去年くらいに、とあるロボットアクション系の漫画を買いました。はっきりいって、『シドニアの騎士』とか「叢」(というゲーム)のいいとこ取りの話かと思いましたが、中盤のDVが絡んだギスギス憎悪劇が生理的に合わず、やむなく売りました・・・ブックオフへ・・・。
まあ・・・あそこら辺に対して批判はあったみたいで、「ネトチン」と呼ばれようが私も何度かそういう表現の比喩として、「チョ・スンヒの戯曲」だなぁという考えが浮かんだのでした。再リンクですが、こちらをどうぞ。
あんまし自分の嫌い・苦手な表現を「チョ・スンヒの戯曲」といいよったら、その言葉に手垢がついてくることは自覚していますが、はっきりいえば私はバトロワの原作で千草貴子が新井田を痛めつけて殺そうが、「ガンズ・アキンボ」でニックスがチンピラを皆殺しにしようが、『ピュア・トランス』で残虐キャットファイトが描かれていようが、それらはあんまし気になりません。むしろ面白がってしまう何かがあります。
多分、それらは著者の殺意とか暴力への願望みたいなものをワンクッション置く形で、冷静に描かれていて、リンク先にあるようにただ「殺意がブチまけてあるだけ」じゃないから、どんなに容赦ない暴力もエンターテイメントとして楽しめる余裕があるんだと感じます。
ですが、そうじゃない作品っていうのは、作者の嗜虐性とか攻撃性みたいなものに直接晒され、引きずりこまれるような悪影響・・・つまり、(震災からさんざんいわれたような)共感疲労ならぬ「共感憎悪」にのまれそうになるから嫌というか・・・。何がいいたいかっていうと、暴力表現はある程度好きですけど、それそのものを煽ってくるような表現は苦手ということです・・・。だからバーホーベンとか北野映画とかはマジで・・・という感じです・・・。