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2026年5月3日日曜日

百合と大きい大人

 最近、noteでとある有名な児童文学作家が、百合と児童書を結びつけるような記事を投稿していました。「百合と異界は児童小説の伝統」・・・みたいな話でした。

ここからは、(はっきりと書きますが)私が百合が好きで百合小説を書こうとして失敗・挫折したという劣等感とルサンチマンも、含有されている上で話を進めていきます。

だからこそ敢えて書きますが、 百合好きがいるのは否定はしませんし、百合を規制しろとかそういう話じゃないです。ですが、「百合厨」とか「ゴキ百合」という言葉があるように、一部の(私を含めた)マニアが子供向けの媒体にも突撃し、大きい大人として分別をわきまえん行動をしている部分もあると思います。あの作家さんだけではなく、某読書日記の強引な同性愛ネタのこじつけみたいなものを見るにあたり・・・。

だからこそ、なんか作家側が迎合するんじゃなくて、オタクにはきちんと毅然とした対応を取ってほしかったというか・・・。ていうか、世の中って百合やBLが好きな人達だけじゃなく、苦手な人だっているでしょう?こういう事を書けば、「藤高はLGBTQを差別している!」という藁人形論法にシフトさせられる可能性もありますが、逆にただ女の子同士がふざけあっていたり単に友人同士だったりする場合に、ワンクッションも置かずに同性愛萌えみたいなものを押し付ける方が迷惑で失礼だったりしませんか?

第一、百合とかBLって、(所詮は)本人のセンシティブで切実な領域を安全圏から嗜好にしているどうしようもない部分だってあり、そこら辺の自省も必要なんじゃ・・・とか思ったりしています。自分だって井村 瑛先生の『イノセントノイズ』とか柏原 麻実先生の『少女惑星』とかいった、百合系の漫画を過去に何冊か読んでたからわかるんですが、そこら辺で自浄作用とかTPOみたいなものを適用させないと、児童書が百合オタに殺されることにならんか・・・そういう懸念があります・・・。

まずは、何でも百合に当てはめるんじゃなくて、それが本当に百合の作品かどうか・・・それを語っていい空気なんか・・・ちゃんと見極める礼儀正しさが欲しいなと感じました・・・。 

 

 

 

2026年5月2日土曜日

小説を書いています

 もう来年度の事を考えて・・・小説を書いています・・・。

だって1年が12か月しかないんだし・・・。そういえば・・・口座を変えようかどうか迷っています・・・これじゃ埒が明かんと思うから・・・。

絵も別世界の事がのしかかっとるしなぁ・・・。

そういえば、小田 ゆうあ先生の『リブラブ!』という漫画の3巻ですが、主人公をディする社員を上司が一喝するシーンが好きです。いるよねぇ・・・ああいう人達という感じでした・・・。 

2026年5月1日金曜日

「なにものてん 2」に出展させて頂きます

 来る6月3日(火)から6月7日(日)まで、私は「なにものてん 2」(開催・会場

:アートコンプレックスセンター様)に拙作を出展させていただきます。出展内容はキャンバス画と絵葉書、自作小説(A5サイズのZINE形式)を予定しております。もしお時間がございましたら、ぜひともお立ち寄り頂きたいと思います。

なお、私は6月4日(木)から6月7日(日)より会場に常駐いたしますので、どうかよろしくお願いいたします。

詳細はこちらをご覧ください。 

2026年4月30日木曜日

書店の問題

 最近、Xで個性派書店に関してのポストを見ました。まぁ・・・あそこら辺に関しては、文化的特権を拗らせ、排他的な選民思想に酔ってるようなギャラリーの経営者さんみたいな人達にもいえるんじゃないでしょうかね・・・。そこを考えれば、Blueskyも安全じゃないよなと・・・。あの自己陶酔という指摘に関しても、新設の図書館にネチネチ難癖をつける読書マニアに共通するものはあるかと・・・。

 自称本好きの選民意識が鼻につくとポストでは書かれていましたが、カフェやギャラリーの併設だけではなく、XやBlueskyでやってる事は自営業者(或いはフリーランサー)と平等なのに、巷より特別な仕事やってますアピールをするような個人書店経営者を、ちらほら見かけるというか・・・。そういうのは嫌いなわけじゃないですが、だからブックオフや大手チェーンが選ばれるんじゃ・・・?とも・・・。万歩書店好きだったから敢えて書くけど・・・。

で、これも敢えて書きますが、少し前に問題になっていたヘイト本問題でも感じていた事です。最も、そういう事を許していた業界に肩入れする気はありませんし、そういう類の本は殆ど買ってはいませんが(それで規制が強化されたとなれば、手垢のついた「オタク差別論」を持ち出し、表現規制とかポリコレ棒とか騒ぐ層は存在しますが、自分は散々いって相手はいうななんて、そっちの方が不公平じゃ?)、なんか反対する方にも感じているものはありました。言語化は難しいですが、「本好き=反権力・反差別」みたいな一括りで高尚ぶってて、排他的な被害者意識みたいなものを感じてるというか・・・。 

色々難しい問題だと思いますが、やっぱりねというモヤモヤが私の中に燻っています・・・。 

 

2026年4月29日水曜日

まだ何も描いていません

 今日はまだ何も描いていません・・・キャンバスにですけど・・・。

GW関係のゴタゴタが一段落したら、そろそろ次の出展を告知したいですね・・・この公開日記で・・・。

2026年4月28日火曜日

「淀み海の溺れ唄」をプレイしました。

 本来なら発売日きっかりに購入したかったのですが、ちょっといろいろな関係で遅れた状態で、薙沢 ムニン氏のゲーム「淀み海の溺れ唄」をプレイさせて貰いました。

舞台は西洋風ファンタジー寄りの世界で、何か思考も鈍く肉食性で、醜悪な容姿を持つ海魔という存在が、(彼らとは逆に)美しい容姿を持つ人魚や人間たちから迫害されていたんですね。で、海魔の中で例外的に可愛らしい姿をしているギーゼラという名前の少女がいました。ギーゼラは生い立ち上、自分より美しい存在に敏感で、そんな存在を憎悪して襲っては(仲間と一緒に)殺し続けていました。 

そんなある日、ひょんな事からギーゼラは岸辺でアイーシャという謎めいた人間の少女が歌を歌っているのを目にします。 彼女の美に思わず惹かれてしまったギーゼラは妬み故に思いました。「この少女を殺して食べてしまいたい」と・・・。

本作に横たわるルッキズムはあくまでも表層的なものです。ギーゼラはアイーシャがおかれていた苛烈な身の上を知り、自分の羨望(美という概念)が自らを抑圧していた悪に起因する事を理解します。それは自分と同じ海魔にも向けられてきた差別の目であり、今まで近視眼的で利己的な目的意識に囚われていたギーゼラがとった行動は・・・。
こうした「人外もの」で現実の社会問題をトレースするような話は結構あり、本作もその一つだと思いました。 ですが、ラストで安易なカタルシスや勧善懲悪に纏めず、切ない余韻を残すやり方は、やっぱり薙沢氏らしいなと感じました。

ここら辺で、ただ社会のセンシティブな問題に悪乗りしたり加担するような、どうしようもない作品も色々ありますが、多少傷ついてでも人に向き合い、倫理的判断に臆してはいけない強さを、エモーショナルな流血とバイオレンスで表現している真っ当さは、やっぱり買ってよかった作品だと思わせる一因となっています。

ですが、やはりちょっと引っかかった所がありました。 これは同氏のフリーゲーム「LivingDead*Magic」でも感じたことですが、屠畜という(それこそ)センシティブな職業を出さない方が良かったのではないかと思います。やっぱり、キャラクターの残虐性と比較すような描写は要らん風評や誤解に繋がるんじゃないか・・・みたいな懸念があって・・・。

2026年4月27日月曜日

昭和の香り

 最近こんな記事を見まして、私は平成生まれながら、最近同じ事を感じたな・・・と思いました。Xの話なんですが・・・。

 リンク先の、「昭和がぷんぷんするおやじ様」ですが、Xの某ポストで自転車の二人乗りについて、もともと好印象だった日本の文化が今は犯罪行為のように扱われており、ルールを増やし、ルールを守れという風潮が正義になったと嘆くように書かれていました。で、アニメ映画の「コクリコ坂から」のワンシーンが添付されていたんですが・・・。更に、ポストではルールを増やし、「ルールを守れ」という風潮が正義になり、社会の許容度、自由度がなくなり、住みにくく思考停止により非効率な国になった、他国との競争に勝てるわけがないというような感じで締め括られていたんですけどね・・・。

狭い道を歩いている時に、車道を逆走してきたり猛スピードで暴走(これは特にキッズが多いです)、果ては火のついたタバコを片手に自転車を運転しているような輩をよく見ているので、正直私は正に、「昭和がぷんぷんするおやじ様」の話じゃないか?と直感的に思いました。

すぐに特定の規制やルールの厳格化を『1984年』あたりのディストピアに強引に紐づけた論点ずらし(そして、ウィンストン・スミスみたいに振る舞う)を行い、今の社会は自らの行為に不寛容になったと被害者意識を表明するような言動はあのポストだけではなく数多くあります。で、これも個人的な感想になってしまいますが、特に昭和時代に対して「昔はよかった」と懐古する人って、大体が男性で女性や障害者、在日外国人やLGBTQ、公害の被害者のような人達からあんまし聞いたことはありません。だからこそ、「思考停止により非効率な国になった」と不貞腐れている陰で、過去の社会がどれだけ弱者や真面目な人間にとって(それこそ)不寛容で自由度のない社会だったと思ってるのか?と感じるわけで・・・。

 これは表現の自由界隈にも感じることで、数々の「規制緩和」の元、オタクカルチャー的なものがメインストリームに進出した結果、本来なら表に出すべきではないアングラやエログロ系の文脈も商業で提供されるようになり、「やっぱりそれはヤバいんじゃない?」みたいな作品も正直あります。そして、ネット上では実際に指摘も入ったりするわけです。ですが、上記のような「逆ギレ」を目にするわけで・・・。ここで、「不寛容」とか「許容度」のターゲットが、フェミニストや人権活動家だったりするわけですが・・・。「オタク差別」を言い訳にした・・・。

私も(どの分野でも)何でも規制をかけろというやり方には、一応反対のスタンスですが、規制緩和をした分どこかでツケは払うときは来るはずだし、そこをディストピアになぞらえた被害者意識で表明するのは、なんか無責任じゃないですか・・・そう感じた次第です・・・。