こきち先生の『えんじぇるめいと』の5巻、つまり最終巻を読みましたが・・・やっぱり、んとの自殺以外では・・・というかすかな希望もありましたが、どうも何か、子供が死ぬというセンシティブな題材を、上手く消化しきれていない・・・という感じが拭えない感じでした。河原 和音先生が帯で「名作」と推薦されていましたが、のわやんとの世界の対極にある、現世のリアリティがうまく描き切れていないというか・・・。
『えんじぇるめいと』の、にあにのわが拉致された後の最終局面を読んで、善意ありきだと誰かに利用され、付け込まれるという世の中の世知辛さを描いた上で、類型的な逆張りに逃げるのではなく、だからこそ善人は報われるべきだという、こきち先生の考え自体は理解できます。プライベートでも祖母の死に関してそういう事、色々考えてましたし。 だからこそ、今どきの作品がやっているような露悪に堕す事なく、純粋な善人がきちんと報われるという描き方は、結構良かったと思います。でも、やっぱり・・・という考えがあるのも事実でした。
最近、(これはちょっと申し訳ないなと思いますし、震災に対してのああいう描き方も好きじゃないですが)今日 マチ子先生の『るすばん猫きなこ』をウェブ上で読んだので、やっぱりこきち先生は、デリケートな話をセンセーショナリズムありきで済ませているのではないか ・・・?そういう思いがあり、ページ横の空白に書かれたコラムみたいなものを読んで、私の思いは確信に変わりました。
何か、 虐待とか処刑とか殺人とか、軽々しくいい過ぎやしません・・・?そこからなんか連想ゲームを勧めるのって、流石に痛みがないというか・・・。子供が対象なら尚更だよ・・・。
『るすばん猫きなこ』に限った話ではないですが、ただ対象を生々しくなぞり、リアリティを容赦なく共有させる事が逆に作者のお説教としてしか機能していない部分もあり、必ずしもいい事ではないと思います。ですが、そういう姿勢がなければ当事者を粗末に扱うような表現になってしまい、結果として『えんじぇるめいと』はのわの遺族やカウンセラーの描き方も、リサーチをせずに思いつきで処理してしまっている・・・という感が拭えませんでした。
すみません・・・ なんか前作の『るるてる』が面白かっただけに、何かかなり『えんじぇるめいと』には思う事が色々あったので・・・。