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2024年9月6日金曜日

お前社会の底辺だろ?

 もうね・・・Xにおいて、喫茶店の経営者がインボイス制度の影響でネルフィルターを縫う職人の廃業が決まったので、底辺と呼ばれる人達が私達の生活を支えてくれるのに、底辺切り捨ての政治を続けていいのかという趣旨のポストを見て・・・あの、自分が世話になっている職人に「底辺」ですよ?低賃金労働といっても、これはあんまりじゃないでしょうか?なお、ここでインボイス制度のアレコレは敢えて書かないことにします。(恥ずかしながら)そこら辺に関して自分の解像度がまだまだ低いことに加え、労働者を雇う側が、相手を天然で「底辺」と書いたことに焦点をしぼりたいので・・・。

私もダメ人間だからこそ承知で描きますが、きつくて金銭的に報われにくい労働で世の中を支えている労働者達がいることは事実です。ですが、それを享受する側が感謝の念として「底辺」という言葉を出すことに、驚きを感ました・・・。私も創作において、目立たない場所で、絵具やキャンバスなどの画材を作ってくれる人や運送会社さんにお世話になっている身ですが、そういう発想は正直なかったんで逆に感動しています・・・。もちろん皮肉の意味ですが・・・。

まあ、私も食品工場やドラッグストアなど、就職せずにバイトを転々としてきたクチですが、こういう思考回路の経営者に製品を提供してきた労働者達は、怒ってもいいのではないかと思います。もう店の名前もわかっているので、そっちは利用したくないなと思ったりします・・・。もうこっちには怒る気力もないし、立場でもないので・・・ね・・・。

こういう所から、ネットのウォーク系の言説はなぜ高い確率で、知能や学力のある犠牲者については対等に扱うのに、(特に社会のボトムにいる)当事者を高みから天然で傷つける発言が横行しているのでしょうか?なんかリアルで地道な活動をしている人達がいて、自宅の近くにも複雑な事情を抱えた子供達に無償で食事を提供するNPOがあります。そういう団体に限って、教育困難校とか底辺とかいった言葉を振りかざさないのはなぜでしょうか?少なくとも、後者の方がはるかに誠実な姿勢で問題(とその当事者)に向き合っていると思います。SNSも事務的で、いかに自分達が相手を助けているかを自慢げに書いたりしているポストは殆どありません。自分のメソッドを金儲けや承認欲求に使う意志を露骨に見せることだってないですし。

まあ、あの手の言動がアレなのは、社会批判の為に自分より弱い存在を好き勝手に扱うような高慢さがあり、『だいすき!』とか『灰谷健次郎-その「優しさ」と「文学」の陥穽』で指摘されていたような、相手の尊厳を奪うような形で美化するような言葉遊びがあるからでしょう。しかも自分に差別意識は無いというグロテスクさ・・・。

自分だってこの公開日記というネットのぬるま湯の中で社会や色んなことを好き勝手に腐してるので同じ穴のムジナかもしれませんが・・・。