カテゴリ

2026年10月2日金曜日

波の顔

 観ては無くとも「きかんしゃトーマス」というアニメについて、知らない人は多分いない・・・と思います。で・・・鉄道発祥の地であるイギリスの蒸気機関車を始め、一昔前のディーゼル機関車や気動車等には、前照灯も尾灯も無く、前照灯があったとしても、申し訳程度につけられているような車両ばかりでした。だから・・・人間の顔をつけたくなる理由については、わかるような気がします・・・。

で、こういう所から、最近「顔のあるなし」について考える出来事がありまして・・・今回は乗り物ではなく「波」という急激な方向転換でよろしくお願いします(汗)

そこで、阿部 結氏の絵本『なみのいちにち』と『ぼくのうちになみがきた』(作:キャサリン・コーワン氏 絵:マーク・ブエナー氏)という絵本がありますが、両者は波を擬人化しているという共通点がありますが、その方法はかなり180度違うなと感じています。

『なみのいちにち』では、(日本の)港町における海水浴客や漁師、子供達の営みが、砂浜に打ち寄せる波に顔を描く事で、豊かな感情表現を持つ、奥ゆかしい生命として描かれています。 鬼ごっこをしている子供に覆いかぶさって笑ったり、風に飛ばされた帽子を持ち主に返してあげたりし、夜になれば大波になってお化けとダンスパーティーと、バラエティ豊かな表現に圧倒されます。特に、夜のシーンでスキンヘッドのおじさんが読んでいる本が、「Moby Dick(白鯨)」というのも結構ニクい演出だなと思いました。
そのルーツも加え、相手を「犠牲者」としてそのわだかまりを浄化する作品が見られる中、海と生きてきた環境から、それでも自然の善性と向き合う著者の姿勢に、襟を正される思いでした。私も西日本在住で、そういう所がある分・・・。
そして、『ぼくのうちに波がきた』ですが、こちらには顔は描かれておらず、オクタビオ・パス氏の短編『波と暮らして』をベースにした、波そのものとの同居生活と破綻を描いています。一応、本作では波は少女として描かれている訳ですが、あくまでも表現は波自体です。そして、『なみのいちにち』がリアルな自然現象をベースとして波を描いているのに対し、顔が無い分波は重力の法則を無視して大胆に描かれています。波頭が分かれて手になり、抱きしめられると噴水のように伸びあがったり、スライムのように体をくねらせて飛びかかったり・・・だからこそ、顔が無いのに自然とそこに表情が見えてくるという魔力が、この絵本にあるといつも感じます。

前者が「静」の領域で波を擬人化しているとすれば、後者は「動」で波を擬人化しているといえると思います。だからこそ、それぞれに違うものが見られて魅力があると感じる次第です・・・。


2026年10月1日木曜日

巻き返しは可能か?

 最近、Blueskyでこういうポストを見ました。あままこ氏のものですが・・・。

で、引用元のポストですが、個人的にはちゃんとしたデータや統計をリサーチした結果ではなく、支援者が誰かもわからない。そこから伝聞レベルで「生活保護申請者やホームレスに元野球部出身者が有位に多い」と書いてあるので、(SNSではお決まりの)体育会系叩きを釣るというか、レイジベイトというか、そこら辺の匂いをマジで感じたというか・・・。そこでちゃんとした証拠を出さんと、野球部員全般への偏見や差別を煽るだけでしょ・・・とも・・・。まぁ・・・私だってツリーにある、アイドル活動を課外活動としてやらせるというやり方には反対はしていますが・・・。

あんなポストを肯定なんて、私もできませんが、 あままこ氏の引用リポストの感想・・・みたいなものを書いていきたいな・・・と思います。

やっぱり、若い内から一定の割合で「将来のことをきちんと考えさせる」というのは重要だと思います。正直にいえば、「後から巻き返しが容易にできる」というのは、その時点で学力にも秀でており、キャリアがある程度ちゃんと成立している子供にいうべき事であり、「大好きな事をやって生きよう!」とか、「勉強だけが人生じゃない!」という甘言を真に受けて、ダラダラと勉強しない口実として「やりたい事」ばかりやってる人には相応のキャリアしか歩めないし、そこに公金投入するのはどうなんか・・・というのはなんか、一定の正当性があるんじゃないかと思います。

俺だって学業選択でああだったし、後回しDNAで生きてきたから、今はこんなザマだから(汗)公募受からんし、企画通らんしね・・・商売能力も壊滅的だし・・・でも、選んだからには続けるしかないという思いがあります。どんなに情けないキャリアでもです。 

だからこそ、本気で好きな事をやりたい人と勉強への逃避として適当にそれを選んだ人とでは運はともかく、どうしても差が生まれる訳で、そんな現実を痛感して挫折する事だって本人の成長の為に必要悪だと思うし、教育機関が関わって来るならインセンティブはどっかで問われるでしょう・・・とも・・・。

こういう所から、自分だって10代のエンタメ・スポーツ参加を頭ごなしに否定するのには反対だし、そうじゃなきゃ成り立たない部分(例えば、子役無しではドラマや映画は絶対に成立しない)もあるので賛成はしています。ただ、そういった話はミニ四駆の試合とは訳が違ってくるので、(これも当然、子供の発達段階にあわせなけばいけないのは当然なんですが)一定の職業的還元や責任能力が問われるシビアさへの耐性も見ておかなければ・・・と思う次第です・・・。 

これも・・・上に書いた通り・・・「学生の頃にきちんと考えていな」かった分、相応の報いを受けてもやるしかない状況を、70%は正しいと思ってる私がいるからなんですが・・・。 

2026年9月30日水曜日

ここまで描けました

 ここまで作品を描けたので、下にアップします。


 まぁ・・・何ていうのか・・・緑の部分は予めアイビスペイントの下絵で塗ってた色より、ちょっと濃くなったかな・・・?という感じなんで、もしアレだったらアンブリーチドチタニウムをうっすら上に・・・というやり方も予定しています・・・。

それと・・・この作品だけでなく、更に来年の事で2作品同時に制作してるんで、もしかしたら、こっちが遅くなる可能性も・・・と・・・。すいません、計画性の無さ故に(汗) まぁ・・・メカの部分塗り終わればこっちのもんじゃ(笑)

そういえば、何かBlueskyのポストで反応したものがあったんで、明日くらいに書いとこうかな・・・と思います。あままこ氏のものなんですが・・・。 

2026年9月29日火曜日

標的艦

 ミリタリーに詳しい人なら、「標的艦」という言葉をご存じかと思います。すみません、私も最近知ったばかりだったので・・・(汗)で、こちらの話の蒸し返しになっちゃいますし、私は逆卷 しとね氏のあのあたり関係のポストにかなり同意をしてるんで、敢えてまた書こうか・・・と思います・・・。

で・・・何かこれは社会問題や災害全体を含んだ創作によくあるパターンで、自分の倫理的なジレンマを調整する為に、その当事者を創作して作品内のキャラクターに糾弾・激怒させた上、本人が絶望と無力感を感じる・・・という展開はよくあると思います。正に、今起きている事態に対するそういう描き方は、自身の道徳的限界点を試す為に、その陥穽を突く兵器を作り上げ、自身を標的艦にしている行為と同じではないのか・・・そう思います・・・。

勿論、私はネガティブな意味でそういう比喩をしており、やっぱり善意や正義というのは、事務的に、粛々とやるべきだなぁ・・・とも・・・。

例えるなら、事あるごとに彼らの立ち位置を声高に語り、(ある程度)資本主義の高みにいる加害者意識を代弁・表明しているような、(例えはかなり悪いですが)ホームレスの炊き出し団体のメシって、高い確率で美味しくないと思うんです・・・。

ここでも自身を標的艦にするような行為は存在しており、いうなら独りでいった方がカッコいいよね・・・とも・・・。俺も散々ここで、誰かの不幸や痛みに寄生して代弁者ぶり、ものをいうとるから文句はいえんが(汗) 

2026年9月28日月曜日

今日はブックオフに行きました

 今日はブックオフに行きました。結構な額になったのでラッキーだと思いました。

そういや・・・何か眠気がすごいんですよね・・・よせばいいのにエナジードリンクに頼っちゃいました・・・。線画をテキトーに済ましたら寝ます(笑)

で・・・また近い内に出展のお知らせをするかもしれません。11月くらいかな・・・? 

2026年9月27日日曜日

津波を止めるロボット

 かなり前の話ですが、中学生の時に愛知万博へと連れて行って貰った事がありました。家族旅行なんですけどね・・・。それがちょっと20年位前なんでうろ覚えで申し訳ありませんが、ロボット系のパビリオンに入ったんですよ。で、何か世界中の子供達が考えた、ロボットの絵があって、その中にハッとする作品がありました。

それは、マントのようなものをいっぱいに広げて、津波を押しとどめようとする赤いロボットで、楽しい旅行気分から、そういやスマトラ島沖地震発生1年目だったな・・・という生々しい現実に、冷水を浴びせられる思いでした。多分、当時の被災地あたりの子が描いたやつだったと思います。憶測ながら、アチェやピピ島あたりじゃないかと・・・。

これはあくまでも個人的な感想になりますが、その規模と死者数で2004年のクリスマスシーズンを蹴り上げるような衝撃を社会に与えたスマトラ島沖地震は、全体的に見ると現在は記憶の彼方に追いやられているように見え、どっちかといえば(同じ津波災害である)東日本大震災へのフォーカスが強いな・・・と感じています。原発事故も併せれば、当然っちゃ当然なんですが・・・。まぁ・・・1国どころか国際的な被害規模で、22万人の死者が出てるのに「地震」だもんなぁ・・・。

 そこで・・・震災を題材にした漫画もかなり刊行されていますが、どうも多くの描き方に居心地の悪さを感じるというか・・・それは、今日 マチ子先生の『るすばん猫きなこ』を読んだ時でも感じたんですが、何か自然と東京が起点になってはしないか・・・と・・・。勿論、そこには真っ当な良作もあるという事を、大前提にして語りたいんですけど・・・。

例えるなら、登場人物を被災地に行かせて、被災者の思いをぶつける事で本人が打ちひしがれ、或いは、被災者そのものを描き、作者自身を被災地(被災者)へ殉教させるような感じで、東日本大震災がもたらした被害と特異性ばかりに、東京(あるいは、首都圏)寄りの構造から福島への贖罪や使命感、岩手、宮城等への情動をどう浄化するか?という事ばかり考えてるような作品を、かなり見てきたというか・・・。 

だから、10年とか15年とかいうみんなの耳目を集めやすいタイミングで、震災と向き合う準備ができたと声を上げるクリエイターたちを見て、私はあの、津波を止めるロボットの絵と、それを描いた子供を思い出すというか・・・。

で・・・前者ですが、他者への善意とか正義への努力というのは・・・これは、恩師に当たる人の努力論を借用しちゃいますが、 本来自分から積極的に表明するものではなく、地道に粛々とやっているのを、他者が見て初めて評価するものじゃないか・・・という思いがうっすらあって・・・。だからこそ、ああいうのを作品で浄化する事に、かすかな違和感を感じてました。

すません・・・うろ覚えの記憶で、こんな事書いちゃって(汗) 

2026年9月26日土曜日

お腹を壊しました。

 今日はお腹を壊しました。アイスを食べたせいかもしれんね・・・。

う~ん、最近結構迷ってます・・・2つ同時に作品を描こうかと思ってるんで、優先すべきはどっちかね?と・・・。