一定の正当性はあると思うんですよ・・・のぶみ氏が『胎内記憶図鑑』を出版し、それから佐々木 禎子氏を題材にした絵本『ほんとうの願い:折り鶴にこめられた禎子の祈り』が出版されて・・・。 その巻末に、安倍 昭恵氏と(佐々木 禎子氏の甥である)佐々木 祐滋氏、のぶみ氏の鼎談が収録されているんですが、この文章のタイトル通り、つきあう人の選び方について、思わず考えてしまい・・・。あとがきを読むと、もともとのぶみ氏が安倍 昭恵氏からLINEで本作制作のお誘いがあって、佐々木 祐滋氏が監修を務めたという形になっているという感じで・・・。

やっぱり、うまくはいえないんですが、安倍 昭恵氏にしろのぶみ氏にしろ、危ういものを結構孕んでると思うんですよ。何かスピリチュアル系における数々の「やらかし」いえ、「やらかし」以上の問題を思うと・・・。そして、この辺りから安倍 昭恵氏はファーストレディーとして、かなり重大な立場への自覚と責任が無いような行為も散見されており、森友学園問題という国政レベルスキャンダルに関与しているような人物ですよ?ですが、被害者遺族としてはきっちり同情はしています・・・。

そこに被爆者の親族がやすやすとアプローチするのは、正直どうなんでしょうと・・・。絵本の内容自体はそんな変な誇張は無く、史実に即していたとは思いますが、やはりこっちも特定の政党や政治家と個人(あるいは民間の組織)がパイプを持つとロクなことにならん・・・という事は思い知ってるんで・・・。

これって、(被爆地においては)タブー中のタブーだとは思うんですが、被爆者としてのルーツがある分、(私であれ他人であれ)一定の独立性やリテラシーは持つべきだとは思います。(私は自民党や維新の会に投票してはいませんが)「自民党支持者は頭おかしい!」と騒ぎたい訳ではなく、気づいた時には引き返せないくらい取り込まれてる・・・そういう危険性がマジであるし、日本どころか国際的にその名が知れ渡っている佐々木 禎子氏の知名度を考えたら、やっぱり一定のディスタンスは取るべきじゃなかったのか・・・と思います・・・。そこら辺の被爆者手帳所持者とは違うんだから・・・。

何か・・・ああいう人達と不用意に関わったら、何かあった時に紐づけて騒がれるリスクはあると思うし、佐々木 祐滋氏個人の問題では済まなくなる恐れがあると感じてます・・・。佐々木 禎子氏のデリケートな有名性を考えると、下手すりゃ死人の尊厳に泥を塗りかねない・・・そんな危惧も頭をよぎっています・・・。