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2024年12月21日土曜日

◎「ジパング展」の続き

 こちらで、「ジパング展」のことについて書きましたが、今日は本格的にそのことを書こうかと思います。目当ては、会田 誠氏の「灰色の山」が目当てでした。下に、その様子をアップしました。


 かなり小さいですが、作品の中にはサラリーマンの死体が何百体と重なっており、あまり激しい表現はないものの、逆にそれが壮絶さを物語っています。

話はそれますが、私は森 達也氏の『死刑』という本の文庫版を持っており、「灰色の山」が表紙のイラストに使われていたなと、本作を前にして感じました。アメリカと同じく、先進国では死刑制度を存置させてる日本。加害者家族・被害者遺族・そして死刑囚を巡る重たい言葉の数々を見ていくと、死体の山に(殺人事件の当事者としての)彼らのこれまで辿ってきた人生や念を感じます。

で、本題に戻りますが、結構会田誠氏はサラリーマンをイジるような作品を制作しています。まあ・・・企業戦士とか資本主義社会の弊害とはいいますが、私はその世話になっている身なので、まだまだケンカを売るには・・・という心情です・・・。

それから、「戦争画リターンズ」シリーズの一つである、「題知らず」という作品ですが、こちらも画像を下にアップします。

個人的には、画集や雑誌などでこの作品は何度か目にしたことがあります。広島育ちの私にとっては、原爆ドームというのは幼少期から観光や修学旅行ではなく、日常生活の一部として現在まで目にしており、やっぱり外部から見れば広島というのは一つの自治体ではなく、「戦争×核」の町なんだな・・・ということを感じました。だからこそ、もう少しセンシティブな表現で・・・という感じも正直あります。

そういう所から刺激を受けたのが、岩崎 隆宏氏の「リフレクション・モデル(羅生門エフェクト)」でした。

本作を見てからすぐに、「ダークなラピュタだな」という思いが出てきました。まるで、ラユタとゴリアテ(いわゆるムスカの願望か・・・?)を融合させたような・・・。

そして、キャプションを見てから重要なことが指摘されていました。広島や長崎の原爆投下は現代アートのみならず、様々な創作作品で題材にされてきましたが、「軍事都市から平和都市へ180度転換した史実」と書かれている通り、原爆投下の被害性ばかりを声高に語り、みんなが目を逸らしがちな(つまり、同じ立ち位置だった)ビフォア8.6について正直に表現している所に、本作の誠実性を感じました。

本展の会場を出てから思いましたが、ホント自分はそういう空気とか潮流に乗るのがヘタクソな人間なんだな・・・と思いました。まあ・・・もともと児童書とか絵本(という独り善がりな側面)がエッセンスだし、勉強不足だから自業自得という面だってあるじゃん・・・とも・・・。

でも、正直書けば事あるごとに震災とかコロナとかで、それをパフォーマンスにしたりするのも、どうなんねーと感じています。その度にちょっかいを出したりするような作品も見ましたが、できん所はできん分、いちいちニュースバリューに流されてたまるか・・・俺は津波とか原発事故とかいう空気に流されず、好きなもんを描いて、伝えることをしなきゃいかんのじゃ・・・という念も沸いてきたりするのでした・・・。


2024年12月20日金曜日

ゆっくりできたら

 明日はゆっくりできるので、長々とした文章を比較的書くことができそうです。

眠気がまとわりついているので、モンスターエナジーあたりで凌ぐ必要がありそうですね・・・。

2024年12月19日木曜日

「ジパング展」に行きました

 現在、ひろしま美術館で開催中の「ジパング展」に行きました。

会田 誠氏目当てだったのですが・・・。

詳しいことは明日くらいに書こうかと思います。今キャンバス画を描いてるんですが、小説オンチなりにバックストーリーを考えたりするのは、けっこうやり甲斐があったりします(笑)

2024年12月18日水曜日

煽情的な描写

 去年くらいに、とあるロボットアクション系の漫画を買いました。はっきりいって、『シドニアの騎士』とか「叢」(というゲーム)のいいとこ取りの話かと思いましたが、中盤のDVが絡んだギスギス憎悪劇が生理的に合わず、やむなく売りました・・・ブックオフへ・・・。

まあ・・・あそこら辺に対して批判はあったみたいで、「ネトチン」と呼ばれようが私も何度かそういう表現の比喩として、「チョ・スンヒの戯曲」だなぁという考えが浮かんだのでした。再リンクですが、こちらをどうぞ。

あんまし自分の嫌い・苦手な表現を「チョ・スンヒの戯曲」といいよったら、その言葉に手垢がついてくることは自覚していますが、はっきりいえば私はバトロワの原作で千草貴子が新井田を痛めつけて殺そうが、「ガンズ・アキンボ」でニックスがチンピラを皆殺しにしようが、『ピュア・トランス』で残虐キャットファイトが描かれていようが、それらはあんまし気になりません。むしろ面白がってしまう何かがあります。

多分、それらは著者の殺意とか暴力への願望みたいなものをワンクッション置く形で、冷静に描かれていて、リンク先にあるようにただ「殺意がブチまけてあるだけ」じゃないから、どんなに容赦ない暴力もエンターテイメントとして楽しめる余裕があるんだと感じます。

ですが、そうじゃない作品っていうのは、作者の嗜虐性とか攻撃性みたいなものに直接晒され、引きずりこまれるような悪影響・・・つまり、(震災からさんざんいわれたような)共感疲労ならぬ「共感憎悪」にのまれそうになるから嫌というか・・・。何がいいたいかっていうと、暴力表現はある程度好きですけど、それそのものを煽ってくるような表現は苦手ということです・・・。だからバーホーベンとか北野映画とかはマジで・・・という感じです・・・。

2024年12月17日火曜日

私鉄が消える・・・

 最近、新京成電鉄と泉北高速鉄道が、合併で消滅するというニュースを聞きました。

北神急行が神戸市営地下鉄の北神線になった時と同じ感情がわきました・・・。7000系・・・せっかく更新しとったのにあっという間に廃車になったよね・・・。

で、こないだひろしま美術館で開催されていた「ジパング展」を見に行ったことを書きたい・・・と思いますが、今日はもう遅いので休みを優先させたいです(汗)

会田 誠氏目当てだったので・・・。

2024年12月16日月曜日

ホンマ情けないです

 まあ・・・2回連続・・・といってもメッチャ隔たりがあるんですが、同じ店に同じ落とし物をやってしまって・・・ちゃんと保管してくれていたので、本当にありがたいと思います・・・。

こういうミスで人に迷惑をかけてると思うと、ホンマ情けないです・・・。

そういえば、いくつか飛行系メカを描いています。でも、最近は飛行機に乗ってないんですよね・・・まだ能登半島地震がおきたばっかりに、羽田の事故があったじゃないですか・・・。

2024年12月15日日曜日

歯磨き粉を買いました

 昨日、歯磨き粉を買いました。なんか子供の時はメロン味とかイチゴ味の、刺激が弱いものを使っていましたが、今では・・・といった感じです。

もう正直、急上昇ワードとかAI検索結果とかウザくていらんです・・・。ただ、検索の精度だけを上げてくださいと思ってるんですが、利用者が簡単に減らないのをいいことに、独善的な改悪を続けるあそこら辺には、馬耳東風なんでしょうね・・・。

2024年12月14日土曜日

フロッピーとラーメン屋

 今日、昼食を食べるために寄ったラーメン屋さんのお座敷に、PCが置かれていて、その周辺にフロッピーがあったことにビックリしました。

フロッピー・・・それを見るのは何年ぶりか・・・。

そういえば、幼少期も父がPCゲームを色々やっていて、それもフロッピーだったなとふと思い出したのでした・・・。

2024年12月13日金曜日

マッシブな体形

 森 達也氏の『死刑』という本を持っていて、その中で森氏と漫画家の郷田 マモラ先生が死刑制度を扱った郷田先生の作品『モリのアサガオ』絡みで対談する、という箇所がありますが、その中で森氏は郷田先生について、「何となく小柄で腺病質な人を僕はイメージしていた」と書いています。

ですが・・・と私は思うのです。単行本を読めばわかると思いますが、郷田先生は積極的に自分の写真、つまり著者近影を積極的に載せてる人です。だから、マッシブな体形をしてる人ということはよくわかる・・・はずなんですが・・・と私はちょっと訝しみました。

そういえば・・・今、Blueskyの人口がどんどん増え始めていますが、また変な軋轢が生まれるかも・・・という不安があったりします。まあ・・・私もXからの移住者なので共犯という自覚はあるのですが・・・。招待コード制の時代とはいえ、その廃止ギリギリの時だったので・・・。

でも、Xに比べたら治安ってすごくいいなと思います・・・。

2024年12月12日木曜日

もう・・・無理かもしれん・・・

 今回はかなり実名で書いてしまいますが、最初、岡田 尊司氏の本は何冊か買っていました。『脳内汚染』なんかは、正直面白がって便乗して読み、色々批判はあるけど、正直一理あるんじゃ・・・とか思ってました。小笠原 慧名義での小説も結構面白く、ドクター・キシモトシリーズは結構好きでした。ですが、何か愛着障害あたりから段々何かブラックな感情が入り始めたんですよね・・・。岡田氏にには・・・で、最後には「もう、ダメじゃ」となりました。

で・・・。以前、Xのポストを色々読んでいて、星 新一氏の遺族がブチ切れていたのを見ました。それを見て、完全に愛想が尽きたというか・・・。そりゃ親のこと、しかも故人のことを勝手にそういわれたらキレるでしょう・・・。

(以下はちょっと内容違いかと思い、一部を書き換えました)

何か前にも書きましたが、メンタルヘルス関係の話はハードルが低いが故に、ゴールドウォーター・ルールもクソもない状況で、自称○○とか、ワイドショー受けするタレント精神科医の共犯関係のもと、いい加減な診断ごっこが流行りやすい状況だと思います。こういう所から星氏の遺族が、勝手に星氏を「診断」をした精神科医に声をあげるということが起きたわけですが、岡田氏に診断名をつけられた有名人の数を考えれば、そういう話は氷山の一角だなと感じることが・・・。

2024年12月11日水曜日

つむぎさんみたいな気動車

 『いたずらきかんしゃ ちゅうちゅう』という絵本では、家出の途中でダウンしたちゅうちゅうを森(幼少の時、あの木の描写が結構怖かったです)の中から救出するために、通りかかった「さいしんしきの きしゃ」を使うシーンがあるのですが、それがこの車両です。どことなく・・・まあ、0系が後で製造されたのはわかりますが、なんとなく新幹線の0系っぽいなと感じています。

それと・・・なんか『シドニアの騎士』に出てくる、つむぎさんの触手部分にも似てるなと思います。前々から書こうと思っていたのですが・・・。本体じゃなくて・・・。

2024年12月10日火曜日

終わった・・・

 今日は色々と終わった・・・

人生じゃないです、仕事とかやりたいこととかが・・・です・・・。

2024年12月9日月曜日

再稼働か・・・

 まあ・・・島根原発が再稼働ということで・・・なんか複雑な気持ちですよね。

あの過酷事故のことを中国電力さんが他人事と思ってないか、かといって電気をバカスカ使う生活からは逃れられないし、滅茶苦茶みんなパラドックスを抱えてると感じています・・・。

そういえば、Google検索のAIが邪魔だったんですが、解決しました。よかったです。ホンマいらんもんつけてからに・・・。しかもアンインストールしてもゾンビのように何度も蘇ってくるedgeのしつこさにもうんざりしています。あそこら辺のサービスにおけるアプデは、どうしてユーザーのニーズとズレてるのか・・・。

2024年12月8日日曜日

「ACT新春小品展 2025」に出展させて頂きます

 来年、つまり2025年の1月の上旬から、「ACT新春小品展 2025」(開催・会場:アートコンプレックスセンター様)に拙作を出展させて頂きます。販売作品は、キャンバス作品の他に、自作小説や絵葉書を予定しております。

なお、私は1月9日(木)から12日(日)まで会場に常駐させて頂く予定です。どうかよろしくお願いいたします。展覧会の詳細に関しては、こちらをご覧ください。

2024年12月7日土曜日

告知すると思います

 明後日くらいに出展の告知をしようかと思います。

すべて常駐させていただくわけではありませんが・・・。

2024年12月6日金曜日

百害あってなんとか

 ここで『トモダチブルー』の感想を書きましたが、『絶叫学級』もよく読んでることを承知でいえば、やっぱり子供にサイコホラーはまだ早いんじゃない・・・?と個人的に感じています。まだ精神がヤワな子供に狂気とか刃物とかは、正直にいえば百害あって一利なしだと・・・。あれはちゃんと意志力があり、自制が効く大人だからこそ想定された(ホラーという)エンターテイメントだと思うので・・・。

そういえば戒厳令のことに関して、あままこ氏の記事を読みました。(ぶっちゃけですが)いずみのかな氏をフォローしている身ですが、どっちも正しさはあるなーと、個人的には感じています。

で、児童書の話にまた戻りますが、そういう文脈、つまりキャラクターやシチュエーションを戒厳令に抵抗した市民のような描き方をしている作品って、結構あります。最近読んだ例だと、『ふたごチャレンジ!』の3巻でしょうか。校長先生に子供達が異議申し立てをするというね・・・。ふたチャレ自体は好きですし、扱ってるテーマもかなり意欲的なんですけど、正直「革命」とか「レジスタンス」とかいい始めた所で、なんか白々しい気持ちに・・・。あれは大人同士(校長の養護教諭に対するパワハラ)の問題なのに、子供がそれを背負うことが問題であって・・・という気分になりました。いや、七都氏の主張に正しさがあることは、百も承知なんですが・・・。

立場の弱い子供を逆手に取り、大人の戦いにおける代理人に仕立て上げる児童書は数多くありますが、それを疑いもなく肯定している人たちは、そんな戦いだからこそ子供が守られるべき存在だという「大人の責任」を放棄していると思います。この公開日記でもチマチマ書いていることですが、そういうことを「対等」という言葉で美化する向きもあるようですが、実際には都合よく子供の弱さに付け込んで使い捨てにする卑劣な悪平等だと、私は考えています・・・。

2024年12月5日木曜日

読み聞かせ動画色々

 まあ・・・動画サイト、特にYoutubeを見ると明らかに無許可で絵本の読み聞かせをしている動画がアップされています。それは当然著作権侵害として問題視されているわけですが・・・ですが・・・私にそれを指弾する資格はないなと・・・。

なぜなら・・・私だって二次創作や模写をやって、それをSNSや公式サイトでアップしてるんで、同じ穴のムジナだからですよ・・・。そんなの意識の問題じゃないことはわかっていますが、ああいうのをちょろっと見たりして、やってる方はまっさらな善意なんだなとは思います。まあ・・・罪悪感があればいいってものじゃないですが、後ろめたさは持つべきじゃないのか?みたいな感覚が・・・。

私が作家(原作者かイラストレーター)の場合なら、別に目くじらは立てたくない・・・というスタンスですが、ほかの作家さんはそうじゃない人が多いでしょう。まあ、勝手な代弁ですが、10年、20年前に絶版になった作品ならともかく、現在刊行されているものだと、「アップしたらこっちの利益が減るだろーが!」と見做されると思います。それで収益化なら、マジで怒気が上がる話だなと・・・。

そんな目線を意識しながら、黒に近いグレーとか金のこととかについて、色々と考えています・・・。まあ・・・いわれりゃこっちが負ける。自業自得だよ・・・。

2024年12月4日水曜日

自由席問題

 新幹線「のぞみ」の自由席が、2両になるそうな・・・なんかデジタル化の弊害を感じます・・・。アナログ派なもので・・・。

で、自由席の話ですが、一番腹が立つのは隣の席に荷物を置いてる奴がいることです・・・。お前のせいで座れんのじゃ・・・と何度思ったことか・・・。

話は変わりますが、明日くらいに絵本の読み聞かせ動画について、ちょっといっちょ噛みしてみたいな・・・と思います。あれ・・・問題になってますよね・・・著作権違反ということで・・・。

2024年12月3日火曜日

『現代日本の児童文学』について

 まあ・・・過去に引用としてちょくちょく取り上げたことがある、神宮 輝夫氏の児童文学の評論集『現代日本の児童文学』について、本格的に書きたいなーと思っていましたけど、故人をディスることになっても・・・という後ろめたさもあり、距離を置いていましたが、今日あえて一歩踏み込んでいきたいと思います。

現代日本・・・といっても本書が刊行されたのはずっと昔の話、1975年(の当時)ですが、やっぱり今の一部における児童書や児童文学作家の姿勢については、うなずける部分は多くありました。まあ・・・なんていうのか、児童書というフィールドで政治的問題や時代のトレンドを追うことが、作家のあざとい説教に堕していることはよくあり、SNSにおいても(多くの子供が見ているような状況で)政治的にどぎついポストを見境なくリポストする児童文学作家や絵本作家もいる中で、こうしたクリエイター達の独りよがりな正義感に冷水を浴びせる視点は令和の現在でも通用するものだと思います。特に幼年童話で戦争や差別などの社会問題をテーマとすることについての批判は、そりゃそうだなと思うし、一番同意している部分でした。

ただ・・・そういう所から、どうも社会の現実に対して理想を表明したり、求めること自体を腐しているような箇所があり、それがちょっとこっちをブラックな気持ちにさせたというか・・・。例えば、こうした文章です。

「職業、財産、生まれによる貴賎はなく、人間は協力し合うのが正しい姿である、といった考えは、だれしもその通りだと思うのだが、そうした美徳や正しい考えの大部分は、じっさいに効力をもっていない。やがて大人になる人たちに知ってほしいことを伝達する機能をリアリスティックな作品がもつべきであるなら、なぜ理想と現実がちがうかをえがいてこそ、文学である。ところが、じっさいは、その反対のことがうがかれるから、理想的な考えはすべて類型に堕してしまう。類型によりかかり、死んだ美徳をうったえる作家たちには、児童は向くな心をもち、その心に訴えれば、理想はいつか花ひらくという一種の信仰があると思う。」

・・・これは私見ですが、リアリストぶりながらリベラル寄りの考え方を腐すような文章に、私ははっきりいえば、ネットを中心に活動している逆張り冷笑系のルーツをちらちらと見ました。神宮氏はそういう所から、教育格差や世の中の裏表だけではなく、(当時の鉱夫という職業に無理解や偏見ともいえる私見を呈した上で)職業差別まで是認するようなことを書いていますが、これを一般作家はともかく、児童文学に携わる人間が発していたということに、正直見識を疑わざるを得ませんでした。

理論の飛躍かもしれませんが、理想に対して神宮氏は「じっさいに効力をもっていな」く、「死んだ美徳」と嘲るような書き方をしているわけですが、実際に「倫理的にそうあるべき」という考えの前で、いじめや差別、そして格差などが厳然と存在していることは、効力を持たないこととは別のことでしょう。

(もう昔の本なので今と比べても仕方がないのかもしれませんが)こうしたニヒリスティック寄りの態度自体、差別やいじめ等に真摯に向き合ってきた児童文学や絵本のみならず、社会運動やその当事者への侮辱だと思います。例えるなら、(論理が飛躍してることは自覚してますが)「差別はずっと存続してるのに、ブラック・ライブズ・マターみたいなことをやって意味があるのか?」という無神経さと同じでしょう。

だからこそ、単に微笑ましいワンダーランドではない、社会悪を(モラルや正義に基づき)告発する児童書や絵本の存在も、ある程度はまた必要悪だと思うのです・・・。正直、社会問題を描いた絵本や童話は存在しますが、その中にも名作があることもまた事実でして・・・。


2024年12月2日月曜日

明日くらいですが

 明日くらいですが、ちょっと児童文学の評論に対するレビューを書きたいな・・・と思います。

今日はタクシーで4000円吹き飛びました・・・(泣)

2024年12月1日日曜日

今日はネタがないです

 今日はあんまし書くネタがないです。

まあ書こうと思えば書けるんですが・・・名指しはどうかと思って、ずっと我慢してきたことについて書こうかと思います。以前もぼかして何度かは書いてましたけど・・・。

もうなんか、公務員バッシングがしたいわけじゃないですが、某公共サービスの対応がかなり酷いと思います。同じ「やらかし」を何度もやらされ、これじゃツタヤとかブックオフの店員さんの方がまともに仕事してるじゃん・・・とイライラしながらそこを出ました。だってデータじゃちゃんと在庫あるのに、読みたい本が読めんというミスを8・回・く・ら・い・されてましたから・・・。

なんか公共サービスが民営化みたいな言葉のもとで、資本主義でシバかれることの批判はありますし、私もそれに同意はしますが、上に書いたような現実もあるわけで・・・とうっすら感じます。