ずっと前、学生時代に『ニック・シャドウの真夜中の図書館』と、講談社KK文庫の『学校の怪談』を比較して論じたレポートを書いた事があります。正直、教授とソリがあわんかったし、私の方もロクでもない文章だったのであんまし思い出したくないんですが、『学校の怪談』を好意的に書いていた覚えがあります。
で、話を現在にしますが、やっぱり自分の中で「子供向けの怖い話」といえば、最初に書いた『学校の怪談』や『怪談レストラン』、ポプラ社版の『学校の怪談』(特に前嶋 昭人氏のイラストが印象的でした)、『オウマガドキ学園』のようなシリーズでしょうか。それと、山口 理氏がコンスタントに書かれている怖い話の他に、実際に誰もやらなかっただろう教室のレクリエーションとして、怖い話をどう使うかという本を出版されていたのも、かなり影響を受けています。怖い話は数多く、児童書や絵本という分野で提供されていますが、それを教材としてどう応用するか、相手が子供だからこそどう配慮・説明すべきなのかを事細かに論じた本をあまり見なかったからこそ、そうなったのではないかと・・・。
で・・・こういう部分から、野暮だし当たり前の事に逆張ってる自覚はあるのですが、何か『怪談レストラン』とかポプラ社の『学校の怪談』とかって、ただ怖いだけではなく、そこに戦争や災害など、実際の人間が負った痛みなどが裏打ちされた話も多くあり、ただ刺激や演出として子供がバカスカ死んでいったり、破滅していくようなものだけではない、寧ろ人の痛みを想像する事を喚起する重みがあるからこそ、まさしく「子供向けの怪談」として、私の中に今でも定着しているのだと思います。小川 京美先生のコミカライズ版も好きでしたし・・・。
そのあたり、キャンディス・フレミング氏の『ぼくが死んだ日』でも同じようなものを感じました。怖い話の中でバカスカ死んでいっただろう子供達に、死者の尊厳を与えるという語りは、かなり好きだったというか・・・。
ですが、「死」や「破滅」で処理するホラーが嫌いかといえば、そういうものでもないです。『絶叫学級』とか『ちゃおホラー』でも好きなものはあるし、「だから露悪は間違ってる!」というのも何だか・・・という思いです。 ただ、子供を死や殺人と結びつけるセンシティブさには、ちょっと敏感になっているというか・・・。これは、『怪談レストラン』や『学校の怪談』などでも行われてるので贔屓する資格なんてないですが、やっぱり、死ぬ事への刺激に対するレベルが考えも無しに上げられてる作品があるので・・・という感じです・・・。
で、こういう部分から(これってかなり前にもこの公開日記で書いたと思いますが)山口 理氏の本についていた読書カードを送った所、何と山口氏から自筆の葉書を頂いた事があります。これも、もう10年以上前の話ですが、山口氏の葉書は今でも大切に保管してあります。児童書業界における、百戦錬磨のプロからのお言葉という事もあるんで、なおさらこんな考えになってるんだろうな・・・私は・・・。