-だいたい、犯人たちが「誰も傷つけない犯罪を目指す」とか言っているのがお笑い草です。(中略)そんな連中に「こんな悲しい過去がありました」と同情させてどうするんですか。そんなの、矛盾してるでしょ?
山本 弘『料理を作るように小説を書こう』より
世の中に流通しているフィクションには盗難や殺人などが、一定の正当化を持って表現されている作品があると思います。戦争行為はともかく、ターゲットが悪徳政治家(及び経営者)とか不起訴の犯罪者とか、ああいったやつです。
まあ・・・「昔はよかった」という文脈で、暴力や犯罪が語られることがよくあります。詐欺師は富裕層を対象としていたのに今は弱者をターゲットにしている、今と違っていじめが陰湿化している・・・それって、寺村 輝夫氏がきっぱり否定していましたし、誰が持っても金は金という具合に、動機が何であれ、犯罪は犯罪なわけです。昔殺人犯は金持ちをターゲットにしていたけど、今は通りすがりの人を狙うからダメなんて理屈が通ると思いますか?
で、話を戻しますがそういう所から溜飲を下げるようなフィクションがいくつか見当たるわけで、面白いっちゃ面白いんですよ。日頃から何となく享受している話への問題意識を高めるチャンスを与えてると思いますし。
ですが、多くの人は社会をよくする・・・というよりかは、自分より醜い存在が特権を享受し、それが叩き潰されることに心のデトックスを放出させること「だけ」しか期待してないのではないか・・・とレビューを色々見て感じます。こういう所から、政治家や企業の諸々の不祥事を上級国民の問題に矮小化し、自分達は清らかな存在としてそれを成敗するストーリーが望まれる傾向があります。ですが、そんな願望は上に書いた通り単に嫌な奴が滅んでほしいという個人的なモノに過ぎないので、いつまでも需要と供給が生じるというわけです。
何ていうのか、稚拙な「弱気を助け、強きを挫く」みたいな皮相な反権力に基づく願望だと思われますが、こういう発想って安倍氏を殺害したり岸田首相に爆弾を投げつけた犯人や、相手に同情するどうしようもない層とほぼ同じだと思います。
そして、こういう所から生じる意識というのが、裏金や森友・加計学園問題、万博や日大みたいな個別の極端な事例(仮想敵)を面白おかしく叩くことだけに堕していたりするので、誤解を恐れずに書けば、こういう時に使われる弱者という言葉も方便だな・・・と感じる次第です・・・。
最も、私は「面白いっちゃ面白い」と書きましたが、こういう系で私の好きな作品は「嫌いな奴がいなくなってハッピーハッピー、悪徳理事長とかブラック企業に痛めつけれられていた私可哀想」というものじゃないです。寧ろ、そうした悪は受け手にもあるということを突き付けているような厳しさがあるからこそ、社会問題を自分事として受け止められる力を与えてくれる力があるんです・・・。