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2025年5月10日土曜日

急に目覚めた人達

 まぁ・・・某本を読んでいて色々思ったんですが、2022年2月からロシアのウクライナ侵攻が始まったと思います。で、そういう時に急に反戦意識に目覚める人って、どーなんかねぇと思います。

今まで中東の対テロ戦争やアフリカの紛争などは他人事で済ませておいて、こういう時だけ・・・?と・・・。見るべきは、自分達が関係した時に初めて起こすインスタントな反戦アクションより、自分達とは無関係だと認識した時に、今まで世の中の不幸を無視してきた私達の無邪気な冷酷さだと思うのです。

同じようなことはここでも書きましたが、 同じようなことは関東大震災から100年がたった2023年や、東日本大震災でも繰り返されているわけです。東京が被災地として関わってきた時だけ、「あの日を忘れない」という言葉を繰り返している人達は、昭和東南海地震や明治三陸地震がいつ起きたか、どれくらいの被害や犠牲者が出たか、ちゃんと記憶しているのでしょうか・・・?

同情や伝承の努力自体は悪いことではありませんが、先進国目線みたいなものを基に、自分ごととして災害や戦争が関わってきた時だけ、 急に意識を変えたり大騒ぎするような風潮には、ある程度醒めた目で見る必要があるのではないか・・・そう感じています・・・。 最初に「自分達とは無関係だと認識した時に、今まで世の中の不幸を無視してきた」と書きましたが、そういう(無自覚な聖域化に基づく)デカい声が今まで通り、(意識を急に変えた人達により)他の被災地や紛争を無視・排除していくという無神経さはあるわけで・・・。


2025年5月9日金曜日

職質を受けました

 昨日の文章で、ああ・・・余計なこと書いてしまったなぁ・・・とは思いますが、まぁ・・・色々今まで溜まってたんで・・・。ぶちまけちゃいました・・・。

で、こないだ深夜のコインランドリーで乾燥が終わるのを待っていました。すると、前にある駐車場にパトカーが止まっており、嫌な予感がしました。

案の定、警官が二人やってきて、職質されました・・・。必要だとわかってはいますが、いい気分はしませんね・・・。 しかも、相手は拳銃を持ってるでしょ・・・?

まぁ、疑いが晴れたら警官たちは去っていきました。とりあえず、よかったです・・・ 。

そういえば、今開催中の大阪万博ですが、2005年の愛知程は盛り上がってないかな・・・?と思います。 あの時ちょっと反万博系のネット記事を読んで、なんでリニモじゃなくて東山線を延伸せなんだ?みたいな意見を見たことがあります。そういや1970年の大阪万博は北大阪急行電鉄を開通させ、御堂筋線と相互乗り入れさせてたし、今回の万博も、中央線を夢州まで延伸させる・・・という形だったからなぁ・・・。

2025年5月8日木曜日

死体蹴り

 ここでも書いたとは思いますが、この記事と併せて、ちょっと書いてみたいことがあります。まぁ・・・森 達也氏の『A1』と『A2』でも書かれてたし、石田 衣良氏の『うつくしい子ども』でも同じような問題提起がなされていたと思います。

これは決して大学の不祥事を擁護するわけじゃないし、寧ろ何となく学生生活を送っていた身として、そういう利権の構造に加担していたという後ろめたさがあるからこそ敢えて書くのですが、 リンク先のnoteの記事みたいに、宗教だけじゃなく不祥事とか犯罪にかこつけて、特定の教育機関(における教員や学生など)を偏差値やレベルなどに基づけて、踏みにじってもOKみたいな空気はネット社会を基盤として蔓延していると思います。学歴系Youtuber然り、一部の創作者然り・・・。 (かなりセンシティブな書き方で恐縮ですが)※「西成は怖い、汚い」みたいな話が、学歴の文脈で色々とやられてきたわけです。

ちょっと前に「総理の意向」ということがわかった時とか、ワンマン理事長の脱税とか、医大の寄付金問題とか、色んなことがあるわけで、溜飲を下げるための低俗で都合のいい死体蹴りが繰り返されてきたんだと感じます。

こういう所から、(これも敢えて書きますが)私はテレビドラマ「女王の教室」 の阿久津 真矢先生を思わずにはいられません。あの先生だって父親が私学の経営者で、不正疑惑があると報道されとったじゃないですか・・・。だから、阿久津先生も影で色々中傷されてたんだと推測します。「あの娘の父親は『腹心の友』だからね・・・」とか、「父親ああなら、娘にも忖度DNAが受け継がれてるんじゃない?」みたいな・・・。だから後の黒真矢に基づくパーソナリティーは、その怒りも起因しているのかも・・・と感じたり・・・。

まぁ・・・こっちにいう資格はないと思って今まで黙っとたけど、それでも腹の底で色々溜まってた所はあるので、ここでぶちまけてみました。

だからといって(改めて書きますが)擁護しとるわけじゃないですよ・・・。批判じゃなくて死体蹴りみたいな話はどーなんねといってるわけで・・・。 勿論、ちゃんとした批判はしゃーないとして受け止めてます。そこにいた者として・・・。


※大阪はおろか、関西地方にすら足を踏みいれていない人達によって、そうした特定地域への差別や偏見に基づくネットの記事は、多数目にしているわけで・・・。

 

 

2025年5月7日水曜日

ある種の病気にかかっているようで・・・

 あんま、こういうのを病気に例えるのはよくないと思いますが、図書館で参考資料の為に色々なんか本(写真集とか図鑑)を借りてきて、もう既にやった気に、学んだ気になっている・・・という病気にかかってます・・・。

まぁ・・・写真も撮ってるから、そういう所からも・・・と思いますが・・・。

 克服せねば・・・何としてでも・・・。

で・・・ですよ・・・最近ジークアクスジークアクスって、雑誌やネットでいうとりますけど、ロボット好きなのにホント食指が動かないです・・・多分、作品数が多すぎるのと、ゲームや映画系ロボットの方が好き・・・という所があるからでしょうね・・・。

ああ、それと・・・もうこれやめとこう、アニメファンを怒らしたら身が持たん・・・。

2025年5月6日火曜日

「なにもの展」に出展いたします

来る6月3日(火)より、「なにもの」展(企画・開催地:アートコンプレックスセンター様)に拙作を出展いたします。

出展内容は、キャンバス画と自作小説、それと絵葉書を予定していますので、どうかよろしくお願いいたします。

詳しくは、こちらをご覧くださいませ。 

なお、私は6月5日(木)から6月8日(日)まで会場に常駐させて頂きますので、どうかよろしくお願いいたします。

2025年5月5日月曜日

大した時間働いてませんが・・・

 まぁ・・・自分も大した時間(それと日数)働いてませんけど、それでもなんやかんやはあるんで、あのオンライン美術館主催者の労働をバカにしたような発言を(よせばいいのに)見てしまい、キレそうになったというか・・・。まぁ、何かウィキペディア以外の百科事典サイトで個人的にムカつくものを見てしまったので、機嫌が悪かったこともあって・・・ね・・・。

本題に入りますが、何か怠けて多くを稼ぎたいみたいな感じなんですよ・・・話のタッチが・・・。さぼって寝ていても怒られないとか・・・そんな仕事なら報酬激安でしょうに・・・。まぁ、俺もシフト制だけどね(笑)正月出勤だったし・・・。ていうか仕事中にさぼって寝ていて怒られないのに、祝日休みが欲しいって、傲慢じゃん・・・?しかも、親のコネ入社だからこそ、ちゃんとやろうとか思わないのか・・・?

でね・・・どっちかをとれっていうことなんですよ。楽したいのなら激安の報酬に甘んじるか、自由のために金を稼ぎたかったら、(あんま怒声が飛んでくるブラックな所もどうかと思いますが)ちょっと苦労してでもストレスをコントロールしながら、そんな所で働くか・・・。大体楽して多くを稼ぎたいが中心になれば、闇バイトへまっしぐらだと思いますけど・・・。

まぁ・・・そういう所から、結構絵の仕事に対して間違った認識を色々したままオンライン美術館は終わったんだと思います。やっぱり自分の世話もままならない人が、他者を救いたいなんてこと自体が思い上がりであり、主催者さんはアートの話や人生相談より、自分を省みることが最優先なのでは・・・とうっすら思いました・・・。そういう人ほど、自己啓発書をSNSにアップするんですよねぇ・・・。

すんません・・・こんな話が続いてるようで・・・これも転嫁になるが、もう ここにも書きましたが、個人的に百科事典サイトはウィキペディアだけでいいと思います。今まで他の百科事典サイトの記事のリンクを貼った身ながら、(オタク受けする)ヘイトや悪乗りのバイアスをかけた文章を見てると、しんどいなぁと・・・。

 

2025年5月4日日曜日

テクノ・ナショナリズム

 最近、『戦艦大和の歴史社会学』という本を読んでいて、恥ずかしながら「テクノ・ナショナリズム」という言葉を初めて知りました(汗)まあ・・・「犠牲者意識ナショナリズム」なら自分の胸の内で何度も使ってきた言葉なんですがね・・・(笑)

で、「テクノ・ナショナリズム」繋がりで、 ここでも取り上げた話をまたしたいと思います。

リンク先の文章の中で、風船爆弾を扱った児童書(書いたのは当時風船爆弾を作っていた元女工さんでした)について触れていますが、あとがきで「和紙で気球を作り、風の力だけでアメリカまで飛ばしたアイデアと、高い技術力だけは誇ってもいいもののように思えました」とか、「戦後日本の目覚ましい経済復興も、そういうアイデアと高い技術力によるもので、風船爆弾は、ある意味では、日本を最もよく象徴するものの一つ」とか書かれていたので、正に『戦艦大和の歴史社会学』で指摘されていた、「テクノ・ナショナリズム」そのものじゃん!と思って頭が思わずクラクラしました・・・。結果と責任を考えず、超弩級戦艦を建造したことありきの美化と、風船爆弾に対する元女工さんの言葉は不気味なほど一致しているというか・・・。

で、風船爆弾の児童書に話を戻しますが、犠牲者はアメリカ側の無差別爆撃や原爆投下の比ではないとはいえ、一応は妊婦まで殺害していることに対して、最後まで殆ど反省や謝罪の言葉はありませんでした。そこにあるのは、「戦争だから仕方がなかった」という受け身の意識と、それどころか上に書いたように、戦争に加担していたことへの無自覚な美化でした。

よく、(地元に限定した話ですが)原爆投下を巡り、アメリカの大統領や(アメリカの)国民意識に罪悪感や加害責任を問う声は何度も聞きます。ですが、こういう話がある中で、正直どうしてエノラ・ゲイやボックスカーのクルーやルメイのような指導者たちに改心と自覚を迫るのは、ちょっと虫が良すぎるのでは・・・?とも感じています・・・。第一、相手には加害者意識を持てと迫る中、中韓を始め、アジア周辺諸国への侵略や虐殺は全て戦争そのものが悪いという矮小化や、戦争指導者への棚上げ、それらだけではなく被害者の心情を考慮せず、相手に許しと和解を強要してきた部分だってあるのではないか・・・?と、風船爆弾の児童書を閉じて思うのでした。