私も結構ここで何やかんやにいっちょ噛みしてるので、ギルティですが、「タレントも政治的発言をすべき!」「何で音楽フェスに政治を持ち込んじゃいけないのか!」みたいな話ってあるじゃないですか・・・。でもね・・・現状としてはそこまで成熟した発言ってできてないと思います。私達も含めて・・・。最近じゃあの声優さんの騒動もあったばかりだし・・・。
榊原 英資氏の『幼児化する日本社会』では、タレントみたいな存在が専門外の事にコメントすることへの批判がありましたが、半端に聞きかじった知識で(考えもせずに)ソンタクとかモリカケとかハイガイシュギみたいな言葉を乱用し、そこに本人のフォロワーやアンチがたかって場外乱闘(ありていにいえば「炎上」)以上のことに発展しなかった・・・という方が正しいと思います。
これはモーリー・ロバートソン氏が『挑発的ニッポン革命論:煽動の時代を生き抜け』で(有名人が政治的主張をすることに対し)「有名であればあるほど、感性でモノを言う事が許されている。」(122P)と指摘されていたのですが、その言葉通りに、有権者として一番責任が厳しく問われている分野を、スタンスが右派(あの声優さんの騒動みたいに)であれ左派であれ、間違っている所やズレてるところがあっても、「有名人だから」というブランド性で許されてきた・・・いや、許されるべきだという考えがなかったでしょうか。「有名人は政治的発言が許されない」という被害者意識のもとに・・・。そう、ロバートソン氏の指摘通り、外国でも有名な俳優やミュージシャンが政治的発言をする例はありますが、日本のようにただ政治的トレンドに適当に乗っかり、中学生でもできるようなコメントをいいっ放しで終わるのではなく、ちゃんと一有権者としての責任感と信用を負ってるかという違いはあるかなと・・・感じています・・・。
これは、私も選挙において間違った判断をしてしまったという過去があり、その責任感を感じているから・・・なのですが・・・。
まぁ最後の方も、出羽守っぽくなったしなぁ・・・。