今回は、こちらの文章で制作中の絵をアップしたいと書いていましたが、約束より一日遅れでアップしますね(汗)この後で書く事と密接に繋げる感じで行きたいので・・・。
はい、上の方に制作中の絵をアップしましたが、これはiPad Pro(描画ソフトはアイビスペイントで、課金済みです)にて描いたイラストを基に、キャンバス上で制作途中のものです。サイズはF20号で、参考として下にもデジタル版のイラストをアップしておきます。まぁ・・・こういう感じですが、ちょっとキャンバスで描く際は胸部を長くしすぎたり、顔あたりを何度かホワイトで修正したな・・・と思います。遠くで見た時に、左右のバランスが結構歪で、カレイかヒラメのようになってたんで・・・口と目にあたる部分の配置が・・・。
で・・・ここから本題に入りたいと思います。何度も修正しなければいけないのは、絵描きとしてまだまだ未熟で劣った部分があるからであり、そこにいい訳を一切したくはありません。努力の結果として完璧にやる人もいますから。ですが、何らかの過程において、失敗って誰しも何回かは経験するんじゃないでしょうか?
失敗という事で・・・以前、『ハピかわ』という児童書(マナー本)についてこことかここでまとまらん事を書いていましたが、まぁ・・・焼き直しという事は多めに見てください(汗)
確かに、身だしなみとかマナーとか、『ハピかわ』では大人でもできていないことをわかりやすく指摘しているし、自分だって要領がいいコミュニケーションが上手な人に度々助けられてきてるので、あの本の内容に文句は付けられないです。過去にちょっと企業案件を頂いた事がありますが、間に立っている人がいなければ、お仕事をさせて頂く事もままならなかったわけだし・・・(汗)
ですが・・・正直、こういう記事とかこういう記事に同意してしまう自分もいる訳で・・・で・・・まぁ・・・『ハピかわ』でも一応失敗のメリットについては書いてあるんですが、一流の営業マンのように、「ナミカゼ立たないコミュニケーション術と綺麗な身なりを習得し、相手にいい印象を与える」という主張の方が勝っており、自分としては子供は(特に学校や地域社会における)人間関係の中で、失敗したり傷ついたりして、あるいは(子供故に)取り返しのつかない代償を払ったりして許されながら勉強していくものじゃなかったんでしょうか?
そこら辺の真実みたいなものが、うさくん先生の『マコちゃん絵日記』という漫画でかなり上手く描かれてたなと・・・。子供だからこそ、完璧な話しあいで円満解決なんてできるわけがなく、時には喧嘩したり、エゴ故に嘘をついてしまったり、『ハピかわ』がベストセラーになっている現状を見ると、こうしたネガティブ要素を漂白するだけでいいのか?とも思ったり・・・。
この記事でも、「引き出しの中身は、成功例ではなく失敗の在庫である」と書かれていたように、いい結果を出すには記事を書いた人の主張通り、成功のパターンではなく失敗の在庫を持っているからです。こういう事は自分のレベルで絶対に書いてはいけないとは思いますが、最初のホワイト修正の話以外でも、作品制作の過程で間違いやズレを修正する事は結構あります。 絵の制作以外でも、企画が落ちた事もありますし、目を離したスキに某イベントで作品を全部盗難された事もあります。そういう「ネガティブ要素」のない生活なんて無い方がおかしいと認識しています。
だからこそ、敢えて書きますが、そういう部分は子供なら尚更で、『ハピかわ』はまず「かわいい女子」という「成功例」ばかりを強調しすぎて、(『ハピかわ』だけではなく、そうしたマナー本に過剰な意味付けを大人達がした上で)子供の失敗すら不寛容になっている今の社会の余裕のなさ・・・を映し出しているのかもしれません・・・。何か、リチャード・カールソン氏の『小さい事にくよくよするな!』シリーズの方が、人間の不完全性をきちんと認識している分、『ハピかわ』より思いやりがあったのではないか・・・そう思います・・・。
それと・・・これってこの文章じゃ蛇足かもしれませんが、『ハピかわ』のように「相手に感情的な負担をかけない、要領よくレスポンスができて明るい印象を与える努力」という日向の世渡りばかり重要視するコミュニケーション術って、本当にいい事なんでしょうか?そうじゃない事は「社不」とか「コミュ障」とかいって排他するような風潮がありますが、世の中にはこうした記事が指摘しているように、(青木 和雄氏の『ハードル:真実と勇気の間で』でも同じような主張はされてましたね)他者と向きあう際に戦って傷ついてでも、自分の正しさを通さなければならないコミュニケーション術も必要悪だと私は思う訳で、トータルしてみれば、みんな都合の良くない部分から目を背けすぎていないか・・・?それを子供にまで適用してると、どっかでしっぺ返しがくるんじゃないか・・・?何かそういう懸念があるんですよね・・・。
まぁ・・・はっきり書くけど、「社不」とか「コミュ障(コミュ症)」という言葉も、裏を返せば相手が本気で向き合い始めた時に、怖がって逃げてしまう弱さの正当化ではないか・・・そう思います。こうした矮小化も社会に蔓延していますが、どっかでしっぺ返しが来るんじゃないかと・・・。俺の不器用が正しいなんていうつもりは、毛頭ないけど(笑)
