昨日の文章で、寮 美千子氏の『あふれでたのはやさしさだった』を読んだので、その詳しいレビューを書きたいといっていましたが、約束通りやりますね。
まぁ・・・何か正直に書くと・・・ 私は小学生時代に母の所有していた土師 守氏の『淳』を読んだ影響から、(寮氏が主張していたように)少年犯罪者が社会の犠牲者だからこそ犯行に及んだ弱者、みたいな書き方には乗れないし、もっというなら、ここでは書けないようなドス黒い感情を何度か刺激されました。藤井 誠二氏的な感じの・・・。ていうか、『空が青いから白を選んだのです」も新潮文庫だったしなぁ・・・。
で、本書で書かれていた涵養プログラムで行われた、「愛情」や「癒し」等は、被害者や被害者遺族がまず最初に必要とするものだろうという思いが、何度も本書を読んでいる時に頭をよぎりました。(寮氏に限らず、人権派とされる人々が厳罰派に対して主張する)「根っからの悪人なんていない」という性善説が、なぜ人を殺してはいけないのか、悪い事をしたらどうなるのかという倫理観の重要さを、どっか矮小化しているような感じがして・・・。
ですが、やっぱり非行少年や少年犯罪者に対する寮氏の態度は本物だと思うのです。こうした活動では、しばしばネットでチヤホヤされる事を考えている、身勝手な支援者がいます。彼らは自分がバズを稼ぐため、支援の対象が反撃しにくいのをいい事に、愛情や活動の名を借りた暴言や差別意識を露にした発言を繰り返し、同じく薄っぺらな人権意識高そうな人達がせっせとシェアに勤しむのを、何度か私は見ています。
ですが本書を読んでいて、そういういい加減で不快な描写が一切なく、寧ろ彼らの為に対等に接するという覚悟のある言葉に、嫌でも私は引きこまれていきました。
『ステイホーム』という児童書では、「悪い子を家に入れるな」という主人公の言葉から、こうした存在を突っぱねる事をよしとしていましたが、公助ばかりに丸投げして知らんぷりするのではなく、ある程度は自分事として考えなければ、私が憎んでいたものも存在し続けるのかもしれません・・・。