―どういう文化的なかたちであろうと、社会に発せられたメッセージには、現実に対する暴力的作用の可能性がふくまれている。
中西 新太郎『現代日本の「戦争」感覚:「ゴーマニズム」に揺れるこころ
(収録:『戦争論妄想論』)』より
今回は結構とある漫画のネタバレ・・・になっちゃいますが、やっぱり書かなきゃ気が済まん・・・という状態なんで、敢えて書かしてください・・・。
最近、こきち先生の『るるてる:ルル魔法学校においでよ』が面白かったので、新作の『えんじぇるめいと』の単行本を2巻まで買っています。で、それだけでは間に合わないので、リマコミを読んだりりぼんを読んだりしています。で・・・『るるてる』はよかったし、『えんじぇるめいと』も、のわの死因が病死で、そこら辺に起因する(んとの助力で)無力感と克服とかが結構繊細に書かれてたから、続きも・・・という感じでした。ですが、きらの過去とかんとの過去とかが描かれ始めて、「ちょっと・・・これは・・・」と正直に思いました。
何か個人的な意見ですが、特にんとを巡るアレコレで、子供の自殺とか虐待がかなりアバウトな形で描かれてるなと感じました。一般的に、※1巷には様々なステロタイプがあって、毒親とか児童虐待とか、それなりに描いても涙やインパクトを誘える風潮ってないですか?それと同じように、『えんじぇるめいと』でも「義理の親とか、複雑な家庭環境=不幸+虐待=それによる自殺」みたいな先入観で、こちき先生はんとを死なせたんだと思います。りぼんを読んでいてそういう感じがしました。
大前提として、表現の自由があるんだから、やる気と責任能力があるならセンシティブな問題、例えば原発事故でもいじめ自殺でもガンガン書けばいいと思います。※2表現の自由を行使することは、必ず誰かを傷つける事は宿命といってもいいですから。
ですが、センシティブな問題をいい加減に描けば、当事者へのセカンドレイプはともかく、受け手を誤解させた上に、ただでさえ漂っている問題や当事者への風評被害を煽ることに繋がると懸念しています。『美味しんぼ』の鼻血描写みたいに。
だからこそ、『えんじぇるめいと』でも同じ危険性はあると思うんです。親の再婚だったり義理の両親とかいった事を、感覚だけで不幸や虐待に繋げるような表現で、実際のそうした家庭環境における子供達への誤解が広がらんかなー・・・みたいな心配が(余計なお世話ということは承知ですが)あるんですよね・・・。
で、今日もりぼんの最新号を読みましたが、きらが「殺された」といってましたけど、ホントに上のお気持ちからトータルして、殺人事件の被害者としての子供や、その痛みを感覚だけの露悪ギスギスや感動として描いてほしくない・・・そう願っています・・・。
何か色々身の程を弁えんことを沢山書いてしまいましたが、『えんじぇるめいと』を読んでて色々溜まっていたので・・・。何か批判や意見があったら可能な限り対応するつもりなので・・・。
※1例えば、偏差値の低い大学は(全て)義務教育レベルの授業を行っており、講義でYoutubeを垂れ流しにしているとか、精神疾患は主に女性が発症するもので、奇声を上げてカッターを振り回して自傷行為に及ぶ迷惑な存在とか、そんな感じでしょうか・・・?実際、(また余計な事を書くかもしれませんが)『えんじぇるめいと』でもわむの死因が共依存みたいな精神病理を結構適当に描いてたなぁと・・・。
※2例えば、サーフィンの絵を描けば東日本大震災の被災者を傷つけるかもしれないし、電車の絵を描けば福知山線で起きた事故の遺族を傷つけるかもしれない。アーマード・コアみたいな作品ですら、ウクライナから避難してきた人達にはフラッシュバックとなり得る可能性がある。だからこそ、良識はともかく実在する問題をテーマとする時にしっかりと(文献調査なりネットで調べるなりして)リアリティを持ち込むことは、そのセカンドレイプを最小限にとどめ、二次被害を防止するという意味でかなり有効だと強く感じています。最も、これは私への自戒として感じているのですが・・・。私の多くの作品でも、チョロチョロっと済ませてるもんなぁ(泣)