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2025年10月6日月曜日

バトルからは逃れられない

最近、ビブリオバトルに対する批判的なポストをXで見ました。で、なんかそれがゲーム的勝ち負けを伴う言語化や、大会結果が推薦入試にまで繋がり、パフォーマンスが目的化する流れはちゃんと批判せいという趣旨だったんですが、私としては「そんなに問題か?」と正直思いました。確かに楽しみや趣向に勝敗の概念が不必要に持ち込まれる風潮には、批判が必要です。「バトらない」というのも賢明な選択です。ですが、ビブリオバトルに参加していない身からすれば、山本 弘氏の『BISビブリオバトル』シリーズを読んで、「結構こういうのって楽しそうだなー」と思った事も確かです。私だって(かなり嫌な例えですが)日曜画家ならまだしも、ある程度仕事としてやってるので売上とか賞歴みたいな競争に組みこまれざるを得ないし、だったら辞めろという話でして・・・。

それに、私の持っている本に、『小さなことにくよくよするな!3』で著者のリチャード・カールソン氏はこう書いています。「人生に競争はつきものだ。そんなことはないフリをしたり、競争を避けようとあらゆる努力をしてもむだなこと。」(198P)と。そう、私達はある程度競わされ、誰かに値踏みをされる事で生きなければならない現実があるわけです。業績は社内で何位か、賞はどれくらいとってるのか、売り上げは何万部か・・・。だからこそ、子供の時からある程度何か(部活とかテストとか)で競わされる事は、必要悪だと思っています。それこそ「バトらない」ことが目的化すれば、(これは都市伝説ですが)みんなで手を繋いでゴールするリレーみたいになりませんか?それと、競争を否定する社会がどんな不自由で残酷なものか、かつてのソ連や東ドイツを見ればわかると思います。

問題なのは、競争に対しての私達の目線やシステムで、競争自体を否定しても結局はどこかで新しい競争が生まれるだけでしょう。

だからこそ、競争とはほどほどの関係を保ちつつ、カールソン氏の書いている通りにベストを尽くして心から競う、負けてもハッピーでいる事ではないでしょうか?

そうじゃないと、全てのコンテンツは衰退すると思うんですが・・・。10年前に公募で掠った事しかない人間の、戯言ですけどね・・・。