明後日くらいに出展の告知をしようかと思います。
すべて常駐させていただくわけではありませんが・・・。
画家、藤高昇太の公開日記(ブログ)です。主に出展のお知らせや、近況などを書いていきたいと思います。なお、整理のために一部の記事が削除される事がありますので、ご了承ください。 ◎本ブログの文章の一部引用および画像の無断転載を許可いたしますが、以下の注意を守ったうえで、自己責任でお使いください。1.営利目的・非営利目的(何らかの収入を伴わない)に関わらず、出典の明記は大体わかる形でもかまいません。そちらのご都合に任せます。 2.政治的・社会的な信条にかかわらず、いかなる表現も許可いたしますが、最低限のTPOとモラルを守ったうえでご使用お願いいたします。なお、タイトルに◎がついた作品は、版権ネタですので無断転載をご遠慮ください。
ここで『トモダチブルー』の感想を書きましたが、『絶叫学級』もよく読んでることを承知でいえば、やっぱり子供にサイコホラーはまだ早いんじゃない・・・?と個人的に感じています。まだ精神がヤワな子供に狂気とか刃物とかは、正直にいえば百害あって一利なしだと・・・。あれはちゃんと意志力があり、自制が効く大人だからこそ想定された(ホラーという)エンターテイメントだと思うので・・・。
そういえば戒厳令のことに関して、あままこ氏の記事を読みました。(ぶっちゃけですが)いずみのかな氏をフォローしている身ですが、どっちも正しさはあるなーと、個人的には感じています。
で、児童書の話にまた戻りますが、そういう文脈、つまりキャラクターやシチュエーションを戒厳令に抵抗した市民のような描き方をしている作品って、結構あります。最近読んだ例だと、『ふたごチャレンジ!』の3巻でしょうか。校長先生に子供達が異議申し立てをするというね・・・。ふたチャレ自体は好きですし、扱ってるテーマもかなり意欲的なんですけど、正直「革命」とか「レジスタンス」とかいい始めた所で、なんか白々しい気持ちに・・・。あれは大人同士(校長の養護教諭に対するパワハラ)の問題なのに、子供がそれを背負うことが問題であって・・・という気分になりました。いや、七都氏の主張に正しさがあることは、百も承知なんですが・・・。
立場の弱い子供を逆手に取り、大人の戦いにおける代理人に仕立て上げる児童書は数多くありますが、それを疑いもなく肯定している人たちは、そんな戦いだからこそ子供が守られるべき存在だという「大人の責任」を放棄していると思います。この公開日記でもチマチマ書いていることですが、そういうことを「対等」という言葉で美化する向きもあるようですが、実際には都合よく子供の弱さに付け込んで使い捨てにする卑劣な悪平等だと、私は考えています・・・。
まあ・・・動画サイト、特にYoutubeを見ると明らかに無許可で絵本の読み聞かせをしている動画がアップされています。それは当然著作権侵害として問題視されているわけですが・・・ですが・・・私にそれを指弾する資格はないなと・・・。
なぜなら・・・私だって二次創作や模写をやって、それをSNSや公式サイトでアップしてるんで、同じ穴のムジナだからですよ・・・。そんなの意識の問題じゃないことはわかっていますが、ああいうのをちょろっと見たりして、やってる方はまっさらな善意なんだなとは思います。まあ・・・罪悪感があればいいってものじゃないですが、後ろめたさは持つべきじゃないのか?みたいな感覚が・・・。
私が作家(原作者かイラストレーター)の場合なら、別に目くじらは立てたくない・・・というスタンスですが、ほかの作家さんはそうじゃない人が多いでしょう。まあ、勝手な代弁ですが、10年、20年前に絶版になった作品ならともかく、現在刊行されているものだと、「アップしたらこっちの利益が減るだろーが!」と見做されると思います。それで収益化なら、マジで怒気が上がる話だなと・・・。
そんな目線を意識しながら、黒に近いグレーとか金のこととかについて、色々と考えています・・・。まあ・・・いわれりゃこっちが負ける。自業自得だよ・・・。
まあ・・・過去に引用としてちょくちょく取り上げたことがある、神宮 輝夫氏の児童文学の評論集『現代日本の児童文学』について、本格的に書きたいなーと思っていましたけど、故人をディスることになっても・・・という後ろめたさもあり、距離を置いていましたが、今日あえて一歩踏み込んでいきたいと思います。
現代日本・・・といっても本書が刊行されたのはずっと昔の話、1975年(の当時)ですが、やっぱり今の一部における児童書や児童文学作家の姿勢については、うなずける部分は多くありました。まあ・・・なんていうのか、児童書というフィールドで政治的問題や時代のトレンドを追うことが、作家のあざとい説教に堕していることはよくあり、SNSにおいても(多くの子供が見ているような状況で)政治的にどぎついポストを見境なくリポストする児童文学作家や絵本作家もいる中で、こうしたクリエイター達の独りよがりな正義感に冷水を浴びせる視点は令和の現在でも通用するものだと思います。特に幼年童話で戦争や差別などの社会問題をテーマとすることについての批判は、そりゃそうだなと思うし、一番同意している部分でした。
ただ・・・そういう所から、どうも社会の現実に対して理想を表明したり、求めること自体を腐しているような箇所があり、それがちょっとこっちをブラックな気持ちにさせたというか・・・。例えば、こうした文章です。
「職業、財産、生まれによる貴賎はなく、人間は協力し合うのが正しい姿である、といった考えは、だれしもその通りだと思うのだが、そうした美徳や正しい考えの大部分は、じっさいに効力をもっていない。やがて大人になる人たちに知ってほしいことを伝達する機能をリアリスティックな作品がもつべきであるなら、なぜ理想と現実がちがうかをえがいてこそ、文学である。ところが、じっさいは、その反対のことがうがかれるから、理想的な考えはすべて類型に堕してしまう。類型によりかかり、死んだ美徳をうったえる作家たちには、児童は向くな心をもち、その心に訴えれば、理想はいつか花ひらくという一種の信仰があると思う。」
・・・これは私見ですが、リアリストぶりながらリベラル寄りの考え方を腐すような文章に、私ははっきりいえば、ネットを中心に活動している逆張り冷笑系のルーツをちらちらと見ました。神宮氏はそういう所から、教育格差や世の中の裏表だけではなく、(当時の鉱夫という職業に無理解や偏見ともいえる私見を呈した上で)職業差別まで是認するようなことを書いていますが、これを一般作家はともかく、児童文学に携わる人間が発していたということに、正直見識を疑わざるを得ませんでした。
理論の飛躍かもしれませんが、理想に対して神宮氏は「じっさいに効力をもっていな」く、「死んだ美徳」と嘲るような書き方をしているわけですが、実際に「倫理的にそうあるべき」という考えの前で、いじめや差別、そして格差などが厳然と存在していることは、効力を持たないこととは別のことでしょう。
(もう昔の本なので今と比べても仕方がないのかもしれませんが)こうしたニヒリスティック寄りの態度自体、差別やいじめ等に真摯に向き合ってきた児童文学や絵本のみならず、社会運動やその当事者への侮辱だと思います。例えるなら、(論理が飛躍してることは自覚してますが)「差別はずっと存続してるのに、ブラック・ライブズ・マターみたいなことをやって意味があるのか?」という無神経さと同じでしょう。
だからこそ、単に微笑ましいワンダーランドではない、社会悪を(モラルや正義に基づき)告発する児童書や絵本の存在も、ある程度はまた必要悪だと思うのです・・・。正直、社会問題を描いた絵本や童話は存在しますが、その中にも名作があることもまた事実でして・・・。
今日はあんまし書くネタがないです。
まあ書こうと思えば書けるんですが・・・名指しはどうかと思って、ずっと我慢してきたことについて書こうかと思います。以前もぼかして何度かは書いてましたけど・・・。
もうなんか、公務員バッシングがしたいわけじゃないですが、某公共サービスの対応がかなり酷いと思います。同じ「やらかし」を何度もやらされ、これじゃツタヤとかブックオフの店員さんの方がまともに仕事してるじゃん・・・とイライラしながらそこを出ました。だってデータじゃちゃんと在庫あるのに、読みたい本が読めんというミスを8・回・く・ら・い・されてましたから・・・。
なんか公共サービスが民営化みたいな言葉のもとで、資本主義でシバかれることの批判はありますし、私もそれに同意はしますが、上に書いたような現実もあるわけで・・・とうっすら感じます。