(8月8日:最後あたりの方に加筆修正しました)
(8月9日:また、最後辺りの文章を大幅に変えました)
まぁ・・・亜月 ねね先生には申し訳ないけど、もうダイアナとかじゃなくて、あんな表現をオモテに出すのはともかく、アニメ化だけは大概にして欲しいと思うんですよ・・・。まぁ・・・別部門の編集者さんの発言と含めて、ネットリンチそのものが目的化しよるのを見ると、何だかなーとは感じますが・・・。一番問題にすべきは知的障害者への差別が作品(内の表現)をステップに拡大している状況で、そういう漫画から更にみんなの目に届くような、アニメ化という手段が行われようとしている事だと思うんで・・・。
大体、編集者さんが東大学院卒だからじゃなくて、問題は天然で人の苦境を面白がるような事をいった発言そのもので、批判に属性とか容姿を持ち出すのはアカンでしょと・・・。それ・・・首相が理事長に便宜を図ったんか図ってないんかみたいな話で、偏差値やレベルをあげつらって、学生や教職員を罵倒していたX民と同じかと・・・。一応、親戚に東大卒の人がおるしなぁ・・・。
ここで、『みい山』に話を戻しますが、 実は、地元の書店(某所の〇伊〇屋書店)の少年漫画コーナーに、『みい山』が並べられたんですよ・・・。ですが、最初にも書いた通り、知的障害者が淫獣(みいちゃんやツバサみたいなキャラクターが)みたいな存在として描かれ、際どいエログロがかなりあるような作品を子供の手に置けるような場所に置くようなやり方に・・・ちょっとどうかねと思ったんですよ・・・。紀〇国〇書店の店員さんに、いおうかいうまいか考えましたが、結局後者を選びました・・・。
アニメ化に反対というのは・・・そういう意味もあって・・・ね・・・。もしあんな作品のアニメの特集記事がニュータイプとかアニメージュで組まれるような未来も、正直来んで欲しい・・・そう思います・・・。
なんで反対しとるんかっていえば、ここでも民意とか表現の自由についての私感を書きまし、正直にいいますが、私もセンシティブな事を粗雑に扱うような表現や、良識に楯突くようなエログロ系の表現は好きです。
ここからは自戒として書きますが、あんな表現を享受しているからこそ、どうして差別やいじめが許されないのかが正しく理解していない人達に、悪趣味な創作物は都合よくできていないわけです。だから、「みいちゃん」が知的障害者を揶揄するスラングとして急成長し、あの(福祉や知的障害者関係について)いい加減な描写が「真実」と祭り上げられて、大ヒットと共に偏見の正当化や助長に繋がっている現状があると思います。
だからこそ、一番人権問題や社会問題の被害者になりやすい人達の人権や尊厳を侵害してしまう形になる(この記事みたいに)という現実があるわけであり、作り手にしろ受け手にしろ、わかっている人達同士が限られた場所で楽しむべきものじゃないのか・・・ああいうのは・・・と思う訳ですよ・・・。
そんなものが表社会で容認されてアニメ化までいくと、このポストが指摘しているように、けじめがない人や無責任な人も簡単にそうしたコンテンツに参入できることを意味していて、人権侵害の助長のみならず、表現の自由全体が更に劣化していく事にならんか・・・という危惧も抱いているんですよ。それと、アニメ化って事は国際社会にもその名をしられるという話であって、もしもの時に結局全ての創作者と受け手が、成人向けだろうと商業だろうとバカを見るという事態にもなりかねんという不安もあって・・・。
それと、亜月 ねね先生の『みい山』における表現手法はともかく、編集部のアニメ化発表の日とかアクスタでの悪乗り、ヤンマガ編集者の発言などに起因する、障害福祉に対する分野の粗雑な姿勢から見ても、企業の社会的責任に照らし合わせ、アニメ化は到底・・・という気分です・・・。
俺だってアレ系のイラスト(まぁ、そっちは趣味としてですが)を別の世界でやってるけど、それが表に出れば性暴力や性犯罪に対して間違った情報を垂れ流してしまう(ちょうど、『みい山』に真実を見出す読者のように)事にもなるし、当事者へのセカンドレイプにも繋がってしまうからな・・・。 何でも表に出せばいいってもんじゃないし・・・。
それと、日本国憲法第12条では、自由と権利について「濫用してはならない」と書かれていて「公共の福祉のためにこれを利用する」責任も科されています。これは左翼のヒステリーでも正義も暴走でもなく、曲がりなりにも日本が民主主義国家で、行為の自由が責任として逆流しているにすぎません。それが嫌なら、民主主義や人権の理念を理解していない駄々っ子というわけで・・・。