今日はラーメンを食べました。激辛だけど、そういう流行に乗ってるだけの味じゃなかったのがよかったです・・・何ですかね・・・昨日の文章はああだったのに・・・。
まぁ・・・絵葉書を出しとかんとな・・・ 一応は・・・。
画家、藤高昇太の公開日記(ブログ)です。主に出展のお知らせや、近況などを書いていきたいと思います。なお、整理のために一部の記事が削除される事がありますので、ご了承ください。 ◎本ブログの文章の一部引用および画像の無断転載を許可いたしますが、以下の注意を守ったうえで、自己責任でお使いください。1.営利目的・非営利目的(何らかの収入を伴わない)に関わらず、出典の明記は大体わかる形でもかまいません。そちらのご都合に任せます。 2.政治的・社会的な信条にかかわらず、いかなる表現も許可いたしますが、最低限のTPOとモラルを守ったうえでご使用お願いいたします。なお、タイトルに◎がついた作品は、版権ネタですので無断転載をご遠慮ください。
今日はラーメンを食べました。激辛だけど、そういう流行に乗ってるだけの味じゃなかったのがよかったです・・・何ですかね・・・昨日の文章はああだったのに・・・。
まぁ・・・絵葉書を出しとかんとな・・・ 一応は・・・。
今日、広電の循環線の時刻表を見ましたが、結構本数が・・・と思いました。
それはさておき、何か今日は(個人的に)嫌~なものを見ました。何か食通ぶってる人間があまり好きじゃないし、それを店の悪口(店員の対応が悪い、料理がまずい、などなど・・・)としてしゃべってたら・・・何だかねーという感じです・・・。何か貰った車がベンツじゃなくてBMWだったと文句を垂れとるみたいで・・・。
何か相対的な怒りや悩みはあって当たり前だと思うんです。人間ですから。でも、そういうのが時に他者の絶対的な苦境を抹消してしまう暴力性があるんじゃないか・・・そう感じています・・・。
今、線画にとりかかっています。それと・・・何か色々考えてる事があります・・・。
今日はスナックでラーメン屋やってる人がいたな・・・とか・・・。
しょーもない回想・・・(笑)
まあ、よせばいいと思いますが、某読書日記における(作品の空気を読まない)露悪ネタの押しつけは、エルサゲートを子供に提供して面白がるような連中の思考回路を見てるようで、結構不快なんですね・・・社会や個人の切実な痛み(を描いた表現)にもそういうので食い荒らしてくるから嫌というか・・・。
明日に備え・・・お金を用意しなければ・・・です・・・。
そういえば・・・何か「ロストプラネット2」のチャプター3ですが、もしかすれば・・・かつてあったシナジー幾何学のゲーム「GADGET」の影響を受けたスタッフがいたのかな・・・と思う事が・・・。砂漠を疾走する列車のムービーに、その気を感じるので・・・。列車砲の起動シーケンスも格好良かったね・・・その際に流れるAIの音声が特に・・・。
「GADGET」・・・PS1版もやったな・・・でも、CGが綺麗なPC版の方に軍配が上がるという感じです・・・。今だったら通用しないゲームシステムですが、ああいうタイプのゲームが復活してくれても・・・という感じです・・・「東脳」とか「おばあちゃんとぼくと」とか・・・。
都バスみたいな交通機関とは違い、地元のバス事業者は殆ど距離で運賃が変わります。で、私はあまり電子マネーみたいなものが好きじゃないので、未だに整理券を取ってバスに乗ってるわけですが、前にある運賃表を見ると「ああ・・・かなり遠くから来たんだな・・・」という事がわかります。特に1000円台で広電バスだと、三段峡か安芸高田の辺かな・・・とか思ったり・・・。
三段峡・・・可部線がかつてあそこまで伸びていましたが、もう殆どが更地にされて・・・という感じです・・・。で、河戸からちょっと先までの僅かな区間が復活しましたが、手放しで喜んでいいのか・・・という感じがします。だって・・・当時は廃止勧告も出てて、採算性もどうかという中で、今福線計画の為に無理やりどんどん伸ばした感が強いというか・・・。ですが、Xで受けやすい赤字ローカル線死体蹴りにもコミットしたくないんですよ・・・正直・・・。
この度、「なにものてん 2」(企画・開催:アートコンプレックスセンター様)に拙作を出展させて頂きました。この場を借りて、お世話になったスタッフの方々や、グッズ等をお買い上げくださったお客様などに、厚くお礼を申し上げます。
う~ん・・・やっぱり人外とはいえ、自律ロボという方がしっくりきたかもしれんねぇ・・・。
さて・・・これからどんどん暑くなっていくかもしれませんが、何とか・・・出展はやっていきたいです・・・それから制作も・・・。
今日、遂に東京から帰ってきました・・・。雨だと思って揺れるんじゃ・・・と思ってたけど、あんま飛行機は揺れませんでしたね・・・。朝イチを選んだからか・・・。で、乗る時はまたランプバスに乗せられて、飛行機まで・・・という感じでした・・・。こういう経験、前もあったので・・・。
でも、飛行機そのものに限っていえば、新幹線に比べてあっという間じゃね・・・まぁ倍の速度で飛ばすし・・・で、富士山が見えましたよ・・・。やっぱり『今日の芸術』で岡本 太郎氏がいいよった「八の字文化」という言葉をいつも思い出します・・・。すみませんね・・・こんな感想しか出なくて・・・もっといい言葉があるんでしょうけど・・・。
富士山・・・江ノ電に乗った時も見たな・・・。
最近、某イベントのDMを手に取って、ちょっと参加しようかと思いました。で・・・ネットでnoteとかXを見た所、本当にちょっと発言の治安が悪かったんで、参加計画はナシ&却下・・・という事で・・・。他の人も同様の指摘しとったしな・・・Xで・・・。
自分だってイベント開催する側になったら、ちゃんと聖人君子でいられる自信なんてないし、今でも聖人君子じゃないので棚上げ・・・という感じですが、やっぱり公的責任を背負う立場で文学フリマ関係とか反・反AIの立場でガラの悪い言葉や態度を選んでたら、そりゃ・・・発信が事務的なものを・・・と思う訳で・・・。
こないだもこちら側とは無関係のトラブルで、客という立場から喧嘩腰で相手にものをいってくるおじさんを目にしたばかりで、尚更ですよ・・・これは・・・。それで向こうが提供するサービスを受けようというんだから、(かなり嫌な表現ですが)正に下種の謗り食いだなと・・・。
現在、「なにものてん 2」(企画・会場:アートコンプレックスセンター様)に拙作を出展させて頂いております。設営はスタッフの方にお願いしており、この場にて厚くお礼申し上げます。
では、会場の様子をアップいたします。
それから・・・世界観の補助として、自作小説『ハッピースイーパーアワー!』も、絵葉書と一緒に出展させて頂いております。どっちかというとそっちが目玉・・・という感じで参加しようと思ったので・・・。
あらすじも写していますが、『ハッピースイーパーアワー!』は何か最近はやりの「生きづらさブーム」へのカウンター・・・みたいな感じで書いています。そこら辺、コロナを始め、「逆に起きてよかった」みたいな話をかなり見てたんで、あれ界隈、マジで風刺したかったんだよな・・・。
という事で、最終日の日曜日まで、どうかよろしくお願いします。
現在、「なにものてん 2」(企画・会場:アートコンプレックスセンター様)に出展させて頂いておりますが、アートコンプレックスセンター様でのオンラインショップでも拙作を販売中です。下記に詳細を記します。商品紹介の詳細はリンク先のページでご確認ください。
1.Shooting star 605×500mm アクリルにキャンバス 68000円(税込)
2.Imitation war 730×610mm アクリルにキャンバス 77000円(税込)
の2種類です。 どうかよろしくお願いいたします。
なお、出展についての詳しい報告は後程・・・という事で(汗)
すみません・・・本当にズボラなもので(泣)その罰かどうかはわからないけど、レストランで昼食を食べようとした時に、ウォーターサーバーと思ってスイッチを押したら、アイスが出てきた・・・何とか謝って許してもらいましたが・・・。
もうバスや電車でも冷房を使うようになり、私の家でも冷房を使うようになりました。
でも異常という言葉は使いません。ある程度は地球環境をそういう風にしたという責任感を感じており、冷房を使うんなら自業自得という事で・・・。
そういえば、はてブの受け売りになっちゃいますが、『みい山』が(知的)障害者の現実に対して理解を広げたいうのであれば、アーマード・コアシリーズの「ゲイヴン」ネタや(一昔前のメディアでさんざんやられてきた)「オカマ・レズ」ネタが果たしてLGBTQの理解促進や啓蒙に貢献したのか・・・?という話であって。あ、ちなみにゲイヴンというスラングはマジで嫌でした。
ついでに、百合やBLをそうでない作品にこじつけたり、作家がそういうのに迎合する姿勢も嫌です・・・個人的に・・・。
(2026年の6月16日にちょっと追記しました)
何か某読書日記の『ステイホーム』評で、「手を差し伸べる事は加害」みたいな事が書かれていましたが、そういう描写を手放しで礼賛する記事がかなりあって、食傷気味だった覚えがあります。
しかも、そういう記事の書き手に限り、自民党政権を非難し、貧困層に同情するような傾向が散見されましたが、そこまでいって、公助がやるべき事だから見切るのが潔いという姿勢は、正にこういうポストと同じじゃねーか・・・と思います。
自分の手を汚さずに、弱者が救われるシステムをちゃんと機能させろと講釈を垂れるのは、無いものねだりなんですよ・・・自分だってそういう卑劣さがあるから敢えていいますけどね・・・。リンク先のポストが書いている通り、「自分たちの生活は守ったまま自らの正しい立場を表明したいという大いなる欺瞞」なんですよね・・・反原発を表明しながら、被曝するのが嫌だから震災瓦礫を受け入れるな、辺野古への基地移転はダメだけど、私達の街に来ないでほしい、障害者施設は必要だけど、なぜ辺鄙な山奥にあるのか・・・こうした病巣が、「共助という甘い幻想を叩き潰した」結果の「理想郷」といえるかと・・・。
あーそれと、追記ですが「共助という甘い幻想が叩き潰」された例はいくらでもあり、その代表例が、アフリカや中東の紛争地帯だったり、関東大震災直後の首都圏、体制崩壊後のソ連だったりだったりするわけですけど、果たして現場でいい作用があったのでしょうか?だからこそ、所詮は逃げ切れる場所で、極論による美辞麗句を弄してるだけかと・・・。それをいうなら、 被災地にバスを提供したバス事業者は加害者という事だし、視覚障害者の手を引いて電車に案内する事も加害という事になりはしませんかね・・・?
何かアクセス数が、また上がっています・・・。
まぁ、インスタグラムやFacebookにリンク載せたしな・・・。また、倉敷に行く用事ができたかもしれん・・・でも、もうお金の問題であんまし遠出はできんかもな・・・。
展覧会「月を射る」(企画:川上 幸之介様 会場:KAG様)にお邪魔しました。
特に中韓へのヘイトスピーチ及び、それらのヘイト本が問題視される中、戦争加害者としての日本のルーツを冷静に検証している展示内容は、反戦系アートとしてかなり誠実なものを感じました。特に強烈だったのはガタロ氏の「人間ハ丸田カ」と、森田 玲音氏の「people」でした。ここら辺は、凡百の反戦デモに使われているイラストにはない、迫力と凄みを感じました。それは、近視眼的な個人主義や現状維持ばかり考えている所から、反戦を訴えていないからでしょう。
最近でも高市政権やトランプ政権に対し、護憲運動に基づく反戦運動が高まっていますが、その辺りで、戦争していた日本は憲法9条で更生して、平和国家として勝手に世界をリードしている気になっているような言葉も見られます。今の反戦にはリアリズムが足りないといわれていますが、必要とされるのは「日本が過去に何をしてきたか」を被害者意識や情緒抜きで冷徹に解剖していくことではないか。会場を後にして、ふとそんな事を考えました。
まぁ・・・何かすごく嫌な記事を過去に見てね・・・。
自分だって大した教育を受けました!って自信持っていえないし、今でもバイト生活だけどさ・・・でも何か腹の底で溜まっとったものはあるよね・・・。
何か教育困難校の学生は介護・福祉の重要な戦力だみたいな内容だったんですけど、ちょっと全国の介護士や保育士は、記事を読んでからマジギレすべきだと思ったんですよ・・・あの教育ライターに・・・。そして、あの教育ライターの親とか本人とかに何かあって、介護施設にきたらその記事を見せて、冷たく追い払えばいいんじゃないでしょうか?「お前らの為に空いてるベッドは無い」といい放って・・・。あんな考えで人の世話になりたいと思ってたら、かなり異常かつ傲慢だよ・・・。何かねー反原発っぽい自然派の人が、使用済み核燃料の施設は自分とは関係ない田舎に作って当たり前・・・みたいな感じだったんだよねぇ・・・。
安里 アサト氏の『エイティシックス』というライトノベルでも同じ発想で、差別する側に戦争させるみたいな話でしたが、まさにその階層版を見せつけられているような・・・感じでした・・・。たしかシンもレーナにこんな趣旨の事いってましたよね?「押しつけるのに慣れたあなた達が戦えるのか?」みたいな・・・。
それと、私はサンデル氏の発言に全部同意してるわけじゃないし、メリトクラシーには肯定的な立場ですが、『実力も運のうち:能力主義は正義か?』みたいな本で、「尊厳」を認めないからこういう事になるんでしょう・・・?という思いです・・・。
今日は仕事帰りに、実家へと寄りました。
そして家に帰りました。やっぱあそこまで行くとバスが高度を上げるから、耳がツンとするね・・・新幹線がトンネルに入った時みたいに・・・。或いは、飛行機が上昇している時か・・・。
あのウクライナにおける自助努力論ですが、ある程度は正論だと思いますが、果たして自然災害のような「有事」は経験しても、まだ本格的に他国の侵略を受けていない日本がちゃんと対応できるのか・・・と正直思います。まぁ、わかりやすい言葉はわかりやすさ故に、結構上っ面だけとられて他人叩きのダシに使われたりするもので、まさにそういう状況だと感じています。
私自身、憲法9条のルーツを多角的に検討せず、ひたすら先代から受け継いだ情緒的な被害者意識を表明しているような反戦運動(と戦争観)は好きではありません。だからこそ、ウクライナに即時停戦という暴論を投げつけるのだと思いますし。ですが、平和な安全圏で単に左派を罵倒したいから、ウクライナと同化したつもりになって自助努力論を礼賛するのも、一定の醜悪さが存在すると思うんですよ・・・。
(結構古い話ですが)なんか鬱憤晴らしの為に被害者遺族に便乗し、弁護団に懲戒請求を送る人・・・みたいな・・・。
そこら辺、虎の威を借る狐で加害欲求を晴らしたい人のノイズがかなりついてるのが結構な問題かな・・・?と・・・。
前から気になっていた、平河 ゆうき氏の児童書『くいなちゃんはゾンビ!』を読みました。
児童書で(おばけや幽霊はともかくです)主人公がゾンビっていうのはあんまり見かけんな・・・と思って手に取りましたが、宣伝通りの楽しい作品でした。児童書らしく、近年のゾンビものにありがちな、殺伐とした展開や暴力的な残酷シーンを徹底排除しているのは、よかったです。
特に後半でヴァンパイアとか(コブラのミスティーみたいに)電気使いが登場するという展開は、いささか後付け感を感じたものの、 くいな一人がゾンビだとどうしても孤立感が出てしまうので、そっちの方がいいと思いました。
そういう部分から、物語後半では弱者(マイノリティ)が必ずしも純然たる犠牲者(要するに悪に染まっている)ではないという現実をも正直に描いていて、だからこそ悪として処理せず、くいな達が仲間としてその再生を祈る所は、やはり当然の展開だといえました。そこら辺、子供向けだからこそかなり慎重に行かなければ・・・と思いますが、悪に染まった弱者をシャットダウンしたり縁を切ったりするというのは、ベーシックな倫理観が醸成していない子供に教唆すれば要らん偏見を植え付ける危険性があるので、平河先生は読者に対して正しい書き方をしていたと思いました。
まぁ、続編があるという事なんで、 稲森ぴかりをまた見てみたい気がします。やっぱり数少ない、ゾンビが主人公という稀有な児童書なんで、何とか・・・と願っています・・・。
今、Gのつく複数の存在に小説のアレコレを教えて貰ってたら・・・のめりこみすぎて、一日分の更新を忘れてたよ・・・公開日記の・・・。でも別にいいです・・・。梱包の方が大事だなので・・・。
今日、昼食の為に入ったラーメン屋さんにあるテレビで情報番組が放映されており、都内の公園で手持ち花火が解禁され始めているという内容でした。
ですが・・・私も子供の頃、夏休みに手持ち花火で友達と遊んだクチですが、正直危ない事もしてましたし、マナーに反する事も犯していました。ハリウッド映画のつもりでミニカー燃やしたり・・・(汗)
だからこそ書くのですが、番組内では子供が花火を振り回してたんですよね。それじゃあどうよといわれるのも、しゃーないんじゃ・・・と思ったり・・・。だって、『クレヨンしんちゃん』(漫画の方です)でも野原ひろしが「火は怖いんだぞ!」としんちゃんとマサオに雷を落としていましたが、もし手持ち花火を振り回せば、火の粉が人に当たって引火するかもしれないし、もし弾みでそれが手から離れたら、どうなるか・・・そこら辺叱って欲しかったですよ・・・コメンテーターとか司会者とかが・・・。
手持ち花火・・・もう今はそういう年齢じゃねえな(汗)
また作業をせねばいけません・・・。
早く仕事から帰れたのに・・・。個人的にいいたくはないですが、ちょっと親子のマナーが悪すぎます・・・。いおうかいうまいか、ちょっと迷っとる・・・。
涌井 学氏の児童向けノンフィクション『いっしょにいるよ:子どもと裁判に出た犬 フランとハッシュの物語』を読みました。虐待を受けた子供が出廷する際に、その心理的負担を和らげる為の付き添い犬を題材とした作品で、作中では身体的虐待のみならず、(一応、児童書ですが)性的虐待というかなり激辛なケースも取り上げられています。
こういう所から、本作はその他多くの作品のように、可愛らしい犬と被虐待児の交流を可愛らしく描くようなモフモフ癒し系ではなく、主人公の弁護士や被虐待児の憤怒が赤裸々に綴られていて、どうすれば子供が守られるべきなのか、子供を傷つけた相手に(法的に)しかるべき報いを与えるには何が必要か、法律や制度という縛りの中で奔走する大人達の葛藤を通じ、ただ可愛い動物(敢えて書きますが、「天才!志村どうぶつ園」的な演出に甘んじた)だけの強調に留まらない訴えを感じました。
本書を読んで、やっぱり裁判というのは子供でも大人でも容赦なく対価に扱われるもので、わかりやすい悪徳弁護士やカタルシスのある結末なんて存在しません。相手も仕事の一環として、勝つつもりで準備をしているので、性的虐待を受けた子供が加害者側の弁護士に、琴線をぶっ叩かれるような質問をされる事だってあるわけです。だからこそ、私は最近話題になっている、『ともだち弁護士リッカ!』(こちらでも感想を書きました)みたいな作品を美談にするのはどうかいう確信が、更に沸きました。
裁判で付添犬が必要とされるような事態が物語っているように、裁判は半端な手助けや思いやりが目的で行われるものではありません。その辺りの誇張されたカタルシスより、職業的な信用と責任を持った大人達が、法の平等に晒された子供をどう守っていくかを地道に追った現実の方が、余程現実味が感じられると思うのです・・・。
今、風呂を沸かさねば・・・と思っています。
シェービングジェルも今の所足りてるしな・・・。
もうSNSでも告知をしなきゃならんのに・・・できとらんです(泣)
もう母の日にプレゼントは送りました。ヤマノエイ先生の『さむわんへるつ』既刊です・・・。
よく、表現の自由(戦士)的な主張で「作品自体に罪は無い」とか「受け手の問題」とかいった擁護論を目にします。そういう話は個人的に、(ここはかなり不謹慎な例えになりますが)手下に飛行機をハイジャックさせて高層ビルに衝突&崩壊させておきながら、「そんな場所にビルを作らなければよかった」とか「ちゃんとビルを耐久力があるように設計しなかった建築会社が悪い」とか「自分はただいっただけなのに、ハイジャックのプランを鵜呑みにした方にも問題がある」とか言い訳をダラダラしているテロリストみたいに感じる事があります。
何かそういいたい位に、表現の自由の柄が悪くなっとるな・・・と思う事が多々あって・・・。自分だって規制緩和の恩恵を無責任に受けてるから、人の事はいえんが、創作について規制緩和をやった結果、責任やTPO自体を規制そのものとして過剰反応&正当化する風潮があるかと・・・。
そういえば、もうすぐ完成です。後は撮影です・・・。
明日から・・・アレが始まります・・・。
急ピッチで作っていた作品が・・・あとちょっとで完成するかもしれん・・・。
そうしたら撮影とキンコーズじゃ・・・その前にフォトショで加工ね・・・。
新堂 冬樹氏の小説『少年は死になさい…美しく』を読みました。児童書やYAの感想もこの公開日記で書いてるのに、何か書いちゃいけんとは思いますが、敢えて・・・という感じです(汗)
何か、潔癖気味の男性恭介は、ある日妊娠中の妻と娘がいつまでたっても帰ってこなくなる事に気づき、一枚のDVDが郵送されてきた所から話が始まるんですよね。悪い予感を抱きながらDVDを再生してみた恭介ですが、何と、娘と妻は不良少年達に拉致され、想像を絶する方法で殺される様子が撮影されていました。要するに、スナッフフィルムという奴です。ここまで来れば、もう不良少年どころかモンスター以上の存在といわなきゃいけないです・・・。
そこで、恭介は自分の妻子を殺した不良少年達を見つけ出し、殺害する事を思いつきます。当然、これまでのフィクションが辿った道のように、倍返しでの復讐か・・・と思いきや、恭介の目的は別の所にあり・・・という展開になっていくのですが、冒頭の惨殺シーンをオードブルにした嗜虐性フルスイングのストーリーは、多分非行少年やDQNといわれている人達が裸足で逃げ出すレベルだと思います。もう・・・恭介の目的を見るにあたり「ちょっと新堂さん大丈夫かな・・・?」と考えてしまい・・・。
世の中(そしてフィクション)にはそういう考えの人がいると思います。だからもう、ここまで書かれたら善悪のボーダーが霞んでくるね・・・それは、同氏の『溝鼠』や『カリスマ』などにもいえる事なんですが・・・。
最近、noteでとある有名な児童文学作家が、百合と児童書を結びつけるような記事を投稿していました。「百合と異界は児童小説の伝統」・・・みたいな話でした。
ここからは、(はっきりと書きますが)私が百合が好きで百合小説を書こうとして失敗・挫折したという劣等感とルサンチマンも、含有されている上で話を進めていきます。
だからこそ敢えて書きますが、 百合好きがいるのは否定はしませんし、百合を規制しろとかそういう話じゃないです。ですが、「百合厨」とか「ゴキ百合」という言葉があるように、一部の(私を含めた)マニアが子供向けの媒体にも突撃し、大きい大人として分別をわきまえん行動をしている部分もあると思います。あの作家さんだけではなく、某読書日記の強引な同性愛ネタのこじつけみたいなものを見るにあたり・・・。
だからこそ、なんか作家側が迎合するんじゃなくて、オタクにはきちんと毅然とした対応を取ってほしかったというか・・・。ていうか、世の中って百合やBLが好きな人達だけじゃなく、苦手な人だっているでしょう?こういう事を書けば、「藤高はLGBTQを差別している!」という藁人形論法にシフトさせられる可能性もありますが、逆にただ女の子同士がふざけあっていたり単に友人同士だったりする場合に、ワンクッションも置かずに同性愛萌えみたいなものを押し付ける方が迷惑で失礼だったりしませんか?
第一、百合とかBLって、(所詮は)本人のセンシティブで切実な領域を安全圏から嗜好にしているどうしようもない部分だってあり、そこら辺の自省も必要なんじゃ・・・とか思ったりしています。自分だって井村 瑛先生の『イノセントノイズ』とか柏原 麻実先生の『少女惑星』とかいった、百合系の漫画を過去に何冊か読んでたからわかるんですが、そこら辺で自浄作用とかTPOみたいなものを適用させないと、児童書が百合オタに殺されることにならんか・・・そういう懸念があります・・・。
まずは、何でも百合に当てはめるんじゃなくて、それが本当に百合の作品かどうか・・・それを語っていい空気なんか・・・ちゃんと見極める礼儀正しさが欲しいなと感じました・・・。
来る6月3日(火)から6月7日(日)まで、私は「なにものてん 2」(開催・会場
:アートコンプレックスセンター様)に拙作を出展させていただきます。出展内容はキャンバス画と絵葉書、自作小説(A5サイズのZINE形式)を予定しております。もしお時間がございましたら、ぜひともお立ち寄り頂きたいと思います。
なお、私は6月4日(木)から6月7日(日)より会場に常駐いたしますので、どうかよろしくお願いいたします。
詳細はこちらをご覧ください。
最近、Xで個性派書店に関してのポストを見ました。まぁ・・・あそこら辺に関しては、文化的特権を拗らせ、排他的な選民思想に酔ってるようなギャラリーの経営者さんみたいな人達にもいえるんじゃないでしょうかね・・・。そこを考えれば、Blueskyも安全じゃないよなと・・・。あの自己陶酔という指摘に関しても、新設の図書館にネチネチ難癖をつける読書マニアに共通するものはあるかと・・・。
自称本好きの選民意識が鼻につくとポストでは書かれていましたが、カフェやギャラリーの併設だけではなく、XやBlueskyでやってる事は自営業者(或いはフリーランサー)と平等なのに、巷より特別な仕事やってますアピールをするような個人書店経営者を、ちらほら見かけるというか・・・。そういうのは嫌いなわけじゃないですが、だからブックオフや大手チェーンが選ばれるんじゃ・・・?とも・・・。万歩書店好きだったから敢えて書くけど・・・。
で、これも敢えて書きますが、少し前に問題になっていたヘイト本問題でも感じていた事です。最も、そういう事を許していた業界に肩入れする気はありませんし、そういう類の本は殆ど買ってはいませんが(それで規制が強化されたとなれば、手垢のついた「オタク差別論」を持ち出し、表現規制とかポリコレ棒とか騒ぐ層は存在しますが、自分は散々いって相手はいうななんて、そっちの方が不公平じゃ?)、なんか反対する方にも感じているものはありました。言語化は難しいですが、「本好き=反権力・反差別」みたいな一括りで高尚ぶってて、排他的な被害者意識みたいなものを感じてるというか・・・。
色々難しい問題だと思いますが、やっぱりねというモヤモヤが私の中に燻っています・・・。
本来なら発売日きっかりに購入したかったのですが、ちょっといろいろな関係で遅れた状態で、薙沢 ムニン氏のゲーム「淀み海の溺れ唄」をプレイさせて貰いました。
舞台は西洋風ファンタジー寄りの世界で、何か思考も鈍く肉食性で、醜悪な容姿を持つ海魔という存在が、(彼らとは逆に)美しい容姿を持つ人魚や人間たちから迫害されていたんですね。で、海魔の中で例外的に可愛らしい姿をしているギーゼラという名前の少女がいました。ギーゼラは生い立ち上、自分より美しい存在に敏感で、そんな存在を憎悪して襲っては(仲間と一緒に)殺し続けていました。
そんなある日、ひょんな事からギーゼラは岸辺でアイーシャという謎めいた人間の少女が歌を歌っているのを目にします。 彼女の美に思わず惹かれてしまったギーゼラは妬み故に思いました。「この少女を殺して食べてしまいたい」と・・・。
本作に横たわるルッキズムはあくまでも表層的なものです。ギーゼラはアイーシャがおかれていた苛烈な身の上を知り、自分の羨望(美という概念)が自らを抑圧していた悪に起因する事を理解します。それは自分と同じ海魔にも向けられてきた差別の目であり、今まで近視眼的で利己的な目的意識に囚われていたギーゼラがとった行動は・・・。
こうした「人外もの」で現実の社会問題をトレースするような話は結構あり、本作もその一つだと思いました。 ですが、ラストで安易なカタルシスや勧善懲悪に纏めず、切ない余韻を残すやり方は、やっぱり薙沢氏らしいなと感じました。
ここら辺で、ただ社会のセンシティブな問題に悪乗りしたり加担するような、どうしようもない作品も色々ありますが、多少傷ついてでも人に向き合い、倫理的判断に臆してはいけない強さを、エモーショナルな流血とバイオレンスで表現している真っ当さは、やっぱり買ってよかった作品だと思わせる一因となっています。
ですが、やはりちょっと引っかかった所がありました。 これは同氏のフリーゲーム「LivingDead*Magic」でも感じたことですが、屠畜という(それこそ)センシティブな職業を出さない方が良かったのではないかと思います。やっぱり、キャラクターの残虐性と比較すような描写は要らん風評や誤解に繋がるんじゃないか・・・みたいな懸念があって・・・。
最近こんな記事を見まして、私は平成生まれながら、最近同じ事を感じたな・・・と思いました。Xの話なんですが・・・。
リンク先の、「昭和がぷんぷんするおやじ様」ですが、Xの某ポストで自転車の二人乗りについて、もともと好印象だった日本の文化が今は犯罪行為のように扱われており、ルールを増やし、ルールを守れという風潮が正義になったと嘆くように書かれていました。で、アニメ映画の「コクリコ坂から」のワンシーンが添付されていたんですが・・・。更に、ポストではルールを増やし、「ルールを守れ」という風潮が正義になり、社会の許容度、自由度がなくなり、住みにくく思考停止により非効率な国になった、他国との競争に勝てるわけがないというような感じで締め括られていたんですけどね・・・。
狭い道を歩いている時に、車道を逆走してきたり猛スピードで暴走(これは特にキッズが多いです)、果ては火のついたタバコを片手に自転車を運転しているような輩をよく見ているので、正直私は正に、「昭和がぷんぷんするおやじ様」の話じゃないか?と直感的に思いました。
すぐに特定の規制やルールの厳格化を『1984年』あたりのディストピアに強引に紐づけた論点ずらし(そして、ウィンストン・スミスみたいに振る舞う)を行い、今の社会は自らの行為に不寛容になったと被害者意識を表明するような言動はあのポストだけではなく数多くあります。で、これも個人的な感想になってしまいますが、特に昭和時代に対して「昔はよかった」と懐古する人って、大体が男性で女性や障害者、在日外国人やLGBTQ、公害の被害者のような人達からあんまし聞いたことはありません。だからこそ、「思考停止により非効率な国になった」と不貞腐れている陰で、過去の社会がどれだけ弱者や真面目な人間にとって(それこそ)不寛容で自由度のない社会だったと思ってるのか?と感じるわけで・・・。
これは表現の自由界隈にも感じることで、数々の「規制緩和」の元、オタクカルチャー的なものがメインストリームに進出した結果、本来なら表に出すべきではないアングラやエログロ系の文脈も商業で提供されるようになり、「やっぱりそれはヤバいんじゃない?」みたいな作品も正直あります。そして、ネット上では実際に指摘も入ったりするわけです。ですが、上記のような「逆ギレ」を目にするわけで・・・。ここで、「不寛容」とか「許容度」のターゲットが、フェミニストや人権活動家だったりするわけですが・・・。「オタク差別」を言い訳にした・・・。
私も(どの分野でも)何でも規制をかけろというやり方には、一応反対のスタンスですが、規制緩和をした分どこかでツケは払うときは来るはずだし、そこをディストピアになぞらえた被害者意識で表明するのは、なんか無責任じゃないですか・・・そう感じた次第です・・・。
やっと・・・キャンバス作品ですけど・・・本体ができ上りました・・・!
次は背景です・・・いろいろ資料を見ながら描きましょう・・・。
今日はなんか後ろめたい気持ちになりましたが・・・プライベート関係ですけど・・・まぁしゃあないと自分にいい聞かせています・・・。
で、明日は休みですが寄り道せずに帰りました。昼食もまだなので・・・この時点で・・・。
まぁ、殺傷能力のある武器が規制緩和で輸出可能になったとの事で、私も基本的には反対の立場ですが、大企業や政治家といった「巨悪」に立ち向かう「正しい」市民として反対表明をしたり、ハッシュタグデモをしたりするような風潮には正直、冷淡な疑念を覚えています。
日本はそういう意味での戦勝国でもないので、あんまり実感が沸かないかもしれませんが、もしこのせいで(人死にが絡む)何かが起こるかもしれないし、ちゃんと加害者意識に基づく覚悟を持った意思表明ができず、いつまでも「だまされた根性」で高市政権のような存在に全てを転嫁している限り、日本の反政権運動や反戦運動には未来は無いのではないか・・・そう感じています。金八先生ファイナルでもこういうセリフがありましたよね?「悪はどこにありますか?」というやつですけど・・・。
そこら辺が、外国の民主的な運動との違いなのかもしれない・・・とうっすら考えています・・・。
ヨメルバで、平河 ゆうき氏の『くいなちゃんはゾンビ!』の先行試し読みを読んでいるのですが、少しだけ気になった事がありました。
本作は挿絵イラストがカラーという宣伝が何度か行われていましたが、これまでのエピソードに掲載されたからあげたろう氏のイラストを見ると、モノクロ作品もありました。実際に発売されたときに仕様がどうなるかはわかりませんが、もしモノクロイラストも掲載するのであれば、宣伝で「一部の挿絵イラストがカラー」と書かなければ読者に対して要らない誤解を招くのではないか・・・そんな懸念があります。すみません、発売前に水を差すような事を書いてしまって・・・ですが、やっぱり・・・という感じだったので・・・。
そういえば、空の色が暗すぎる事に気が付きました。少しだけ明るくしようと思いますが、重ね塗りをすればそこだけが・・・という感じになるので神経使いそうです。そこだけフォトショで・・・という悪魔の囁きも聞こえますが、一応キャンバスでやってみる事にします・・・。
―自分が享受している特権に気づいていない人間だけが、そのような
「想定外」の問いを口にするのです。
内田 樹『下流志向:学ばない子どもたち 働かない若者たち』より
最近、高橋 邦典氏のフォト絵本『ぼくの見た戦争:2003年イラク』を何度か読んでいます。あの時私は中学校に入りたてで、米軍が同時多発テロ事件をきっかけにイラクへ侵攻、ジャーナリストである高橋氏が米軍に同行し、その生々しい現実を撮影したものですが、(かなりの損壊も含む)死体の写真や戦場の血なまぐさい現実等が、一切の誤魔化しなく載せられているので、正直にいえば大人が(特に小学生くらいの)子供に勧めて読ませる類のものではないと思います。
で、私が特にインパクトとして残ったのは、死体や傷ついたバグダッド市民だけではなく、米軍の進行で陥落して無政府状態となったバグダッドで暴徒と化した市民が略奪を繰り返し、引き倒されたサダム・フセインの像を笑いながら次々と足蹴にしていく写真でした。ここに、戦争行為というものはただ誰かの体を傷つけるだけではなく、(それは現在におけるロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのガザ虐殺にもいえることでしょう)、精神まで変えてしまう恐ろしさを伝えていると感じました。
ここで、フセイン政権下のことを考えれば、イラクにとっては行くも地獄、退くも地獄だったという事を敢えて除外し、所詮は安全圏から人の苦しみを特定の思想や政治的スタンスに対する批判、つまりダシとして利用してしまう偽善性も自覚した上で書きたいのですが、巷には秩序と正しさに守られた状態で生きながら、それを疎ましく思うことで反逆者を気取っているような人間が(ネットを観測したあたりでは)かなり存在します。
特に、ハコブネ某のような児童書を中心に書評しているようなサイトでは、正しさや良識を否定し、人間の本質を肯定しながら本音を優先することが、(こういう人達が見なしている)巷に生きる一般人と比べると高尚なやり方であるかのような主張がなされています。「児童文学の本質」は、真に人が自由に生きられる事を求めるのだと。ですが、良識や相互理解とかいった「建前」を否定し、「本質」を最優先した社会が本書に掲載された米軍という「強者」に蹂躙されたバグダッドの惨状であり、同時多発テロという大量殺人に晒されたアメリカの姿でもあり、自分たちが寄り添うべきだと都合のいい時に主張している弱者が真っ先に血を流す事態になるという事に、どれだけの自覚があるのでしょうか?
現在でも、秩序や正しさをしがらみとして冷笑し、(ハコブネ某のように)文化的な特権意識を抱くようなアマチュア書評家や作家は数多く存在します。ですが、秩序や正しさが崩壊した世界では、そんな事も不貞腐れていえない事態になる事に、どれだけの想像力があるのか?という疑念を抱きながら、私は本書を閉じました。
来年、某イベントに出せるか・・・?という不安があります。10回記念なんで、是非とも出したいなーとか思ったりするんですが・・・最悪、来客という形で・・・という想定も・・・。
何か今朝は風が強かったですね。でも今はそうじゃないんで安心しています(笑)
今日、平河 ゆうき氏の『くいなちゃんはゾンビ!』という児童書の試し読みを目にしました。個人的には結構面白そうに見えたので、楽しみにしています。
で・・・ 再来週位にGWですが、地獄が待ち受けてるかもしれん・・・働くというのはそういう事じゃ・・・(現時点でこれは八つ当たり的な話になりますが)誰や・・・「コロナのおかげで働き方改革がなされたのは、大いに礼賛したい」みたいな話をしたんは・・・リモワができん人を認識する神経細胞がなかったのか・・・?しょせんあんな美化は、自分が都合よく無視できる世界に押し付けて逃げ切った人間の、甘い幻想ですよ・・・。
そんな皮肉をいいたくなるほど無責任な人っていますからね・・・。でも、プライベートでも今日失敗を繰り返したからな・・・家まで一旦取りに行ったのだよ・・・忘れた資料を・・・。
自作メカ(絵ですが)の腕に、カバーをつけてごまかしてます・・・パトレイバーみたいに・・・パトレイバー・・・もう中学生の時に漫画を読んだっきりだな・・・。ラストで泉 野明が(グリフォンに乗った)バドにキレるシーン・・・いまだに印象に残ってるんですよね・・・。半壊状態のイングラムに乗って・・・ね・・・。「あんたが気まぐれで遊ぶ玩具と違う」とか「その目を開いて、よーっく見なさい!」とか・・・。
そういう所からよー考えてみりゃ・・・内海はあの末路でよかったんじゃないでしょうか。
アニメ版も実写版も観ておらず、プラモも買ってないんですが・・・(汗)
昨日、中央図書館に行きました。エールエールA館に移転した後の・・・ね・・・。
で、児童書コーナーもあったので、こども図書館の今後の運命を思わず考えてしまいました・・・ゲートパークプラザ(かつては市民球場があった場所)の近くにあるものなんですけど・・・。ですが、正直アクセスもちょっと悪く、館内も建築家の独りよがりでしょうか、結果として段差が滅茶苦茶あって障害者や老人に苦労を強いていたような作りのかつての中央図書館より、かなり状況は改善されていたと思います。
で、今日はアンブリーチドチタニウムを画材屋さんで買いました。あっこはハンズと違って安くしてくれるので、ありがたいです・・・。
そういえば、京都で行方不明になった男の子の事件ですが、最悪な形で終わりましたね・・・。もう・・・。で、新聞を読んでいた時に、「なんでそこで同情を誘うような事を新聞は書くのか?」と思いました。近隣住民の「あんなにいい子だったのに」みたいなインタビューって必要ですか?どうもなんか日本の報道は、余計で感傷的な修飾をしてくるから嫌だな・・・と・・・。「史上最悪の」とか「凍てつく被災地」とか・・・ね・・・。
こういう被害者が「普通」の「善人」だという前提(だから殺されてはいけない)を刷り込むような姿勢が、東電OL殺人事件における、被害者のプライベートを面白おかしく暴露するようなやり方を支えてしまっているかもしれないし、ただ事実だけを淡々と報道するような感じにならないかと・・・考えています・・・。
ちょっと・・・アレをモデルにした絵を描きたくて・・・デジタルで構想を練っています。それから大学ノートでも・・・。大学・・・ダブりたくないという目的だけに、必死でノートを取っていたという情けない学生生活・・・。
そういや、よく「なぜ勉強しなくちゃいけないの?」という問いにどう答えるか?が話題になりますが、そこで功利的なアンサーをどう出すかがかなり(知恵袋風に書けば)ベストアンサーの上位に上がっているように見えます。ですが、何か生存バイアスじみてて(正直)嫌になるな・・・と思ったりするのです。
まぁ・・・ドラえもんの「ありがたみわかり機」の話ではないですが、教育のみならず衣食住みたいに当たり前だと思って享受しているものは、中々消失した時の事は想像しにくいものです。ですが、世の中には外国からの侵略や内戦等で勉強どころではなく、学校に行きたくても行けない子供達が沢山おり、日本でも経済面や学力面、障害等で「高等な教育」を受けられなかった人達が大勢存在します。
だからこそ、取ってつけたように勉強や教育のメリットを手取り足取りで教える事だけでなく、自分が有している環境の有難さ・・・みたいなものに目を向けてみるのも、「なぜ勉強しなくちゃいけないの?」に対する重大なアンサーなのかもしれない・・・そう思っています・・・。サンデル氏の『実力も運のうち:能力主義は正義か?』でも同じような事は語られとったと思うしなぁ・・・。
今日はF20号のキャンバスを画材屋さんで買いました。やっぱハンズより安いです・・・。
それから、『くいなちゃんはゾンビ!』という児童書を楽しみにしています。小学生で(見方によっては)あれほど苛烈な運命を背負わされた少女がどうなるのか・・・。なんか色々考えます・・・。
線画をやったが・・・果たして「アレ」に間に合うのか・・・?
まだ手続きもやってないが・・・。
なんか月曜日に役所あたりに行ってみたいと思います。もうしてるのにあの書類が来てるんで・・・。
夢乃 ひいろ氏の児童書『ともだち弁護士リッカ!:転校生は正義のミカタ!?』を読みました。弁護士志望の六法 律花は常にミニ六法全書を持ち歩くスーパー少女。転校先の小学校で持ち上がる、呪いの手紙や宿題代行サービスに絡んだ事件を、学級裁判として解決していきます。学級裁判といっても、まだまだ未熟な子供同士のやる事なので、そこら辺の美化が一方的に行われず、ちゃんと作中で先生によるストッパーがかけられたり、作者である夢乃氏があとがきで注意喚起を行っている事に、好感が持てました。それと、裁判の意義を勘違いした子供達が相手をつるし上げる手段と勘違いしているシーンも、現実における上級国民とか少年犯罪とかいったネット民の反応を見ているようで、ドキッとさせられました。
そういう所から、宿題代行サービスのエピソードでも、弁護士はただ弱者に寄り添うだけの人間ではなく、悪を成した(とされる)人間にもちゃんと弁護される権利があるという、司法の平等を静かに語っていてよかったです。
ですが・・・私はここでも、重要な事を子供に任せたくない・・・的な事を書きましたが、本書でもいえる事だと思います。私も「12人の怒れる男」を観たり『サマヨイザクラ』とか『しょせん他人事ですから』とかいった漫画を読んだりしてるし、また他にも少年犯罪系のノンフィクションを読んだりしているからか、基本的に裁判というのは誰かの私情抜きで行われるべきものであり、その分全員が社会的に大きな責任と(場合によっては)心理的な傷を負うような、かなり容赦のない「手続き」です。だからこそ、現実においては弱者に寄り添い、悪を糺すなんてわかりやすいストーリーなんてあるわけでもなく、たとえ何らかの被害者が勝訴したとしても、カタルシスなど存在しない事が殆どです。
果たしてそんな事をまだまだキャパシティーの浅い子供に背負わせることをやっていいのか・・・裁判を勧善懲悪のエンタメとして単純化していいのか・・・そういう疑問も拭えませんでした・・・。面白かったのは事実なんですが・・・。 でも、自分が被告人だったら嫌かな・・・と・・・だって作中でリッカの扱う案件はホントに軽いものだし、もっと重たい案件だと、PTSDになって仕事できなくなるかもしれないじゃん・・・?だから「大人に任せる」っていうのはそういう意味だと・・・。
飛行機の方が、新幹線より2倍くらいのスピードを出しているはずなのに、かなり遅めに感じるのは不思議だなと・・・。それと、高度2万メートルはコンコルドしか飛べないものだと思っていましたが、「普通」の旅客機でもできるんですね・・・・・・。機長さんのアナウンスで初めてわかりました・・・・。
それと、広島空港の定食屋さんが無くなっていたのは、ちょっとショックでした。よく食べてたのにな・・・・・・。
何か、予算が足りるかどうか・・・という懸念がありますが、大丈夫でしょう(笑)
ちゃんと何とかします。明日はまた早朝に起きないとヤバいから、これ位にしときますね・・・。
そういえば、こきち先生の『えんじぇるめいと』ですが・・・やっぱり、何かもうちょっと・・・とは思います・・・。何か母親(だけ)が病んでるというのも、ジェンダー的なステレオタイプを感じるしなぁ・・・。
こきち先生の『えんじぇるめいと』の5巻、つまり最終巻を読みましたが・・・やっぱり、んとの自殺以外では・・・というかすかな希望もありましたが、どうも何か、子供が死ぬというセンシティブな題材を、上手く消化しきれていない・・・という感じが拭えない感じでした。河原 和音先生が帯で「名作」と推薦されていましたが、のわやんとの世界の対極にある、現世のリアリティがうまく描き切れていないというか・・・。
『えんじぇるめいと』の、にあにのわが拉致された後の最終局面を読んで、善意ありきだと誰かに利用され、付け込まれるという世の中の世知辛さを描いた上で、類型的な逆張りに逃げるのではなく、だからこそ善人は報われるべきだという、こきち先生の考え自体は理解できます。プライベートでも祖母の死に関してそういう事、色々考えてましたし。 だからこそ、今どきの作品がやっているような露悪に堕す事なく、純粋な善人がきちんと報われるという描き方は、結構良かったと思います。ちゃんとのわも「やられっぱなし」のキャラじゃなくて、にあにきちんと反論してましたし。
でも、やっぱり・・・という考えがあるのも事実でした。
最近、(これはちょっと申し訳ないなと思いますし、震災に対してのああいう描き方も好きじゃないですが)今日 マチ子先生の『るすばん猫きなこ』をウェブ上で読んだので、やっぱりこきち先生は、デリケートな話をセンセーショナリズムありきで済ませているのではないか ・・・?そういう思いがあり、ページ横の空白に書かれたコラムみたいなものを読んで、私の思いは確信に変わりました。
何か、 虐待とか処刑とか殺人とか、軽々しくいい過ぎやしません・・・?そこからなんか連想ゲームを勧めるのって、流石に痛みがないというか・・・。子供が対象なら尚更だよ・・・。
『るすばん猫きなこ』に限った話ではないですが、ただ対象を生々しくなぞり、リアリティを容赦なく共有させる事が逆に作者のお説教としてしか機能していない部分もあり、必ずしもいい事ではないと思います。ですが、そういう姿勢がなければ当事者を粗末に扱うような表現になってしまい、結果として『えんじぇるめいと』はのわの遺族やカウンセラーの描き方も、リサーチをせずに思いつきで処理してしまっている・・・という感が拭えませんでした。
すみません・・・ なんか前作の『るるてる』が面白かっただけに、何かかなり『えんじぇるめいと』には思う事が色々あったので・・・。
そういえば、ちょっと前にやまもと ふみ氏の児童書『桜井くんはお医者さん!!:天才ドクターは小学生!?』を読みました。
内容的にはかなり面白かったです。医大をもう卒業し、医療免許まで持っている(!!)小学生の桜井 奏多が医療絡みの問題を色々解決していく話で、主人公の少女三咲 花音との絡みも微笑ましいものがありましたし。
で、作中で奏多は同じ父親である医者から、そのままでは医者をやらせないといわれ、ノルマを課されていました。これはやまもと氏があとがきでも指摘されていた事ですが、まだ子供の段階で、18年分くらいの学業を一瞬で駆け抜けた彼には足りないものが多くあります。だからこそ、父親は奏多に「足りないもの」を補完するためのノルマを課していたのです。
ここで、フィクションに現実を持ち込んではいけないとは思いますが、プライベートな話に照らし合わせ、もし医者として職業的な信用と責任を負っている小学生がいたとしても、私が診察や医療を受けたいか・・・?という話をしたいです。
すみません、答えは「NO」です。
現実問題、いくら学業を積み、医療免許みたいな職業的信用を得ていたとしても、実際に医療活動というのは肉体的なキャパやそれに伴う年齢的成熟も必要になってきます。内科にしろ外科にしろ、学力というソフトウェアだけでなく、体力というハードウェア適正もなければ、人の命を預かる事は成立しません。実際、注射にしろ手術にしろ、(奏多みたいな)小学生が長時間ぶっ通しでその問題と向き合いながら仕事ができるのか?思わぬアクシデントに対しての対応能力はあるのか?休日返上で体調が急変した患者の為に働けるのか?そこら辺を考えれば、私は知識にプラスしてハードウェア関係の経験則にも長ける、成熟した大人に身を預けたいと考えていて・・・。
命を預かる意味で・・・という事を考えれば、医者だけではなく、電車やバスの運転者や飛行機のパイロットにもいえる事なんですが・・・。正直、いくら免許を取得したといわれても 、小学生が機長の飛行機には乗りたくないです・・・。
すみません、本作をディスるような話になってしまって・・・とは思いますが、ちょっとその辺りで考えさせられてしまったので・・・プライベートな事で・・・。
自分も絵を描く以上は、時事ネタとかちょくちょく入りますが、以下の事はできるだけ守っていきたいと思います。
1.みんなが騒いでいる事にそのまま便乗しない。
2.みんなが注目している(レッドオーシャン化)こと以外の問題に、あえて目を向ける。
3.問題に対して、あざとい感傷や同情を強要するような表現、もしくはこれ見よがしに実態や現実をなぞる事に終始するような表現は避ける。
4.問題に対して、「バルス祭り」のような姿勢は控える。
・・・まぁ、今はこの程度ですかね・・・。ていうか絵を描くテクニックはどーなんだよ・・・という話ですが・・・。何か自分が今の政権批判とか反戦メッセージ、つまり社会性高そうな思想に基づく作品制作に乗れない理由が、ここに書いてありました・・・。 私自身の考えだと、忘れるというよりかは、瞬時に反射してそれだけが問題の典型例にされ、それだけコミットしてれば誰かに同情できたつもりになっているというあの空気・・・個人的に好きじゃないので・・・。この文章の3の項目はまさにそれだし、重要視してるなと・・・。
で、「バルス祭り」と書きましたが・・・もう控えます。自分自身で頑張っていくしかないんですし・・・。
もう、ある事が残り少なくなってきたので、緊張が高まっています・・・。遅れないようにしないと・・・。ていうか何でeチケットを廃止したのか・・・。
話は変わりますが、あの赤飯の話は、ちょっと考えちゃいますよね・・・。
不謹慎を承知でいうなら、俺だって(神戸の高校で起きた)校門圧死事件の日に生まれとるわけだしな・・・。
東急ハンズでチタニウムホワイトを買おうとした所・・・無かったので、泣く泣く他の店で小さい奴を買いました。持つかな・・・?
で、最近iPadで主線なしの絵にトライしています。普段のキャンバス画と合わせたいので・・・。 そこら辺が手抜きみたいな事にならんよう、頑張らな・・・。
今、色々とめんどい作業をしています。やっぱりアップルですよアップル・・・。
そういや、とある児童文学作家をされてる方のnoteを見て、絶句しました。だって、『みい山』をそういう意味で出すとか・・・大体商売の対象が対象だけに、そんなどぎついもん出すなよ・・・と正直思いました。しかもあの、相手を動物に例えて対処する本もうっすらアゲとったしな・・・。
なんかそこら辺で無思慮な子供向けクリエイターをチラホラ見かけますが、そういう場合は容赦なく線引きさせて頂きます。
その児童文学作家の方の話には続きがあって、まぁなんか10台の時に痴漢に遭い、手帳を持ってる人だから降ろせないとバスの運転手にいわれたみたいで、結構回りくどくて主題が分かりにくい文章だったんですけど(それは私だって酷い文章をここで書き散らしてるので、お互い様です)、結局口当たりのいい話より、いいにくい話とか不都合な事に真実があり、知る努力をしようぜ・・・という話でよかったんでしょうか?
まぁね・・・何か知的障害者とか性犯罪とか、ああいうのって悪口の対象になりがちですけど、正直にいやぁ抑制のきかん奴や迷惑かける人なんて、「健常」な人の場合だってあるのになぜ「知的・精神」障害者がターゲットになりやすいんでしょうか?例えば、「ガン患者がレイプ=ガン患者は何をするかわからない」みたいな話は出ませんよね?ここに、情報通ぶりながらクルド人や難民の「不都合な真実」をネットでペラペラ喋りながら、(主に)沖縄の米軍や米兵が度々起こす問題や事故には、何もいわんような卑劣性を感じます。
そして・・・読解能力の悪さがそうしているかもしれないので、もしかしたら読み方が間違っていて、だったらすみませんとは思いますが、noteの記事を見ると、「建前だけじゃなくてある程度は本音(ある程度は夢をあきらめる事、面倒な人にメンタル壊された、障害者から痴漢に遭ったという「真実」をベースに)も必要じゃないの?」みたいな感じで、まぁ専門学校関係の部分は半分くらいは頷けたんですよ。でも、(障害の絡んだ)デリケートな話はどこでもいやぁいいってもんじゃないと思います。そういう人たちは「いいたい事もいえない世の中になって息苦しい」といいますが、(かなり下品な例えになりますが)私には「野糞も立小便も気楽にできない世の中になった」とこぼしているように見えます。
これはモーリー・ロバートソン氏も『挑発的ニッポン革命論:煽動の時代を生き抜け』という本で指摘していた事ですが、誰もがインターネットでこれまでタブーとされていた領域、つまり聖域を犯せる権利を行使した結果、その対価として反撃を食らう状況に置かれるのは当然の事でしょう。だから、「いいたい事をいって」「いいたい事をいわれる」というのは本人がリベラルな正義や善意に口をふさがれているのではなく、言論の自由における自業自得の結果なのです。
さっぱりまとまらん文章になってしまいましたが、もう直す気力もねぇ・・・プライベート関係で、書かないけんものもちょっとあるしな・・・。
ずっと前に、堺屋 太一氏の『油断!』という小説を読んだ事がありますが、まさに現状況でだと思います・・・。
だから今回の騒動に関しては、純粋に「NO WAR」という叫びの裏に、自分たちの生活が脅かされたり、自国が戦禍に巻き込まれるのは嫌というエゴイズムもないか・・・と邪推しております。最も、憲法9条に基づく反戦論にも、感じるものは色々とあるのですが・・・。
そういえば、WORDを使う際にわけのわからんポップアップが出るようになりました。マイクロソフトの皆さんは、果たして自分が開発したソフトウェアを使った事があるのでしょうか・・・?アップルは無理やり使わせてどうこうという事がないので、遥かにマシといえます・・・。
3連休は、正直こちらには関係ありませんでした。
でも、他の日は休めるから・・・。
そういや今日は雨が降り始め、傘を持っていませんでしたが何とか切り抜けました。大した雨量じゃなかったし・・・。
※パソコン関係のトラブルにより、ネットが使えない状態が2日間続いていたので、本日による更新となります。失敗はともかく、予定より遅れるんだったらほっぽいとくんじゃなくて、事前にちゃんと連絡はしてください・・・という気分です・・・。
正直にいうと、私は戦争行為を(基本的に)「ハイリスク・ローリターンの政策」と考えています。
だからこそ、行う人間には相応しいTPOと責任能力が求められるわけですが、ホワイトハウスがこうした事にゲームや漫画の画像を使って自慢気にアピールする事自体が、異常だと思いますし、そんな程度の(軽薄な)認識しかない首脳部に、武力で相手を糺す資格などあるのでしょうか? ブッシュ氏やオバマ氏だって、最低限の品位は守ってたような気がするよ・・・だからといって、イラクへの濡れ衣(に基づく侵攻)やドローン爆撃の民間人巻き添えは絶対に許されない事ですが・・・。
そこでまた、正直な話ですが、正直日本におけるイラン関係の反戦運動にも色々感じるところはあります。確かに日本も戦争に巻き込まれるリスクはあるのですが、この状況で自分達さえ無事なら果たしていいのか?憲法9条を持ち出し、反戦を声高に表明する事が戦禍に晒された当事者を逆に抹消してはいないか?というモヤモヤがかなりあります。
でもね・・・こんな事態になってもみんな、本当の意味できちんと向き合う事ができとるんかいな?とは思うし、相変わらず表面的な高市政権への罵詈雑言を見てると、絶望的な気分になります・・・。ネットのぬるま湯でそうした権利と自由が保障されている限り、たとえ最悪の事態になっても気づける人って、どれほどいるんじゃろーか・・・。
Xで、「改憲される前にリアルで有事が迫ってきて良かったのかもしれない、国民の多くが『9条があってよかった』と思えるから」みたいなポストを目にしました。元の文章は関西弁でしたが・・・。
・・・私も反戦のスタンスですが、正直、こういう反戦論にはアレな感情しか湧いてこない部分があります。では、アメリカの攻撃で死んだイランの人達は、護憲活動の為に死んでくれたでもいいたいのでしょうか?そういう無神経さを感じました。
こういう所で、敗戦からの被害者意識に基づく自国ファースト、つまり自分たちさえ戦争のリスクを回避できればOKみたいな反戦論は、日本にしぶとく根付いていると思います。上にイランの人達と書きましたが、 こうした犠牲すら(日本という)安全圏で「良かった」と評する所に、1945年以降、日本人の間で燻っていた反戦意識がずっと相続してきた病巣(あるいは、陥穽)みたいなものがあると感じています。
これ・・・堂々巡りだな・・・前にも同じ結論を出してるだろうし・・・。
でも・・・(かなりデリケートな言葉になりますが)「唯一の被爆国」とか、「東京大空襲」みたいな最強カードが国際社会においていくらでも切れるような状況が、特定の反戦論者への慢心を抱かせてしまっているのではないか・・・そう感じています・・・。
ああ・・・それと・・・ホルムズ海峡に艦船派遣とは・・・イラク戦争の時に日本社会を覆っていた不安を思い出しますね・・・。中学生の時でしたが・・・。
さとう まきこ氏の児童書『宇宙人のいる教室』では、クラスの粗暴な男子にいじめられていた被害者が、病弱な転校生を一緒になっていじめ出すというシビアな展開がありました。
そして、Xを見ている時に「まさにそれじゃね・・・?」というものを見て・・・。
何か、アフリカ大陸はなぜ援助を続けても発展しないのかという感じのポストで、そこに付いている引用リポストやリプライがほぼ黒人差別一色でした。生まれつきIQが低いとか先天的に劣ってるとか・・・それを日本人がやってるわけです。
日本人もアジア系の一環で、有色人種としてしばしば欧米(の白人)から人種差別のターゲットにされていたわけですが、同じ先進国という歪んだ優越感で差別している側に諂い、(これもあまり使いたくない表現ですが)後進国に罵詈雑言を向けているのは見るに堪えんな・・・と感じています。
なお、何らかの被害者が更に弱者をいじめる現実を描いたという点では、『ダンプのがらっぱち』という絵本が思い浮かびます。私だって同じ概念を抱いていないかといえば、「YES」という自信なんてありませんし、もっともらしい暴論に誘導されかけた事があります。
そうやってSNSという公道を暴走し、差別や誹謗中傷という「過積載」を繰り返していれば、いずれネットにおける自由というシャフトが折れる事になるのではないか・・・そんな懸念があります・・・。
最近、東武90000系の逆スラントのデザインが話題になっていますが、逆スラントの電車といえば、やっぱりこれじゃなかろうかと思うんですよ・・・。マルセイユ市電の車両ですが・・・。そこでLRTについて、旧来の高床車が来た時、ベビーカーを押した親や(車椅子に乗った)身体障害者の方々が、乗車を断念する姿を見る度に、色々とその意義を考えてしまいます・・・。昨日の文章で暴力団らしき人が隣に乗ったら席を立ったみたいな事を書いて、何たるNIMBYだと感じてます・・・。
で、今日はかなり最悪な目に遭いました。公衆トイレが・・・トレインスポッティング状態で・・・絶句しました・・・。 すぐ清掃員らしき人がホースを持って、トイレに向かってましたが・・・。お疲れ様です・・・。
何か・・・Xでホワイトハウス公式があんな動画を上げとったのを見て・・・ボーリングの奴ね・・・。
これ、一瞬誰かがブラックジョークとして制作した動画を、トランプ側が肯定と受け取って無断使用した・・・そう信じたかったです・・・でもそうじゃないらしい・・・。
これなら、末端の兵士はともかく、マジにとっていたブッシュJr.政権の方がまだましだったと思います。五十歩百歩である事は理解していますが、戦争行為を楽しむような軽薄さは、まだなかったのではないかと・・・。 特殊部隊による暗殺の繰り返しや、ドローン爆撃などを繰り返していたオバマ政権だって、まだ建前はきちんと守ってたのでは・・・?
で、話を変えますが、今日もまた「13日の金曜日」・・・でしたね・・・?
そのせいかは知りませんが、ちょっとプライベート関係で遅刻しました。私の携帯電話に連絡が入り、急いで行きました。まぁ・・・自分の自己管理が甘かったんだな(汗)
一昨日ぐらい、電車に乗っていると、隣に二人の男性が立っていて、その内の一人が暴力団に入っているみたいな事をいい出し、私の隣に座りました。私は思わず隣の席に移動したんですね。大学ノートに絵を書いていたし、それに目をつけらたら嫌だったので・・・。でも、当たり前とは思いませんでした。『ステイホーム』でガラの悪いネグレクト姉妹を拒絶する事をるるこは「あたりまえでしょ」と結論づけましたが、さんざん人権性の高い事をいいながら、本音で行動した自分への羞恥心がありました。
まぁ・・・新堂 冬樹氏の小説だって読んでるのに・・・この小市民的なザマは・・・。
で、昨日黙祷に関してあれこれお気持ちを書き、私は「分かりやすさの戦い」といったわけですが、語弊を恐れずにいえば、京都アニメーションの放火事件にあれほど同情と義援金が集まり、後に発生した北新地の放火事件がそれ程話題にならなかったのはなぜなのか、ロシアがウクライナに侵攻に反戦の声が次々と上がる中、今まで中東やアフリカの紛争には塩対応(無関心)ではなかったのかとか、アレ・・・つまり3月11日前後に大きくなる声の力量は同じだと感じるんですよ・・・。当事者ならともかく・・・。
だから、そういう中でうまく立ち回ってみんながスタンスを表明する事に、ちょっと違和感を抱いてるんですよね・・・被災者でもない自分がこんな事かくのはおこがましいとは百も承知ですが、やっぱり戦うとすれば原発でも震災そのものでもなく「分かりやすさ」・・・だと思うんですよ・・・。
PCから、SSDを出しています。これを他のPCに付け替えるのです・・・。
そういえば、黙禱についてですが、ここは広島に限って話をしますね。
黙祷は、正直していません。だったら、他の戦災の日時にやるのか・・・覚えてるのか・・・という話であって・・・。東京大空襲以外でも、空襲はあったわけで・・・。まぁ、首都を標的にした絨毯爆撃に、史上初の核兵器の実戦使用というわかりやすいインパクトが、他の戦災の記憶を都合よく抹消してないか・・・?とか思ったり・・・。
結局、広島以外の話になっちゃいますが、アレ関係でも、14時46分に黙禱した人は結構いるんじゃないでしょうか?ですが・・・熊本地震や西日本豪雨とかは、正直どうなんかね・・・とひっそり思います・・・。能登半島地震だって、バラエティ番組の再開って、結構早かったような気がするし・・・。そりゃ単純な被害の規模を考えりゃそうなるのかもしれんが・・・。
西日本豪雨・・・あれで大学の先生が、自宅の浸水でデータがパーになったとネットの記事でいわれとったな・・・。専攻が違ったから会ってないけど・・・。
まぁ、これは分かりやすさとの戦いがメインになっていると思います。個人的には・・・だからアレでも正直黙祷はしなかったです・・・すみませんが・・・8月20日でも黙祷はせんかったしな・・・。2014年に地元で土砂災害があった日です・・・。
ずっと前に、引っ越しの為に売っていた精密ドライバーセットを、東急ハンズで買い直しました。これで痒い所に手が届いたぞ・・・!
で、最近・・・もうクロッキー帳ではなく、大学ノートに構想を描いている始末ですが、何かキャンバスに出力する価値のある絵って・・・一体何なんだよ?と悩んでいます・・・。
いつも通り、線無しの少女画をやろうか・・・と考えていますが、逃げとも感じていますし・・・。この絵でアレにも出してみたいしね・・・。
広島で出したやつも、東京に出してみりゃ・・・とも感じています・・・。
昨日、XとBlueskyにおける漫画の感想を比較して検索してみたんですが、ちょっと・・・余りの内容の違いに衝撃を受けていて・・・。まるで、朝日と産経を同時に読んだような感じです・・・。産経・・・もう読んでないし・・・。朝日なら時々読むけど・・・。
で、最近はプリンタのインク買おうかな・・・と思っています・・・。まだ機能してるけど、ギリギリです・・・シアンがね・・・。
そういえば・・・とあるポストで、『みいちゃんと山田さん』より『どんぐりの家』が読まれて欲しいというポストがありましたけど、あれって全く別物だと思うし、『みいちゃんと山田さん』で発達障害者や知的障害者を「勉強」した人にはわからんでしょ・・・と思います。
これもネットの加害欲求に基づく規制緩和が、表現の自由で行われ続けた結果じゃ・・・。 いいたかないけど、小学校の時ですら、図書室にあった『どんぐりの家』がヘイトの標的になっていた事を考えれば・・・。
今日は・・・あの日だったので、ちょっと嬉しかったです。
これでホテル代を払える・・・。
ですが・・・オンラインチェックインというのはどうなんでしょうか・・・何でもかんでもスマホ優先にしとったら・・・どっかでしっぺ返しが来るような気がします ・・・。
昔のように、QRコード印刷じゃダメなのか・・・?
今日、電車に乗ってて・・・衝撃を受けました。
そうですか・・・でも、心配じゃないですか・・・これからどうするのか・・・。
まぁ、これ以上踏みこめば要らんお節介になるし・・・。
そういえば、花 千世子氏の『とっとと成仏してください!』という児童書を全巻揃えました。
作者さんのnoteも読みましたが、やっぱり創作は厳しい世界じゃ・・・。
また、13日の金曜日があますね・・・。
まぁ、アレ関係でどうなんかと思って税理士さんに相談したら、問題は無いとの事で安心しました・・・。ギリですみません・・・どうせ赤字だしな・・・。
何か創作のエンジンがかからんからキツいです・・・というか、アイデアが頭の中に増殖しすぎて、どっから手を付けていいのかわからん状況です・・・。
まぁ・・・4月に向けて、色々と準備をしていきたいと思います。
原宿まで片道50分はキツいが、ちゃんとした約束ですから・・・。
それと、宿がきちんととれんかった自分の責任でもあるし・・・。
話は変わりますが、『みいちゃんと山田さん』にまつわるレビューですが、色々精神に黒いものがかかりますね・・・ああいうの・・・。まぁ、あんまし触ったらいけんと思うし、表現の自由があるんだからやる所までやればいいとは個人的には感じますけど、なんかネットのヘイト寄りのコンテンツにカタギのメディア(出版社)が乗るのもどうなんよ・・・?とも・・・。
だってですよ・・・?Xで本作品のレビュー見たら、本気で障害者から人権が剥奪され、断種措置が行われない事に本気で傷ついている人間が滅茶苦茶おって・・・こういう付帯被害が発生するような状況にまで知名度が上がってる事態に対し、やってる方はダンマリを決めこんでいいんか・・・?そう思います・・・。
何か、最近社会や個人の抱えるセンシティブな問題を、(自分も30代なんで人のこといえませんし、みい山だけの問題じゃないと思いますが)、ネット受けする若手クリエイターが何も考えずに、Xの差別案件に便乗してバズって、それが社会的に許されん話かどうかも精査せず、そこに出版社が声をかけて・・・みたいな構図がありませんか?何か最近のオタクカルチャーのモラルハザードにどう対応していいんか・・・ちょっと、暗澹たる気分ですね・・・。
最近、また東京へ行こうか・・・みたいな話になってるので、飛行機にするのか新幹線にするのか、どっちかにせい!という感じになっています。
それとホテルですが、どうしても藤沢あたりに・・・となっちゃいますよね・・・。小田急で50分くらいだよ、あそこまで・・・快速急行ですけど・・・。
で、飛行機の話に戻りますが・・・今だと3万以内で済むという魔のささやきが、ずっと脳内でこだましています・・・。でも・・・羽田と比べれば、ガチでアクセスがムズいんですよ、広島空港は・・・。位置もアレなんで、パイロットも結構離着陸の時に気を遣うみたいだしな・・・。
そういえば、『ハッピー・クローバー!』という児童書を読んでますけど、(文脈とジャンルが180度違うから当然っちゃ当然なんですが)『みいちゃんと山田さん』みたいに、障害者を害悪として叩いて溜飲を下げる人達が殆ど群がってこないんで、語弊を恐れずに敢えて書きますが、ホント児童書は治安がいいな・・・と感じています・・・。
なんかインターネットスラムのアレな風潮に、虎の威を借りてるような後ろめたさはありますけどね・・・。
ここでも、『ハッピー・クローバー!』という児童書の感想を書きましたが、やっぱりこういう意味で児童書界隈って、本当に治安がいいな・・・と感じています。勿論、悪い部分はありますが、障害児を書いたからって、嗜虐的な事いったり植松チルドレンみたいな存在が来る事って、まずないから・・・。もうWEB漫画(書籍化されたものも含む)とかの障害者語りなんて、ホント地獄だろ・・・と感じてる今日です・・・。
そういえば、3連休なんて関係ありませんでした。職場はシフト制で、平日も休み・・・という事があるので・・・。
高田 由紀子氏の児童書『ハッピー・クローバー!』を読みました。そして、ゆうこ氏のイラストに惹かれた・・・という事もあったのですが・・・。
何か、サッカーが好きで背が高く、ボーイッシュな少女の高城 あおばが通う小学校に、ダウン症の姉、朝井 実里を持つきょうだい児の風花が転校してきます。そこで、実里と関わっていく内に(男子や母親から)「女の子らしさ」を押しつけられる自分を意識し始めるのですが・・・。
『ハッピー・クローバー!』ではこの手の作品(『ぼくのお姉さん』や『ワンダー』等)が必ず語る、障害者差別やいじめなどの問題が提起されています。ジョージ・エストライク氏の『あなたが消された未来:テクノロジーと優生思想の売り込みについて』という本で、知的障害を公共メディアで侮辱するような「知恵遅れジョーク」が指摘されていましたが、それは日本も例外ではないという事です。 本作ではヒールとして教育パパに抑圧されている西野が設定されていましたが、もっと社会の根本的な部分に、差別の土壌があるはずだと思いました。
だからといって、『ハッピー・クローバー!』は押しつけがましい告発や説教にならず、楽しく読みながら障害者と健常者が抱えるものはある程度は平等で、だからこそお互いを尊重しなくてはならないという事が、自然と学べる児童書でした。そこがいい意味で、(ゆうこ氏のイラストとあわせ)一番児童書らしいと思ったのですが・・・。
なお、一般流通しているメディアでも、(以前は名前を伏せていましたが)『アホガール』や『みいちゃんと山田さん』のように、障害者を害悪として書き、又は弱者を障害者としてディスるような漫画やアニメが氾濫しています。
実里の障害(に基づく知的発達の遅さ)をバカにした西野は、その一環だったのではないか・・・そう推測しています・・・。
こないだJRに乗ってると、駅に着いた時に中学1年生くらいの男の子が、何かを落として降りようとしていました。で、何気なくそれを見た瞬間・・・マイナンバーカードじゃん、それは!!で、私は慌てて男の子に声をかけ、マイナンバーカードを渡しました。
でもね・・・。彼の反応は、至極当然だったという感じなんで、それが拾った人間に対する態度か?と正直感じました。「あ、オレのです・・・」みたいな感じだったので・・・。
大体、保険証の機能もついてるかもしれないし、失くしたら大問題じゃないですか。マイナンバーカードってのは。だからもっと焦燥感を出せよ!と・・・。まぁ、都合のいい被害者像を求めすぎですよね・・・こっちも・・・。
まぁ、キャッシュカード紛失はあるけど、さすがにマイナンバーカード紛失は無いなと、私は認識しています・・・。
ちょっと前に、Xのポストで自分の家は転勤族だったから故郷がある人の憧憬や執心がわからない・・・みたいなポストがあって、何かタイミングを狙って人を怒らしたいんだな・・・?と思いました。そういうので自殺したりPTSDになったりする人が、何人もいる事態は知ってるはずだし、確信犯的にやってるのか・・・?と・・・。小学生ですら最低限の想像力を持ち合わせとるのに・・・。アレじゃなくとも能登半島地震だってそうでしょう・・・最近の例では・・・。
自分の生活だってプライベートでも出展でも色々アレに頼ってる部分があるから罪悪感は感じてるけど、全部を背負ってたら到底持ちません。夜更かしした事も、エアコンつけっぱにした事もありますし。でも、背景に「アイ・ラヴ・トーキョー。」と書かれた画像を使ってるんならちょっとは考えろよ・・・と思ったりするんですよ・・・。
まぁ・・・香山 リカ氏も何か自分の本で指摘しとったけど、「自分の個人的な痛みは人一倍理解してほしい癖に、他人の痛みには無関心な風潮」の一環なんじゃないか・・・これは・・・。
何か『ヒロシマ 消えたかぞく』でも原爆の被害で一家が死滅して、家族の後追い自殺をした母親がいましたが、「自分は独身だから、家族に対する絆とか愛情が無いと生きていけない人の気持ちがわかんないや」といってるようなもんだぞ・・・アレは・・・と思いましてね・・・。
まぁ・・・予知夢なんてものは偶然かこじつけ(ジェーン・ディクソン効果)だと思いますが、列車事故を間近で見る夢を見ましてね・・・夕べ・・・。なんか生々しかったな・・・。衝撃音もアレだったし・・・。だからといって乗らんという選択肢は無いですよ・・・。公共交通機関がないと、生きていけんし・・・。
で、最近また地獄堂霊界通信の漫画版を読んでいます。最初は違和感があったのですが、もうみもり先生の絵に慣れてしまって・・・それどころか好きになってる・・・(笑)まぁ、最新刊は、ああいう話でしたが、原作のハードカバー版、つまり『ワルガキ、最悪の危機』(のあとがき)で香月 日輪氏が池田小学校事件や同時多発テロを引き合いに出して、武勇伝みたいな事を書いてたのは未だに怒りが燻っています。犠牲者に対して余りにも失礼すぎるんじゃないか・・・?と・・・。
あれだけセンシティブな事でもきちんと児童書として書ける作家さんが、どうしてあれだけ尊大な態度を取り続けていたのか・・・そこだけが、苛立ちの原因だったりするんですよね・・・。
しめ子先生の『ふたごチャレンジ!』(原作:七都 にい氏)2巻を無事に買いました。
これで、最終巻という事で・・・まぁ、ネタバレ恐縮ながら、原作(つばさ文庫版)の1巻を要領よくまとめられたな・・・という感じです・・・。 で、私が一番見たかったもの・・・そう・・・豆田校長がどれだけ表情豊かに再現されているのか・・・という事で、期待どおりでした(笑)そして、北大路 鈴香と祖母の説得シーンも、あれでされると神々しい・・・!
そして、これから吉良 辰紅関連のイザコザとか、辻堂先生を守るホワイト革命に繋がっていくわけですが・・・これからの道のり(双葉姉弟に感情移入してしまい)を考えると、ちょっとしんどくなっちゃいますが、これから出る11巻を楽しみにしています・・・! 俺も・・・実はリクエストを送ったのだ・・・(汗)大きいお友達として、場違いな事をしたかもしれん・・・。
で、七都氏があの拙い要望にこたえてくれたかは、買って確かめます・・・。
まぁ・・・Blueskyを始めてから、アドビ参入のアレを見るにあたり、「こりゃマイクロソフトでも、グーグルでもそーなるんじゃ・・・」という思いはあります。AI推しならそうなるというか・・・。自分もAI利用を強要してくる機能に最初はキレそうになっていましたが、今ではその波に呑まれている部分もあるわけで・・・だって実質便利ですもん・・・GPTはともかく、ClaudeとかGeminiだって・・・。
それで、思い出したようにアドビのアレコレをBlueskyで検索してみて、最初は自分も「ある程度は仕方ないじゃん」と思ってました。ですが、Xの治安を嫌いながら、あの死体蹴りに参加する事を嬉々として正当化し、あまつさえそれに参加できなかったことを悔やむなんて、一体どの口がと、正直感じています。だから、こういう事が極めて少ないというのはかなり悲しい現実ですが、ホッとしています・・・。みもりんか氏のポストなんですがね・・・。
テガキも考えましたけど、コンセプト自体は好きですが、あの馴れ合いみたいなもんが正直嫌だし、メンテンナンス中という事でどうしよかねーと考えてます・・・。
まぁ・・・犯罪なんかじゃない、しょーもないケアレスミスですが、ちゃんとやっとったことをやってないみたいになってたんですよね・・・。まぁ、そこはお互いさまという事で・・・。
まぁ・・・もう他にお絵描き専用のSNSはないんかな・・・と思って探してます・・・。まぁ、見つけたっちゃ見つけたんですけど、反生成AIみたいなものを過剰に神聖視してるのもね・・・と感じています・・・。
で、Blueskyなんですが、AI使用を堂々と公言してる人っているんだなーと感じました・・・。
15年くらい前の話、怪談えほんというものが刊行されて注目を浴び、そこからJホラー的な絵本が次々刊行されるにあたりました。怪談えほんの特設サイトを見るにあたり、お決まりの「子供にはショックや恐怖を与えてナンボ」という美辞麗句のもと、幼児にホラーを与える事をタブー視する「良識派」という藁人形を作り、勝手に対立構造の被害者として振舞っている・・・そういう典型的な(表現者特有の無責任な)特権意識だけが独り歩きしている一部という感じはしました。
こういう話って、基本的に生存バイアスで構築されていて、これは多分、五味 太郎氏も『大人問題 』あたりで皮肉っていたと思いますが、「文化」とか「芸術」とかいう大義名分がついた瞬間、多くのクリエイターが社会的責任に苛まれている被害者として振舞い、一番気をつけなければならない子供にすら、表現者ファーストで勝手な振る舞いすら要求してくるのは何故なのでしょうか?普通ならAVや「テリファー」みたいなものは子供に観せるべきではないというのは常識なのに、その規制緩和こそ正義だといわんばかりの空気って、一部の表現者界隈にありませんか・・・?
個人的な感想ながら、こうした怪談えほんの特設サイトの主張のような、「大人が子供に対して本気を出した」事自体が目的化する中で、本当に良質な子供向けホラーというものは、(ああいう美談では矮小化されがちな)こうした意見もちゃんと鑑みれるような姿勢の作品づくりではないでしょうか? 彼らの中では、リンク先のポストで原爆被害のドキュメンタリーを観た少女が心理的に疲弊した事すらも、「成長の機会」として歪曲されると思いますが・・・。
何かああいう空気を見てると、初心者をボコって楽しむ格ゲーマニアを見てるようで、何か正直嫌だなーと感じています。自分だって中学生の頃にいとこたちが家に遊びにきた時、「電脳戦機 バーチャロン マーズ」で遊ぶことになり、上のいとこが一番下の子も遊ぶので「(VOXリー&ルーみたいな)弱い機体で手加減してやれ」 と注意された事がありました。要は子供への手加減が軽視されてる状況(ダークな描写への規制緩和賛成)は何なのかと考えてるわけであって・・・。
それと刊行されたのは2011年、震災や原発事故の空気を読む事すら自分の活動への被害として受け止めるとか・・・あの時子供達が感じていた不安とショックすら想像して弁える事も疎外というのなら、クリエイターの独り善がりといわれても仕方ないとうっすら思います・・・。これは時折センシティブな作品を制作している自分への自戒もあるのですが・・・。
今日は特に何もなかったです。
ですが・・・久々に写真用紙を使いました。結構緊張しますね・・・ああいうデリケートな高級紙を使う時は・・・。普通のコピー用紙とは違いますから・・・。
結局、印刷には成功しました・・・よかった・・・。
公式サイトの方に、拙作の画像をちょっと追加しました。詳細はこちらをどうぞ。
なお、多少センシティブな表現があるので、注意してください。
そういえば、トラウマ児童文学といえる作品がしばしば、X上(もしくは復刊ドットコム)で話題になって復刊されたりする事がありますが、逆張り人間の自分としては、何かアレって純粋に不快感を覚えたとか、そういう所から批判になったりする事ってないのかな・・・とか思ったりします。何かあの一方的な礼賛には引っかかるものがあるので・・・。どういうのか、児童書において(子供に)残虐なものを見せて、その反応を面白がる社会不適合オタクの悪趣味だったり、(随分と前にも同じ記事にリンクを貼りましたが)こういう純粋な拒絶反応が、前者の生存バイアスにより排除されてないか・・・という違和感なんですよね・・・。
だからこそ、「トラウマ児童書」界隈は児童書の意義から大きくずれ、ただいい年をした児童書マニアの独り善がりななれ合いのダシとなっていないか・・・?そう思うのです・・・。
私も『ゆめのなかの殺人者』とか、『恐怖の13時間』とか小学生時代に読んでから、「何でこんなものを児童書として出すんだよ?」みたいに、純粋に嫌だったからいうんですが・・・。
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期日前投票に行きましたし、(ぶっちゃけ)中道改革連合支持ですが、個人的にまだ起きても無いような危機(「戦争が起きる!これから弱者が殺される!」等と)で騒ぎたて、自分が都合よく仕立てた仮想敵に罵詈雑言を浴びせるというのはもうXとBlueskyも同じだな・・・とぼんやり思います。Blueskyは直接的な暴言ではなく、それが遠回しな嫌味として同義のお気持ちを表明しているような感じがどんどんしてきてるし・・・。因みに、Adobeのアカウントにも酷い事やってませんでしたっけ・・・?
差別反対も戦争反対も結構ですが、「国民が愚かだから自民とか参政党みたいなものが支持される」という物語に耽っている限り、今後の見通しは暗いように思われます。
それと、芸能人が政治的発言をしていいのかどうか・・・ですが個人的にはこの記事が一番共感しました。 そうなんですよ・・・大体あの検察庁法改正の件だって、AKB48の総選挙のような(そうしてはいけないような状況で)見世物化が進んだだけで、記事の指摘通り、「感情的な応酬だけが残る、なんとも悲惨な光景」だったと記憶しています。それは森友・加計学園問題や原発の是非に関する激しい議論でも孕んでいた事ですが・・・。
ここからかなり誤解を招く表現になりますが、芸能人の政治的発言はマドンナ氏がトランプ大統領を名指しで批判した事や、セックス・ピストルズの痛烈な社会批判等といったものには、到底なれないし、性質も違うんじゃないか・・・と思います。
第一、(特に戦後の)日本はアメリカやイギリスのように戦って自由や民主主義を守り抜いたような国ではなく、「敗戦国」です。だからこそ、日本の民主主義社会は戦争そのものの忌避という自国中心の反戦意識や、(この度亡くなられた)モーリー・ロバートソン氏が指摘していたリーダーアレルギーのような責任概念なき被害者意識で醸造されてきた一面があると思うのです。だからこそ、リンク先の記事のように適当に高市氏やその政策を腐したり、もっともらしい「いっちょ噛み」をして誰を責任を引き受けず、「勇気ある発言」として発言そのものが本人の地位として機能した事しか残ってない・・・そんな惨状だと感じています。付け加えるなら、影響力のある「推し」なのに、そのフォロワーが社会にどういうコミットをするのかも本人への丸投げなので、結局政治が芸能ニュース化する事に手を貸してるんじゃないかとも・・・。
まぁ・・・私も政治的な作品をちょくちょく制作しているので、自戒としてこの公開日記で足りないお気持ちを吐き出させてもらった・・・そんな感じですね・・・。
アートコンプレックスセンター様にて開催中だった、森 水翔氏の個展「海辺のうさぎ、明日を見にいく」と、同じく清水 幹氏の個展「おどろ、おどろし」にお邪魔いたしました。
以下に、会場の様子をアップいたします。
「海辺のうさぎ、明日を見にいく」
「おどろ、おどろし」特に前者は大久野島(を象徴する)兎を題材したもので、開催者の森氏が主宰する絵本の原画がメインでした。私の出身地がテーマという事で、是非見ておかなければ・・・!という思いがあり、急遽東京行きを決めたのでした。そして、後者は同じリアリティながら、柔らかい雰囲気ではなく鬼気迫る何かを感じられて、二つとも動物をモチーフにしてるのに、対照的だなと思いました。特に、清水氏の作品ですが、爛々とした眼光をたたえて着物を着たニホンザルの絵が非常にインパクトに残りました。森氏が描かれる兎は、透明感のある自然の風景と併せて、澄んだ瞳でしたが・・・。
そして帰りは新幹線でしたが、いつものように京都まで来ると一安心・・・といった感じです。やっと日帰り圏内まで来れた・・・という謎の安心感があるのです(笑)
『月刊コミックアライブ』にて、角丸 柴朗先生の『りゅうとあまがみ』を読みました。
ウィルと流作、楼主にバレて二人とも、大ピンチ・・・!ですが、これ以上怒りや憎しみをストーリーとして続けなかった事に、一安心しています。やっぱり土壌が明るい系のグルメ漫画だし・・・逆に、そういう土壌(桐丘 さな先生の『大正処女御伽話』みたいに)が備わっていれば、いくらでもOKなんですが・・・。
で、ウィルは楼主を責めます。娼妓達の現実を知り、可哀そうではないかと。これは、現在でも通じるジレンマだと思うんですよ。楼主も反論していましたが、端から見て、「搾取と弱者」とみられる関係って、現代社会にもかなりあると思うんですよ。ですが、当事者にも尊厳があるわけで、アプローチのタイミングや問題提起などは、かなり迷うところだと思うのです・・・。
そこから・・・毎度おなじみのグルメネタで明るく話は締めくくられますが、8話が楽しみですね・・・。 新潟だけじゃなく、何かイギリスにも行きたくなっているし・・・。
昨日の文章で、実際に忙しくなりましたが、まぁ楽しみ(旅行で1泊2日)なのでね・・・。
で、行きは夜行バスだったのですが、 バスが消灯した後もヒソヒソ声で話をしている乗客がいたので、正直キレそうでした・・・。何とか我慢しましたが・・・。これを機に、もう事業者を変えようかと思っています・・・。慣れ親しんでいた会社でしたが・・・。客のマナーって、そんなに悪かったけ・・・あの会社は・・・。
で、旅行なんですが。今日は千葉にあるポッポの丘様と、毎度おなじみアートコンプレックスセンター様にお邪魔しました。特に前者では屋外展示で施設の博物館な分、かなりフリーダムな雰囲気で、早速立山のトロリーバスが保存されていたのを見て、「結構仕事が早いな・・・」と感じました。
アートコンプレックスセンター様では、清水 幹氏と森 水翔氏が開催されていた個展にお邪魔しました。詳細な報告は、また後日という事で・・・。なんか対照的でしたね・・・どちらも動物がモチーフながら、森氏の絵は柔らかく、清水氏の絵は(特に猿の絵が)鬼気迫るタッチで、同じリアリティを礎にしながら描かれているので、なんか印象的でした・・・。
今日から3日間、ちょっと忙しくなりそうなので、短文で済ませます。
最近、知人からバレンタインデーにチョコレートを貰ったので、もう早すぎますがホワイトデーとして近くのデパート(福屋八丁堀店です)で福島物産展をやっていたので、そのお返しとして福島県産のお菓子を2つ送りしました。高級チョコレートなので、それなりのものを・・・と思いまして・・・。
自分も夕食として会津のソースカツ丼を食べました。美味しかったです。
今日はかなりムカつく事がありました。
セブンイレブンのイートインコーナーでお菓子を食べていた時の事です。バイトが始まるまで時間があったので・・・。
2人の老人が色々何か話してて、それが本当に個人的に癇に障るものだったんですよ・・・。
お前らしたり顔でそういっとるが、そっちだって朝っぱらからスポーツ新聞とノートを開いて、競馬の予測しよるような人間じゃないか?と・・・まぁ、仕事が修羅場に突入していたし、イライラが募っていたんかもしれん・・・。普段なら「ああ、そうですか(笑)」で済ます感じだったんですが・・・。
でも何か、最近の若者は子供産まんだの大学行かないで働けだの、高市政権のせいで日本はダメになってるだの、そういう立場で社会を憂うような面を競馬の予測みたいな事をしながらやられると、かなりクるものがありますよ・・・正直・・・。 俺がそういうのやった事がないからかも知れないけどさ・・・。大阪府の「ギャン太郎」にいっちょ噛みしようと思ったけど、これだから俺も救われない・・・。
まぁ・・・もうある程度は現時点でヘイトは退いていますが、マジで朝にあんな経験するのは嫌だったよ・・・午後ならともかく・・・。まぁ、仕事はちゃんとやれたんですけどね・・・。
とあるニュースサイトの記事を読んだ所、ウクライナのロシア占領地域では、子供達を「ロシア化」させる教育(ロシア語の強要や、軍国主義的プロパガンダ等)を受けているみたいで・・・これ、日本が他の国で過去にやって来た「創氏改名」とか日本語の強制等といった事と何が違うのか・・・と感じています。
東京大空襲や原爆投下とウクライナ侵攻をダブらせる方は多いですが、こういう加害の記憶もダブらせなければ、21世紀の反戦論としては効用は持たないのではないか・・・そうした懸念があります。
国際社会において、「日本は戦争しない」という言葉は(特に9条について)護憲論者や反戦論者から聞こえがちですが、それは「自分さえ無事ならどうでもいい」というエゴイズムと表裏一体であり、だからこそ(虐殺や児童連れ去りなどの到底擁護しかねる事実が持ちあがっても)ロシアを擁護して、ゼレンスキー氏やウクライナの国民をディスるような歪んだ平和主義が持ちあがっているのではないか・・・そう感じています・・・。
で、今7話をコミックアライブにて読みました。展開としてはアレで良かったんじゃないかと思います。6話ではウィルが娼妓達の現実を知り、涙するというシリアス展開でした。で、「アレ」に繋がっていくんですが、そこからストーリーが生々しい復讐とギスギス展開の刃を持たなかった事を指しています。まぁ・・・ストーリーの基幹に主人公達がそれをやるに値する土壌があれば・・・という感じなんですが・・・。
今日はサンモールに行きました。
そういえば・・・オバマ氏が広島に来た時も、あそこで昼食を食べとったなぁ・・・。辣蕎麦なんですが・・・。
そういや衆院選のせいか、市役所前にアレな人がおったよ・・・色々批判したいのはわかるが、敬称くらいはつけなよ・・・と思いました・・・。
今、キャンバス画をやるべきなのに、ちょっと滞っています・・・。
アレを2月中にやらなきゃいけないので・・・。色々プリントしなければ・・・。
そういえば、今日はハンバーグを食べました。そんなに子供っぽいんでしょうか・・・?
「ハンバーグが好き」っていうのは・・・。
この度、「Contaminated ocean」を制作したので、上にその画像をアップします。
実は・・・拙作は2026年にて初めて完成したキャンバス画です・・・。
で、拙作はビキニの語源をテーマにしています。 水着のやつですけど・・・。
まぁ、何か痛覚の欠落した人間の言葉がそのまま社会に定着している現実は、何とも言い難いし、ビキニ以外にもたくさんあるよね・・・と感じながらこの作品を描いていました。
放射能汚染による当事者の苦痛が、(安全圏にいると信じて疑わない強者の立場から)軽薄な冗談として使われる現実には、こういう記事と地続きのような気がしてなりません。
記事の指摘通り、表現の自由を金科玉条の如く振りかざし、他人のセンシティブな領域に侮辱と冒涜を繰り返し、いざ自分がそういう立場になれば、「私はシャルリ―」という「開き直り」で当事者を押し流す。あのセパレートタイプの水着の効果を「核爆発」になぞらえるスピリットもそうしたダブルスタンダードや脆弱性によるものだと思うのです。
自分だってそうした悪の一環ではないか・・・という自省があるから敢えて書きますが、自分が富や利便性を享受する為に、リスクを関係ない誰かに押し付けて、その被害を笑うという醜悪さは今の社会にゴロゴロ存在しとるしなぁ・・・。
トランプ氏が、ノーベル平和賞を貰いたいという話ですが・・・。
実際にノーベル平和賞を受賞したオバマ氏だって、ドローン爆撃による民間人巻き添えや、特殊部隊による暗殺作戦を繰り返してきましたので、それが「欲しい」という心理と実態は五十歩百歩かもしれません。
ですがオバマ氏に比べると、正直アレなものを感じてしまいます・・・。
粗暴で公共の概念を蔑み、それを現実の政策に移してきたような人間が、ノーベル平和賞が欲しいというのは、小学生の駄々を見ているような感じがせんでもないなと・・・。
日本も少しヤバいなと感じるので、自制していかないと・・・。
自宅関係でアレもあったので、急いでサインをしました。
まぁ・・・来週くらいにまた(私用で)東京に行くわけですが、その交通費の支払いが50パーセントほど残ってる・・・急がねば・・・。行きはバス、帰りは新幹線か飛行機ですね・・・。1泊2日で・・・。
まぁ、まだ1月後半とはいえ、アレ・・・つまり確定申告の準備をする事にしました。
かなり溜まっとるよ・・・(泣)
そういやカドコミで、「りゅうとあまがみ」の6話後半を読みました。まぁ・・・楼主が流作(と娼妓達)を虐げるだけの存在だと思ってたら、意外とそういう人だったのね・・・と感じました・・・。でも結末があれだから・・・油断はできません・・・。
外国人でも、ウィルがイギリス人で良かった部分も、かなりあるじゃない・・・?
個人的にはそう感じています・・・。そうじゃなけりゃもっと酷い差別や虐殺のターゲットになっていたわけで・・・。センシティブな話題を持ち出して恐縮ながら・・・。
気がつけば、もう夜で1月も終わりに・・・。
山上被告のアレは、ここで「温情」何かを求める民意なんかが機能すれば、司法は何ぞや?という事になりかねなかったと・・・。だからこそ、外部のノイズに迎合しない判決は必然だったと思います。もし犯人を減刑したとして、社会に戻した時に減刑嘆願を叫んでいた人達はちゃんと山上被告を受け入れて責を負う覚悟って持ってるんですかね・・・?仮に再犯しても、したり顔で「社会が悪い!」と転嫁しそうな気がするんですが・・・。
まぁ・・・性懲りもなく犯人と自分をダブらせて、山上被告に減刑嘆願している人がいるようです。個人的な考えをいわせてもらえれば、凶悪犯罪者という虎の威を借りて、被害者意識を主張するような意見には、殆どまともに付き合う価値の無いものばかりだと感じています・・・。
カドコミで『りゅうとあまがみ』の6話の前半を読みました。
やはり・・・避けては通れんことを誤魔化さずに描かれたなと感じています。だからこその時代ものです・・・。
まぁ・・・同じ女性だからこそ、ウィルは自分に優しくしてくれていた「いと」や「じゅん」達の置かれている現実にショックを受けるわけですが・・・。こりゃ子供が知るにはキツいわ・・・だから、それを美談にするような「ミルク・マネー」みたいな映画は嫌なんだよなぁ・・・。
実際に、弱者やマイノリティの置かれた現実に対し、ウィルのようにきちんと「まとも」な反応ができる人間もいれば、そうでない人間もこの社会では存在すると思います。
この文章でも書いたように、 世の中には他人の苦境を安全圏から美化し、それどころか憧れるような人間が沢山いるし、自分の「善意」ファーストで相手を傷つける事すら無頓着なアクティビストだって存在するわけです。前者に限っていえば、衣食住に恵まれず、過酷な生活を送っているホームレスをそういう生活を送るわけでもない、送るつもりなど想定していない成功者が、死と隣り合わせの相手に「多様性」とか「豊かさ」とかを見出すような某文学賞は正にそれでしょう。ですが、人間(それも女性!!)が金で買われる現実を知ったウィルは、「上流社会で常に規律や正しさで縛られている私より、『いと』や『きく』みたいな娼妓達の方が幸せに生きてるじゃない?」と流作にいい放つような事はありませんでした。
だからこそ、ウィルが娼妓達と自分の生い立ちを合わせて涙する事は、常識的で当たり前なのですが、ネットにおいて弱者を天然で差別したり、好き勝手に美化するような言辞が成功を収める今日、ウィルの真っ当な態度がレアに感じるという事自体、現代の(正に)日本社会が抱えている病巣の表れなのかもしれません。いや・・・そういう事が悪目立ちしているのかもしれんし、自分がネガティブなものを見過ぎている嫌いもあるかもしれないし・・・。
この度は、皆様のおかげで「ACT新春小品展 2026」(主催・会場:アートコンプレックスセンター様)に拙作を出展させて頂く事ができました。この場をお借りして、御多忙中にもかかわらず拙作をご覧頂いたお客様、拙作を出展させて頂くにあたり、大変お世話になったアートコンプレックスセンターのスタッフの方々に、厚くお礼を申し上げます。
まだ、2026年における活動は始まったばかりですが、私なりにベストを尽くしていきたいと思います。
何か、「中道改革連合」というのが誕生したみたいで・・・。
まぁ、自民は指示していませんが、それなりに見守っていきたいと思います・・・。
今日、東京から帰ってきたわけですが、新幹線(厚狭駅)で接触事故があったという事で、1時間くらい遅れました。でも・・・ここで不満を漏らしたら外道に堕ちるので、一切合切「オメ―のせいで、家に帰るのが遅れたんだよ!!」みたいな私欲は考えませんでした・・・。 いつもはフルスロットルで通過する姫路や東広島も、ノロノロ通過だったしなぁ・・・。
郷田マモラ先生の漫画『きらきらひかる』って、監察医という結構苛烈な世界(性質上生々しい殺人の描写や死体もバンバン出てきます)で人間の愛情や良識を描き切った名作なんですけど、ただの人情じゃなくて、人間のダークサイドを後味が悪い形で描いたエピソードも結構あるんですね・・・あの絵柄で・・・。
個人的に印象に残っているのが 『狐憑きの女』と『正義の味方殺人事件』です。『猟奇殺人事件』みたいに、元から悪い奴が犯罪に手を染めるといういうんじゃなくて、ちょっとしたすれ違いで平凡な人生を送っていた人間が、殺人犯になっていく・・・という描き方がホントに怖いというか・・・。あの絵柄で・・・。特に、『狐憑きの女』ではラストで読者を安心させかけておいて・・・そうじゃなかったという結末はかなり・・・と思いました・・・。
そういう部分があるから、『きらきらひかる』って結構好きなんですよね・・・。
(ちょっと内容を大幅に変えました)
今日はスリランカ料理を食べました。結構辛くて高かったですが、その分美味しかったです。やっぱり高いのには理由があるし、(これは石田 衣良氏もいってたと思いますが)安いは怖いってこともあるからなぁ・・・。
この文章でアップしている画像は、少しセンシティブなものを含んでいるので、ワンクッション置いときますね。それでも構わないという方は、「続きを読む」をクリックしてください。
角丸 柴朗先生の漫画『りゅうとあまがみ』を読みました。
まぁ・・・自炊だって苦手で、新潟なんて行った事も無いような私が、わかったような言葉で感想なんか描いてもいいのか・・・と思いますが、英国(イギリス)少女のウィルが余りにも至る所で可愛かったので・・・。
舞台は明治で、ウィルが新潟までやってくるんですね。イギリスにおける規律ばかりの生活に嫌気が差して母親と対立、父親や付き添いのメイドと共に日本にやって来たものの、肉料理がメインだったイギリスとは違い、出てくるのはウィルの嫌いな魚料理ばかり。ついに不満が爆発して新潟の町に飛び出したウィル。ですが、(お嬢様ゆえの)危機管理の無さで早速客引き関係のトラブルに巻き込まれそうになりますが、それを救ったのが地元で料理人をしている流作でした。どっちも気が強くて対立するものの、ウィルは流作の料理にいつの間にか舌鼓を打つようになり、初めは貶していた新潟の地や魚料理に対して、徐々に打ち解けていくんですが・・・。最後がちょっと不穏でしたので、続きが気になります(汗)
で・・・何か主人公達が気が強くて(ウィル)不愛想(流作)、互いの属性やライフスタイル等をディスったりする所はあるんですが、そこら辺に対する不快感は無く、寧ろ微笑ましいものがありました。こういう毒舌系の漫画やアニメの中には、ただ(ネットの炎上案件や2chのまとめサイトを焼き直したような)人格攻撃や差別ネタを羅列して、ただただ不快にしかならないような作品もありますが、『りゅうとあまがみ』では、ウィルと流作の関係における異国人故の対立が、まっとうな良識と社交性という作者のプロテクトのもと、キャラクターがまともな人間として成長する礎として描かれている所に、好感を感じました。要するにウィルのような内面に燻る(ライトな)悪意や怒り、エゴイズムは描かれていても、そういう事をヘイトコンテンツの一環としてすぐ溜飲を下げさせる方向に持っていくさもしい展開を、時代劇故にバッサリ拒絶している所が素晴らしいです。
ここから、日本でしばらく過ごすことになるウィルが、イギリスに帰ってどのような選択をして、、成長していくのか。今後の展開が楽しみです。2巻が早く発売されれば・・・。
今日、こちらで興味深い記事を読みました。
まぁ・・・日本じゃメンタルヘルスのいい加減な知識が野放しになっているぶん、そうなるわな・・・と思うんですね。私は反自民の立場ですが、過去にFacebookを見た時に、安倍氏がサイコパスと罵倒されていました。でも、そこまでヤバい人間か?と思うんですよ・・・正直・・・叩きゃボロが出るようなズルを沢山やって来た人、その程度の政治家だったんじゃないかな・・・と・・・。
まぁ、サイコパスはともかく、安倍氏の家系を揶揄して「あそこには人間の血が流れていないから、選ばれるとヤバい事になる」みたいな話の方がショッキングでしたね・・・自分は・・・。
14年とちょっと前、つまり東日本大震災が発生して間もない時に、右派左派問わず原発や被災地を巡って罵詈雑言の応酬が(主に)ネット上でなされていたと思いますが、 こうした病理は現在も地続きである・・・リンク先の記事を読んで、そんな感じがしました・・・。
「(前略)まともに扱ってもらうこと。社会があるって大事でしょ?」
―カズオ・イシグロ『クララとお日さま』より
今、雪森 寧々先生の漫画『久保さんは僕を許さない』を読んでいます。
まぁ・・・『おさななななじみ』から雪森先生を知ったし、まだアニメ版も観ていないので所詮はミーハー的なもので感想・・・という事はお許しください・・・。
で、『久保さんは僕を許さない』のストーリーなんですが、主人公の白石 純太はかなり影が薄く、人には気づいて貰えない存在なんですが、クラスメイトの久保 渚咲はきっちり彼を見つける事ができ、そこから色々純太の周りでも人との関りができていき・・・というラブコメなんですよね。
こうした、「クラスで浮いている奴がちょっとしたきっかけで、他者と繋がって幸せになっていく」という系のラブコメ漫画や美少女ゲーム(例:『僕の心のヤバいやつ』とか『事情を知らない転校生がグイグイくる。』みたいな)はちらほらと見かけますが、中には考えもせずに純太のようなキャラを不快で迷惑な存在として描き、職場や学校に蔓延るいじめやイジりの文脈で矯正していくような作品もある中、孤立していた子供をどう救済していくか?という、作者の思いやりが感じられました。
上に書いた、いじめとかイジりの文脈ですが、実際にこうした所から(少し前の話ですが)神戸で教員がハラスメントを受けるような事件があったりするわけで、その辺の仕草と地続きの漫画は結構見かけます。ドンくさい奴はいくらでも集団心理で叩いても構わない・・・みたいな・・・。 ですが、本作は「許さない」というタイトルにあるように、それを許していません。あるっちゃあるんですが、そんな悪意や差別をメインとした作品じゃないし・・・。
寧ろ、そんな人間も人権を尊重され、公平に扱われて当たり前じゃないかという理念のもと、ストーリーが進行するので安心して読む事ができました。
人は本質的に、100%孤立して生きていけるわけではありません。個人主義の時代とはいいますが、どこかで他者への敬意やマナー、コミュニケーションは絶対に発生しますし、それらへの尊重があってこそ、人は人足り得るのだと思います。
ですが、そうじゃない人にヘイトを向けるのも間違っていると思います。『久保さんは僕を許さない』は、『コミュ症』とか『ぼっち』みたいな一括りで矮小化されている個人が、相手から人間扱いされる事により「しょうがない」から脱出していく自立の物語ともいえます。私もこれだけ扱われて純太は何故怒らないのかと感じた事がちょくちょくありましたし・・・。個人的に、掌返しですが写真合成の件は、『ワンダー』という児童書で顔面に重度の障害を持つ主人公の写真を、(いじめの加害者の母親が)フォトショで消す位の暴力性があったと思います・・・。
例えば、この公開日記では何度も挙げていますが、青木 和雄氏の『ハートボイス:いつか翔べる日』という児童書では、序盤でいじめに遭っている子に対して追い打ちをかけるような教師が登場し、その姉から「あんな人、先生なんかじゃない」と吐き捨てられます。そして、同氏の『ハッピーバースデー:命輝く瞬間』でも、いじめへの無関心どころか、加担すらする教師が辛辣なタッチで描かれています。こういう所からトータルし、「いじめられる側にも問題はある」という石原慎太郎氏ライクな強者の理論で、被害者に死体蹴りをかますような対応が問題になる事は現実でもちょくちょくあります。そして、ロシアのウクライナ侵攻で一部の左派系知識人が、ロシア軍に応戦するウクライナにも問題があるように語り、停戦要求をする事にも同様のロジックは当てはまるのではないか・・・そんな考えがうっすらと浮かんでいます。
このリンク先の記事を見るにあたり、正にロシアがウクライナで行った残虐行為に対して、反戦を宣言するゼレンスキー大統領(記事執筆者の志葉 玲氏のいう通り、ブッシュ氏は侵攻側でした)にも責任があるかのように主張したり、その口で原発攻撃に無辜の民への虐殺など、他国でやりたい放題を重ねているプーチン大統領にはノータッチなど、日本の極めてローカルな出来事と世界史に残る惨事を比べるのは天と地ほど差がある・・・という認識はありますが、やっぱり被害者を責めるという点で共通点はあると思うのです。いじめだけじゃありません。(これは『鬼畜の街』という漫画でも指摘されてましたが)性犯罪の被害者に対して、誘うような恰好をしてるのが悪いとか、本当は(やられて)気持ちよかったんじゃないかみたいないい方をする人だっているわけで・・・。
そして、話を変えますが「第二次世界大戦」とウクライナ侵攻をダブらせて被害国のウクライナに責任があるかのようにいい放つ事は、ドイツと同じく敗戦国の宿痾のようなものかも知れないと感じています。「悪いのは戦争そのもの」みたいな加害責任不在の被害者意識で醸成された戦争観と反戦意識で、他国が侵略されるとなぜ戦わなければならない(ここでいっておきたいのは、私は戦争肯定者ではないという事です)のかという心理を推し量るのは限界があるのでしょう。第一、反戦系の児童書や絵本を見ても、アジアの戦争被害者にも「赦しと同情」を求めるような傲慢さが感じ取れるような作品は多々見かけるし、民主主義や自由は願っていれば天から降ってくるものと勘違いしている作品もあります。そんな所から、被害者を冷笑して敵国に優しい眼差しを向けるような論は、ある程度は地続きかと・・・。
それに、日本が経験した有事といっても大体相手が天災ですし。だからこそ、最悪の事態が訪れた時にちゃんと日本は対処できるのか・・・?そんな不安があります。最も、戦争回避への努力はすべきという事は大前提なのですが・・・。
何か、生活保護受給者バッシングのカウンターとして、一時J・K・ローリング氏の生い立ちが使われてましたよね?彼女も生活保護を受給していたシングルマザーだったけど、ああやって(『ハリー・ポッター』シリーズが大ヒットした事により)大成したじゃないかと・・・。ですが、現在において、ローリング氏はトランスジェンダーへの差別ともとれる発言を行っており、そういった論の効力は過去に比べれば無いと思いますし、そういった(ごく一部の成功者みたいな)例に頼るのも・・・と感じています・・・。
そして・・・今日のお話ですが、私の勘違いによりチョコレートとエナジードリンクを無駄にしたかもしれません・・・そして交通費も・・・(泣)
最近、むらしょう氏のnoteをよく読んでいます。そして、こういう記事を読みました。
正直、AIについては消極的な否定しかできません。私も最初、「なんだあんなもん」と思っていましたが、いざ触ってみるとみんながハマる理由がわかりました・・・。電力や水の問題という後ろめたさを抱えながら・・・。
確かに、ヤバいっちゃヤバいんですよ・・・。あの自由度がどれだけ加害に使われてるかを考えれば、規制止む無しというのも一理あります・・・。大体Chat GPTでもGeminiでも、年齢制限が一応かけられてますよね・・・?むらしょう氏の記事が指摘している通り、Grokがあのザマで子供に生成AIを使わせることを推奨するような本が(児童書として)流通している現状は、ホント狂っているとしかいいようがないです・・・。
そういう所から、生成AIの他にも、投資とか闇バイトとかリテラシーの鍛え方といった児童書がどんどん刊行されている状況ですが、所詮は対症療法じゃないか?という疑問がぬぐえません。もちろんテキストから世界を理解するという事も大事ですが、ああした類の本は所詮大人目線のものが殆どなので、まだ世の中を知らない子供には限界があるでしょう。だからこそ、むらしょう氏のいう通り、ドメスティックな環境で不道徳を戒める話をする事が最も効果的だと思います。ただ、私見としては技術も市場競争に丸投げするのではなく、何をもって不道徳になるかという議論と共に連動し、何らかの規制もかけなければいけないのではないか・・・?という思いもあるわけですが・・・。
今年、つまり2026年に入ってから初めてのキャンバス作品ができました。
ゆくゆくはネットで公開・・・という形にしたいと思います・・・!
ていうか最近、NIMBYという言葉をアレとのやり取りで知りました。ああ・・・そうね・・・色々燻っていたものがストンと腑に落ちたというか・・・。火葬場とか障害者施設とか必要だけどウチの近くには建てないでくださいっていうか・・・。Xでも弱者の権利について声高にいうけどコロコロ態度を変える人(根無し草みたいな)っているもんねぇ・・・。
自分もそういう覚悟を問われたら・・・正直自信ないです・・・。ここでも散々弱者の権利について語り、社会を腐していますがやっぱりリアルにおいて、コンビニの前にたむろして大騒ぎしてる人達を見たら腹が立ちますし、過去のバイト先やハローワークでも「そういう人間」はいたわけで、そこら辺の嫌悪感もあるわけで・・・。
ですが、差別や排他にはちゃんとブレーキをかけて生きていきたいと思います。それとこれとは違うし、仕打ちにせんように・・・。それに、自分だって実話ナックルズとか週刊大衆買ったりすることもあるんで・・・ね・・・(汗)
昨日バイト中に地震があって、すぐ上司に相談してから実家に安否確認しました。みんな無事で良かったです・・・。今年で熊本地震10年目ですが、東日本大震災と同じように全国レベルで騒ぐ力は、みなさんありますか・・・?
結構意地の悪い質問したけど・・・ずっと感じてた事なんでね・・・。
自分も行こう行こう思いながら、熊本に行けてなかったから同罪だ・・・という思いがあるからこそ・・・なんですが・・・。
そういえば、自分の仕事に関わる事で必要な技術情報やノウハウ等を、Xですぐ不特定多数に聞こうとする人がいます。まぁ・・・AI(特にGPTは参考文献関係で結構嘘をつきます)はともかく、あれはよーないな・・・と思います・・・。 書店に行くとか、自分でリサーチする、(リアルで)信用できる人に教えを乞う・・・みたいな方がコストと手間かかるけど、確実だよ・・・?と思ったりして・・・。
公開当時から、かなり迷いに迷って・・・遂に、藤井 道人氏の映画「新聞記者」を観ました。自分も、こういう事に関係したOBとして、このような問題になる程の迷惑をかけた事に対して、非常に申し訳ないという気持ちと罪悪感があります。だからこそ、知人には「セカンドレイプになるから(観るのは)止めろ」といわれていたわけですが、やっぱり・・・向き合われた分、向き合わなければいけないという気持ちが、2019年の時からずっと燻っていたので、遂に覚悟を決めて・・・という感じです。
まぁ・・・エンディングのスタッフロールが流れてからこの文章を書いているわけですが、全体的には宣伝と評判通り、「森友・加計学園問題」をミックスしたような感じでした。邦画にありがちなよく怒鳴り散らすような演技ではなく、丁寧でしっかりとした演技のおかげで、そうしたストレスを負わされず、「ちゃんと観る」事ができるマスコミ系エンターテイメントでした。 それと、みんなの問題意識というのが、あの問題で噴出していた感情論(自分より馬鹿な存在が特権を享受しているから、廃校にしろ!的な)より、もっと民度が高くて上品な形で表現されていると思いました。下が下の存在を叩いて反権力ぶりながら留飲を下げるという貧乏くさい迎合(それこそ、劇中の内調がやっていたように)をせず、内調の官僚と若手新聞記者という当事者同士のジレンマを「きちんと躾けられた大人の感情」としてしっかり描く事で、全体的にしっかりした作りの、例えるなら(最近亡くなられた)ロブ・ライナー氏の「記者たち:衝撃と畏怖の真実」に近い良質なインパクトが残る作品だと感じています。
ですが・・・メインテーマである「権力の闇」・・・みたいなものに関しては、所詮フィクションに甘えた妄想であり、暗い部屋の中でパソコンのキーボードをパチパチやりながらネット民を扇動して世論工作をする(あんな暗い中で)内調のオフィスや、首相の友人が経営する大学の新設が生物学兵器開発という事実だった・・・という所には、正直唖然としました。それが問題だというのなら、正直に問題自体をベースにすればいいのに、陰謀論じみた「事実」で新聞記者の吉岡と若手官僚の杉原の正当性を主張しているので、結果として(特に原発の無い都市圏で活動していた)自分の立ち位置を理解せず、他人事で電力会社や政府を罵倒していたインスタントな反原発団体がやってた事と変わりないんじゃないかと思いました。だってですよ・・・?実際の企業はともかく学校法人の不祥事というと、学生や教職員も関わってくるようなセンシティブな問題も含まれる中で、正しささえあれば風評被害をバラまいてもいいのか・・・という命題が、「新聞記者」には厳としてあります。こうした事も本作を絶賛している層には(無批判で)受けていますが、あなた方は関東大震災における朝鮮人虐殺否定論や南京大虐殺否定論、歴史修正主義に対してどんな態度を取っていたんでしょうか?と・・・。
上に書いた「記者たち」だって、嘘はついてなかったでしょう・・・。
だから、トータルした意見でいえば、これが一番近かったりするんです・・・。 映画全体としてはすごく良かったんですが、この文章でも書いているように、外野におけるマスコミ(と特定のジャーナリスト)へのスクープ礼賛や調査報道への英雄視は、太平洋戦争終結後に「私達を騙した軍部が悪い!」という国民の被害者意識に基づく逆ギレと地続きだったりすると思うのです・・・。
で、劇中にちょくちょく望月 衣塑子氏とマーティン・ファクラー氏、前川 喜平氏の鼎談が流されてくるわけですが、あれも映画で何がいいたいかを露骨にいい過ぎてないか?とも・・・。まぁ、こっちが間接的に加担した分、ああいう人達に怒られてもしゃーない・・・そういう気持ちだってあるんですがね・・・。
去年の12月くらい、つまりこないだの話なんですが、自宅近くでなんかすごいクラシックな感じの車が赤信号を待っていたので、珍しいな・・・と思って見ていたら、モーガンだという事がわかりました。モーガン・・・結構日本ではレアって感じですよね・・・。エンジンの音も結構重厚だったし・・・。
なんかああいう車ってデリケートな作りなんで、きっとオーナーさんも大事に使ってるんだろうなと想像しました。まぁ・・・これは画材にもいえる事で、買った分大切に使わなきゃならないんですが・・・自分の場合は無駄に使って(絵具をです。しかも今は冬なので)カチンコチンにしたり、納得いかずに描き直したりする事が多々あるからなぁ・・・(泣)
これで三賀日も終わりで、徐々に日常モードへとシフトしていく事になり・・・という感じですかね・・・。実は実家に帰っていたのですが、かなりの降雪で、バスもタイヤにチェーンを巻いていました・・・。
で、他の家の前に雪だるまが(たぶん子供が作ったのでしょう)作られていたのは、微笑ましかったです。 何かレイモンド・ブリッグズ氏の『スノーマン』という絵本を思い出さずにはいられませんでした・・・で・・・彼はそういう作風で『風が吹くとき』みたいなエグイい作品を描くものだから・・・。でも、『スノーマン』も切ないラストでしたよ・・・。
ちょっと新年早々から、見当違いの事を書いていきたいなと思います・・・。前もって、あけましておめでとうございますとは書いておきますが・・・。
映画「ディープ・インパクト」では野心家のリポーターが主人公の一人で、『記者たち:衝撃と畏れの真実』でも、(9.11をダシにした)イラクの大量破壊兵器所持の疑いがガセネタだという事を知らせるために奔走する、新聞記者たちの姿が描かれていました。
最近、そういう所だけではなく「報道」・・・みたいな事を考えています。こっからは門外漢の話になるので、間違った部分もあるかもしれませんが、ちょっと書かせてくださいね・・・。
そのきっかけの一つが、『〈犯罪被害者〉が報道を変える』という本だったのですが、その中で、「ウォーターゲート事件」が挙げられた上で、追求型の報道だけではなくセンシティブなものも求められるというような事が書かれていて、私は「ダート賞」なるものを知りました。 英語版の記事しかなかったので、ブラウザの翻訳機能を使って何とか読んだ所、何でも、災害や戦争における心理的外傷に関係した報道やジャーナリストに贈られる賞みたいですね・・・。
個人的に、(日本のみならず、どこの国でもそうかもしれませんが)特定のジャーナリストを過剰に神聖視して、※「巨悪VS弱者である市民」という図式で対立構造を煽る人達がいます。マスメディアが権力を監視する事、つまりウォッチドッグであるべきなのは当然だし、彼らに糺されるべき不正が、永田町や立派なオフィスビルの中に蠢いているのは事実です。 ですがね・・・。
その永田町を中心として、マスコミが「第4の権力」といわれており、ある程度はそれも事実だと思います。「ペンは剣よりも強し」といいますが、それは文字だけで人を殺せたり、人生を左右したりする恐ろしさもあるわけです。そこからトータルして、上で書いた「巨悪VS弱者である市民」という対立構造が「物語化」されがちですが、どこを見ても剣より強いものを向けた裏には必ずセンシティブなものはあると思います。
多分、私が川名 壮志氏の『謝るなら、いつでもおいで』という本にすごく影響を受けているからでしょうし、捻くれた人間観を持っているせいか、ああいう物語化された、或いは物語化されやすい対立構造にイマイチ乗れていません。どっちかというと、日常レベルでのセンシティブな分野に基づく言葉の方が、かなり信用できるという根拠のない自信があるからです。
それと、前者はスケールが大きくてわかりやすいですが、日本人の性質を鑑みるにあたり、「他責的な確証バイアス(ここで都合よく霞が関みたいなものを利用する)に囚われた、受動的な個人を慰撫」していると感じています。確かに、追求型の報道や調査報道が民主主義の守護者であり、実際に社会の変えるべき部分を変えてきた事実も見逃せません。ですが、スクープや調査報道で官僚スキャンダルが発覚というような「美談」の重用は太平洋戦争が終わり、自分達の立場をすべて軍部に転嫁し、「自分達は騙されたのだ」と開き直り、アジア周辺諸国の戦争被害者の訴えに「こっちも被害者なのに」と舌打ちすらしていたような国民性と地続きの部分がないか?と思うのです。
だからこそ、「美談」に対する分かりやすさや甘みがない分、センシティブな報道にも基づく言葉は重みがあるし、制作の糧になっているなと感じています・・・。