こちらで、「ジパング展」のことについて書きましたが、今日は本格的にそのことを書こうかと思います。目当ては、会田 誠氏の「灰色の山」が目当てでした。下に、その様子をアップしました。
かなり小さいですが、作品の中にはサラリーマンの死体が何百体と重なっており、あまり激しい表現はないものの、逆にそれが壮絶さを物語っています。
話はそれますが、私は森 達也氏の『死刑』という本の文庫版を持っており、「灰色の山」が表紙のイラストに使われていたなと、本作を前にして感じました。アメリカと同じく、先進国では死刑制度を存置させてる日本。加害者家族・被害者遺族・そして死刑囚を巡る重たい言葉の数々を見ていくと、死体の山に(殺人事件の当事者としての)彼らのこれまで辿ってきた人生や念を感じます。
で、本題に戻りますが、結構会田誠氏はサラリーマンをイジるような作品を制作しています。まあ・・・企業戦士とか資本主義社会の弊害とはいいますが、私はその世話になっている身なので、まだまだケンカを売るには・・・という心情です・・・。
それから、「戦争画リターンズ」シリーズの一つである、「題知らず」という作品ですが、こちらも画像を下にアップします。
個人的には、画集や雑誌などでこの作品は何度か目にしたことがあります。広島育ちの私にとっては、原爆ドームというのは幼少期から観光や修学旅行ではなく、日常生活の一部として現在まで目にしており、やっぱり外部から見れば広島というのは一つの自治体ではなく、「戦争×核」の町なんだな・・・ということを感じました。だからこそ、もう少しセンシティブな表現で・・・という感じも正直あります。
そういう所から刺激を受けたのが、岩崎 隆宏氏の「リフレクション・モデル(羅生門エフェクト)」でした。
本作を見てからすぐに、「ダークなラピュタだな」という思いが出てきました。まるで、ラユタとゴリアテ(いわゆるムスカの願望か・・・?)を融合させたような・・・。
そして、キャプションを見てから重要なことが指摘されていました。広島や長崎の原爆投下は現代アートのみならず、様々な創作作品で題材にされてきましたが、「軍事都市から平和都市へ180度転換した史実」と書かれている通り、原爆投下の被害性ばかりを声高に語り、みんなが目を逸らしがちな(つまり、同じ立ち位置だった)ビフォア8.6について正直に表現している所に、本作の誠実性を感じました。
本展の会場を出てから思いましたが、ホント自分はそういう空気とか潮流に乗るのがヘタクソな人間なんだな・・・と思いました。まあ・・・もともと児童書とか絵本(という独り善がりな側面)がエッセンスだし、勉強不足だから自業自得という面だってあるじゃん・・・とも・・・。
でも、正直書けば事あるごとに震災とかコロナとかで、それをパフォーマンスにしたりするのも、どうなんねーと感じています。その度にちょっかいを出したりするような作品も見ましたが、できん所はできん分、いちいちニュースバリューに流されてたまるか・・・俺は津波とか原発事故とかいう空気に流されず、好きなもんを描いて、伝えることをしなきゃいかんのじゃ・・・という念も沸いてきたりするのでした・・・。