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2024年7月14日日曜日

ライフスタイルじゃないという状況

 本日、こんな文章を書いたので、本題を書こうかと思います。

 こないだの話です。ネットを何気なく見ていたら、ホームレス状態かホームレスの経験がある人間しか応募資格のない文学賞のサイトを見かけました。こっちもかなり意地悪な気持ちと興味本位で見てしまったので同罪だという自覚はありましたが・・・一時某サイトで炎上していた、ホームレスのDIYが何とかという話が脳裏を掠めたというか・・・。

私もホームレスはよく見ています。地元の広島 太郎氏だったり、新宿駅に並ぶ段ボールハウスだったり・・・。 その主催者がホームレスを経験していないのは一目瞭然であり、私としてはアンダークラス層の明日は我が身という過酷かつ泥臭い実態を、安全圏から格差社会の上位から好き勝手に美化しているにすぎないのでは?と感じました。じゃあ、最低賃金以下の労働しかできず、エアコンも使えないしお風呂にも入れない、食べられるものはスーパーの賞味期限切れコンビニ弁当や飲食店が出す残飯、もしかすれば寝ている時に不良少年達から集団暴行を受けて死ぬ可能性だってある。そんな生活が「いろんな生活のありかたの一つ」というのなら、果たして選びたいっていえるんですか?と・・・。

で、この文章を書いている時にダブったのが、知的障害者の母親が子育てに奮闘する『だいすき!』という漫画の10巻でした。

その中で将来に悩む浪人生が出てくるんですが、彼は自身の現状況におけるプレッシャーを照らし合わせ、作業所で働く(知的)障害者たちをを見て、「ああいう人たちの方が幸せだよな」みたいなことをいうんです。すると、そこで働いている支援スタッフの安西さんが「じゃあ、障害者になってみる?」と聞き、止めを刺すように諭すんですね。「なれって言われたらなりたくないでしょ?」と・・・。で、安西さんは当事者を巡る厳しい状況を説明するんですが、やっぱりあの文学賞のスタンスを見てると・・・なれっていわれたらなるつもりがないからこそ、人の苦境に正しい反応ができず、「多様性」とか「共生」みたいに美化できるんだろうな・・・と思うわけでした・・・。