まぁ・・・こういう事は昨日書けばよかったんでしょうけど・・・何か、平和記念資料館に子供向けのエリアが新設されるという事ですが、広島市の在住者(ついでに祖父も入市被爆している)としては、OKじゃないかという思いです。これは他の戦災や震災関係にもいえる事ですが、そろそろショッキングな感傷で無理やり背負わせるという教育方針には検討が必要なんじゃないでしょうか?「怖くない資料」を選択するというのは無関心ではなく、それだけ他者への想像力があるとも考えられるし、一律にインパクトを狙い、情動ばかりに訴える教育手段が美談とされている風潮が、じわじわと古典に近づきつつあるのでは・・・とも・・・?
デイヴィッド・ソベルの『足もとの自然から始めよう』という本でも、環境破壊に対する大人の使命感が先行しすぎ、小さな子供に石油流出や山火事などの悲惨な映像を見せる事の弊害が、まっとうな思いやりで書かれていましたし、こうしたポストにも書かれている通り、「ただ鬱になるだけ」が平和教育関連において目的化している部分はあると思います。
私だって、そういうショック療法が今になって役に立っている部分はあります。ですが、 獲得した結果は所詮は生存バイアスだし、教育というのなら、トラウマ的ダメージを与えた結果に対して、アフターケアやリカバリーにかかるコストを都合よく放置するのは無責任だし(そういうのは、スポ根のような根拠の無い精神論と紙一重だとも感じます)、できないのなら子供への配慮という形で展示エリアが新設される事は、甘受すべきだと思うんですよ・・・。
藤原 正彦氏の『国家の品格』ではありませんが、平和教育の結果とメリットを考えるなら、単にショッキングな事実の情緒的な羅列ではなく、全ての教育機関が学年別に行っているように、子供の発達段階や年齢に合わせた資料提供や情報の選択は必要だと感じています・・・。それって、「自分は子供の頃、サーフィンで20メートルもの波を乗り越したので、子供達もそうなるべきだ。もし溺れてもその恐怖は人生の糧になるからいい」っていうのと同じかと・・・。