(8月12日:ちょっと内容を加筆修正しました)
今日、JRを利用した所、接近メロディーがいつの間にか変わっていて・・・まぁ・・・別にいいですけど・・・。
何か色々とメンドい事が起きてるな・・・と思います・・・ホントに・・・。
ああ、そういや『みい山』みたいな話と実際の障害児にまつわる問題を繋げるのは、それこそあんな作品で現実を理解しようとする「横着」をしているようで嫌ですが、一応なんか腹の底から感じてきたものを出しますね。そこら辺のデカい声でされる障害者語りには思う事は色々ありましたから・・・。
ここからは、障害者やその福祉関係においてデータや学力を加味せず、経験則ありきで書いているので、同じようなスタンスで『みい山』を擁護している層と同罪だという後ろめたさを持ち、敢えて書いていきたいと思います。それで誤解があれば、私も加害者であるという自覚と覚悟を持って・・・。
私が小学生の時です。私より年下で知的障害を持っていましたが、敢えて特殊学級ではなく普通学級に通っている子がいました。その子はすぐ癇癪を起して泣きだしたり、他の子に抱き着いたりしていて、それを他の子達から逆手に取られ、「エイリアン」 とからかわれ、追いかけ回されていました。彼が狙われるのが主に登校中だったので、担任の先生が車でその間パトロールしていたんですが、ここで問いたいのは、パニックを起こしたり、誰彼無しに抱き着こうとする子が悪いのか、それとも、彼を取り囲み「エイリアン」といって囃し立てた子が悪いのか・・・?という話です。
正直にいうとあんな漫画をソースに、障害者や福祉を「わかった気」になるより、そういう事について突き詰めて考えて欲しい・・・そう思っています・・・。
ああ・・・それとこの文章も知的障害者が誰彼無しに抱き着くとか、癇癪が起きやすいみたいな話がしたい訳じゃないです・・・特性は人それぞれですし・・・。だから、「やらん子」もいるという事こそ、「真実」であり、みいちゃんやツバサのようにお店のものを無断で食べたり、教室で奇声を上げる事(そして、保護者も迷惑な存在として描く)「ばかり」を障害者の特性として描いた『みい山』で学ぶと、問題を100%見誤ると思います。
これだって(上にも書いたように)経験則で書いてる危うさはあるし、障害者が直面している現実は、彼らの自己責任じゃなく、健常者とその社会が孕む問題でもある・・・という事がいいたかったんです・・・すみません・・・拙い書き方で・・・。