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2019年9月16日月曜日

他人の血

小学生の時、「遺伝学」というものがクラスで流行っていた。特にその中心にいるのがKという男子で、いつもこんなことをいっていた。
「努力すればなんとかなるっていうのは嘘だよ。もともと知能というのは遺伝で決まってるんだから」
 「知ってるか?親の学歴や収入が子供の将来を左右すること?だから、このクラスの半分は大人になったら少ない年収しかもらえないの」
「世の中はお前らが考えてるよりもっと残酷なの。教師とかがいわないだけで、そういうことを証明する科学的根拠がいっぱいあるんだから」
 そして、Kは私のことにも口を出し始めた。
 「あいつは三眼症だろう?だから十代後半のうちに死ぬ確率が大きくなるんだ」
 Kの言葉に同調するように、取り巻きの子供たちが声をあげた。
 「え、じゃあ三峰さんって高校生とかのうちに死ぬってこと?」
 「その時期っていつなんだろ?」
 その時、となりにいた友達のHが机をたたいて叫んだ。
 「いい加減にしなよ!そんなことを賭けみたいにいわないでよ!」
 Hに続くように、Lもいった。
 「そうそう、毎回人をモルモットみたいに扱うようなこといって、いじめじゃないそれ?」
 すると、Kはすねた目で私たちを見ていった。
 「なんだよ。実際に三眼症の子供の死亡率が高いからそれをいっただけだろ?いじめでもなんでもねえよ。それとも『死亡率が低い』って嘘をつく方が問題だと思うんだけど?」
 取り巻きたちもそれに続くようにいった。
 「Kのいってることにはみな科学的根拠があるんだよ。それを邪魔してくること自体『いじめ』だろ?」
 「そうそう。いうべき事実をいってあげることこそ、三峰さんのためだと思うけど。世の中にはKのいう通り、不都合な事実があるんだから」
 
 でも、私にはわかっていた・・・・・・Kたちや、遺伝学をブームにした大人達は私みたいに問題を抱えていない。傷つくことの恐怖を味わっていない。だからこそ、世の中は不都合な事実がある残酷な世界だといいきれることに。