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2025年8月1日金曜日

誰かの役に立ちたい?

 約1ケ月前のお話になりますが、この続きをしたいと思います。

 かなり場違いな例えですが、池田小学校事件の遺族である本郷 由美子氏の本『かなしみとともに生きる:~悲しみのグラデーション~』において、東日本大震災の避難所で「こころのケアお断り」という貼り紙があったことを例に出し、自称専門家やボランティアの人達が一方的な善意で被害者に押しかけて、それが結局当事者を無視した押しつけにしかなっていないという痛切な問題提起がなされていました。まぁ・・・今から私が本題に出したいのは、絵師応援という全く類の違うものなのですが・・・。

私だって、誰かにプレゼントするのは好きです。知人にお菓子を上げたり、両親に誕生日やクリスマスなどに映画のDVDとか漫画とかをしょっちゅう送っています。で、問題とされるのは結果なんですよ。こんないい方は好きではありませんが、私がこれまでやったことは余り人の人生を背負うという責任が伴わない気楽なものですが、前リンクにおけるあの観賞魚の人が絵師さんに対してやろうとしている事は、必要とされる責任や配慮というものが、余りにも欠けていると感じます。

なんかnoteを見たんですが、好きな漫画家さんとタッグを組んでからコミックエッセイを作りたい・・・みたいな記事を見ました。どうも観賞魚の人は、応援する目的で絵師さんに依頼をして、有名にしたいという気持ちがすごく強く見えます。何か『七つの習慣:人格主義の回復』みたいにWin-Winを狙ってるかのような感じでしたし。でも・・・そういうのって、有名にしてハイ終わりじゃなくて、有名にした分その人の人生を負うような責任が生じると思うんですよ。プロの世界ならなおさら・・・それに、趣味で静かにやっていたいし、そんな時間もない(本業に忙殺されてる)絵師さんだっているかもしれません。だからこそ、最初に『かなしみとともに生きる』を引き合いに出して書いたように「有名にしたい」という自分の都合、つまり善意だけを押しつけていませんか・・・?みたいな感情が頭をちらりとよぎりました。それに、「有名になることや、それに伴う莫大な収入」が必ずしも作家にプラスになるとは限らない場合だってあるわけで・・・私の美大の若い先生も、そんな事をいってましたっけ・・・。

まぁ、善意でやっていることに冷水を浴びせることはあまり書きたくないし、観賞魚さんの心理も結構わかります。でも、善意だからこそ、「有名にしたい」という気持ちに、相手がどういうこたえを用意してるかも、きちんと耳を傾けておくべき・・・そう感じるのです。