(2026年の6月16日にちょっと追記しました)
何か某読書日記の『ステイホーム』評で、「手を差し伸べる事は加害」みたいな事が書かれていましたが、そういう描写を手放しで礼賛する記事がかなりあって、食傷気味だった覚えがあります。
しかも、そういう記事の書き手に限り、自民党政権を非難し、貧困層に同情するような傾向が散見されましたが、そこまでいって、公助がやるべき事だから見切るのが潔いという姿勢は、正にこういうポストと同じじゃねーか・・・と思います。
自分の手を汚さずに、弱者が救われるシステムをちゃんと機能させろと講釈を垂れるのは、無いものねだりなんですよ・・・自分だってそういう卑劣さがあるから敢えていいますけどね・・・。リンク先のポストが書いている通り、「自分たちの生活は守ったまま自らの正しい立場を表明したいという大いなる欺瞞」なんですよね・・・反原発を表明しながら、被曝するのが嫌だから震災瓦礫を受け入れるな、辺野古への基地移転はダメだけど、私達の街に来ないでほしい、障害者施設は必要だけど、なぜ辺鄙な山奥にあるのか・・・こうした病巣が、「共助という甘い幻想を叩き潰した」結果の「理想郷」といえるかと・・・。
あーそれと、追記ですが「共助という甘い幻想が叩き潰」された例はいくらでもあり、その代表例が、アフリカや中東の紛争地帯だったり、関東大震災直後の首都圏、体制崩壊後のソ連だったりだったりするわけですけど、果たして現場でいい作用があったのでしょうか?だからこそ、所詮は逃げ切れる場所で、極論による美辞麗句を弄してるだけかと・・・。それをいうなら、 被災地にバスを提供したバス事業者は加害者という事だし、視覚障害者の手を引いて電車に案内する事も加害という事になりはしませんかね・・・?
