久々に、私の中で良書ともなっている『犠牲者意識ナショナリズム』についてちょろちょろと話していきたいな・・・と思います。唐突ながら・・・。
まぁ、あの本は広島におってから、ポスト8・6(と8.15)ばかりに根差した話へのモヤモヤを見事に言い切っていた所を始め、そうした所から自国の被害者意識ばかりに目を向け、加害責任を戦争そのものや軍部エリートに棚上げして語る反戦平和の陥穽を、「唯一の被爆国」で不問に付されがちな加害責任への「ごまかし」(という名の配慮)を気にせずストレートに語っていたので、目から鱗が落ちる気分だったんですね。
でも、本書が良書だというのは、それはただいいたいことをいってくれたという、単純なカタルシスを感じたという稚拙な理由じゃないです。
『犠牲者意識ナショナリズム』を読んでみればわかりますが、敗戦国であるドイツやドレスデン爆撃、広島の原爆投下などにおける(まさにタイトル通りの)犠牲者やその関係者が抱く意識について、かなり厳しい批判がされています。これを半端なネット論客や、はてなみたいな所で色々書いてる歴史オタクあたりがやったら、かなりの確率で理性派ぶりながら(あるいは、恣意的な科学的正しさで)被害者そのものへの死体蹴りをし、人権や尊厳そのものへの逆張りに基づく愉悦ありきのお気持ちに堕す確率が多い中、ちゃんとそこら辺の分別をきちんとつけて、戦争被害者やその理念を批判的に検討していく姿勢は、さすが第一線で活躍されている学者さんだからできる事だなと思います。まぁ・・・一応書かせてもらいますが、一部のソースが、左派版シュテルマーみたいなリ〇ラなんはどうなのかとは思いましたが・・・。
そういう所から、最近(敗戦で)中国大陸からの引き揚げや、残留孤児を扱った児童書を読んでいて、同じようなことを想起しました。経験そのものとしては苛烈だし、大いに同情すべきことなのですが、どうも戦中を扱った日本の反戦系児童書は自国の被害ばかりを強調しすぎるように思います。
で、上に書いた児童書なんですが、こんなことを戦争経験者でもない私が書くのが憚れることは百も承知です。ですが、『犠牲者意識ナショナリズム』の中でアンネの日記について言及されている箇所があり、「犠牲者が加害者を赦すような言葉には、アンネから赦してもらったような感情をドイツ人読者に抱かせる錯視効果があった。」(136P)と書かれています。それと同じように、残虐な人体実験のテスターにさせられ、面白半分で虐殺された現地の被害者の視線から目を背け、自分達は中国人と仲良く絆を育み、だからこそ軍に見捨てられ、敗戦で困っていた時に助けてもらったという美談ばかり語り、中には先程の引用のように、中国人に許しと和解を一方的にしてもらったかのようなスタンスの作品も見かけました。
ですが、これもまた最近の話ながら、アジア諸国の戦争被害者を対象にした写真集を読んだことがあります。その(被写体の人々の)どれもが、前者ののほほんとした意識を打ち砕く、 鋭い眼光が宿っていたことが印象的でした。