まぁ・・・10年位前ですかね・・・田房 永子先生の『母がしんどい』という漫画や、信田 さよ子氏の『母が重くてたまらない:墓守娘の嘆き』みたいな本がかなり売れとった・・・と思うんですよ・・・こうした親が子にいつまでも過干渉を続けて押しつぶされる事を、虐待として認知させた土壌は、そう、スーザン・フォワード氏の『毒になる親』という本じゃないでしょうかと・・・。それが縮められ、「毒親」という形で心理的虐待や機能不全家族(における加害者)を指すスラングになったのは、知っての通りだと思います。
そして今日ですが、「毒親」とか「毒母」とかいった言葉で、特に母から娘への攻撃的なアプローチを告発するコミックエッセイや手記は星の数ほど出版されていますが、あの語源を知っている人が、どれほどいるのか・・・という感じです。個人的には、何か一般的な(親子間の)対立や意見の相違まで「毒親」と一括りにされてないか・・・?と思いますし、虐待行為ではない問題ですら「毒親」認定されて、結局誰かが割を食ってるし、正しい問題解決になってないんじゃないか・・・?という懸念がうっすらあるんですよ・・・。
で、フォワード氏の『毒になる親』でも、親への糾弾ありきではなく、そこからどうリスタートを切っていくかがちゃんと指南されていたと思います。それと、被害者だからといって何もかも受容して慰撫するのではなく、大人として他者に取るべき責任をちゃんと書いていましたし。
ですが、後発の毒親系メディアというのは、こうした「不都合な部分」がばっさりカットされ、(自分を支配欲の捌け口にした)酷い親や異常者への溜飲を下げさせるだけのものが、結構多かったです。結局は傷の舐めあいにしかなってないというか・・・。それと、「母VS娘」みたいな、換金化しやすいわかりやすさを追うあまり、「毒親」問題にもジェンダーの壁が半ば正当化されてるかと・・・。
そこから、「教育虐待」が武蔵大学の教授である武田 信子氏の発表である事もわからないのと同じで、「毒親」は「教育虐待」とセットで第3者が当事者の切実な問題を見世物小屋感覚(でも、読者からは「勉強になった」とか「真実を描いている」と持てはやされるような)で描いているような露悪系マンガも結構見ます。オバサン達の井戸端会議感覚でね・・・。
また、明らかに専門知識がない人間や、無責任な専門家等がネット上で「毒親チェックリスト」みたいないい加減なコンテンツを乱造する事態も、その歪曲と混乱に拍車をかけてるんじゃないでしょうか・・・?
私自身、心理だろうが肉体だろうが、虐待行為は絶対に許してはいけないと思いますし、被虐待者が声を上げるのは当然の事だし、社会が目を背けるのは許されないでしょう。ですが、 今の状況を見るにあたり、「毒親」とか「教育虐待」みたいな言葉から距離を置いた方が、あるいは別の文脈で語った方が、より真面目に子供達の受難やセーフティーネットについて語れるのではないか・・・そう感じています・・・。
やっぱりああいうの、福祉について真面目に考えず、興味本位のコンテンツとして持て囃されてるだけじゃんと醒めた目で見てる自分がいるもので・・・。