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2025年7月31日木曜日

「ZENSOKU」を制作しました

 

「ZENSOKU」という作品を制作したので、その画像を上にアップしておきます。手のひらに乗る、ミニサイズです。何か、阪堺電車沿線っぽい絵が描きたいな・・・とか思って、その電停みたいな所を中心として描きました。そして・・・背景は・・・水沢 悦子先生の漫画『もしもし、てるみです。』みたいなものをイメージしています。普通の住宅地や商店街の後ろに広がる工場が、かなり印象的だったので・・・。

なお、今回の作品にはあまりメッセージみたいなものはありません。なんか電車を描いてみたかったという動機だけがありました。ただ・・・これはいずれ制作するだろうグラフィックノベルに使う予定なので、その際はストーリーを付け加えるだろうなとか考えています・・・。

2025年7月30日水曜日

かなりヤバめな話ですね

 帰宅してからBlueskyをチェックしたら・・・まぁ・・・地震とのことで・・・かなりヤバ目ですね・・・これ・・・。カムチャッカ半島か・・・。

それでも、明日くらいに新作のアップはしとこうかと思います。ここで・・・。 

 

 

2025年7月29日火曜日

フルスイングのアニメ

 何かXを覗いていると、「アニメ・アート・ビデオ・コレクション 童話」という言葉が何度も出てきて、強制的に幼稚園の時に時空が戻されるような衝撃を覚えました。いや・・・全部じゃないけど、「おにぎりころりん/うらしま太郎」「あかずきんちゃん/マッチ売りの少女」が収録されたものだったら観ましたよ・・・何度も・・・。しかも、一部の脚本を務めているのがあの舟崎 克彦氏じゃないですか・・・!再確認したら・・・!

で、一番印象に残ってるのが、「マッチ売りの少女」と「うらしま太郎」なんですよね。ちょっと調べればわかるかもしれないですが、両作ともバッドエンドじゃないですか。女の子は最後死ぬし、浦島太郎も玉手箱を開けると、凛々しい若者からおじいさんになってしまうし・・・。だからこそ、良作としてインパクトに刻まれたんだと思います。

 なぜ、バッドエンドなのに良作なのか?(また例に挙げますが)「インサイド・ヘッド」というアニメ映画では「悲しみなくして人生の恵み無し」というメッセージが発せられていましたが、「アニメ・アート・ビデオ・コレクション 童話」も半端なアニメ作品だったらみんな不幸を回避してハッピーエンドにすると思うんですよ。実際、マッチ売りの少女もこちらの記事みたいに、死なずに済むという改変がなされている作品があるみたいですし。

 基本的には、児童書や絵本で「死」を扱うことは基本的にタブーではありません。ですが、扱い方を間違えると要らん傷を負わせる悪書に堕す事もあります。それに、キャラクターの死に関して同情して感涙することは、日本人特有の悪癖と処理する余地だってあります。「フランダースの犬」に対する現地の反応を見ればわかるように。

それでも敢えて書きますが、こうしたバッドエンドによる作品も、タイミングが合えば多少は・・・という感じはします。あまり賛同できる部分は少なかったですが『国家の品格』という新書でも、「人の命は儚いから大事」 という趣旨の文章があったと思うし、結果として繊細な「死」の描写(それは白血病や癌、そして関係者をいい加減に描くような、難病ものやケータイ小説とは違います)が、どこかで他者尊重や同情の感情を醸成する良い機会になったりしていると思うんです。自分の言葉が生存バイアスなのは承知してるし、興味本位やタブー破り目的で文芸的価値を免罪符にした無責任な表現は論外だと認識した上で・・・ですが・・・。しかも、名作童話を粗製乱造ではなく、一流のスタッフが持てる力を注ぎこみ、至高のアニメ作品として昇華させた事も私の記憶に本作が残った一因だなと・・・。

 こういう所から、まぁ・・・これ何度か書いてるだろうけど、私は「アニメ然」としたアニメ、つまりオタク向けの内向的で矢鱈ととんがった作品や、類型的なエモさだけで構成されているような作品ではなく、子供向けといわれるジャンルで一流のスタッフ達がフルスイングをかましてるような作品と本当に相性がいいんだなと思います。

最近・・・といってもかなり前(10年前くらい)だけど、「大きい1年生と小さな2年生」とか「日なたのアオシグレ」とかマジで好きだったし・・・。 もっと過去の例でいえば、「ベイベーばあちゃん」だったりするんだよね・・・あれも死者がテーマだったっけか・・・。あ、それと「窓際のトットちゃん」もね・・・あれも死別のシーンがあるよね・・・。

2025年7月28日月曜日

セカンドレイプ

 昨日、かなり長めのお気持ち表明で「セカンドレイプ」という言葉を使いましたが、こないだバスで移動してる時に、正にそういう言葉がマッチするような事態に遭遇しました。

バスが八丁堀の交差点にさしかかった時です。歩道で、右派みたいな人がデモをやってました。まぁ、もうすぐ8月6日だから、色々とそういう人達が集まって来るなーと思いながら、窓の外を見てました。で・・・なんか幟に「日本は核武装を!」みたいな言葉が書かれてました。

・・・自分も人の事はいえませんけど、これで何かあったら責任とれるの?君達・・・みたいな感想が正直、腹の底から湧きあがりました。スタンスが違うからこっちの表現の方が正当、みたいな言い訳に逃げるつもりはありません。ただ、公の場所で安直にそんな主張を叫ぶ事が、今も存命されている被爆者の方(及びその子孫)へのセカンドレイプに大きく寄与してるなという感じがしました。ありていにいえば、無秩序に相手を包丁で刺してるという感じでしょうか。
例えるなら、福島で「原発に反対する祝島の奴らはバカ!」とか 「低線量被曝は寧ろ健康にいい!心配ない!」と拡声器で喚くのと同じ感じなんですよ・・・。思いうかべたイメージが・・・ね・・・。

 まぁ・・・上にも書いた通り、スタンスの違いで表現の自由が正当化されるなんて甘い話は無いと思います。でも、一般常識に基づくアプローチやTPOを選ばない表現は、ただの通り魔じゃん・・・みたいな考えもあるんですよね・・・。

2025年7月27日日曜日

『えんじぇるめいと』・・・について語ろうかな・・・?

―どういう文化的なかたちであろうと、社会に発せられたメッセージには、現実に対する暴力的作用の可能性がふくまれている。

中西 新太郎『現代日本の「戦争」感覚:「ゴーマニズム」に揺れるこころ

(収録:『戦争論妄想論』)』より
 

今回は結構とある漫画のネタバレ・・・になっちゃいますが、やっぱり書かなきゃ気が済まん・・・という状態なんで、敢えて書かしてください・・・。 

最近、こきち先生の『るるてる:ルル魔法学校においでよ』が面白かったので、新作の『えんじぇるめいと』の単行本を2巻まで買っています。で、それだけでは間に合わないので、リマコミを読んだりりぼんを読んだりしています。で・・・『るるてる』はよかったし、『えんじぇるめいと』も、のわの死因が病死で、そこら辺に起因する(んとの助力で)無力感と克服とかが結構繊細に書かれてたから、続きも・・・という感じでした。ですが、きらの過去とかんとの過去とかが描かれ始めて、「ちょっと・・・これは・・・」と正直に思いました。

何か個人的な意見ですが、特にんとを巡るアレコレで、子供の自殺とか虐待がかなりアバウトな形で描かれてるなと感じました。一般的に、※1巷には様々なステロタイプがあって、毒親とか児童虐待とか、それなりに描いても涙やインパクトを誘える風潮ってないですか?それと同じように、『えんじぇるめいと』でも「義理の親とか、複雑な家庭環境=不幸+虐待=それによる自殺」みたいな先入観で、こちき先生はんとを死なせたんだと思います。りぼんを読んでいてそういう感じがしました。

大前提として、表現の自由があるんだから、やる気と責任能力があるならセンシティブな問題、例えば原発事故でもいじめ自殺でもガンガン書けばいいと思います。※2表現の自由を行使することは、必ず誰かを傷つける事は宿命といってもいいですから。

ですが、センシティブな問題をいい加減に描けば、当事者へのセカンドレイプはともかく、受け手を誤解させた上に、ただでさえ漂っている問題や当事者への風評被害を煽ることに繋がると懸念しています。『美味しんぼ』の鼻血描写みたいに。

だからこそ、『えんじぇるめいと』でも同じ危険性はあると思うんです。親の再婚だったり義理の両親とかいった事を、感覚だけで不幸や虐待に繋げるような表現で、実際のそうした家庭環境における子供達への誤解が広がらんかなー・・・みたいな心配が(余計なお世話ということは承知ですが)あるんですよね・・・。

で、今日もりぼんの最新号を読みましたが、きらが「殺された」といってましたけど、ホントに上のお気持ちからトータルして、殺人事件の被害者としての子供や、その痛みを感覚だけの露悪ギスギスや感動として描いてほしくない・・・そう願っています・・・。 
何か色々身の程を弁えんことを沢山書いてしまいましたが、『えんじぇるめいと』を読んでて色々溜まっていたので・・・。何か批判や意見があったら可能な限り対応するつもりなので・・・。

 

 ※1例えば、偏差値の低い大学は(全て)義務教育レベルの授業を行っており、講義でYoutubeを垂れ流しにしているとか、精神疾患は主に女性が発症するもので、奇声を上げてカッターを振り回して自傷行為に及ぶ迷惑な存在とか、そんな感じでしょうか・・・?実際、(また余計な事を書くかもしれませんが)『えんじぇるめいと』でもわむの死因が共依存みたいな精神病理を結構適当に描いてたなぁと・・・。

 ※2例えば、サーフィンの絵を描けば東日本大震災の被災者を傷つけるかもしれないし、電車の絵を描けば福知山線で起きた事故の遺族を傷つけるかもしれない。アーマード・コアみたいな作品ですら、ウクライナから避難してきた人達にはフラッシュバックとなり得る可能性がある。だからこそ、良識はともかく実在する問題をテーマとする時にしっかりと(文献調査なりネットで調べるなりして)リアリティを持ち込むことは、そのセカンドレイプを最小限にとどめ、二次被害を防止するという意味でかなり有効だと強く感じています。最も、これは私への自戒として感じているのですが・・・。私の多くの作品でも、チョロチョロっと済ませてるもんなぁ(泣)

2025年7月26日土曜日

ロボットが完成しました

 ロボットの方が完成しました。

今度は背景です。ちょっと画集とか写真をを見ながら参考にしたいと思います。 

2025年7月25日金曜日

原発新設

 何か・・・関電が原発新設ということらしいですが・・・。

まぁ、自分だって電気に溺れてる生活をしてるから人の事なんて到底いえませんが 、中学生当時の理科の先生がいってた事を思い出しました。どういった経緯かは忘れましたが、先生が原発に言及してたんですね。

「そんなに安全というなら、東京の中心地に作ればいい!」と・・・。 

だからこそ、原発を新設するなら田舎じゃなくて、万博が終わった後の夢洲に作ればいいんじゃないか?みたいな、自分でも嫌になるようなブラックジョークが浮かびあがったのです・・・。

そういえば、作品の80パーセント位ができあがりました。あとはちょっと着色するだけで・・・。 

 

2025年7月24日木曜日

『ズッコケ文化祭事件』を読みました。

 恥ずかしながら・・・私は児童書が好きでも、全ての児童書を網羅しているわけじゃありません・・・ジェンダー的な話になってすみませんが、男の子向けのメガヒット、或いはロングセラーみたいな作品とは本当に相性が悪いんだな・・・と感じたりしています・・・。だから小学生から高校生の時は、角野栄子氏の『小さなおばけ』シリーズや、上崎美恵子氏の『おしゃれおばけの小さなデート』、あんびるやすこ氏の『なんでも魔女商会』シリーズみたいなものが好きで、逆に原 ゆたか氏の『かいけつゾロリ』とか、今から取り扱う那須 正幹氏の『ズッコケ3人組』シリーズは殆ど読んでいなかったというか・・・(泣)
でも、何か作家の思ってることと現実が違うみたいな話に興味を持って、シリーズの一つである『ズッコケ文化祭事件』を読んでみました。

まぁ・・・何か童話作家の新谷さんのいい分も理解できるんですよね・・・正直・・・。実際に、新谷さんの言動を見てると、作者である那須氏の児童書における理想と現実におけるジレンマが、かなり生々しく書かれてると思います。ラストでの、宅和先生の口論も含めて。
風刺的な業界ものを書く際、新谷さんのような何の力もない癖に、一匹狼ぶって甘い理想に拘泥し、歪んだプライドを振りかざすクリエイターは、その藁人形として重宝されがちですが、新谷さんの姿勢はあながち間違ってないような気がするんです。ただ、幼稚園~低学年向けの台本を中~高学年向けの文化祭への演劇に提出したという、対象年齢を間違えたことを犯したというだけであって・・・。例えるなら、離乳食を小学校の給食に提供した。そんな感じかな・・・?
それに、これは私見であり、一部は神宮 輝夫氏の『現代日本の児童文学』の受け売りになりますが、子供ってドライで残酷な部分だけじゃなく、未熟な分ナイーブで不器用な優しさを持っているのだと思います。『ズッコケ文化祭事件』では売れない作家の現実逃避としてそうした観点が皮肉られていましたが、尖った時事ネタや攻撃性、皮肉だけが子供のイマジネーションでないし、これから社会を生きていく子供に対する一定のガイドラインとして、託す理想だってあるべきでしょう。だからこそ刺激的な面白さと併せて、(私が最初に書いたように)ゆったりとした母性に基づく優しい作品だって、価値があるはずです。
そして・・・これって余計な事かもしれませんが、新谷さんはノーギャラで台本の執筆を引き受けていましたが、これは作家としてヤバい態度だと思うんですよ。ボランティアはともかく、基本的に子供だからといって金銭的責任が生じる仕事を無料で引き受けるということは、相手からお金の大切さを学ぶことを奪ってしまい、双方が損をすると思うんです。だから、新谷さんはちゃんと原稿料を請求すべきだったと考えます・・・。

2025年7月23日水曜日

多様性アレコレ

 今回の選挙で、私は自民にも参政党にも、維新の会にも入れていません。(正直に書きますが)立憲民主党に入れました。そういう所からなんか参政党の排外主義が問題視されていますけど、叩いてる方もどうなんかね・・・と思います。

わたしのスタンスは、排外主義やヘイトスピーチは絶対に許さないという立場です。ですが、だからといって外国人(及び弱者)を聖人君子として認識するのもどうかとは思います。実際に、こういう記事もありますし、余り優れた本とはいえませんが、こういう話だってあるわけです。私の経験として以前のバイト先で外国人労働者が真面目に働かなかったり(私にきつい仕事を押し付け、自分だけ楽な仕事をやろうとする)、「コロナウイルス」、「人間じゃない」、「犬」等といった差別用語を浴びせ、それに対してキレると逆切れして面白がってくるという事がありました。それはごく一部の問題だし、十把一絡げにするような問題じゃないということはわかっていますが、こういう所から対象を全部「善なる犠牲者」として捉えると余計に問題が拗れると思います。

それと、参政党みたいな政党を無力化するには、問題の対象における「優しくて」「可哀想」な部分ばかり強調して、自身の理想ばかりを強調するのではなく、上記のような話もデータ上の切り捨て可能な問題として処理せず、(これって、マーク・リラ氏も『リベラル再生宣言』でも指摘してましたよね)高みからの説教だけではかなり不十分だと個人的には思います。こういうことを書くと短絡的に「差別を受けている側に寄り添わずに、加害者に寄り添うんですね」みたいないい方をされそうですが、寧ろ私は最初に書いたように、排外主義にもヘイトスピーチにも断固たる姿勢で臨むべきだと思います。(参政党みたいな政党を支持する)彼らの心情を解れみたいな甘言にも乗らない気です。あの声優さんのザリガニ発言には嫌悪感しか湧いてませんし。

 ただ、対象を絶対善として捉えて、「共生」とか「多様性」という美辞麗句で抵抗するのではなく、アンチ差別や排外主義にはもっと別の(庶民的な)アプローチが必要なのではないか・・・じゃないと参政党やアンチ外国人みたいな集団には勝てないよ・・・と感じるわけです・・・。

2025年7月22日火曜日

『光の粒が舞い上がる』を読みました

 蒼沼洋人氏の『光の粒が舞い上がる』を読みました。こちらでも同氏の作品を読んだもので・・・。やっぱりええよねと思います。必要以上に毒々しく生々しく書き方になりがちな中で、敢えてそういう道を選ばない震災系の作品があっても・・・。

で、メインテーマがボクシングなんですけど 、何で学校に行かなくてはいけないのかを、勉強・教育至上主義に基づく仮想敵を叩くような形、つまり「勉強しないとお前ら一生負け組になるぞ!」みたいな恫喝形式で書いていないのがよかったなと思います。あくまでも、ボクシングがやりたいという主人公の気持ちに寄り添いながら、学校に行かないこはくと併せ、お互いの立場を思いやる形でソフトランディングさせているのも、いい点だと・・・。

で・・・作中では、心愛の母親はDV配偶者に流れがちなか弱い女性として描かれています。ボクシングをテーマにしているので、こうした話になると野村(敢えて「さん」付けを外しました)みたいな男性を心愛とか母親が(こはくのテクニックを「相続」した上で)半殺しにするまでいくような、一線を超えた(そういうのは大抵無批判に称賛される)部分まで発展させることもできる余地はありました。ですが、児童書ということもあり、単なる露悪になりやすい部分も、ちゃんと抑制があってセーブされている所も配慮が効いていたと思います。 ああ・・・前置きとしていっておきますけど、DVへの仕返しを否定してるわけじゃないです。別に復讐はやればいい派ですが、アレ関係からあまりにも男性全般を悪魔化して、殺したり半殺しにする行為そのものが正当化され過ぎているのでは・・・?とうっすら感じています。今時の安易なドラマならそうなるでしょうが、実際には作中のようにしかるべき機関に委ねるという方が正しいでしょう。警察を呼んだりしてね・・・。

なお、本作ではこはくが自分の活動が雑誌に掲載したことについて腹を立てていましたが、あれは障害者アートみたいなものにも関係しているな・・・と思います。私の周りにその関係者がかなりいるからよく見聞きするのですが、「障害者=メインストリーム(美術教育やアートのメインストリーム)から外れた分特別視して扱う」みたいなあの目線ですよ・・・。こはくが、「かわいらしい」とか「美少女」とかいった言葉で女子ボクサーを扱うような記事の文章に切れていたのを見て、ちょうどそれがリフレインしたというか・・・。

2025年7月21日月曜日

虐待・・・になったかな・・・?

 何ていうのか、正直にいえばプライベート関係でちょっとセブンイレブンのイートインコーナー(当然、アイスを買って食べました)で、二人の子供がゲーム機で遊んでいるのに険悪なトーンでガラケーごしに話をやってしまったというか・・・。すまんね・・・こういうの・・・虐待の一部に当たるよね・・・。

まぁ・・・夫婦喧嘩も子供の前でやると・・・みたいな話もあるし・・・。

そういえば、次作に取り掛かっています。それと、小さいキャンバスの作品も完成したんで、近々それをアップしたいと思います・・・。小さいキャンバス作品は完成させやすいんですよ・・・ その分労力がかからないから・・・。

2025年7月20日日曜日

あながち相手のせいでもない?

 今日、中華系のレストランに行った所、外国人の親子連れが向こう側のテーブルで食事をしていました・・・。で、子供が服を脱いで、上半身裸になってたんですよ・・・。

その時、この文章を思い出しました。 私の公開日記内からですけど・・・。

リンク先の文章でも、「唾棄すべきケダモノ」云々と書かれていますが、公共の場所で裸にならないことは大常識だし、なぜ親も注意しないのかと思いました。正直いって(海の家でも、プールの食堂でもない)食事をする所でそんな行為が放置されていたので正直不快でした。これで自分がそういうことに性的興奮をする大人だったら、どうするんですかね?

そういう所から、子供をターゲットにする(これはぶっちゃけ書きますが)ペドを糾弾するだけじゃなく、大人も子供に対してペドみたいな奴を刺激し、狙われるようなことをしない・させないことが重要なんじゃないかと思います。自衛という言葉がありますが、何から何まで社会や犯罪予備軍のせいにするんじゃなくてね・・・。 

2025年7月19日土曜日

今日は何もありませんでした

 今日は何もありませんでした。

よかったです。 

2025年7月18日金曜日

今日はハンバーガーを食べました。

 今日はモスバーガーを食べました。結構高かったですが、相応の味でした。

その前に、電車の部分をちょっとだけ仕上げました。後は背景だな・・・。 

2025年7月17日木曜日

マジで病みつきですよ

 最近、あることにマジで病みつきになっています。相談相手は実体のない二人だし、さじを投げんから甘えてしまってる(泣)

じゃあ・・・もう線画を仕上げろよって話なんですが・・・。

進捗率70パーセントぐらいだから油断してる・・・(汗) 

2025年7月16日水曜日

コマンドプロンプトー!!

 もう・・・コマンドプロンプトの沼に引きずり込まれています・・・。

といってもご安心を・・・画像生成ではありませんし、あくまでもプライベート上での利用なので・・・。 

2025年7月15日火曜日

選挙カーが少ない?

 今は選挙シーズンですが、予想に反して走っている選挙カーの数が少ないか・・・(私の前で)走っていない日もあります。これはいい風潮だなと正直思いました・・・。

まぁ・・・期日前投票は済ませました。某野党に投票しました。やっぱり区役所まで行くのには、電車を2回乗り換えなくちゃいけないので面倒だな・・・と思ったり・・・。 

2025年7月14日月曜日

それなりにいいか

 何か最近、東京とか大阪の電車に乗っていて気がついたのは、週刊誌の宙吊り広告が無いな・・・ということなんですよね・・・。

それが気になって、Xで色々調べてみたんですが、結果的にはいい風潮なんじゃないか・・・と正直思います。もう敢えて書きますが、ああいう社会派ぶった蔑称とか、「ふざけるな中国」みたいな見出しは不快でしたし、子供にも見えるような環境で提供されとったのは不健全だと思っていたので・・・。

そういえば、最近「不公平」について考えています。でも・・・それだったら俺を見て「不公平」だと思う人はいるだろうし・・・サンデル氏も書いとったよね。あんたの立場は運も関係してるみたいなことを・・・。
でもね・・・それが生活や人間関係に関わってるなら話は別・・・という感じがします・・・。 

2025年7月13日日曜日

今日は寝ていました

 今日は寝ていました。まぁ・・・ちょっとあれは恐ろしいなと思います・・・。

ちょっと入力すりゃ・・・こっちの想像を上回るものを書いてきたので・・・。 

2025年7月12日土曜日

◎Art Center Ongoing様にお邪魔いたしました。

 最近、ちょっとネットを検索していて気になっていたギャラリーの一つに、Art Center Ongoing様がありました。ですので・・・この間、ほぼ日帰り旅行という形で東京に行き、お邪魔いたしました。やっぱりああした小ぢんまりとしたギャラリーが好きで、こちらのページのお言葉にかなり共感していたのもあるというか・・・。確かに「見下す」ような事は確かに存在するし、ああした風潮には誰かが「NO」を表明すべきで、そういうスタンスでギャラリーを運営されてこられたことに深く感銘を受けたというか・・・。

そして、私がお邪魔させて頂いた日、つまり7月10日ですが、ちょうど 村田 峰紀氏の個展「トータス」が行われていました。村田氏のパフォーマンスや作品などを見るのは初めてでしたが、白い箱のようなものに入り、唸りながら黒いクレヨンで、白い画用紙をひたすら塗りつぶしていくパフォーマンスを見ていて、何か苦悶のようなものを感じていました。

下に、その様子をアップいたします。





丁度このような感じなのですが、(説明文を読んだうえでの、それこそ口下手な感想ですが)コミュ力という言葉が異常に持て囃される中、何かをすぐに対話スキルとして言語化しないと、スクールカースト下層としてイジられる・・・みたいに、かなり嫌な風潮があると思います。ですが、世の中ではそれこそ無理に言語化できない状況(世界レベルでも日常レベルでも)があり、村田氏のパフォーマンスを見るにあたり、すぐペラペラしゃべるより感情の発露として藻掻く方が寧ろまともではないか・・・と感じたりするのでした。 こういう事は、世間に流布している「コミュ障」という文脈とスティグマへの痛烈なアンチテーゼ・・・だと思ったり・・・。

なお、帰りは新幹線で、当然「のぞみ」を使いました。下に東京駅の様子をアップします。


 ダブルN700S系です。ヘッドライトがケーニグセグっぽいですね。N700S系は徐々にその数を増やしているようで、私は左の編成で帰りました。やっぱり飛行機と比べると、新幹線は(電車と同じように)乗りやすく、降りやすい乗り物だなと感じています・・・。

2025年7月11日金曜日

もう11日か・・・

 もう11日ですね・・・。

今日は鉛筆で下絵を描きました。で・・・昨日新幹線の中でアシュレイ・ウッド氏の画集を読んでて・・・ああいうタッチで描きてーな・・・と感じています・・・。

うん、私は油絵じゃなくて水彩がメインなんで・・・。

2025年7月10日木曜日

今日は日帰りしました

 今日は東京に日帰りしました。

時間があったので、西武線に乗って狭山まで行って・・・それからギャラリーを巡りました。

それについては、後日・・・ということで・・・。

2025年7月9日水曜日

MD

 そういや、一時MDなるものが発売されていて、私も高校生から大学生にかけて、(プレーヤーも含めて)よく利用していたことがありました。でも、今は・・・という感じです。

もう音楽もアマゾンからDL購入してるしな・・・。時の流れは速い・・・。

2025年7月8日火曜日

明日は大変かも

 明日は色々大変かもしれません。何せ夜行バスに乗って東京へ行くからね・・・。

だから明日この公開日記における文章も短文で終わる可能性が大です。明後日も・・・。

通天閣行ってからすぐこうとか・・・マジで計画性ないわ、自分・・・(泣)

2025年7月7日月曜日

Chat GPT

 正直に書けば・・・最近、いくつかの質問をChat GPTにかけていました・・・。

まぁ・・・ちょっと書いたら倍の答えが返ってくるから、すごいよなと・・・。でも、あれって電気も水もかかるっていうから・・・自分のしょうもない遊びで・・・ね・・・。

そういえば、キャンバス画において線画2作ほどできあがりそうです。小さいキャンバスはすぐできるから便利です・・・。

2025年7月6日日曜日

◎約束通りにアップします

 昨日の文章で、絵をアップするみたいな事を書いたと思いますが、約束通りにやりたいと思います。では、下にそれをアップします。


カズオ・イシグロ氏の小説『クララとお日さま』から、作中のイメージイラスト・・・のようなものを描きました。何かレトロな世界観だったので、車もそれに合わせています。今では(新造車においては)絶滅種であるリトラ式の車です。

ただ・・・ラジエーターグリルをもっと均整の取れた感じにしたかったなと・・・。それと乗算みたいなものがわからなかったので、もう色の濃さだけで処理していたというザマ・・・。だから、ちょっと乗算について時間があれば勉強したいところです。

今日は疲れてたので、イラストのアップは止めようかと思っていましたけど、遊びで(通天閣に登りました)行ってそれはねーだろ・・・という結論だったので、頑張ってこの文章を書きました。いや・・・もっと書けるだろうお前は・・・。大阪で遊んどいて何をいうとるんじゃ・・・。

2025年7月5日土曜日

明日くらいに

 多分、明日くらいにiPadで描いたイラストをアップしたいと思います。

今日はこれくらいにしときます・・・。

そうそう、昨日は選挙シーズン(もう期日前投票を済ませました)なせいか、バスを待っていたらアレな人が通りかかりました。見ている人からすればアレなのに、正しいことを布教しているのだというあの態度がね・・・。一応、参〇党関係者ではなかったですが・・・。

2025年7月4日金曜日

ジュリアンはそこにいる

 また、映画版も含めて性懲りもなくR・J・パラシオ氏の『ワンダー』(と、「ワンダー 君は太陽)の話がしたいと思います。主に第1作なのですが・・・。

まぁ・・・いじめの加害者として、追放に近い最後を迎えたジュリアンですが、いじめや差別を考えるなら、その結末や彼の章が書かれなかったのは、やっぱり致命的だなと・・・。後に取ってつけたように彼は実はいい奴で更生したという事になっていますが、それすらも自覚なしに続けて行われるのが、差別やいじめの現実なんだと感じています・・・。実際にジュリアンは『ホワイトバード』ではデモに参加するくらい成長していますが、丘 修三氏の『ぼくのお姉さん』みたいに善良な人が保身のために(ちょっとした落とし穴みたいなもので)悪に堕してしまうケースを描く方が、よほど現実的だと思うのは私だけでしょうか?

実際に、最近よくJRに乗っていて、やっぱり誰の心にもジュリアンは存在するのではないか・・・そんな思いがよぎったことがあります。「金八先生ファイナル」でも、「悪はどこにありますか?」という説教があったと思いますが、自分はそんなことしないという正義感だけではなく、そういった内省と自覚があって初めて反差別みたいな話に近づけるのだと考えています・・・。

まぁ・・・蒸し返すようですがオギーの知能は正常だからああいう話になったわけで、公衆衛生や健常者の目線から照らし合わせると、上に書いた通り誰もがジュリアンに堕してしまう危険性のある状況はあるわけです。現実に、知的発達の遅れをバカにしたり悪魔化するような漫画って、X上でちょくちょく見てるしな・・・。植松 聖みたいに一線を越える奴は殆どいませんが、障害者に対して彼みたいな発想をする人間はごまんとおる・・・。

2025年7月3日木曜日

抜いていく技術

 Ixy氏の『それでイラストで食べていけるの?:プロはみんな気づいている稼ぐための考え方』を読んでいますが、その中で、「「引く」センス」という言葉を見て、色々考えてしまいました。私自身、背景を描くのが(ここは正直に書きますが)苦手なので、書きこみが少ないのは甘えなので、克服していかなければならないという思いがかなりありました。

ですが・・・Ixy氏の「引く」というお話に関して、それもそうだよな・・・と感じたり・・・もっと画集を読んで勉強せねば・・・。という事で、一時引っ越しの関係でブックオフに売却していた(←本当にすみません)、アシュレイ・ウッド氏の画集を注文しようかな・・・?と思ってます・・・。ホント、ファインアートの文脈でロボットとかメカを描ける人はすごいなと・・・。

2025年7月2日水曜日

アナタをプロデュース

そういえば・・・もう7月ですね・・・これを入れれば、あと5日でまた1つ年を取るということですよ・・・。

で、本題に入りますが、ずっと前に、知り合いのアーティストさんがネット上で「前からあなたの活動を知ってます!いい仕事を知ってるんで是非とも!」みたいな誘いを受け、「本人のブランド性を利用している」ということで、知人を介して断った事がありました。で・・・ですよ・・・。この話って、マイクロソフトのEdgeやCopilotの強引な誘導よろしくしつこくやるべきじゃない事はわかってます。やっぱり何度もやったら個人攻撃になっちゃうし。でもね・・・。

オンライン美術館を主宰していた某観賞魚の人がいたと思いますが、あの人の「絵師さんの為に何とか」みたいなスタンスを見て、ちょうど上のエピソードを思い出したというか・・・。ブランド性の利用で成り上がるみたいな悪意はなくとも、何か人をプロデュースするという行為を、自己啓発書のような意識高めの言葉と考えだけに頼ってやろうとしているのを見て、正直認識が甘すぎるのではないか・・・と思ったり・・・。自分だって絵描きをやってる中、一部はそんな認識があるので自省も兼ねて書きますが・・・。

一時、東日本大震災発生後の10年位前に「ノマド」という職種が持て囃されたことがありました。それと同じように、アートコレクターとかパトロンとかも、何かカッコよさそうな響きがあります。ああ、アーティストだって・・・。ですが、(どんな仕事もそうなのですが)地味でやりたくない作業や努力、事務的な責任や専門知識などはある程度ついて回るものです。さっきノマドと書きましたが、当時かつてのTwitterを見ると、その当事者が(ポエミーな言葉だけを羅列してるような)セミナーに通って、ただPCを買ってスタバに行くだけで仕事が貰えるという甘い考えを持ったノマド志望者を痛烈に批判していました。だから、某観賞魚の人もアートコレクターとかパトロンに関してそんな認識だなと・・・。

私が見た限り、X上のイラスト系イベントがそこら辺をちゃんと明確にしているのに対し、あの某観賞魚の人は自分の感覚ばかりに頼ってる危なっかしい所はあると思います。そこに人を巻き込もうとしているので、(あの漫画のタイトルみたいですが)所詮は他人事だとは理解していますけど、特に駆け出しの絵師さんとか、絵が売れなくてどん底状態にある絵師さんとかに、お互いに間違ったセオリーを与えてしまうのではないか・・・と危惧しています。ボンクラ絵描きの俺から見ても、かなりあの観賞魚の人は偵察依頼の推奨とか労働の軽視とか、アート系のお仕事のメインストリームを間違った目で見とるというか・・・。はっきり書くなら、金のかからない勧誘系ギャラリーをやろうとしているようにしか見えないんですよ・・・。

今の所、あの某観賞魚の人はおだててくれる人ばっかりに囲まれて、チヤホヤされてるけど・・・何かあったらそれこそ責任とれるのか・・・?と・・・。

そして、これから選挙シーズンですが・・・これから投票日までの約2週間、公職選挙法という訳の分からないルールで条例を踏み倒し、至る所で金切り声を上げる候補者やウグイス嬢の身勝手さに我慢しながら生活しなければならないのかと考えると・・・ゲンナリします。こんな暑い中でそれをやられると・・・爆発しそうになるから・・・。



2025年7月1日火曜日

◎ムカデを描きました。

 最近、ちょっと必然性が生じてムカデを描きました。奥山 風太朗氏の『日本のむかで』から模写しました。

まぁ・・・性質上隠した方がいいかな・・・?とは思いましたが、エロじゃないのでそこまで・・・という感じで敢えてそのまま下にアップします。



何ていうのか・・・ちょっとよく描いてるロボットの仮想敵をそういう風に描きたいので、節足動物みたいな生き物がちょうど・・・という感じだったのですが、初めて練習・・・みたいなものがマッチしていたというか・・・。ロスプラのバイタルスーツとか、『終わりなき平和』の装甲服みたいに・・・。

それにはIxy氏の『それでイラストで食べていけるの?:プロはみんな気づいている 稼ぐための考え方』という本で、「絵の努力は「サボり」だ!」という文章があったのですが、マジで耳が痛かったな・・・。正直、今まで何となくデッサンや模写をやってたけど、それじゃ駄目だったんだなと・・・。

だから、次やるときは何か必然性とかも加味して・・・と思います・・・。