公開当時から、かなり迷いに迷って・・・遂に、藤井 道人氏の映画「新聞記者」を観ました。自分も、こういう事に関係したOBとして、このような問題になる程の迷惑をかけた事に対して、非常に申し訳ないという気持ちと罪悪感があります。だからこそ、知人には「セカンドレイプになるから(観るのは)止めろ」といわれていたわけですが、やっぱり・・・向き合われた分、向き合わなければいけないという気持ちが、2019年の時からずっと燻っていたので、遂に覚悟を決めて・・・という感じです。
まぁ・・・エンディングのスタッフロールが流れてからこの文章を書いているわけですが、全体的には宣伝と評判通り、「森友・加計学園問題」をミックスしたような感じでした。邦画にありがちなよく怒鳴り散らすような演技ではなく、丁寧でしっかりとした演技のおかげで、そうしたストレスを負わされず、「ちゃんと観る」事ができるマスコミ系エンターテイメントでした。 それと、みんなの問題意識というのが、あの問題で噴出していた感情論(自分より馬鹿な存在が特権を享受しているから、廃校にしろ!的な)より、もっと民度が高くて上品な形で表現されていると思いました。下が下の存在を叩いて反権力ぶりながら留飲を下げるという貧乏くさい迎合(それこそ、劇中の内調がやっていたように)をせず、内調の官僚と若手新聞記者という当事者同士のジレンマを「きちんと躾けられた大人の感情」としてしっかり描く事で、全体的にしっかりした作りの、例えるなら(最近亡くなられた)ロブ・ライナー氏の「記者たち:衝撃と畏怖の真実」に近い良質なインパクトが残る作品だと感じています。
ですが・・・メインテーマである「権力の闇」・・・みたいなものに関しては、所詮フィクションに甘えた妄想であり、暗い部屋の中でパソコンのキーボードをパチパチやりながらネット民を扇動して世論工作をする(あんな暗い中で)内調のオフィスや、首相の友人が経営する大学の新設が生物学兵器開発という事実だった・・・という所には、正直唖然としました。それが問題だというのなら、正直に問題自体をベースにすればいいのに、陰謀論じみた「事実」で新聞記者の吉岡と若手官僚の杉原の正当性を主張しているので、結果として(特に原発の無い都市圏で活動していた)自分の立ち位置を理解せず、他人事で電力会社や政府を罵倒していたインスタントな反原発団体がやってた事と変わりないんじゃないかと思いました。だってですよ・・・?実際の企業はともかく学校法人の不祥事というと、学生や教職員も関わってくるようなセンシティブな問題も含まれる中で、正しささえあれば風評被害をバラまいてもいいのか・・・という命題が、「新聞記者」には厳としてあります。こうした事も本作を絶賛している層には(無批判で)受けていますが、あなた方は関東大震災における朝鮮人虐殺否定論や南京大虐殺否定論、歴史修正主義に対してどんな態度を取っていたんでしょうか?と・・・。
上に書いた「記者たち」だって、嘘はついてなかったでしょう・・・。
だから、トータルした意見でいえば、これが一番近かったりするんです・・・。 映画全体としてはすごく良かったんですが、この文章でも書いているように、外野におけるマスコミ(と特定のジャーナリスト)へのスクープ礼賛や調査報道への英雄視は、太平洋戦争終結後に「私達を騙した軍部が悪い!」という国民の被害者意識に基づく逆ギレと地続きだったりすると思うのです・・・。
で、劇中にちょくちょく望月 衣塑子氏とマーティン・ファクラー氏、前川 喜平氏の鼎談が流されてくるわけですが、あれも映画で何がいいたいかを露骨にいい過ぎてないか?とも・・・。まぁ、こっちが間接的に加担した分、ああいう人達に怒られてもしゃーない・・・そういう気持ちだってあるんですがね・・・。