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2025年7月22日火曜日

『光の粒が舞い上がる』を読みました

 蒼沼洋人氏の『光の粒が舞い上がる』を読みました。こちらでも同氏の作品を読んだもので・・・。やっぱりええよねと思います。必要以上に毒々しく生々しく書き方になりがちな中で、敢えてそういう道を選ばない震災系の作品があっても・・・。

で、メインテーマがボクシングなんですけど 、何で学校に行かなくてはいけないのかを、勉強・教育至上主義に基づく仮想敵を叩くような形、つまり「勉強しないとお前ら一生負け組になるぞ!」みたいな恫喝形式で書いていないのがよかったなと思います。あくまでも、ボクシングがやりたいという主人公の気持ちに寄り添いながら、学校に行かないこはくと併せ、お互いの立場を思いやる形でソフトランディングさせているのも、いい点だと・・・。

で・・・作中では、心愛の母親はDV配偶者に流れがちなか弱い女性として描かれています。ボクシングをテーマにしているので、こうした話になると野村(敢えて「さん」付けを外しました)みたいな男性を心愛とか母親が(こはくのテクニックを「相続」した上で)半殺しにするまでいくような、一線を超えた(そういうのは大抵無批判に称賛される)部分まで発展させることもできる余地はありました。ですが、児童書ということもあり、単なる露悪になりやすい部分も、ちゃんと抑制があってセーブされている所も配慮が効いていたと思います。 ああ・・・前置きとしていっておきますけど、DVへの仕返しを否定してるわけじゃないです。別に復讐はやればいい派ですが、アレ関係からあまりにも男性全般を悪魔化して、殺したり半殺しにする行為そのものが正当化され過ぎているのでは・・・?とうっすら感じています。今時の安易なドラマならそうなるでしょうが、実際には作中のようにしかるべき機関に委ねるという方が正しいでしょう。警察を呼んだりしてね・・・。

なお、本作ではこはくが自分の活動が雑誌に掲載したことについて腹を立てていましたが、あれは障害者アートみたいなものにも関係しているな・・・と思います。私の周りにその関係者がかなりいるからよく見聞きするのですが、「障害者=メインストリーム(美術教育やアートのメインストリーム)から外れた分特別視して扱う」みたいなあの目線ですよ・・・。こはくが、「かわいらしい」とか「美少女」とかいった言葉で女子ボクサーを扱うような記事の文章に切れていたのを見て、ちょうどそれがリフレインしたというか・・・。