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2025年6月29日日曜日

『トモダチごっこ』を読みました

―子どもというのは、こちらが考える以上に、自分たちの内向きな世界を築きあげ、非日常的な空間へと気ままに入り込んでしまうのかもしれない。それが子どもの創造性でもある。空想と現実を自由に行き来する子どもたちのありようを、大人の既成の言葉で翻訳してしまうと、整えられた起承転結ばかりが先行して、言葉にできない肝の部分がするりと抜けてしまう。

                   川名 壮志『謝るなら、いつでもおいで』より 


最近・・・まぁ・・・ここでネガティブ寄りの感想を書いてしまっていた、『トモダチブルー』の続編が出るということで、『トモダチごっこ:~1軍に入れたと思ってた~』を読みました。下種の謗り食いをやってる事はわかってますが、児童書を巡るああいう風潮にはある程度の「NO表明・抵抗表明」も必要だと思うので、敢えて・・・という感じです。

内容は(いささかネタバレ気味になりますが)、前作の『トモダチブルー』同様に優柔不断かつ弱めの主人公が、善人面した悪い奴に巻き込まれて、精神的自立の上に相手とのカタをつけるという所は共通しています。で、今回はクラスの人気グループに誘われて入ったものの、金をせびられて・・・という感じなのですが、本当の友人ならそんな事せんわな~と思いました。小田 ゆうあ先生の『リブラブ』でもそういうギャルっぽい悪役、出て来たなーと・・・。

で・・・私はここでも書きましたが、「イヤミス」みたいなものに、あんましいい印象を持っていません。

何か、本作の作者である宮下 恵茉氏のXにおける予告も読んだんですが、コンセプトはそうなんだと思います。ヒリヒリしたい、女の子同士のドロドロにハラハラドキドキしたい・・・。

でもね・・・子供社会の悪意やいじめ、対立とかを大人の目線で悪乗りしてスキャンダラスに表現するようなスタイルは好きじゃないです。そんなん女の子同士に限った事じゃないし、ヒリヒリとかギスギスとかみたいな言葉で、そんな痛みの表層だけ見て安易に片してんじゃねぇ!という思いが・・・。

だから、(虎の威を借る狐みたいで恐縮ですが)この記事でインタビューされていた、山田 尚子氏みたいに「ただ、今っていろんな気持ちや考え方に名前がついちゃって、本当は自分の思っていることは微妙に違っても、大きなひとくくりにされちゃうことがあるなと思っていて。
そうやって便利な言い方に巻き込まれてしまうことに対しての歯がゆさとか、怒りみたいな気持ちはありました。」という言葉にメッチャ共感するんですよ・・・正に『トモダチブルー』や『トモダチごっこ』みたいな作品が煽情的に表現している事(或いはスタンス)への刃みたいなもので、自分がそうした作品群に感じてきたモヤモヤを見事に言語化してくれてるなと・・・。やっぱり上の方で安易に片してんじゃねぇ!と書きましたが、俺もそうした怒りみたいなものはあるよな・・・。子供って、大人の想像以上に葛藤とか悩んだりしてるのに、「ドロドロ」とか「欝展開」みたいに、(それこそ山田氏がいってたような、便利な言い方で)面白おかしくパッケージングされてるというか・・・。まぁ、自分が『マコちゃん絵日記』みたいな漫画の子供や大人の描き方が好きなせいか、だからこそ、「こっちはあなた達の想像以上に傷ついてきたのに、そんな認識で商業利用するわけですか!?」と叫びたくなるような・・・それこそ負の感情が拗れてくるわけですよ・・・。

何かこうした所から、一部の新興児童書(文庫)レーベルが商業主義の為に類型的な溺愛とか露悪とかで過激化していく現状は、ちょっと考えた方がいいんじゃないかと思います。ついでにいえば、すぐに見境なく百合とかBLみたいな概念をこじつけてくるマニアみたいな存在にも、毅然とした態度はとるべきかと・・・。子供が見るような環境で、ちょっとそれはと感じてますし・・・。

まぁ、お金を得るということは資本主義社会で生きる上では必然ですが、提供者の倫理的側面はどうなんねと・・・。