15年くらい前の話、怪談えほんというものが刊行されて注目を浴び、そこからJホラー的な絵本が次々刊行されるにあたりました。怪談えほんの特設サイトを見るにあたり、お決まりの「子供にはショックや恐怖を与えてナンボ」という美辞麗句のもと、幼児にホラーを与える事をタブー視する「良識派」という藁人形を作り、勝手に対立構造の被害者として振舞っている・・・そういう典型的な(表現者特有の無責任な)特権意識だけが独り歩きしている一部という感じはしました。
こういう話って、基本的に生存バイアスで構築されていて、これは多分、五味 太郎氏も『大人問題 』あたりで皮肉っていたと思いますが、「文化」とか「芸術」とかいう大義名分がついた瞬間、多くのクリエイターが社会的責任に苛まれている被害者として振舞い、一番気をつけなければならない子供にすら、表現者ファーストで勝手な振る舞いすら要求してくるのは何故なのでしょうか?普通ならAVや「テリファー」みたいなものは子供に観せるべきではないというのは常識なのに、その規制緩和こそ正義だといわんばかりの空気って、一部の表現者界隈にありませんか・・・?
個人的な感想ながら、こうした怪談えほんの特設サイトの主張のような、「大人が子供に対して本気を出した」事自体が目的化する中で、本当に良質な子供向けホラーというものは、(ああいう美談では矮小化されがちな)こうした意見もちゃんと鑑みれるような姿勢の作品づくりではないでしょうか? 彼らの中では、リンク先のポストで原爆被害のドキュメンタリーを観た少女が心理的に疲弊した事すらも、「成長の機会」として歪曲されると思いますが・・・。
何かああいう空気を見てると、初心者をボコって楽しむ格ゲーマニアを見てるようで、何か正直嫌だなーと感じています。自分だって中学生の頃にいとこたちが家に遊びにきた時、「電脳戦機 バーチャロン マーズ」で遊ぶことになり、上のいとこが一番下の子も遊ぶので「(VOXリー&ルーみたいな)弱い機体で手加減してやれ」 と注意された事がありました。要は子供への手加減が軽視されてる状況(ダークな描写への規制緩和賛成)は何なのかと考えてるわけであって・・・。
それと刊行されたのは2011年、震災や原発事故の空気を読む事すら自分の活動への被害として受け止めるとか・・・あの時子供達が感じていた不安とショックすら想像して弁える事も疎外というのなら、クリエイターの独り善がりといわれても仕方ないとうっすら思います・・・。これは時折センシティブな作品を制作している自分への自戒もあるのですが・・・。