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2024年12月30日月曜日

『大久野島からのバトン』を読みました

『大久野島からのバトン』という児童書を読みました。その中で風船爆弾について触れられていますが、私は当時女工として風船爆弾を作っていた人が書いた児童書を読んだことがあります。ですが、内容がひたすら自己憐憫とあとがきに至っては、風船爆弾を作っていたということを誇るようなことさえ書かれていたので、かなり唖然とした記憶がありました。

で・・・本題に入りますが、日本の児童書というのは上に書いた風船爆弾の児童書のように、被害者の視点で書かれた作品ってすごくあると思うのです。立場が加害者だったとしても、「だまされていた」という開き直りや戦争そのものに、情を使って責任転嫁されていたり・・・。

ですが、『大久野島からのバトン』はそうした綺麗なメロドラマを許していません。原爆の被害が強調されがちで、ポスト8.6ばかりが声高に語られがちな広島にあって、その広島も原爆投下前は戦争加害者として機能していたということを正直に書いている所に、作者の誠実さを感じました。特にラストは・・・「やった方」が「やられた方」に出向くという、かなり鬼気迫る展開でした。

なお・・・こういう話になると、「アメリカ軍の方が日本軍より沢山殺してるから、そっちの方がギルティ!」みたいな話に持っていかれそうになりますが、精神的自立を成すためには、数の問題じゃなく日本も戦争加害国だったということをきちんと考えることが必要だ思うのです・・・。でも、こういう視点の絵本や児童書って、ホント少ないからなぁ・・・。