(一部加筆修正しました)
ここでも書きましたし、25日分の更新をうっかり忘れていたので、その補填という意味もあり、今日は二回更新にします。
本日、『トモダチブルー』という児童書を読みました。なんか、オソロがエスカレートしていく恐怖というのは、『同居人求む』というサイコサスペンスを思い出さずにはいられませんでした。確か映画化もされてましたよね・・・。まあ、あの調子でいけば・・・結末はああだよねーとか思ったり・・・。
で、何かリアルだけでなく、多くのSNSに代表されるようなフォロワーとかいいね!機能にもいえることですが、好意や友達の数の多さが本当の友情なのか?という問題提起、全てがわかった時に反省のかけらもなく、また新たなバッシングをし始めるクラスメイト達の愚かしさ、そうした所からまず精神的自立をすることの大切さが、いささか苦みを持った風刺を含んで描かれていました。それと、子供のことを軽はずみにネットで配信することも・・・。
で、巻末にいしかわえみ先生と作者である宮下 恵茉氏の対談が収録されていますが、「女の敵は女」とか「女は怖い」といいますけど、肉体的か精神的かというだけで男だって結構苦労してたんだぞ・・・と正直感じました。男子も男子で、結構いじめとかもあったしな・・・。まあ、最近だって自分も嫌がらせを受けてたわけだし・・・。バイトの現場だって、そういうことが渦巻いとったし・・・。本人がいない時にずっと悪口いっとったり、人を選り好みして怒鳴りつけたり・・・。
いしかわえみ先生との対談が収録されていたという所から、本書は「そういうこと」を狙っていたのだと思います。私自身も絶叫学級シリーズは好きですし、露悪的な話が嫌いなわけではないです。寧ろ勘違いしている大人が猫撫で声で、いつまでたっても子供をおもちゃの国や人魚の住む島に誘う方が、弊害があると思いますし。ですが・・・ちょっと小鳥ちゃんの描き方を見て思ったのですが、精神的病理を抱えた人物を煽情的に描くことに対して、私達は大人だから分別がつくのですが、やっぱりまだまだ世間やその実態を知らない子供に向けてそれを提供することは、精神的な障害みたいなものに余計で要らん偏見を植え付けることにならないか・・・?という不安が頭をよぎったりもしました。
それと、人間関係というのは悪いばかりではなく、良いことだってある訳で、ただヒリヒリするだけではなく、思春期だからこそネガティブなことがいい方向で本人の成長へとシフトするという部分がないでしょうか?「インサイド・ヘッド」というアニメ映画でも、カナシミの存在を通じてそういうメッセージが発せられていたと思いますが・・・。
それと、混同しちゃいけないとは思いますが、『謝るなら、いつでもおいで』とか『マコちゃん絵日記』とかの影響を受けてるせいでしょうか、子供が抱えている人間関係の悩み・・・みたいなものを大人の目線ありきで加担したり煽るだけではなく、真菜ちゃんが晒されていた脅威とか、小鳥ちゃんが抱えていた精神病理とか、単純明快ではない現実を公平な視点でジャーナリスティックに掘り下げてみたいな・・・という欲求もあったり・・・。すみません、場違いなことを書いていることは百も承知なんですが・・・。
これが本作の読解力のなさというのであれば、ちゃんと責任は受け止めるつもりです・・・。
ヒマがあれば「イヤミス」というジャンルについても書いてみたいなと思います・・・。