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2026年1月7日水曜日

地震が襲った

 昨日バイト中に地震があって、すぐ上司に相談してから実家に安否確認しました。みんな無事で良かったです・・・。今年で熊本地震10年目ですが、東日本大震災と同じように全国レベルで騒ぐ力は、みなさんありますか・・・?

結構意地の悪い質問したけど・・・ずっと感じてた事なんでね・・・。

自分も行こう行こう思いながら、熊本に行けてなかったから同罪だ・・・という思いがあるからこそ・・・なんですが・・・。

そういえば、自分の仕事に関わる事で必要な技術情報やノウハウ等を、Xですぐ不特定多数に聞こうとする人がいます。まぁ・・・AI(特にGPTは参考文献関係で結構嘘をつきます)はともかく、あれはよーないな・・・と思います・・・。 書店に行くとか、自分でリサーチする、(リアルで)信用できる人に教えを乞う・・・みたいな方がコストと手間かかるけど、確実だよ・・・?と思ったりして・・・。

2026年1月6日火曜日

「新聞記者」を観ました

公開当時から、かなり迷いに迷って・・・遂に、藤井 道人氏の映画「新聞記者」を観ました。自分も、こういう事に関係したOBとして、このような問題になる程の迷惑をかけた事に対して、非常に申し訳ないという気持ちと罪悪感があります。だからこそ、知人には「セカンドレイプになるから(観るのは)止めろ」といわれていたわけですが、やっぱり・・・向き合われた分、向き合わなければいけないという気持ちが、2019年の時からずっと燻っていたので、遂に覚悟を決めて・・・という感じです。

まぁ・・・エンディングのスタッフロールが流れてからこの文章を書いているわけですが、全体的には宣伝と評判通り、「森友・加計学園問題」をミックスしたような感じでした。邦画にありがちなよく怒鳴り散らすような演技ではなく、丁寧でしっかりとした演技のおかげで、そうしたストレスを負わされず、「ちゃんと観る」事ができるマスコミ系エンターテイメントでした。 それと、みんなの問題意識というのが、あの問題で噴出していた感情論(自分より馬鹿な存在が特権を享受しているから、廃校にしろ!的な)より、もっと民度が高くて上品な形で表現されていると思いました。下が下の存在を叩いて反権力ぶりながら留飲を下げるという貧乏くさい迎合(それこそ、劇中の内調がやっていたように)をせず、内調の官僚と若手新聞記者という当事者同士のジレンマを「きちんと躾けられた大人の感情」としてしっかり描く事で、全体的にしっかりした作りの、例えるなら(最近亡くなられた)ロブ・ライナー氏の「記者たち:衝撃と畏怖の真実」に近い良質なインパクトが残る作品だと感じています。 

ですが・・・メインテーマである「権力の闇」・・・みたいなものに関しては、所詮フィクションに甘えた妄想であり、暗い部屋の中でパソコンのキーボードをパチパチやりながらネット民を扇動して世論工作をする(あんな暗い中で)内調のオフィスや、首相の友人が経営する大学の新設が生物学兵器開発という事実だった・・・という所には、正直唖然としました。それが問題だというのなら、正直に問題自体をベースにすればいいのに、陰謀論じみた「事実」で新聞記者の吉岡と若手官僚の杉原の正当性を主張しているので、結果として(特に原発の無い都市圏で活動していた)自分の立ち位置を理解せず、他人事で電力会社や政府を罵倒していたインスタントな反原発団体がやってた事と変わりないんじゃないかと思いました。だってですよ・・・?実際の企業はともかく学校法人の不祥事というと、学生や教職員も関わってくるようなセンシティブな問題も含まれる中で、正しささえあれば風評被害をバラまいてもいいのか・・・という命題が、「新聞記者」には厳としてあります。こうした事も本作を絶賛している層には(無批判で)受けていますが、あなた方は関東大震災における朝鮮人虐殺否定論や南京大虐殺否定論、歴史修正主義に対してどんな態度を取っていたんでしょうか?と・・・。

上に書いた「記者たち」だって、嘘はついてなかったでしょう・・・。 

だから、トータルした意見でいえば、これが一番近かったりするんです・・・。 映画全体としてはすごく良かったんですが、この文章でも書いているように、外野におけるマスコミ(と特定のジャーナリスト)へのスクープ礼賛や調査報道への英雄視は、太平洋戦争終結後に「私達を騙した軍部が悪い!」という国民の被害者意識に基づく逆ギレと地続きだったりすると思うのです・・・。

で、劇中にちょくちょく望月 衣塑子氏とマーティン・ファクラー氏、前川 喜平氏の鼎談が流されてくるわけですが、あれも映画で何がいいたいかを露骨にいい過ぎてないか?とも・・・。まぁ、こっちが間接的に加担した分、ああいう人達に怒られてもしゃーない・・・そういう気持ちだってあるんですがね・・・。 

2026年1月5日月曜日

モーガンを見ました

 去年の12月くらい、つまりこないだの話なんですが、自宅近くでなんかすごいクラシックな感じの車が赤信号を待っていたので、珍しいな・・・と思って見ていたら、モーガンだという事がわかりました。モーガン・・・結構日本ではレアって感じですよね・・・。エンジンの音も結構重厚だったし・・・。

なんかああいう車ってデリケートな作りなんで、きっとオーナーさんも大事に使ってるんだろうなと想像しました。まぁ・・・これは画材にもいえる事で、買った分大切に使わなきゃならないんですが・・・自分の場合は無駄に使って(絵具をです。しかも今は冬なので)カチンコチンにしたり、納得いかずに描き直したりする事が多々あるからなぁ・・・(泣)

 

2026年1月4日日曜日

オーバーキル

 あのベネズエラの件・・・まぁ・・・ギルティでもやっちゃいけない事ってあるでしょうと・・・。今日も修羅場でしたので、あんまり書く気力が無いです・・・。

そろそろ東京へ行く準備をしないと・・・。 

2026年1月3日土曜日

3日目ですね

 これで三賀日も終わりで、徐々に日常モードへとシフトしていく事になり・・・という感じですかね・・・。実は実家に帰っていたのですが、かなりの降雪で、バスもタイヤにチェーンを巻いていました・・・。

で、他の家の前に雪だるまが(たぶん子供が作ったのでしょう)作られていたのは、微笑ましかったです。 何かレイモンド・ブリッグズ氏の『スノーマン』という絵本を思い出さずにはいられませんでした・・・で・・・彼はそういう作風で『風が吹くとき』みたいなエグイい作品を描くものだから・・・。でも、『スノーマン』も切ないラストでしたよ・・・。 

2026年1月2日金曜日

2日目ですね

 まだ2026年2日目ですね。これからある事に備えて仮眠を取ります。

まぁ・・・めでたいと思ってた事が、徐々にストレスになっていくという現実・・・。 

仕方ない・・・有難みを解らんという俺の無神経さもあるんじゃ・・・。 

2026年1月1日木曜日

スクープを探す事

 ちょっと新年早々から、見当違いの事を書いていきたいなと思います・・・。前もって、あけましておめでとうございますとは書いておきますが・・・。

映画「ディープ・インパクト」では野心家のリポーターが主人公の一人で、『記者たち:衝撃と畏れの真実』でも、(9.11をダシにした)イラクの大量破壊兵器所持の疑いがガセネタだという事を知らせるために奔走する、新聞記者たちの姿が描かれていました。

最近、そういう所だけではなく「報道」・・・みたいな事を考えています。こっからは門外漢の話になるので、間違った部分もあるかもしれませんが、ちょっと書かせてくださいね・・・。

そのきっかけの一つが、『〈犯罪被害者〉が報道を変える』という本だったのですが、その中で、「ウォーターゲート事件」が挙げられた上で、追求型の報道だけではなくセンシティブなものも求められるというような事が書かれていて、私は「ダート賞」なるものを知りました。 英語版の記事しかなかったので、ブラウザの翻訳機能を使って何とか読んだ所、何でも、災害や戦争における心理的外傷に関係した報道やジャーナリストに贈られる賞みたいですね・・・。

個人的に、(日本のみならず、どこの国でもそうかもしれませんが)特定のジャーナリストを過剰に神聖視して、※「巨悪VS弱者である市民」という図式で対立構造を煽る人達がいます。マスメディアが権力を監視する事、つまりウォッチドッグであるべきなのは当然だし、彼らに糺されるべき不正が、永田町や立派なオフィスビルの中に蠢いているのは事実です。 ですがね・・・。

その永田町を中心として、マスコミが「第4の権力」といわれており、ある程度はそれも事実だと思います。「ペンは剣よりも強し」といいますが、それは文字だけで人を殺せたり、人生を左右したりする恐ろしさもあるわけです。そこからトータルして、上で書いた「巨悪VS弱者である市民」という対立構造が「物語化」されがちですが、どこを見ても剣より強いものを向けた裏には必ずセンシティブなものはあると思います。

多分、私が川名 壮志氏の『謝るなら、いつでもおいで』という本にすごく影響を受けているからでしょうし、捻くれた人間観を持っているせいか、ああいう物語化された、或いは物語化されやすい対立構造にイマイチ乗れていません。どっちかというと、日常レベルでのセンシティブな分野に基づく言葉の方が、かなり信用できるという根拠のない自信があるからです。

それと、前者はスケールが大きくてわかりやすいですが、日本人の性質を鑑みるにあたり、「他責的な確証バイアス(ここで都合よく霞が関みたいなものを利用する)に囚われた、受動的な個人を慰撫」していると感じています。確かに、追求型の報道や調査報道が民主主義の守護者であり、実際に社会の変えるべき部分を変えてきた事実も見逃せません。ですが、スクープや調査報道で官僚スキャンダルが発覚というような「美談」の重用は太平洋戦争が終わり、自分達の立場をすべて軍部に転嫁し、「自分達は騙されたのだ」と開き直り、アジア周辺諸国の戦争被害者の訴えに「こっちも被害者なのに」と舌打ちすらしていたような国民性と地続きの部分がないか?と思うのです。

だからこそ、「美談」に対する分かりやすさや甘みがない分、センシティブな報道にも基づく言葉は重みがあるし、制作の糧になっているなと感じています・・・。