今日はまだ何も描いていません・・・キャンバスにですけど・・・。
GW関係のゴタゴタが一段落したら、そろそろ次の出展を告知したいですね・・・この公開日記で・・・。
画家、藤高昇太の公開日記(ブログ)です。主に出展のお知らせや、近況などを書いていきたいと思います。なお、整理のために一部の記事が削除される事がありますので、ご了承ください。 ◎本ブログの文章の一部引用および画像の無断転載を許可いたしますが、以下の注意を守ったうえで、自己責任でお使いください。1.営利目的・非営利目的(何らかの収入を伴わない)に関わらず、出典の明記は大体わかる形でもかまいません。そちらのご都合に任せます。 2.政治的・社会的な信条にかかわらず、いかなる表現も許可いたしますが、最低限のTPOとモラルを守ったうえでご使用お願いいたします。なお、タイトルに◎がついた作品は、版権ネタですので無断転載をご遠慮ください。
本来なら発売日きっかりに購入したかったのですが、ちょっといろいろな関係で遅れた状態で、薙沢 ムニン氏のゲーム「淀み海の溺れ唄」をプレイさせて貰いました。
舞台は西洋風ファンタジー寄りの世界で、何か思考も鈍く肉食性で、醜悪な容姿を持つ海魔という存在が、(彼らとは逆に)美しい容姿を持つ人魚や人間たちから迫害されていたんですね。で、海魔の中で例外的に可愛らしい姿をしているギーゼラという名前の少女がいました。ギーゼラは生い立ち上、自分より美しい存在に敏感で、そんな存在を憎悪して襲っては(仲間と一緒に)殺し続けていました。
そんなある日、ひょんな事からギーゼラは岸辺でアイーシャという謎めいた人間の少女が歌を歌っているのを目にします。 彼女の美に思わず惹かれてしまったギーゼラは妬み故に思いました。「この少女を殺して食べてしまいたい」と・・・。
本作に横たわるルッキズムはあくまでも表層的なものです。ギーゼラはアイーシャがおかれていた苛烈な身の上を知り、自分の羨望(美という概念)が自らを抑圧していた悪に起因する事を理解します。それは自分と同じ海魔にも向けられてきた差別の目であり、今まで近視眼的で利己的な目的意識に囚われていたギーゼラがとった行動は・・・。
こうした「人外もの」で現実の社会問題をトレースするような話は結構あり、本作もその一つだと思いました。 ですが、ラストで安易なカタルシスや勧善懲悪に纏めず、切ない余韻を残すやり方は、やっぱり薙沢氏らしいなと感じました。
ここら辺で、ただ社会のセンシティブな問題に悪乗りしたり加担するような、どうしようもない作品も色々ありますが、多少傷ついてでも人に向き合い、倫理的判断に臆してはいけない強さを、エモーショナルな流血とバイオレンスで表現している真っ当さは、やっぱり買ってよかった作品だと思わせる一因となっています。
ですが、やはりちょっと引っかかった所がありました。 これは同氏のフリーゲーム「LivingDead*Magic」でも感じたことですが、屠畜という(それこそ)センシティブな職業を出さない方が良かったのではないかと思います。やっぱり、キャラクターの残虐性と比較すような描写は要らん風評や誤解に繋がるんじゃないか・・・みたいな懸念があって・・・。
最近こんな記事を見まして、私は平成生まれながら、最近同じ事を感じたな・・・と思いました。Xの話なんですが・・・。
リンク先の、「昭和がぷんぷんするおやじ様」ですが、Xの某ポストで自転車の二人乗りについて、もともと好印象だった日本の文化が今は犯罪行為のように扱われており、ルールを増やし、ルールを守れという風潮が正義になったと嘆くように書かれていました。で、アニメ映画の「コクリコ坂から」のワンシーンが添付されていたんですが・・・。更に、ポストではルールを増やし、「ルールを守れ」という風潮が正義になり、社会の許容度、自由度がなくなり、住みにくく思考停止により非効率な国になった、他国との競争に勝てるわけがないというような感じで締め括られていたんですけどね・・・。
狭い道を歩いている時に、車道を逆走してきたり猛スピードで暴走(これは特にキッズが多いです)、果ては火のついたタバコを片手に自転車を運転しているような輩をよく見ているので、正直私は正に、「昭和がぷんぷんするおやじ様」の話じゃないか?と直感的に思いました。
すぐに特定の規制やルールの厳格化を『1984年』あたりのディストピアに強引に紐づけた論点ずらし(そして、ウィンストン・スミスみたいに振る舞う)を行い、今の社会は自らの行為に不寛容になったと被害者意識を表明するような言動はあのポストだけではなく数多くあります。で、これも個人的な感想になってしまいますが、特に昭和時代に対して「昔はよかった」と懐古する人って、大体が男性で女性や障害者、在日外国人やLGBTQ、公害の被害者のような人達からあんまし聞いたことはありません。だからこそ、「思考停止により非効率な国になった」と不貞腐れている陰で、過去の社会がどれだけ弱者や真面目な人間にとって(それこそ)不寛容で自由度のない社会だったと思ってるのか?と感じるわけで・・・。
これは表現の自由界隈にも感じることで、数々の「規制緩和」の元、オタクカルチャー的なものがメインストリームに進出した結果、本来なら表に出すべきではないアングラやエログロ系の文脈も商業で提供されるようになり、「やっぱりそれはヤバいんじゃない?」みたいな作品も正直あります。そして、ネット上では実際に指摘も入ったりするわけです。ですが、上記のような「逆ギレ」を目にするわけで・・・。ここで、「不寛容」とか「許容度」のターゲットが、フェミニストや人権活動家だったりするわけですが・・・。「オタク差別」を言い訳にした・・・。
私も(どの分野でも)何でも規制をかけろというやり方には、一応反対のスタンスですが、規制緩和をした分どこかでツケは払うときは来るはずだし、そこをディストピアになぞらえた被害者意識で表明するのは、なんか無責任じゃないですか・・・そう感じた次第です・・・。
やっと・・・キャンバス作品ですけど・・・本体ができ上りました・・・!
次は背景です・・・いろいろ資料を見ながら描きましょう・・・。
今日はなんか後ろめたい気持ちになりましたが・・・プライベート関係ですけど・・・まぁしゃあないと自分にいい聞かせています・・・。
で、明日は休みですが寄り道せずに帰りました。昼食もまだなので・・・この時点で・・・。
まぁ、殺傷能力のある武器が規制緩和で輸出可能になったとの事で、私も基本的には反対の立場ですが、大企業や政治家といった「巨悪」に立ち向かう「正しい」市民として反対表明をしたり、ハッシュタグデモをしたりするような風潮には正直、冷淡な疑念を覚えています。
日本はそういう意味での戦勝国でもないので、あんまり実感が沸かないかもしれませんが、もしこのせいで(人死にが絡む)何かが起こるかもしれないし、ちゃんと加害者意識に基づく覚悟を持った意思表明ができず、いつまでも「だまされた根性」で高市政権のような存在に全てを転嫁している限り、日本の反政権運動や反戦運動には未来は無いのではないか・・・そう感じています。金八先生ファイナルでもこういうセリフがありましたよね?「悪はどこにありますか?」というやつですけど・・・。
そこら辺が、外国の民主的な運動との違いなのかもしれない・・・とうっすら考えています・・・。
ヨメルバで、平河 ゆうき氏の『くいなちゃんはゾンビ!』の先行試し読みを読んでいるのですが、少しだけ気になった事がありました。
本作は挿絵イラストがカラーという宣伝が何度か行われていましたが、これまでのエピソードに掲載されたからあげたろう氏のイラストを見ると、モノクロ作品もありました。実際に発売されたときに仕様がどうなるかはわかりませんが、もしモノクロイラストも掲載するのであれば、宣伝で「一部の挿絵イラストがカラー」と書かなければ読者に対して要らない誤解を招くのではないか・・・そんな懸念があります。すみません、発売前に水を差すような事を書いてしまって・・・ですが、やっぱり・・・という感じだったので・・・。
そういえば、空の色が暗すぎる事に気が付きました。少しだけ明るくしようと思いますが、重ね塗りをすればそこだけが・・・という感じになるので神経使いそうです。そこだけフォトショで・・・という悪魔の囁きも聞こえますが、一応キャンバスでやってみる事にします・・・。