まだ、アートコンプレックスセンター様にて「新春小品展 2025」が開催中ですので、拙作の解説をしようかな・・・と思います。
タイトルは、「生きづらさのダークサイド」で、下に画像をアップいたします。
まあ・・・あんまし空気を読めてないかな・・・という感じもありましたが、敢えて・・・という思いで出展させて頂きました(汗)生きづらさ・・・とはいいますが、生きづらさに寄り添ったり、それ自体を表現して世間に訴えようとした作品ではありません。
「ダークサイド」という言葉の通り、「生きづらさ」という言葉が他者を圧し潰して犠牲にしていく様子を描いたものです。
神戸児童連続殺傷事件や安倍 晋三氏が銃撃されて殺害された事件などにおいて、自身の不幸をそれらと照らし合わせて称えた上で、世間に訴えようとする風潮があると思います。私が例に出した事件のみならず、東日本大震災やコロナ禍においても、同じような考えで自分の理想に社会を引きずりおろして実現させようとする考えも散見され、「生きづらさ」(という心地よい言葉)が他人の「生きづらさ」を犠牲にして成り立っているということは一切考えられていないような所に、私は一定の不快感と違和感を感じていました。
なので、これは生きづらさを主張する人達がトーテムとしている事件や災害で犠牲になった人の怨霊・・・みたいな感じで描きました。で、なぜ怨霊の女の子が笑っているかというと、「ほんとにあった怖い話」というドラマでも、存在理由がネガティブなのに幽霊が笑っている(微笑を浮かべている)ことがあるので、それを目指した感じです・・・。
これは、(何度も引き合いに出してすみませんが、ああいう表現に批判がほとんど無いというのもどうかねーと思っているので)『ステイホーム』という児童書でも感じたことなのですが、「他者の犠牲に生きづらさの表明を見出す」ことが子供にまで奨励されている、もしくは奨励することが正義だといわんばかりの現状を考えると、自分のいっていることは壁に豆腐を打ちつけるもんなんだろーなとか、投げやりになってしまったりします・・・。
まあ・・・自分だって人の不幸をダシにして自身を主張する・・・というゲスさがあったりするから(笑)