最近、某ゲームのことをネットで調べていて、ちょっとため息が出ました。
昔から、育ち方や家庭環境が犯人探しのダシとして機能する部分はありますが、 当事者からすれば非常に不快なものでしかないでしょう。
「(冷蔵庫マザー説に起因するような)自閉症は親の愛情不足が原因だ」とか「一人っ子はワガママで身勝手」だとか、そういう世間受けするような親や子供への偏見は色々と流通しており、創作において無批判に使われるケースもあります。某ゲームについても、特定の生育環境が主人公のキャラクター設定において「責任能力がなく、自堕落」と書かれていたので、そうした環境で育っている&育った人間への差別や偏見を煽ってるんじゃないか・・・?と個人的には感じました。相続とかも考えさせられるしな・・・。
創作において、作品として出来が良ければいい・・・ということだけではなく、世界観やキャラクター設定などが、現実におけるセンシティブな部分に悪影響を与えていないか・・・?ということも考えられなくては・・・と色々思うわけです。こういうのって繊細過ぎるかもしれませんし、何でもアイデンティティ闘争の文脈に当てはめるのも弊害は大きいとは思います。私だって場合によっては腫物に触るような作品を時々描いたりすることがありますし。
で、何か宮崎 駿氏が川上 量生氏のAIに対して不快感を示したことがあります。あれだって川上氏の何気ない一言だったかもしれませんが、嫌なことは何で嫌なのかを意志表明する繊細さも、また正しさ・・・なのではないかと感じています。特に冒頭の某ゲームではありませんが、ネットの集団心理に便乗して、(無批判な)障害者叩きや福祉叩きのテンプレで量産されるメディアって、すごく見るような気がするので・・・。