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2026年8月2日日曜日

ヘイト本の記憶

(8月2日:少し内容を加筆修正しました)

―「それはね、”劣等”というの。世の中には、あまり価値のない、劣っている人間がいる、と思っている人がいるのよ」

                エリザベート・ツェラー『アントン:-命の重さ―』より

 ちょっと前に、(特に)中韓をあからさまに罵るような本が相次いで出版され、ヘイト本として問題視された事がありました。『世界で嫌われる中国』とか『反日韓国のトンデモ実態』とかみたいな・・・。

私も、『NOヘイト!:出版の製造者責任を考える』という本を読んだ事があるんですが、こうした記事を読んでいると、あの問題が公園の散歩に見えてしまうような感覚にとらわれてしまいます。正直・・・。まぁ、ころから社の姿勢はある程度は好きですしね・・・。

リンク先の記事にもあるように、Xで細々とガラの悪い漫画を描いてバズっていた作者を、出版社が声をかけ、編集者が(動画内で)嬉々として弱者に対する嗜虐的な言葉を天然で並べ立て、挙句の果てには悲惨なシーンをネタにするようなアクスタをプレゼントするような企画を立ち上げるような現状、更に相模原事件の発生日にアニメ化の告知をするような認識の甘さを見ると、何か昔の方がはるかに、差別を悪として断じやすかったんじゃないか・・・そう思うんですよ・・・。例えヘイト本が著名人から推薦される事があったとしても、大体一部の大学にいるアレな教授やアレな作家だったりするので、支持層も併せて社会通念上容認させてはいけない事だっていう空気が曲がりなりにもあったと思うんですよ。でも、今はカタギ向けの論客(そして児童文学作家までもが!!)が知的障害者を素人目線で性欲モンスターとして戯画化してるような作品を、「(自分が勝手に想像している障害者のタブーについて)よくぞ描いてくれた」と、堂々と推薦しているような有様を見ると・・・。

何かXでの指摘通り、もう事態がここまで発展すると、亜月 ねね先生(断じて亜月先生がこれまでやってきた表現や言動を擁護する意味ではありませんが)自体の問題だけじゃなく、公式が彼女を教祖としてやりたい放題している事が原因になっている気がします。 

何かこれ、あれだけ問題を起こしておいて自浄作用とか見込めるんでしょうか?と、正直思います。上にも書いた通り、もう亜月 ねね先生だけの問題で済む自体なってない以上、彼女に声をかけ、原稿料と印税を払う立場になった自己責任として「どういう覚悟で……人の子供殺してるの?」という話にはならんでほしいです・・・マジで・・・。 

亜月先生をプロとして担ぎ上げ、その表現を商業ビジネス化して現実のセンシティブな問題に対して無頓着な事を繰り返し、アニメ化まで約束しておきながら、今更亜月先生個人の責任として裏切る事は許されんだろ・・・そういう思いがあります。