最近、興味深い記事を読みました。まぁ・・・『みい山』に批判的でありながら、そのアニメ化については慎重にディスタンスを取った上で、肯定を下していますが、これがただの左派叩きや反差別への逆ギレ(所謂、「表現の自由戦士」的な)みたいな罵倒になっていないのがよかったです。反対派の存在を尊重し、国旗損壊罪を支持した上で「表現の自由」が語られるからこそ、その理念を誰よりも理解した、重たい意志表明だと私は認識しました。
ですが・・・これは「不快だから止めろ」という話じゃないです。こちらの記事が指摘するように、『みい山』はそういう表現を基本的人権とか公共の福祉とかが優先されるような状況に出した結果、売った喧嘩が結果として買われているという、当たり前の状況ではないかと思うんです。
で、2つ目のリンク先の記事の話ですが、シゲオは何とか助かる(日常生活に戻る)けど、ツバサが淫獣モンスターとして描かれる方が問題であり、ミサンドリー的な男性描写(シゲオやマオくん、みいちゃんを暴行したチンピラとかが醜く描かれる)より重大なものだと思います。実際にそこら辺から、記事の指摘通り旧優生保護法の礼賛や植松被告のヒーロー視はかなり見ましたし・・・。
まぁ・・・なんでそういうのがいけんかといっても、いくらでも屁理屈は現れる訳ですが、誰だって年老いると病院や福祉の世話になるわけだし、いつどこかで障害者になったり、もしくは障害児を出産してしまったり・・・という状況になるかもしれない。そんな時に、自分を粗雑に扱うような漫画で現実をわかった気になり、ドヤ顔で社会の害悪かどうかを前提に論じられたら、どういう気持ちになるか・・・?という話であって・・・。
それと、第二次世界大戦時のミュンスターにある教会の司教、クレーメンス・アウグスト・フォン・ガーレンは(障害者について死や断種措置を望むという事は、勿論こういう史実も知ってるという前提で話を進めます)ナチスのT4作戦について、こう説教しています。
「(前略)すなわち、われわれが年をとり、非生産的になれば、だれもが命を危険にさらされるということなのです」(引用元:エリザベート・ツェラー『アントン:-命の重さ―』164Pより)
だからこそ、『みい山』への賛同意見は、結果として自分の首を間接的に絞めている事に繋がっていると思うんですよ・・・。それでいて、自分だけ人権を保障されて助かりたいと思っているのなら、民主主義の理念にタダ乗りしてるだけであって・・・。
そういう部分から、あんなコンテンツは予め基本的人権や公共の福祉が作用しない事を前提(要するに閲覧のハードルが高い)とした、暗い場所で公開すべきだったんじゃないかと・・・。実話系雑誌とか、成人向けコンテンツとか、提供者も受け手も、「なぜ差別やヘイトを表に出してはいけないのか」がお互いに分かった上で楽しむようなプラットフォームであれば・・・と・・・。