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2026年8月31日月曜日

顔を出していないという事

 最近、『みい山』のヤンマガ編集部炎上に関して、うなずける記事を見ました。

ヤンマガ・・・高校の時に、よく押切 蓮介先生の『でろでろ』とか押見 修造先生の『ユウタイノヴァ』とかいった作品を読みよったな・・・と思います・・・。

で、同じ執筆者さんが・・・こういう記事も書いていたので、「やっぱり・・・」という思いでした。 

で、本題に入りますが、特に初めのリンク先の記事は、編集者への発言に対して、一定の批判意識は持ちながらも、「顔と名前の見える編集者個人に対しては匿名で人格攻撃を行う投稿も見られたことには、私は強い違和感を覚えた。これ・・・私が一番ドキッとした上に、強く共感した部分なんですよね・・・。だって、記事が指摘している通り、学歴や顔も出ている状況で、「いっちょ噛み」している俺達はプライベートな事死守してるじゃん・・・。アイコンの陰に隠れてね・・・。
実際、『みい山』の作者である亜月 ねね先生の過去作品どころか、(真偽不明であり、今の問題とはほぼ場違いの)プライベートまで暴露されてる状況ですが、本人特定している人達、ネットに本名と住所書け!本職も書け!ついでに顔も出せ!っていわれたら、する勇気あるんでしょうか・・・?自分は好き勝手に晒しながら、匿名のぬるま湯に守られている事の非対称性は、もっと論じられるべきだなと・・・。それに、自分が容姿とか学歴とか揶揄されて、いい気分がするんかね?とも・・・。ここら辺、単に躓いた人間が破滅するのを面白がる人間が沢山寄って来るから厄介ですね・・・とも・・・。何かロシア人をいじめただけで義勇兵ぶってる人を見てる感じです・・・。

ですが、自分だって、この文章 とかこの文章で『みい山』にお気持ち表明している訳ですが、あの手のリンチに手を出さないからといって無罪である訳ではなく、こうやって個人情報に一定のプロテクトがかかった状況でコメンテーターごっこをしょっちゅうやっているので、同じ穴のムジナである・・・という自覚は持っていきたいです・・・。ここまで来ればさすがに亜月先生の方に肩入れしたくはなりますが、急な鞍替えというのもダサいと思うので・・・。

だって、『みい山』は正直面白い部分もあり、好きなキャラ(特にモモとそのSっ気)もいるけど、その分商業ベースに乗せるべきじゃなかったし、だからこそアニメ化には反対というスタンスで、今もそれは変わってないので・・・。 

 

2026年8月30日日曜日

あついのー

 「あついのー」の対になる言葉は、「さむいのー」だと思いますが、どっちで健康を害する方がマシか、ちょっと考えてるというか・・・。

そういえば、最近激辛のカツカレーを食べました。(ココイチみたいな所じゃなかったので)店主さんが「辛いけどいい?」と私が頼む際にいいましたが、私は「いいですよ」と答えました。で・・・予想通りでした・・・辛さが・・・。

もう額から汗がかなり出て、スプーン一杯ごとに水を飲む・・・そんな感じでした・・・。何か、角野 栄子氏の児童書で『おばけのアッチ』 シリーズがあるじゃないですか・・・で・・・余りの辛さに鬼の形相になってしまうというカレーが出てきたと思いますが、正にそれを思い出したというか・・・。

ですが、いい経験になりました(笑) 

2026年8月29日土曜日

『ロボット、被災地へ行く』を読みました

 中松 まるは氏の児童書『ロボット、被災地へ行く』を読みました。

この作品は、舞台としてかなり重要な事を論じていると思います。

大体、被災地と聞くと(情けない事に、私も一瞬そう思っていました)東日本大震災を舞台にした話を連想してしまいますが、本作が題材としているのは2024年に発生した能登半島地震です。 東日本大震災は関東大震災と同じようにその犠牲者数や被害規模、重大な原発事故の発生などから、「普通の災害」と比べると現在でも多くのプロンプトが投げかけられており、原発事故や津波の被災者というプロンプトに答えを振り絞る事が社会のニーズと完璧にマッチするので、結果としてそっちが優先されるケースがかなりあるでしょう。それは日本国民全体の問題として波及したのだから、当たり前といえば当たり前の話なんです。

だから、結果として3月11日を(9月1日と同等に)災害の典型として向き合う事が、災害系の創作では定着している感がありますが、そうじゃない事は都合よく社会の無意識や創作の中で漂白、あるいは何でも東日本大震災の被害に吸収・統合されてしまう部分はあるんじゃないかと思います。2016年に発生した熊本地震から10年経った時、そのタイミングで「私はあの地震から10年経って、ようやく答えをだそうと思いました」みたいな事を悩みながら表明し、創作として吐き出したい位ショックを受けたクリエイターがどれほどいたんでしょうか?何かそのあたりにおける文化的な意味付けにも、正直居心地の悪さを感じる自分がいて・・・。

という事で、いささか前置きが長くなりましたが、『ロボット、被災地へ行く」ではこの手のわかりやすさをある程度拒絶しながら、災害における問題点や善意の葛藤を描いている所がいいと思いました。

小学5年生の少年、悠真は父親からプレゼントとして貰った、ペット見守りロボットの使い道を考えていました。

そんな中、能登半島地震が発生。児童書故にそこまで鬼気迫る書き方ではないですが、怒号のようなアナウンサーの声や、焼け野原となった市街地の描写には、かなり生々しさがありました。逆をいえば、あの元日における混乱や被害の状況を、中松氏がきちんと押さえていたからだと思います。 

 話を戻しますが、そこで悠真はロボットを能登半島地震の被災地で何とか役に立てようと思い、ロボットを石川に送る事を思いつきます。ですが、みんなが好意で迎えてくれるわけではなく、悠真はロボットごときに何ができるかという被災者の厳しい目に晒される事になります。へこたれそうになる悠真ですが、改めて努力するうちに、ロボットが持つ可能性を再認識するようになり・・・という感じです。

本作は能登半島地震そのものだけではなく、そこから被災者が抱えるジレンマ(「頑張っている被災者」という過剰な英雄視の裏にある、複雑な感情)や、今では全く報道されなくなっても、コロナ感染はある程度現在進行形である状況などが書かれていますが、最初にも書いた通り、テーマに対して読者と作家の合意形成が得やすい東日本大震災ではなく、能登半島地震をベースにして語っている所が、一番重要な所だと思います。更に、ただ能登半島地震ではなく、悠真が直面した現実を東日本大震災が孕む問題(間違った支援や野次馬)に話を繋げている所が、災害系の児童書として、非常に抜かりが無いと感じました。 

だからこそ、語弊を恐れずに書けば、東日本大震災はその規模と内容故に、日本社会全体の命題による伝承と問題提起として選定されるケースが多いです、それだけ重要だからこそ、東日本大震災を物語の典型例として終始させるのではなく、他の問題にもしっかり目を向けているのが、『ロボット、被災地へ行く』の魅力だと思うんですよね・・・。

2026年8月28日金曜日

今描いています

 いま、2作同時に描いています。といっても・・・1作目の方はラクに住むんですけど、2作目の方は・・・という感じです・・・。キャンバスのサイズが大きいし、メカ系なもので・・・。

年内はできないかもしれませんが、来月の2月くらいに、個展をやってみたいな・・・とか思ったりします・・・まだまだ決定段階に至ったわけじゃないですが・・・。 

2026年8月27日木曜日

『幼稚園WARS』を読みました

 最近、千葉 侑生先生の『幼稚園WARS』という漫画を読みました。

やっぱり…一言でいうと「面白い!!」です。内容が・・・。

何かハリウッドセレブやコングロマリット経営者の御曹司が通う、ブラック幼稚園という 幼稚園があるんですね。で、そこには園児の立場上、彼らの命を狙う殺し屋や誘拐しようとする不届き者が度々寄り付き、多くの教員達が命を落としていました。なので、政府は毒を以て毒を制すを地で行くやり方として、殺し屋や服役囚等に戦闘訓練を科した上で、一年間教員として勤め、園児達を守り抜けば無罪放免にするシステムを作り上げました。

凄腕の殺し屋だったリタもその一人で、日々子供を狙う敵から死闘を繰り広げる中、同僚と恋や園児達の交流を重ねていく・・・そんな話です。

私が『幼稚園WARS』が心底いい漫画だと感じたのは、殺伐とした殺し合いの中で、それがただ不快にならないよう、大袈裟すぎる世界設定やラブコメ要素を入れて、読者を安心させる技量が本当に大きい事です。更に、エンタメとしてのアクション性にも抜かりが無く、敵もあの手この手の方法を駆使して、リタたちがどう園児達を守り抜くのかというエンタメ性を見事に彩ってくれています。

で、この辺りの荒唐無稽さが、現実におけるセンシティブな部分との関係性を見事に断っており、「ハラハラドキドキの絵空事」としてしっかり機能している事が、一番すごいと思ったんです。

実際、戦争や事件では、初等教育機関(及び中等教育機関)やそこに通う子供が標的にされる事があり、もし一歩間違えれば、『幼稚園WARS』はその極めてセンシティブな分野を刺激していたかもしれません。ですが、大仰なアクションやセリフ回し、ギャグ要素や非現実的な舞台設定を多用する事で、「子供が狙われ、殺される」という社会の琴線から徹底的に作品の性質が隔離されているのも、この作品が持っている利点の一部ではないか・・・そう感じています。

そこを間違えれば、いたずらに当事者を傷つけ、誤った認識を読者に植え付けてしまい、結果としてこういう事(つまり、全く関係ない所で弱者のセカンドレイプを助長して知らんぷり)になるわけであって・・・。 

2026年8月26日水曜日

「Zombie worker #1」を描きました

「Zombie worker #1」を描きました。何か、北川 幸比古氏の児童書『こどもサラリーマン1号」っぽいタイトルかな・・・?というのはともかく、上に拙作の画像をアップしたので、どうかご覧ください・・・。

最近、何か「社会人」とか、「社会人経験が無い」っていう言葉をX上で何度か聞いたんですが、替えが効いて低賃金、キツい単純作業ってやっぱああなの・・・?みたいな感じが正直せんでもなかったんですよ・・・。そういう人達で社会はまわってるし、だからこそ、私だって短時間のバイトでヌクヌクやれてるのはわかりますが、何か「社会人」という言葉って、引っかかるものがあるというか・・・。

確かにスーツを着て会社に務めんと不利な事って一定数あるのは事実ですが、(オフィスに務める)サラリーマンとOLだけが労働の典型みたいな考えって、例え正規雇用である他の職種だったり、非正規雇用を知らず知らずの内に疎外してるんじゃないか・・・そういう考えがあります。

実際には働いていて、その姿をいろんな場所で見るのに、「社会人」という区分けみたいなものをされているのって、生きていても死んでるとみなされてるゾンビみたいだよな・・・という思いがあり、拙作を描いたというか・・・。

いやぁ・・・ゾンビという言葉を一番最後に使ったせいか、回りくどくなっちゃいましたね・・・拙作の説明が・・・。ちなみに、ゾンビは社会福祉士です・・・。 

2026年8月25日火曜日

新作ができました

 やっと・・・キャンバスの作品ができたんですよね・・・昨日位に・・・。

できれば次の投稿で出したいです・・・ちょっと遅れるかもしれんけど・・・。

ゾンビの作品です・・・。 

2026年8月24日月曜日

ラヴ上等の話

 最近、法務省がリアリティ番組「ラヴ上等!」というリアリティ番組とコラボしたポスターを制作、ですが、「人に火をつけた事がある」という番組内の発言に目をつけられて炎上し、たった16日間で法務省はコラボを取り下げたという話ですが、私は思わず、かつて存在した奈良少年刑務所の受刑者が涵養プログラムの一環として詩を書き、作家の寮 美千子氏が編集した『空が青いから白を選んだのです』という詩集でした。

実際、私はネトフリ(何か露悪寄りという批判を多く聞くのも相まって)に登録しておらず、正直「ラヴ上等!」についてもnoteの言及で知った程度です。よって、番組自体を観てもないのにお気持ちでこの分野を語るのもどうかと思いますが、『空が青いから白を選んだのです』でも、薬物使用や虐待、貧困などの凄まじい経験が(詩ゆえに)簡潔で抒情的な文章の中に根付いています。

寮氏も、受刑者によってはレイプや殺人を犯した人間がいる事を、はっきり解説で書いています。正直、私も二次創作という著作権違反をやっている身で、自分の事を棚に上げながら(汗)「もういい加減そういうのを苦労のリソースとして語るなよ・・・」という苛立ちを持っていたのは確かです。実際、報われないという立場で見ると、きちんと社会に馴致され、罪も犯さず真面目に生きているアマチュア詩人の方が尊いだろ・・・そんな思いも頭を何度かよぎりました。

 ですが、やっぱり法務省のコラボと決定的に違うのは、彼らの告解に「エンタメ性」を入れていなかったという事だと思います。受刑者たちが詩の中で、いくら自らの生い立ちを言葉にしても、『空が青いから白を選んだのです』では彼らのバックグラウンドについて重みだけが残るように設計されており、安易な赦しも武勇伝として機能する余地も、作品は全く与えていません。

そして、「ケーキが切れない非行少年」とか「教育困難校」 といった、スラムツーリズム的な目線で弱者をカネにする興味本位も、『空が青いから白を選んだのです』はちゃんと拒絶しています。

 この記事が指摘している通り、「更生とは「映えない努力」の積み重ねじゃないのか。」という言葉通りだと思います。

その辺りにおける真面目な姿勢を、『空が青いから白を選んだのです』ではキッチリ貫徹していると感じたんですよね・・・。そういう所から出てくる刺激で釣るといった要素も全くないし・・・。

まぁ・・・、自分だって、レイプされた人や被害者遺族の気持ちはどうなんだよ?という疑問はあったけど、それがメインテーマじゃないわけだし・・・。 

まぁ・・・何か法務省もコラボする相手を間違えてしまったようだし、コラボするにしても、もう少しシリアスで地味なスタンスのメディアを選ぶべきだったのでは・・・と思います・・・。

 

2026年8月23日日曜日

今日はコインランドリーに行きます

 今日は・・・時間があれば、コインランドリーに行きたいです・・・。

漫画の新刊も買いたいし・・・。 

2026年8月22日土曜日

「キミが消えてしまう前に」をプレイしました

 ニケ氏のノベルゲーム「キミが消えてしまう前に」をプレイしました。

ゲームの主人公は、とある事情で通っていた高校を転入する事になった、アキトという名前の少年です。早速転入先の高校へと登校したものの、何故か闇夜に包まれた廃校に迷い込んでしまい、しかもそこには未練を抱えた少女の幽霊達が棲み着いていました。そして、幽霊の一人である少女のナノから、アキトは彼女達のの成仏をサポートする事を頼まれますが・・・。 

この作品は、トゥルーエンドまで辿り着いた上で感想を書かせて頂きますが、「真っ当さ」がストーリーを支えていると思いました。 今日、創作において世の中の理不尽さや不条理さをただ強調し、そこに対する正義や問題提起が必ずしも作用しない事を逆手に取り、「事実」と称して根無し草のような傍観を好む風潮があると感じています。

ですが、「キミが消えてしまう前に」は善人が報われない事を「正しさ」や「現実」といった言葉で矮小化して思考放棄していません。社会や他者に対して良き作用をもたらそうとと努力する事は、例え世の中を完全に改善する事はできなくとも、正義や良識を持つ事自体が報酬(これは、山本 弘氏の『神は沈黙せず』でも書かれていましたね)であるし、 相手に死んでほしくないと思わせるぐらい愛される、重要な作用だってあるはずです。だから・・・私は何か、フランク・キャプラ氏が監督した「素晴らしき哉、人生!」とか「オペラハット」とかいった映画を思い出したんですが・・・。

そして・・・特に登場キャラクターの一人である、ホネくんを演じられた声優の、エンジェル有林プリンシパリティ氏の演技は、すごく上手かったです。ホネくんの陽気さを、無駄に声を張る事なく、絶妙な声の据わり具合で表現されていたので、そのキャラクター性にグイグイと引っ込まれました。すみません・・・これは他の声優さんがダメって事じゃなく、イロハも結構好みだったりします・・・。ああいう芯の通った大人性のあるキャラクターと、あと髪の長いキャラが好みだったりするので・・・。 

 

ここまでいろいろ書いちゃいましたが、ちょっと以下では本作で引っかかる事が正直あったので、敢えて書きたいと思います・・・。

(修正日は8月24日です:時代考証で、2010年以前にスマホやLINEは普及していないという趣旨の事を書きましたが、キャラクターの年齢を再確認し、こちら側が間違っていた事に気づき、当該文章は削除しました。ニケ氏には、こちら側の怠慢で誤解を招くような文章を載せた事を、心から謝罪いたします)

そして・・・もっと重要だと思ったのは、「あの辺り」における描写です。「あの辺り」に対する苦悩、それから当事者に対する悪意や差別意識は、単なるいじめではなく、これまでの歴史的背景や社会の構造という深刻かつ複雑な背景が積み上げられており、「あの辺り」を加害と被害の関係として表現するのなら、現実性に基づいたストーリー展開やキャラクター造形が「線」としてある程度は欲しいと感じました。

だからこそ、本作では「あの辺り」に基づく悲劇が、ライト寄りの萌えみたいな「点」からの想像でしか機能していない所は否めない・・・と正直思いました・・・。

着眼点が着眼点だけに・・・ちょっとかなり感じる部分があったので・・・。 

2026年8月21日金曜日

キックボクシングの話

 何か、キックボクシングの大会で金髪少年が、表彰式で優勝者にやったあの動画ですが・・・。

あれ・・・自分だって礼儀正しく学力ある10代を過ごせたとは、到底いえないわけですが、今、ちょっと地続きなんじゃないかな~という光景をちょくちょく目にしていて・・・。

何か地元に住んでるような子がショッピングモールで走り回り、エレベーターにも飛びこんだりして、書店内で「ウンコ行きて~」みたいな言葉を連発してるのを見て、親は何をしてんだろ・・・みたいな考えがぼんやりと浮かんだんですよね・・・。 何か嫌悪感溢れるヤンキー仕草というか・・・。

まぁ・・・ベルト返上っていうのも・・・色々考えてしまうというか・・・。

でも、「リスペクトのない選手とはやらせません」っていう決断は、いいと思いますよ・・・子供はともかく、業界の民度を守るためにも・・・。

こういうの・・・イラスト界隈でも、アート界隈でもかなりおるからな・・・。

自分も気をつけないと・・・。 

 

2026年8月20日木曜日

これから外出します

 これから・・・外出しようかと思います・・・。

何か『幼稚園WARS』という漫画が気になっていたので・・・読んでみたいなーと思っています・・・。 

2026年8月19日水曜日

山陰は遠い・・・

 まぁ・・・山陰というのは、関西や九州へ行くのと比べ、結構時間がかかるんですよね・・・。新幹線とは違い、特急で山地をトンネルでぶち抜き、あるいは避けるような線形を走っていくので・・・。

というわけで、鳥取県立美術館で開催されていた、谷口ジロー先生の展覧会にお邪魔してきました。『孤独のグルメ』を読んでいたので、それ目的です・・・。水沢 悦子先生の『花のズボラ飯』繫がりで知ったんですよ・・・あの作品は・・・。

やっぱり、あの「人間火力発電所」からボルボ850のエンジン始動に繋がるシーンは、マジで痺れます。あのエンジンの描きこみ・・・俺には真似できん(汗)あのシーンを見られたんでホント感慨深かったです・・・。

で・・・ボルボ850ですが・・・あれね・・・あんまし変な印象持たれたくないからずっといってませんでしたが、親戚が持ってました・・・紺色のやつを・・・エステートじゃなくセダンタイプを・・・。 

2026年8月18日火曜日

もう9時か・・・

 もう9時か・・・。

お風呂が沸いたので、そろそろ入ります・・・。 

明日はまた、新幹線に乗らんといけんので・・・早めに寝ますかね・・・。 

2026年8月17日月曜日

もう取り掛からなければ・・・

 そろそろ制作に取り掛からなければ・・・と思います・・・お盆シーズンである分、仕事が量としてのしかかってきてたので・・・。

ところで、懸垂式モノレールって、保存が普通の鉄道車両より難しいな・・・と感じます。

「ポッポの丘」に行ったからわかるんですが、やっぱり車輪が天井部分にあるので、それをどうするか・・・という話ですよね・・・と・・・。

 

2026年8月16日日曜日

今日は長楽寺に行きました

 今日は長楽寺方面に行って・・・やっぱりあそこら辺は、可部方面と同じように交通費が高くなるね・・・約500円位か・・・。

時間もかかるし・・・。 

そういや『ちいかわ』の映画版・・・機会があったら観ようかと思います・・・。周りの反応から、こっちとの相性は悪いと思うけど・・・。 

2026年8月15日土曜日

興味深い話

 最近、興味深い記事を読みました。まぁ・・・『みい山』に批判的でありながら、そのアニメ化については慎重にディスタンスを取った上で、肯定を下していますが、これがただの左派叩きや反差別への逆ギレ(所謂、「表現の自由戦士」的な)みたいな罵倒になっていないのがよかったです。反対派の存在を尊重し、国旗損壊罪を支持した上で「表現の自由」が語られるからこそ、その理念を誰よりも理解した、重たい意志表明だと私は認識しました。

ですが・・・これは「不快だから止めろ」という話じゃないです。こちらの記事が指摘するように、『みい山』はそういう表現を基本的人権とか公共の福祉とかが優先されるような状況に出した結果、売った喧嘩が結果として買われているという、当たり前の状況ではないかと思うんです。

で、2つ目のリンク先の記事の話ですが、シゲオは何とか助かる(日常生活に戻る)けど、ツバサが淫獣モンスターとして描かれる方が問題であり、ミサンドリー的な男性描写(シゲオやマオくん、みいちゃんを暴行したチンピラとかが醜く描かれる)より重大なものだと思います。実際にそこら辺から、記事の指摘通り旧優生保護法の礼賛や植松被告のヒーロー視はかなり見ましたし・・・。

 

まぁ・・・なんでそういうのがいけんかといっても、いくらでも屁理屈は現れる訳ですが、誰だって年老いると病院や福祉の世話になるわけだし、いつどこかで障害者になったり、もしくは障害児を出産してしまったり・・・という状況になるかもしれない。そんな時に、自分を粗雑に扱うような漫画で現実をわかった気になり、ドヤ顔で社会の害悪かどうかを前提に論じられたら、どういう気持ちになるか・・・?という話であって・・・。

それと、第二次世界大戦時のミュンスターにある教会の司教、クレーメンス・アウグスト・フォン・ガーレンは(障害者について死や断種措置を望むという事は、勿論こういう史実も知ってるという前提で話を進めます)ナチスのT4作戦について、こう説教しています。

「(前略)すなわち、われわれが年をとり、非生産的になれば、だれもが命を危険にさらされるということなのです」(引用元:エリザベート・ツェラー『アントン:-命の重さ―』164Pより) 

だからこそ、『みい山』への賛同意見は、結果として自分の首を間接的に絞めている事に繋がっていると思うんですよ・・・。それでいて、自分だけ人権を保障されて助かりたいと思っているのなら、民主主義の理念にタダ乗りしてるだけであって・・・。 

そういう部分から、あんなコンテンツは予め基本的人権や公共の福祉が作用しない事を前提(要するに閲覧のハードルが高い)とした、暗い場所で公開すべきだったんじゃないかと・・・。実話系雑誌とか、成人向けコンテンツとか、提供者も受け手も、「なぜ差別やヘイトを表に出してはいけないのか」がお互いに分かった上で楽しむようなプラットフォームであれば・・・と・・・。

 

 

2026年8月14日金曜日

今日は入れませんでした

 今日は満員の為、某所に入れませんでした。仕方なく、ケンタッキーで昼食を・・・という感じです・・・。

そういえば、そばをすするかすすらんかの話(『りゅうとあまがみ』の2巻でもありましたね)ですが、自分は気になりませんけど、スパゲッティですすってたら流石に「おいおい・・・」となります・・・。

2026年8月13日木曜日

それなりにわかった事

 Stable Dffusionを動かすために、必要なハード環境を到底そろえる事ができないので、ここでは、GeminiとGrokをメインに使ってみて、それなりにわかった事を書いていきたいと思います。

まず、大前提としてGrokはやや緩めですが、両者とも露骨なエロとロリ(未成年系の性描写)は言語道断で、残虐な内容の絵(例えば人体切断・凶器の保持など)も生成できません。これ・・・私が積極的にそういうプロンプトを入力しようとしたという意味じゃないですよ(汗)で、Geminiでプロンプトを入力し続けると、イラストが作成されるうちに線がガサガサになり、着色も溶けたようになってしまいます。
絵を売るには「絵柄」とか(これは、私みたいに下手という言い訳で機能しやすいですが)「個性」とかいった信用もついてまわるし、AIイラストってそこら辺が苦手だと思うんですよ。「可愛らしい」とか「萌え系」といっても、均一化されやすいですし。 

最近でも熊本の地震におけるピース写真のように、著作権問題やモラル面でも白い目で見られやすいAIイラストが、商業の土壌に上がるかといえば個人的にそうでもない気が・・・。

なら、自分で描いた方が早いじゃん・・・という風になり、ああいうのはあくまでも遊び程度で・・・という結論になりましたが(課金もしてないザマなんで・・・)、だからといって反AIという立場かといえば・・・そうでもないんですよ・・・。

何か絵が描けない人がAIイラストを制作する事について、前者の人がその能力や才能を誇示するポストをXでちょくちょく目にしますが、ああいうのも何かね~と思います・・・。大体、絵が描けなくて小説が書ける人は、この世にごまんとおるのに・・・。全員が全員、あんびるやすこ氏や岡本 淳氏とは違うし、手描きを必要以上に特別視している徒党性も、何か嫌だな・・・とも・・・。そこら辺言語化できてないんですが、自分も手を出したから余計に感じるのか・・・。

2026年8月12日水曜日

『ヤンときいろいブルンル』の記憶

 小学生の時に、『ヤンときいろいブルンル』という絵本を買ってもらった事があります。何か、『いやいやバスの3ばんくん』とか『しょうぼうじどうしゃ じぷた』みたいな乗り物絵本かと思っていましたが・・・結構刺さってしまう話でした・・・。

なんか、とある家族にヤンという猫が飼われていました。で、ヤンはその家族が所有している黄色い小型車のブルンル(ズバリ、ワーゲンビートルです)と仲良しでした。ですが、旧型車のブルンルは故障が頻発し始め、堪忍袋の緒が切れた家族はブルンルを手放して、ついに新車を買います。ヤンはブルンルを探すために家から飛び出して、街を彷徨い、ついにブルンルと再会しますが・・・。

(ちょっとネタバレ恐縮ですが)ここに、作者であるやすい すえこ氏のシビアな問いかけがあるように思われました。ブルンルと再会したヤンは、ブルンルとの絆を優先し、結果として飼い猫という守られた生活を蹴ってブルンルに住み着く野良猫になります。これでブルンルが運よく誰かに拾われてレストアされ、ヤンもそのオーナーに飼われるというラストであれば、スカスカの美談になってしまいますが、安易な救いを用意しないラストだからこそ、痛みを理解させる深さと美しさが、『ヤンときいろいブルンル』にあるのだと思います。

ここで、ちょっと話が飛躍するようですが、私は「楽園追放」というアニメを思い出しました。あれだって、アンジェラはフロンティアセッターを助けた代わりに、ディーヴァを敵に回してしまい、(マテリアルボディに意識が閉じ込められたが故に)いつかは死ぬ生活を過酷な地上の世界で(ディンゴと一緒に)送らなければならなくなります。ですが、仁義の為に修羅の道を選ぶという面では、何か『ヤンときいろいブルンル』と共通点があるかな・・・とも・・・。

まぁ・・・「楽園追放」の方が何かラストは前向きだったし、どっちかというと楽しみを優先した作品でしたけど・・・。 

2026年8月11日火曜日

今日は接近メロディーが変わっていました

(8月12日:ちょっと内容を加筆修正しました) 
今日、JRを利用した所、接近メロディーがいつの間にか変わっていて・・・まぁ・・・別にいいですけど・・・。

何か色々とメンドい事が起きてるな・・・と思います・・・ホントに・・・。 

ああ、そういや『みい山』みたいな話と実際の障害児にまつわる問題を繋げるのは、それこそあんな作品で現実を理解しようとする「横着」をしているようで嫌ですが、一応なんか腹の底から感じてきたものを出しますね。そこら辺のデカい声でされる障害者語りには思う事は色々ありましたから・・・。
 

ここからは、障害者やその福祉関係においてデータや学力を加味せず、経験則ありきで書いているので、同じようなスタンスで『みい山』を擁護している層と同罪だという後ろめたさを持ち、敢えて書いていきたいと思います。それで誤解があれば、私も加害者であるという自覚と覚悟を持って・・・。

私が小学生の時です。私より年下で知的障害を持っていましたが、敢えて特殊学級ではなく普通学級に通っている子がいました。その子はすぐ癇癪を起して泣きだしたり、他の子に抱き着いたりしていて、それを他の子達から逆手に取られ、「エイリアン」 とからかわれ、追いかけ回されていました。彼が狙われるのが主に登校中だったので、担任の先生が車でその間パトロールしていたんですが、ここで問いたいのは、パニックを起こしたり、誰彼無しに抱き着こうとする子が悪いのか、それとも、彼を取り囲み「エイリアン」といって囃し立てた子が悪いのか・・・?という話です。 
正直にいうとあんな漫画をソースに、障害者や福祉を「わかった気」になるより、そういう事について突き詰めて考えて欲しい・・・そう思っています・・・。

 ああ・・・それとこの文章も知的障害者が誰彼無しに抱き着くとか、癇癪が起きやすいみたいな話がしたい訳じゃないです・・・特性は人それぞれですし・・・。だから、「やらん子」もいるという事こそ、「真実」であり、みいちゃんやツバサのようにお店のものを無断で食べたり、教室で奇声を上げる事(そして、保護者も迷惑な存在として描く)「ばかり」を障害者の特性として描いた『みい山』で学ぶと、問題を100%見誤ると思います。

 これだって(上にも書いたように)経験則で書いてる危うさはあるし、障害者が直面している現実は、彼らの自己責任じゃなく、健常者とその社会が孕む問題でもある・・・という事がいいたかったんです・・・すみません・・・拙い書き方で・・・。 



2026年8月10日月曜日

殺す愉悦

先日刃物を持った男を警官が発砲し、容疑者が死亡した事件がありましたね?大阪で・・・。で、その警官に対して一方的な礼賛と左派嘲笑が行われていたのを見てから、やっぱり法治主義は民意とは距離を取ったインデペンデントな存在じゃなきゃ・・・と思う訳です・・・。

同時に、私は、宮下 洋一氏の『死刑のある国で生きる』という本がオーバーラップしたんですね。その中の8章で、死刑制度の無いフランスで犯人射殺という死刑が行われているというのを見て、ニュアンスは違うかもしれんけどまさにそうした状況が・・・とも・・・。

そして、警官は公僕であり、その給料は市民の財産です。容疑者の発砲はそのお金で賄われたのであって、納税者が単なる(殺意に基づく)愉悦を叫んでいるのであれば、そこら辺の自覚や責任感の欠落も厳しくチェックしなければ・・・と感じています。まだ不明な部分(或いは、調査中の部分)がある状況で、結果として公権力が武力行使ともいえる状況に発展した事に、脊髄反射で一方的な礼賛を送るのを見て、そうした民意の俗情が法治主義と結託するような状況なんて、社会にとって有害でしかないなとも・・・。

やっぱり「12人の怒れる男」っていう映画でも、差別発言をまくしたてた有罪派の陪審員に、みんながそっぽを向くシーンがあるじゃん・・・。ああいう純度の維持はあっていいんじゃないかと・・・ある程度は・・・。

それと、これは感情論になっちゃいますけど、この記事に概ね同意です。 
容疑者が警官に撃たれて死亡した時に、大喜びで礼賛する人は、その銃口が自分に向く事を想定していないし、何か関東大震災の時に現れた自警団みたいだな・・・とも・・・それと、坂上 香氏の『ジャーニー・オブ・ホープ:被害者遺族と死刑囚家族の回復への旅』でも、アメリカの刑務所で死刑執行が行われる時、第3者の賛成派がスポーツ観戦でもするかのように大はしゃぎしよった下りを思い出します・・・今の騒動を見よると・・・。

 





2026年8月9日日曜日

トンネルが多い?

 よく、山陽新幹線は東海道新幹線と比べると、トンネルが多いといわれます。まぁ・・それは私もよく思いますが・・・。外が見えたと思ったら、すぐ轟音に包まれるというか・・・。

でも、そのおかげで時速300キロ出せるんですよね・・・。

帰りの新幹線で、姫路を通過したら急にちょっとGがかかりはじめるけど、まさにそれなんですよ・・・。逆だとわずかなスピードダウンというか・・・。

そういえば、8両編成化したN700系は、カラーリングを変えるらしいですね・・・。まぁ、差別化の為にはありかと・・・。 

2026年8月8日土曜日

少年漫画の棚に置かれてました

(8月8日:最後あたりの方に加筆修正しました) 
(8月9日:また、最後辺りの文章に加筆しました)
(8月20日:また、最後辺りの文章を加筆修正しました)
まぁ・・・亜月 ねね先生には申し訳ないけど、もうダイアナとかじゃなくて、あんな表現をオモテに出すのはともかく、アニメ化だけは大概にして欲しいと思うんですよ・・・。まぁ・・・別部門の編集者さんの発言と含めて、ネットリンチそのものが目的化しよるのを見ると、何だかなーとは感じますが・・・。一番問題にすべきは知的障害者への差別が作品(内の表現)をステップに拡大している状況で、そういう漫画から更にみんなの目に届くような、アニメ化という手段が行われようとしている事だと思うんで・・・。

大体、編集者さんが東大学院卒だからじゃなくて、問題は天然で人の苦境を面白がるような事をいった発言そのもので、批判に属性とか容姿を持ち出すのはアカンでしょと・・・。それ・・・首相が理事長に便宜を図ったんか図ってないんかみたいな話で、偏差値やレベルをあげつらって、学生や教職員を罵倒していたX民と同じかと・・・。一応、親戚に東大卒の人がおるしなぁ・・・。

ここで、『みい山』に話を戻しますが、 実は、地元の書店(某所の〇伊〇屋書店)の少年漫画コーナーに、『みい山』が並べられたんですよ・・・。ですが、最初にも書いた通り、知的障害者が淫獣(みいちゃんやツバサみたいなキャラクターが)みたいな存在として描かれ、際どいエログロがかなりあるような作品を子供の手に置けるような場所に置くようなやり方に・・・ちょっとどうかねと思ったんですよ・・・。紀〇国〇書店の店員さんに、いおうかいうまいか考えましたが、結局後者を選びました・・・。

アニメ化に反対というのは・・・そういう意味もあって・・・ね・・・。もしあんな作品のアニメの特集記事がニュータイプとかアニメージュで組まれるような未来も、正直来んで欲しい・・・そう思います・・・。 
なんで反対しとるんかっていえば、ここでも民意とか表現の自由についての私感を書きまし、正直にいいますが、私もセンシティブな事を粗雑に扱うような表現や、良識に楯突くようなエログロ系の表現は好きです。

ここからは自戒として書きますが、あんな表現を享受しているからこそ、どうして差別やいじめが許されないのかが正しく理解していない人達に、悪趣味な創作物は都合よくできていないわけです。だから、「みいちゃん」が知的障害者を揶揄するスラングとして急成長し、あの(福祉や知的障害者関係について)いい加減な描写が「真実」と祭り上げられて、大ヒットと共に偏見の正当化や助長に繋がっている現状があると思います。
だからこそ、一番人権問題や社会問題の被害者になりやすい人達の人権や尊厳を侵害してしまう形になる(この記事みたいに)という現実があるわけであり、作り手にしろ受け手にしろ、わかっている人達同士が限られた場所で楽しむべきものじゃないのか・・・ああいうのは・・・と思う訳ですよ・・・。

そんなものが表社会で容認されてアニメ化までいくと、このポストが指摘しているように、けじめがない人や無責任な人も簡単にそうしたコンテンツに参入できることを意味していて、人権侵害の助長のみならず、表現の自由全体が更に劣化していく事にならんか・・・という危惧も抱いているんですよ。それと、アニメ化って事は国際社会にもその名をしられるという話であって、もしもの時に結局全ての創作者と受け手が、成人向けだろうと商業だろうとバカを見るという事態にもなりかねんという不安もあって・・・。
それと、亜月 ねね先生の『みい山』における表現手法はともかく、編集部のアニメ化発表の日とかアクスタでの悪乗り、ヤンマガ編集者の発言などに起因する、障害福祉に対する分野の粗雑な姿勢から見ても、企業の社会的責任に照らし合わせ、アニメ化は到底・・・という気分です・・・。

俺だってアレ系のイラスト(まぁ、そっちは趣味としてですが)を別の世界でやってるけど、それが表に出れば性暴力や性犯罪に対して間違った情報を垂れ流してしまう(ちょうど、『みい山』に真実を見出す読者のように)事にもなるし、当事者へのセカンドレイプにも繋がってしまうからな・・・。 何でも表に出せばいいってもんじゃないし・・・。

そして、日本国憲法21条における表現の自由ですが、この記事が指摘しているように、第2項において「検閲は、これをしてはならない。」と書かれている通り、公権力が検閲をしない事を約束しているという話であって、今回のアニメ化批判批判で「表現規制」を持ち出すのは筋違いじゃないかと思います。相手は日本国民なわけですし。

で、『みい山』を擁護する際に必ずいわれる「表現の自由」ですが、リンク先の記事では「君らが守りたいものって広義の表現の自由じゃなくて、表現の自由によって自分たちが得ている既得権益やそれを得ている自分自身ですよね?」と指摘されてましたが、まさに何かあの界隈が孕んでるアレな部分を見事にいい当ててるかと・・・。

何か既得権益とか利益というと、(結構昔の話ですが)都条例騒動で表現者ファーストを持ち出していた漫画家や反対派を思い出しますね・・・ここでは詳しく書かないけど・・・。 

更に、自由全般についてですが、日本国憲法第12条では、自由と権利について「濫用してはならない」と書かれていて「公共の福祉のためにこれを利用する」責任もしっかり科されている訳であって、なんか反対派がそういう事(つまりある程度の責任が科されている現実)を出しているかといえば、あんましそうでもないような気も・・・。 

 

2026年8月7日金曜日

子供に見せるな?

 まぁ・・・こういう事は昨日書けばよかったんでしょうけど・・・何か、平和記念資料館に子供向けのエリアが新設されるという事ですが、広島市の在住者(ついでに祖父も入市被爆している)としては、OKじゃないかという思いです。これは他の戦災や震災関係にもいえる事ですが、そろそろショッキングな感傷で無理やり背負わせるという教育方針には検討が必要なんじゃないでしょうか?「怖くない資料」を選択するというのは無関心ではなく、それだけ他者への想像力があるとも考えられるし、一律にインパクトを狙い、情動ばかりに訴える教育手段が美談とされている風潮が、じわじわと古典に近づきつつあるのでは・・・とも・・・?

デイヴィッド・ソベルの『足もとの自然から始めよう』という本でも、環境破壊に対する大人の使命感が先行しすぎ、小さな子供に石油流出や山火事などの悲惨な映像を見せる事の弊害が、まっとうな思いやりで書かれていましたし、こうしたポストにも書かれている通り、「ただ鬱になるだけ」が平和教育関連において目的化している部分はあると思います。

私だって、そういうショック療法が今になって役に立っている部分はあります。ですが、 獲得した結果は所詮は生存バイアスだし、教育というのなら、トラウマ的ダメージを与えた結果に対して、アフターケアやリカバリーにかかるコストを都合よく放置するのは無責任だし(そういうのは、スポ根のような根拠の無い精神論と紙一重だとも感じます)、できないのなら子供への配慮という形で展示エリアが新設される事は、甘受すべきだと思うんですよ・・・。
藤原 正彦氏の『国家の品格』ではありませんが、平和教育の結果とメリットを考えるなら、単にショッキングな事実の情緒的な羅列ではなく、全ての教育機関が学年別に行っているように、子供の発達段階や年齢に合わせた資料提供や情報の選択は必要だと感じています・・・。それって、「自分は子供の頃、サーフィンで20メートルもの波を乗り越したので、子供達もそうなるべきだ。もし溺れてもその恐怖は人生の糧になるからいい」っていうのと同じかと・・・。

2026年8月6日木曜日

『オレらは絶対だまらない:サイコーな毎日をとりもどせっ!』を読みました

 七都 にい氏の児童書『オレらは絶対だまらない:サイコーな毎日をとりもどせっ!』を読みました。まぁ・・・七都氏の代表作である『ふたごチャレンジ!』シリーズのDNAを引き継いだ問題提起系の話であり、久々のみらい文庫レーベルから出版された作品だったんで、新鮮味がありました・・・。七都氏のイラストといえば、もうしめ子氏の作品を長く見ていた事もあり、ちょっと視覚調整も必要でした(笑)

で、何か小学5年生になったばかりの札元 ダイヤや藤咲 マナカのクラスでは、担任の鷹野先生が考案した、「特別チャレンジ制度」が始まります。勉強や運動などを頑張り、ランキングに入れば特別チャレンジ券を鷹野先生から貰えるという決まりです。

全員が意気揚々と「チャレンジ」に挑む中、ランキングを巡ってクラス内では諍いが起き始め、しかも、成績がよかったりや運動が得意だったりしてもランキング外。しかも、ランキング上位にいる子供達が横暴な振る舞いを見せ始めます。

これは怪しいとダイヤ達は疑い、調査を始めますが、同時に「特別チャレンジ制度」の歪んだ事実が露わになり始め・・・というストーリーですが、私は(ここでも書いていますが)ランキングより、競争に対する私達の態度を問われているような重みがありました。

 あらゆることが数値化し、インセンティブが叫ばれる中、鷹野先生がやっていたような事は世の中にあふれています。女子や浪人生だけを入試で不利に扱い、特定の受験生だけを優遇していた東京医大を始めとした医大群、フォルクスワーゲンの排ガス不正問題等、真面目に競争に参加している側からは指弾すべき事が多数あります。私だってズルをしていたかといえば「NO」なんて断言できませんし・・・。

それと、ランキング上にされた子のふるまいのようなものも、私は現実で結構見てる感じがします。自分の例でいえば、東京芸大卒で賞歴もかなりある作家さんがそうでない人を侮辱するような発言をしていたり、自分のキャリアを暴言を吐く形で誇示する作家さんなどなんですが、競争自体が問題なのではなく、そのプロセス(参加する側と主催者)が、それをベースとして運用される社会だからこそ、厳しい公正性と倫理的なものに立っていなければならないという思いが浮かびました。 

だからこそ、(ここからはネタバレ恐縮ですが)鷹野先生だけを排除してめでたしにするのはどうかと思いました。これって、R・J・パラシオ氏の『ワンダー』でジュリアンを退学処分で済ませた事で反差別となす事のモヤモヤにも似てるんですよ。社会問題って、「善VS悪」みたいな単純明快なものじゃないです。お互いの行為の作用と責任を問わないと、正義としては片手落ちだと思うんです。

だからこそ、ダイヤ達が正義の味方として鷹野先生を成敗するというのは、社会問題の告発としては薄味に見え、多くの社会派児童書が陥っているワナを辿っているともいえました。これで子供ばかりに鷹野先生を糾弾させるのではなく、フラットな目線で問題を裁き、周りの大人のサポートが入っていれば、更によかったのに・・・と感じます・・・。

ところで、寧ろ、『ふたごチャレンジ!』で露骨な性差別やパワハラをしていた豆田校長が懲戒免職処分にならんのは不自然だなーと思いました。せっかく「ホワイト革命」までやったのに・・・。 

2026年8月5日水曜日

明日の問題

明日は・・・結構な問題になると思いますよ・・・。だって、高市氏だもんねぇ・・・。

国旗損壊罪についても、時間があればいっちょ噛みしてみたいなぁ・・・。 

2026年8月4日火曜日

ジャンキーな漫画

(8月5日:一部加筆修正しました)
 

―そもそも、あの程度のお遊びならネット中にあるじゃねえか!それなのに、どいつも無駄に大騒ぎをして、この俺の経歴に傷をつけようとしやがる!黙っていればいいものをよ!

                               コナミ「s.l.a.i」より 

まぁ・・・一応、レンタルコミックで『みい山』はちょっと読んでみたんですが、はっきりいって、こういう露悪寄りの話はよく実話系雑誌に掲載されているもので、つまり知的障害者とかセックス、夜職みたいなものを、便所の落書き感覚で題材にしたジャンキーな漫画と割り切って読めば、正直面白い部分もありました。モモとかココロみたいなキャバ嬢達の黒い本音とか、不快を煽る演出に依存しない、ギスギスの描き方はすごい上手いなと・・・。

実話ナックルズとか週刊大衆とか・・・正直、時折私も買って読むことがありますし・・・。

ですが・・・やっぱりストーリーの性質が性質故に、『みい山』はメインストリームに出してはいけない作品だったと思います。いくら口先で「差別はいけません」とか「弱い人には同情しましょう」とかいった所で、人権や平等といった社会の建前よりも、民意のリテラシーや意志というのは案外脆く、『みい山』の単行本があっという間に累計発行部数280万部突破しましたが、同時に知的障害者の正しい理解なんて進んだんでしょうか?「学びを得た」なんて人達が、真面目に障害者福祉に向き合うような事がありましたか?


Xあたりを見ればすぐわかると思いますし、その「好意的」な感想が、(知的障害者を揶揄する「みいちゃん」というスラングの定着に併せ)障害者の実態や福祉の現実を、漫画内の表現をソースにして間違った事を平気で書き、あまつさえ当事者の差別や迫害すら容認している以外のものが殆どだったと感じています。
「問題に関心を持つ機会として、ああいう漫画があっていい」という意見もありますが、そういうのは、「クルド人問題に関心を持つきっかけとして、石井 孝明氏や神谷 宗幣氏の活動があってもいい」という話と同じじゃないですか?

この記事を見ても「『みい山』が話題になる事はあっても、これら具体的な障害福祉の問題が真剣に話し合われる事はない。」と書かれています。そりゃそうだろうと思います。『みい山』は障害福祉を真剣に描いた漫画じゃないし、近親相姦とか(モモがいっていた)受容体がどうたらみたいな話に、「学びがある」真面目に受け止めるような人間に、やる気を期待する方が無理というものでしょう。問題なのは、新宿区議や公的な地位にいる専門家などが、そういう発言をしている事でしょう。前にも2回程書きましたが、児童文学作家までもがこの作品を支持している始末ですから。

こうした「民意」に応えるように、『みい山』はこの度アニメ化が発表され、炎上状態になっているわけですが、これまでの経緯を見れば、作者である亜月 ねね先生だけが悪いとはいえません。バズっているというだけで、相手がどういう人間なのかをちゃんと調べもせずにプロの世界へと引きあげて、彼女を教祖としてやりたい放題してきた講談社の編集部も、ギルティだと思います。

 そして、あの編集部の動画(編集者の無責任な姿勢)とか、一番悲惨なシーンをネタにしたアクスタ企画、よりにもよって相模原事件発生日にアニメ化を告知する節操の無さを、作品内容と併せると・・・ここからは、もう心を鬼にしなければなりませんが、アニメ制作は中止でいいんじゃないかと思います。これ以上、『みい山』に対する民意に応えるような事があれば、いずれネットの俗情と結託して規制緩和され続けてきた「表現の自由」が最悪な形でツケを払う事になると思うんで・・・。(アニメ化の効用を考えれば)国際的にも・・・。

俺もギャラリーの企画書ボツになった事があるから、敢えていうけど・・・。 

で、アニメ化及び『みい山』の擁護意見からは、表現の自由はともかく、「正義の暴走」とか「表現の自由とは不快なものを守る事だ」とか、noteやXでも屁理屈めいた意見をかなり見ますが、表現の自由とは、作り手の一方通行で決まるものじゃないです。
リンク先の記事の人も書いていますが、表現の自由より、人権問題の方が割と本人の生死について影響力があったりするので、前者を天秤にかければそっちが優先されるべき場合があると思います。社会の日向に近づけば近づくほど、人権や法律が優先される割合が高くなり、その辺りで折り合いをどうつけるかという議論に晒されるのは、至極当然の事でしょう。
だからこそ、表現の自由を守るという事は、自身の責任能力に基づいてTPOを選び、時にはその権利を留める事とセットでなければ、自由に値しないと思う訳です。それが嫌なら、日陰でひっそりとやるべきであって・・・。

そういう所から、(アニメ化を含め)『みい山』批判批判派の言動を見るにあたり、今の日本における表現の自由というのは、そうした権利や自由を行使するどころじゃない、切実な問題を抱えた人達が守られる事より優先されるものなのか・・・と思う訳です・・・。
塩見 鮮一郎氏も自著『作家と差別語』であの手の被害者意識を指摘してたしな・・・。断筆宣言のやつですけど・・・。

  

まぁ・・・まとまらん形で色々と『みい山』について書きましたが、これだけ亜月先生を中心にしてカネと人材が動くような状況まで持ち上げて、売上も還元してもらったんだから、講談社はちゃんと亜月先生だけに何かいわせるんじゃなく、やっぱり彼女をここまで育てた会社として、説明責任は果たさなきゃいけんのんじゃないか・・・そう感じています・・・。




 

 

 

2026年8月3日月曜日

反労働系

 この暑い中、バイトに行って・・・「ここでヘタっちゃいかんよ?」とか思う訳です。私よりも長い時間働いてて、しんどい仕事をしてる人なんか山ほどおるし、ですが・・・やっぱり学校が(何らかの理由で)休みになったり、仕事から早く帰られれば、「ラッキー」と思う人は、同じ数ほどいるはずです。

私も以前は食品工場の夜勤で、大晦日にはおせち料理を作るために(一応、休憩時間込みでしたが)13時間工場内で働いてた事があります。短期バイトでも、真冬の冷凍庫からローラーで、クリスマスケーキの入った箱をトラックへ運んでいました。そして、昼の1時から夜の1時まで、サッカースタジアムの観客が出す弁当や飲み物のゴミをひたすら処理していた事もあります。

で、その経験を照らし合わせた上なんですが、どうも左派系の一部における経済的な言説では、資本主義自体を否定し、その流れで労働自体も否定するという、トラバントが走っていた過去の国よりも極端なものが流通しているように見えます。 

自分も最近Xで、「労働にNOを突きつけたい」みたいなポストを見たばかりなので、敢えて書きますが、たとえどんな形でも、人は(ある程度の)社会参画から逃れられないと思います。これは松本 次郎先生の『女子攻兵』とか、最近では森川 成美氏の児童書『アントネストの羊』とかでも触れられている事なんですが、この社会で労働に絶縁状を突きつけてたとしても、結局は自分が嫌う概念に支えられて生きているというダブルスタンダードがモロ見えになっているわけです。ああいう何気ないような言葉をXでポストするのだって、電子機器メーカーの工員や発電所の作業員、そこまでいえるような余裕があるような、生活環境を提供しているだろう建設会社など、見えにくいだけで「労働」という概念が日常生活に密接に関わっている訳です。来ている服だって、あるいは食事だって、誰かの労働があるおかげで成り立っていると思うのです。「労働にNOを突きつけたい」といいながら、自分がやりたくない事で維持されている環境に依存するというのは、結構ズルくもないか・・・と・・・。

そこで自分の信念を貫徹させるには、同じように労働にNOが突きつけられた環境に住む他はありませんが、多分それはきれいな飲料水も出ない、エアコンもまともに動かない、電気だって供給されない、まさしく『漂流教室』とタメを張れるような地獄でしょう。ああ、そうそう。現実にあわせてロボットが労働を肩代わりしてくれるというのもナシです。

こういう話が、(かなり昔の話ですが)「働いたら負けかなと思っている」という極端なケースから出るのではなく、それよりも地位と意識が高そうな所からという所が、あの手の議論の根深い病巣かもしれん・・・とうっすら思っています・・・。 

2026年8月2日日曜日

ヘイト本の記憶

(8月2日:少し内容を加筆修正しました)

―「それはね、”劣等”というの。世の中には、あまり価値のない、劣っている人間がいる、と思っている人がいるのよ」

                エリザベート・ツェラー『アントン:-命の重さ―』より

 ちょっと前に、(特に)中韓をあからさまに罵るような本が相次いで出版され、ヘイト本として問題視された事がありました。『世界で嫌われる中国』とか『反日韓国のトンデモ実態』とかみたいな・・・。

私も、『NOヘイト!:出版の製造者責任を考える』という本を読んだ事があるんですが、こうした記事を読んでいると、あの問題が公園の散歩に見えてしまうような感覚にとらわれてしまいます。正直・・・。まぁ、ころから社の姿勢はある程度は好きですしね・・・。

リンク先の記事にもあるように、Xで細々とガラの悪い漫画を描いてバズっていた作者を、出版社が声をかけ、編集者が(動画内で)嬉々として弱者に対する嗜虐的な言葉を天然で並べ立て、挙句の果てには悲惨なシーンをネタにするようなアクスタをプレゼントするような企画を立ち上げるような現状、更に相模原事件の発生日にアニメ化の告知をするような認識の甘さを見ると、何か昔の方がはるかに、差別を悪として断じやすかったんじゃないか・・・そう思うんですよ・・・。例えヘイト本が著名人から推薦される事があったとしても、大体一部の大学にいるアレな教授やアレな作家だったりするので、支持層も併せて社会通念上容認させてはいけない事だっていう空気が曲がりなりにもあったと思うんですよ。でも、今はカタギ向けの論客(そして児童文学作家までもが!!)が知的障害者を素人目線で性欲モンスターとして戯画化してるような作品を、「(自分が勝手に想像している障害者のタブーについて)よくぞ描いてくれた」と、堂々と推薦しているような有様を見ると・・・。

何かXでの指摘通り、もう事態がここまで発展すると、亜月 ねね先生(断じて亜月先生がこれまでやってきた表現や言動を擁護する意味ではありませんが)自体の問題だけじゃなく、公式が彼女を教祖としてやりたい放題している事が原因になっている気がします。 

何かこれ、あれだけ問題を起こしておいて自浄作用とか見込めるんでしょうか?と、正直思います。上にも書いた通り、もう亜月 ねね先生だけの問題で済む自体なってない以上、彼女に声をかけ、原稿料と印税を払う立場になった自己責任として「どういう覚悟で……人の子供殺してるの?」という話にはならんでほしいです・・・マジで・・・。 

亜月先生をプロとして担ぎ上げ、その表現を商業ビジネス化して現実のセンシティブな問題に対して無頓着な事を繰り返し、アニメ化まで約束しておきながら、今更亜月先生個人の責任として裏切る事は許されんだろ・・・そういう思いがあります。 

 

 


2026年8月1日土曜日

ダルバートを食べました

 最近、ネパール料理の店が近くにいつの間にかできとったんで、ちょっと行ってみました。で、ダルバートという料理を食べたんですね。そこで支払いの際、店主さんが「オヤジがインド料理屋をやってるんで」とDMを渡してくれました。しかも俺よりちょっと年下・・・すごいよね・・・。

まぁ・・・これは安田 菜津紀氏の児童向けノンフィクション『故郷の味は海をこえて』 を読んどった時に、ダルバートが出てきたのを思い出して・・・という感じでした。何か最初は(こういうのも結構不適切な例えですが、許して下さい)飯テロみたいに食欲をそそられていくんですが、その裏に書かれた現実を見ていく内に、徐々に苦味が広がっていく・・・そういう感じでした・・・。

で、ネパール料理の店に話を戻しますが、何かモモとアルジーラを頼んだんですよ。モモ・・・それは果物じゃなく、ネパール風の餃子です・・・。なんかイギリスのロンドンなんかカナダの(オンタリオ州にある)ロンドンなんか・・・みたいな話を連想しました・・・。 

最近の動向

 何か絵本ランキングがどーたらみたいな話を、ここで書きましたし、最近でも『ぽんたとなっちゃん』という絵本を買ったんですが、まぁ・・・これは部門の問題だとはわかるんですが、もう講談社の最近の動向を見てて、もうあそこの本はしばらく買いたくないな・・・と正直思いました。こういうの、新潮社に続いて2度目ですよ・・・。部門の問題と書いたけど、同社の青い鳥文庫の公式サイトだってこういう事をしてるしなぁ・・・。

何か、編集者さんの動画も炎上してましたけど、はっきりいえば、こういう傾向には斎藤十一イズム以上のものを感じているというか・・・。

なんか、講談社の児童書も、青い鳥文庫も買ってた身として、その出版社の本を買いたくないなんて悲しい判断をさせるような事を、これ以上しないでくれよ・・・と正直思います・・・。