最近、X上で性犯罪の漫画を読みました。多くの引用リポストの通り、そういうことだなと感じました。どうして加害者が知的障害者なのか、そこら辺が雑でSNS受けする知的障害者叩きに「忖度」したものでしかないと思ったし、それで女児が犠牲になることを批判するというのなら、もっとまともで誠実な作品があると思います。障害者の犯罪=無罪放免というわけじゃないですし。
それと、一番共感したのがBlueskyのポストです。自分だってそれを守れてるかどうかわからないし、同様の失敗をしているかもしれないという自戒で書くのですが、「結果として作品の面白さを損なうにしても、「社会」を扱うのなら、しっかりとした取材を重ねてそれを反映させるべき」というのは、もっともな指摘だと思います。
ですが、この作品ばかりではなく、日本のポップカルチャーにおいて福祉バッシングや底辺嘲笑など「正しさ」と「俗情」の結託に基づく作品は散見されているわけですが・・・。ああ、そうそう、引用リポストの中にも批判だけではなく、悪平等のもとに障害者差別を正当化しているポストがありました・・・。なんか「障害者を聖人君子視することの方が差別だ!」みたいな、お粗末なノーマライゼーション観というか・・・。
それからまたX上の話ですが、川上 幸之介氏の『パンクの系譜学』が批判されているというので、興味を持って『DEBACLE PATH』というミニ雑誌を買いました。『パンクの系譜学』を持っている身なので、敢えてという感じでした・・・。
まあ・・・感想としては「どっちも正しい」という感じでした。正直、バンクスでもないので恐縮ながら、だからといって当事者性ありきで外部のアプローチを排他するだけでいいのか、アカデミズムが論じるからこそ、必要悪として文化が育ってきた所もあるとは思いますし・・・。 ですが、フィールドワークや一方的な美化の面に関しては、そりゃ私達が陥りがちな部分ですよね・・・耳が痛かったです・・・。