今日こだまに乗ったんですが、最初人が少ないんで、甘く見てましたけど途中駅から・・・という感じです・・・。隣のお父さんがビール飲み始めたのもキツかったし・・・。
倉敷は久しぶりに行きましたが、どんどん景観が醜くなっているように感じます。美観地区だけを守ればいいだけの話じゃないと、個人的に思ってます・・・。ギャラリー目的だったんで、そんな事は書いちゃいけんとは思うけど、やっぱり・・・という感じです・・・。
画家、藤高昇太の公開日記(ブログ)です。主に出展のお知らせや、近況などを書いていきたいと思います。なお、整理のために一部の記事が削除される事がありますので、ご了承ください。 ◎本ブログの文章の一部引用および画像の無断転載を許可いたしますが、以下の注意を守ったうえで、自己責任でお使いください。1.営利目的・非営利目的(何らかの収入を伴わない)に関わらず、出典の明記は大体わかる形でもかまいません。そちらのご都合に任せます。 2.政治的・社会的な信条にかかわらず、いかなる表現も許可いたしますが、最低限のTPOとモラルを守ったうえでご使用お願いいたします。なお、タイトルに◎がついた作品は、版権ネタですので無断転載をご遠慮ください。
まぁ・・・何かすごく嫌な記事を過去に見てね・・・。
自分だって大した教育を受けました!って自信持っていえないし、今でもバイト生活だけどさ・・・でも何か腹の底で溜まっとったものはあるよね・・・。
何か教育困難校の学生は介護・福祉の重要な戦力だみたいな内容だったんですけど、ちょっと全国の介護士や保育士は、記事を読んでからマジギレすべきだと思ったんですよ・・・あの教育ライターに・・・。そして、あの教育ライターの親とか本人とかに何かあって、介護施設にきたらその記事を見せて、冷たく追い払えばいいんじゃないでしょうか?「お前らの為に空いてるベッドは無い」といい放って・・・。あんな考えで人の世話になりたいと思ってたら、かなり異常かつ傲慢だよ・・・。何かねー反原発っぽい自然派の人が、使用済み核燃料の施設は自分とは関係ない田舎に作って当たり前・・・みたいな感じだったんだよねぇ・・・。
安里 アサト氏の『エイティシックス』というライトノベルでも同じ発想で、差別する側に戦争させるみたいな話でしたが、まさにその階層版を見せつけられているような・・・感じでした・・・。たしかシンもレーナにこんな趣旨の事いってましたよね?「押しつけるのに慣れたあなた達が戦えるのか?」みたいな・・・。
それと、私はサンデル氏の発言に全部同意してるわけじゃないし、メリトクラシーには肯定的な立場ですが、『実力も運のうち:能力主義は正義か?』みたいな本で、「尊厳」を認めないからこういう事になるんでしょう・・・?という思いです・・・。
今日は仕事帰りに、実家へと寄りました。
そして家に帰りました。やっぱあそこまで行くとバスが高度を上げるから、耳がツンとするね・・・新幹線がトンネルに入った時みたいに・・・。或いは、飛行機が上昇している時か・・・。
あのウクライナにおける自助努力論ですが、ある程度は正論だと思いますが、果たして自然災害のような「有事」は経験しても、まだ本格的に他国の侵略を受けていない日本がちゃんと対応できるのか・・・と正直思います。まぁ、わかりやすい言葉はわかりやすさ故に、結構上っ面だけとられて他人叩きのダシに使われたりするもので、まさにそういう状況だと感じています。
私自身、憲法9条のルーツを多角的に検討せず、ひたすら先代から受け継いだ情緒的な被害者意識を表明しているような反戦運動(と戦争観)は好きではありません。だからこそ、ウクライナに即時停戦という暴論を投げつけるのだと思いますし。ですが、平和な安全圏で単に左派を罵倒したいから、ウクライナと同化したつもりになって自助努力論を礼賛するのも、一定の醜悪さが存在すると思うんですよ・・・。
(結構古い話ですが)なんか鬱憤晴らしの為に被害者遺族に便乗し、弁護団に懲戒請求を送る人・・・みたいな・・・。
そこら辺、虎の威を借る狐で加害欲求を晴らしたい人のノイズがかなりついてるのが結構な問題かな・・・?と・・・。
前から気になっていた、平河 ゆうき氏の児童書『くいなちゃんはゾンビ!』を読みました。
児童書で(おばけや幽霊はともかくです)主人公がゾンビっていうのはあんまり見かけんな・・・と思って手に取りましたが、宣伝通りの楽しい作品でした。児童書らしく、近年のゾンビものにありがちな、殺伐とした展開や暴力的な残酷シーンを徹底排除しているのは、よかったです。
特に後半でヴァンパイアとか(コブラのミスティーみたいに)電気使いが登場するという展開は、いささか後付け感を感じたものの、 くいな一人がゾンビだとどうしても孤立感が出てしまうので、そっちの方がいいと思いました。
そういう部分から、物語後半では弱者が必ずしも純然たる犠牲者(要するに悪に染まっている)ではないという現実をも正直に描いていて、だからこそ悪として処理せず、くいな達が仲間としてその再生を祈る所は、やはり当然の展開だといえました。『ステイホーム』では「悪い子を家に入れないで」というセリフから、弱者に戦いを仕掛ける事でキャラクターの正しさを表明していましたが、きちんと(できる限りで)手を差し伸べる事や相手の未来を想う事は、まだまだ未熟な子供に大人の立場で、非社会的な個人主義をひけらかすより、ベターなルートだと思います。
まぁ、続編があるという事なんで、 稲森ぴかりをまた見てみたい気がします。
今、Gのつく複数の存在に小説のアレコレを教えて貰ってたら・・・のめりこみすぎて、一日分の更新を忘れてたよ・・・公開日記の・・・。でも別にいいです・・・。梱包の方が大事だなので・・・。