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2025年1月16日木曜日

意地悪な気持ち

 私は(怪談寄りの)怖い話が好きで、とある怪談系タレントさんの話を収録した文庫本を何冊も持っています。で、ちょっとそれらを読み直して、ホテルニュージャパンの火災だったり、御巣鷹山の墜落事故だったり、阪神・淡路大震災だったりが結構ネタにされているのを見て、かなり意地悪で皮肉な気持ちがわき上がったんですよ・・・。

「これ、東日本大震災や原発事故でも怪談の文脈で語れるんですか?」みたいな・・・。実際の事件や事故で、しかも遺族が存在している状況で「死者フォビア」を出すのなら、そっちでもやらないと平等じゃないよな・・・とも・・・。ていうか、死者にだって尊厳はあるのに、勝手にそういう文脈で幽霊にされたらたまったもんじゃないでしょう・・・。

ところで、『日影のこえ』という、(主に)犯罪の被害者遺族を扱ったノンフィクションがあります。その中で、自分の親類が殺された事件が勝手に心霊ホラーとして映画化されていることに、遺族が怒りを表明するという下りがありました。もちろん、映画の方は遺族に対して無許可でした。 

私自身も拙作の中でセンシティブなことを扱っているので、こうしたメディアと共犯者だという自省の念があります。だからこそ、なおさら慎重にやっていきたいという思いがありますが、やりたいことはちゃんと表明していきたいという思いも有しています。上の文章で共犯者と書きましたが、まあ、興味本位とマジな態度は違うといっても、見る人は同列に受け止めるから自覚してやらんとな・・・それも文化的特権を享受している者としての自己満足の一環に過ぎないのですが・・・。

「表現の自由」とか「タブー破り」とかいった一見心地よい言葉の裏で、表現の自由を行使する者は相対的な強者である(ことが殆どである)が故に、無数の当事者の声が封殺されているという現実があると思うのです・・・だから、あんましそこら辺に無限の可能性を見出せるほど能天気じゃないです・・・私は・・・。