人間の本性を、(多くのデスゲーム作品に見られるように)殺し合いや災害等の極限状況で表現する作品はありますが、本性を見たいというのであれば、ディベートという状況がピッタリなんじゃないかと思います。まあ、「12人の怒れる男」という映画を過去に観させられたから、思うのですが・・・。
で、こういう所からアメリカの少年少女が原爆投下に関して、肯定派と否定派に分かれて議論する児童書『ある晴れた夏の朝』を読みました。 ここでまた話は脱線しますが、外国人が日本(の社会や商品)をベタ褒めするようなテレビ番組や書籍ってあると思います。で、外国人に原爆投下の被害を糾弾してもらい、原爆肯定派批判や核保有国批判で連帯して被害者意識を強化する風潮があると思いますが、まさにそれを連想するというか・・・。
そこから『ある晴れた夏の空』も、いけ好かない原爆投下肯定派を善良な否定派がコテンパンにするような展開を期待すると思います。ですが、そんなに話は甘くはなく、日本も戦争加害国だったこと、過去におけるアメリカの人種差別などが苦みを持って剔抉されていきます。それと、お互いの陣営が勝利の為に結構エグい手を使ってくるので、広島・長崎がまな板の上の鯉にされてるような冷たさも感じたり・・・。
ですが、私も広島出身だからこそ敢えて書きますが、広島・長崎を巡るアレコレにちょっとどうかね~とか感じたりすることはあります。ポスト8.6前の広島は『暁の宇品』とか『華僑虐殺』とかを読めば、(それこそノーマン達がいっていたように)決して無垢な被害者ではないといえます。だからこそ、「都合が良くない、寄り添わない、場合によっては耳が痛い」話も必要なのではないかと・・・思うことがあるのです・・・。
そうしたダーティな部分があるからこそ、『ある晴れた夏の朝』には、日本が(現時点で)唯一の被爆国だからといって、特定の人達が期待しているような美談にならない妥協のなさがあると思いました。