―自分が享受している特権に気づいていない人間だけが、そのような
「想定外」の問いを口にするのです。
内田 樹『下流志向:学ばない子どもたち 働かない若者たち』より
最近、高橋 邦典氏のフォト絵本『ぼくの見た戦争:2003年イラク』を何度か読んでいます。あの時私は中学校に入りたてで、米軍が同時多発テロ事件をきっかけにイラクへ侵攻、ジャーナリストである高橋氏が米軍に同行し、その生々しい現実を撮影したものですが、(かなりの損壊も含む)死体の写真や戦場の血なまぐさい現実等が、一切の誤魔化しなく載せられているので、正直にいえば大人が(特に小学生くらいの)子供に勧めて読ませる類のものではないと思います。
で、私が特にインパクトとして残ったのは、死体や傷ついたバグダッド市民だけではなく、米軍の進行で陥落して無政府状態となったバグダッドで暴徒と化した市民が略奪を繰り返し、引き倒されたサダム・フセインの像を笑いながら次々と足蹴にしていく写真でした。ここに、戦争行為というものはただ誰かの体を傷つけるだけではなく、(それは現在におけるロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのガザ虐殺にもいえることでしょう)、精神まで変えてしまう恐ろしさを伝えていると感じました。
ここで、フセイン政権下のことを考えれば、イラクにとっては行くも地獄、退くも地獄だったという事を敢えて除外し、所詮は安全圏から人の苦しみを特定の思想や政治的スタンスに対する批判、つまりダシとして利用してしまう偽善性も自覚した上で書きたいのですが、巷には秩序と正しさに守られた状態で生きながら、それを疎ましく思うことで反逆者を気取っているような人間が(ネットを観測したあたりでは)かなり存在します。
特に、ハコブネ某のような児童書を中心に書評しているようなサイトでは、正しさや良識を否定し、人間の本質を肯定しながら本音を優先することが、(こういう人達が見なしている)巷に生きる一般人と比べると高尚なやり方であるかのような主張がなされています。「児童文学の本質」は、真に人が自由に生きられる事を求めるのだと。ですが、良識や相互理解とかいった「建前」を否定し、「本質」を最優先した社会が本書に掲載された米軍という「強者」に蹂躙されたバグダッドの惨状であり、同時多発テロという大量殺人に晒されたアメリカの姿でもあり、自分たちが寄り添うべきだと都合のいい時に主張している弱者が真っ先に血を流す事態になるという事に、どれだけの自覚があるのでしょうか?
現在でも、秩序や正しさをしがらみとして冷笑し、(ハコブネ某のように)文化的な特権意識を抱くようなアマチュア書評家や作家は数多く存在します。ですが、秩序や正しさが崩壊した世界では、そんな事も不貞腐れていえない事態になる事に、どれだけの想像力があるのか?という疑念を抱きながら、私は本書を閉じました。