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2025年1月20日月曜日

『死後出版』の3巻を読みました。

 昨日の文章で予告してたと思いますが、『死後出版』という漫画の3巻について感想を書こうかと思います。まあ・・・あの死刑囚、加賀ですが、そんな終わり方でよかったのか?と正直思いました。

で、1巻では(個人的に感じたことですが)女性ばかりを狙った連続殺人犯として、死刑判決を受けて拘置所に収監されている加賀や、社会や制度に守られながら彼らに反逆してると勘違いしている加賀に、果敢にいい返す栞田さんの姿を通じて、「絶歌」みたいなものへの鉄槌が下されてるな・・・と思ってました。まあ、犯罪者じゃなくとも文芸オタクみたいな人達の間で、社会に対する無責任な火遊びがプログレッシブだと思われてるフシはありますが、そういう話に「センシティブであることが高尚であると勘違いしていらっしゃる」といえる勇気に、作者である田中 現兎先生の誠実さがすごく感じられました。

だからこそ、アリスには自分のやっていることの愚かしさに気づき、加賀を「目指してはいけない奴」としてバッサリ切り捨ててほしかったというか・・・大体、アリスだって女子高生でしょ?もしかすれば、女性だから加賀のターゲットになっていたかもしれないし・・・。まあ・・・ここでも書きましたが、私は自分の受難や不幸を加害で表明するという風潮や人間が好きではありません。そこで必ず標的にされるのは、無辜の弱者なわけだし・・・。

だからですよ。アリスも本当に自分が巷のバカと違って有能だと思うなら、犯罪者への憧れなんかに逃げずに、ちゃんと巷でぶつかるべきだったんじゃ・・・。まあ・・・『ロミオとジュリエット』の改悪には笑いましたが、そこら辺で偉いと思うのなら、(犯罪としての)殺人だって唾棄すべき悪として片付けられるはずです。

大体、加賀だって国からも(雑にまとめれば)「死ね」といわれて、社会で通用する生活が送れないようなバカじゃないですか・・・。

洋介犬先生の四コマでも、「てめぇみんなが勝ち取って用意してくれた日常ナメてんのか」という台詞がありますが、まさにそれなんですよ。(先人を始めとした)みんなが努力している上で維持されている「平和な社会」に依存しながら、それを嫌うという矛盾・・・。

現実においても、殺人犯に共感するような人達は後を絶ちませんが、そろそろどこかで本格的に楔が入れられなければ・・・と感じる次第です・・・。