そういや以前、よく東京への移動に飛行機を利用していましたが、ちょっと考えた時にプロペラ機って乗ったことがないな・・・と思ったりしました。
まあ・・・羽田へ行く便はみなジェット機ばかりだったしな・・・。
ということで、明日はもう11月ですね。郵送の準備をそろそろ・・・といった感じです・・・。
画家、藤高昇太の公開日記(ブログ)です。主に出展のお知らせや、近況などを書いていきたいと思います。なお、整理のために一部の記事が削除される事がありますので、ご了承ください。 ◎本ブログの文章の一部引用および画像の無断転載を許可いたしますが、以下の注意を守ったうえで、自己責任でお使いください。1.営利目的・非営利目的(何らかの収入を伴わない)に関わらず、出典の明記は大体わかる形でもかまいません。そちらのご都合に任せます。 2.政治的・社会的な信条にかかわらず、いかなる表現も許可いたしますが、最低限のTPOとモラルを守ったうえでご使用お願いいたします。なお、タイトルに◎がついた作品は、版権ネタですので無断転載をご遠慮ください。
そういや以前、よく東京への移動に飛行機を利用していましたが、ちょっと考えた時にプロペラ機って乗ったことがないな・・・と思ったりしました。
まあ・・・羽田へ行く便はみなジェット機ばかりだったしな・・・。
ということで、明日はもう11月ですね。郵送の準備をそろそろ・・・といった感じです・・・。
今日はちょっと寝ていました。バイトの疲労かもしれん・・・。いや、これは甘えでしょう。フルタイムと比べたら、ちょっとしか働いてないわけだから・・・。昼食にちょっとソース系のものを食べたからかもしれん・・・。
で、こんな記事を見ました。 Blueskyが目指すものが、Xと化したTwitterの、滅茶苦茶で近視眼的な(改悪という)機能変更、そして悪化する治安に対する鉄槌になれば・・・と、Blueskyのアカウントを持つ私は考えています。
まあ・・・一つなんか話題にしようかと思うことはあったけど・・・もういいです。問題にしてもこっちがお気持ち表明するだけ無駄って話はありますから・・・。
「インサイド・ヘッド」や「エディ・マーフィの劇的1週間」等、多くの作品で空想の友達、つまりイマジナリー・フレンドが題材になっていますが、終盤で消滅したりお別れをしたり、そこで友達だった相手の精神的自立を謳うような表現で締めくくられています。「パンズ・ラビリンス」という映画でも、苛烈な現実だからこそ、甘い幻想でも逃げたくなるような世界が冷厳に描かれていました。
ですが、最近観た「ブルー きみは大丈夫」はそうではありませんでした。いささかネタバレになって恐縮ながら、最初に書いたような感じみたいに空想の友達を持つことは、子供だからこそ許されることであり、そうした世界を大人になっても有していることは能天気な楽観であり、甘えともとらえられがちです。だからこそ、最後に「捨てる」ことが自立の選択肢として呈されるわけですが、本作ではきちんとした説得のもとに、自立した大人だからこそ、その為に捨ててしまった概念は必要になるというメッセージが描かれていました。そして、空想は決して逃避の為の幻想じゃないという、作り手の強い意志も感じられました。
まあ、私が(ブルーの声を担当した)スティーブ・カレル氏が好きだったこともありますし、空想の友達が見えるカルというキャラクターに関しても、シックス・センス寄りの巧みな伏線が張りめぐらされていて、「なるほど!」と思いました・・・。
ですが、こうした「生きづらさ」 や「強さ」に対するアンチテーゼ的な作品は近年でかなり増えてきたように思われます。ですが、敢えて逆張り的な発言になりますが、こうしたメッセージは甘えを捨て、自立心を持って生きてきた人間だからこそ機能するものであり、もとからそれがない、育てようとしない人間には慰撫という害毒にしかならない、そういうリスクも孕んでいると感じています。実際、慰撫ありきの作品もあるわけだしね・・・。邦画なんかそうじゃないか・・・。
昨日はてっきり公開日記を更新したと思っていたのに、更新していませんでした・・・。
その埋め合わせとして、メカのポーズ集を描きました。 下にアップしておきます。
これは、水沢 悦子先生の漫画『ヤコとポコ』の二次創作小説に登場するメカという設定で、なんか女の子っぽいポーズをとらせたら面白いだろうなとか考えて描きました。後はイベントで売ればいい・・・という感じですが、加筆修正したものも出したい・・・そんな感じです。そして、中央の英文字は、「テトラポール」と読みます。ロボットのメーカー・・・という設定です・・・。
由来はニール・ブロムカンプ氏の映画「チャッピー」に出てくる企業、テトラバールと「デモニック」に出てくる企業、セラポールをあわせたものです。
闇バイトについて蔑称で呼ぶべきというポストがXでバズっていて、一連のソレを読んで見たんですけど、要らん差別感情を煽って拒絶感を育てるのはよろしくないんじゃない・・・?と思いました。そうした発想にも絶句しましたし・・・。大事なのは呼び名とか表層的なものではなく、地道な対応と実態把握だとは思います。でも、そういう支援者ほどネットではバズらないしな・・・。有名になったとしても、神輿に担がれるような増長はしないし・・・。
何かこういう混同はいけないとは思いますが、蔑称を舐めてはいけないと思います。 ルワンダの虐殺においてもツチ族を「ゴキブリ」と罵倒するラジオ放送の存在がありましたし、(敢えて書きますが)「不逞鮮人」という言葉が関東大震災後の首都圏でどのように機能したか・・・。虐殺ではありませんが、蔑称が実際に人権を阻害する正当化の手段になっていた例だってあるんですし・・・。
だからこそ、蔑称を安易に公共空間で使うべきではないし、闇バイトのいい換えであるウンコ役バイトにせよ、トー横キッズのいい換えであるこどもホームレス連合(!!)にせよ、蔑称でどうにかしようという発想は前者と地続きだと思うのです。ていうか、ホームレスに対する差別じゃないの・・・。なっちゃいけないというのであればねぇ・・・。それと、ウンコ役バイトにせよ、実際に排泄物を扱う仕事って、あるでしょう・・・。
こういう支援者みたいな存在が、反倫理的で過激な言動でネット民にチヤホヤされるのを度々見ていますが、弱者を使い捨てにしてインフルエンサーとして(君臨したいがために)振舞うような存在には本当に愛想がつきそうな気分ですし、そんな軽薄な態度で被支援者に優越感を覚えるような言動を繰り返していると、いずれどこかでツケをはらわされることになるのではないか・・・そう思うのです・・・。
そうそう、こういう所からアヌビスというゲームのワンシーンについて思い出しました。火星の街であるバシリアで、まだ民間人がいるという状況で戦闘が始まった時、ディンゴにそれを詰られたLEVのパイロットが「構ってられるか!どうせバシリアのクズどもだ」といい返すんですね。そして、「バシリアの人間がどうなろうと知るか!!奴らはクズだ」とも。
まあ・・・平等に人権が保障されているはずの存在が、「クズ」という言葉で矮小化され、差別どころか殺していい存在になってしまう・・・ なんかこれをやったのは中学生の時でしたが、色々考えさせられてしまう台詞でしたね・・・。前作の「エンダーの盗っ人どもが!」という台詞とあわせて・・・。
まあ・・・私もちょくちょく百科事典サイトは覗きますが、なんか(悪意のある)ヘイト記事とかいい加減な記事、それからコメント欄が・・・と感じています。
何かもう、正直百科事典サイトはWikipediaだけでいいんじゃない?と思います。あれも色々と問題があるにしても、断然他の百科事典サイトと比べたら治安がいいし・・・。
で、こんなポストを見ました。Blueskyです。 そりゃあそれで賃金上げろ論には私も賛成している部分はありますが、まさにそんな状況だと思います。
でも、『ハ○かわ』みたいな本がバズる背景を見ながら感じたんですが、 小学生にすら営業課の大卒サラリーマンのような、完璧なコミュ力と明るさ(といい印象を与える努力)を暗に要求しているのがこの社会であり、だからこそ「普通に働く」の基準はそりゃ高止まりするし、基準は厳しくなったんでしょうね・・・とも・・・。
それと、資本主義経済の外にいる人が声を上げる&企業や労働者が普通に働くことができない人の為に行動するというのも、この状況では絶望的かと悲観しています。
某六つ子のアニメや某農耕シミュレーションRPGのように、実態はそうじゃないのに、自堕落で働かない若者(つまり俗流ニート論)という藁人形を叩くことが地道な問題提起(と実態把握)より福祉や職探しの認識として受けやすい現実があるわけで、やっぱし自分も非正規雇用だし、バイトも色々変わってるから不安はかなりありますね・・・。
ああ、そうそう。木澤 佐登志氏の『終わるまではすべてが永遠』という本を読んでいて、なんかテレビ番組経由で紹介されていた、障害者の作業所に対して意見が書かれていましたが、あれ、絶対福祉ゴロだと思います・・・。
東京で電車に乗っていると、ドアの上にある(広告や駅名を表示する)液晶ディスプレイに、闇バイトに対する啓発広告が流れてきました。バイト生活一筋ながら、「こりゃ気をつけな・・・」と思ったりして・・・。ハローワークはともかく、ネット経由の職探しだとホンマ保証が無いからな・・・。
で、Xの観測範囲ですが、闇バイトを巡って雑な若者語りが横行しているのを見て、ちょっとブラックな気持ちになりました。高齢化するネットユーザーが 、尤もらしく若年層という藁人形を好きに叩いて、「若者フォビア」というコンテンツにおける相互承認のダシにしているという側面がないでしょうか?なんかあの手の議論って、他人事で自分はそうならんという変な優越感があるからアレだなぁと・・・。繰り返しますが、私も他人事じゃないのですよ・・・。
で、これもX経由の話ですが、もう1つ気持ちがブラックになったことがあります。
「左派政党支持の人達の投票呼びかけイラストはホント質が高い」とか書いて、右派支持でこういうのは見たことが無いと腐していたポストを見ました。今日ですが。自分も絵を描いてるので本当にブラックな気持ちになってしまって・・・ね・・・。リポスト先をアレを見たけど、(個人的な感想ですが)財源は造幣局で刷れば出てくるみたいな人が考えてるような発想だねと思いました・・・。
私も一応野党支持ですが、こういう自分たちのやってることを変に美化したり、歪な悪魔化をやってるから反権力とか反差別が絵に描いた餅、というかエコーチェンバーの燃料に成り下がってるんでしょうが・・・と正直感じました。大体、自分やその賛同勢力のやってることに無批判で賛成するのって、右派と同じじゃん・・・。ていうか同じ考えだからこそ、嫌いなものだったら惜しまずに理論を尽くして批判することも大事なんじゃないですか・・・?
ずっと前に、『まなびストレート!』という漫画を読んだことがあります。
なんかこれって、ネット世論の(リアルに対する)影響や海外の専門家の言葉を真に受けた政治家によって、教育に対する投資が大幅に減らされた世界なんじゃ・・・という思いが頭をよぎりましたが、Xを見るとまさにそんなことが政治家によって書かれていました。そんなに潰せなんていわんくとも、今後潰れるべき大学は潰れていくでしょう。選ばれない教育機関を無理に存続させる必要はあるのか・・・と思ってはいるので・・・。
ですが、政治家がそれをいうのか・・・と・・・。 ただ大衆受けする為に構造を(時には改革という美談で)ぶっ壊すアピールなら、政治家でも(そういう人たちに媚びる)ネット民でもどこでも見ますが、カタルシスだけを社会にもとめる議論は強引なこじつけですが、特定の弱い誰かを刃物で切りつけてピカレスクぶるような雑さと同じなんですよね・・・。これについては、後日書いてみたいな・・・。面白い小説だって書けるかもしれんし・・・。
期日前投票に行ってきました。
特にこれが悩みどころでしたが、リンク先のポスト通りの判断で何とか決めました。まあ、あの人の本をね・・・とは思いましたが・・・。
それと、同じ人のポストですが、ほぼ同意です・・・ 。あの庶民感覚を履き違えたDQN仕草にはもううんざりですし、正直駅前で街頭演説などするな・・・!という思いも・・・。
で、政治関係で一番ダサいのは(あの迷惑装置である)選挙カーみたいに人権意識の高さをSNSで連呼する人ですよ・・・ 本当の善意や正義は、日常生活における地道な行動で現れるものだと思っていますし、必要もなくそれをアピールでやる人間は、弱者を自己顕示欲の為に使い捨てにする人間とみなしていいと感じています。
こういう所から、ちょっと灰谷健次郎氏の『兎の眼』を引き合いに出してみましょう。
もし、小谷先生(足立先生でもいいです)が鉄三やみな子とのぶつかり合いで、周囲に「私は弱者の立場に立つ教育を目指しています!」とか「だからこそ障害児や貧困家庭の子供の痛みに寄り添うような教師になりたいんです!」とか、足立先生やバクじいさんに主張していたら、かなりカッコ悪い作品になっていたかもしれません。もしそういうスタンスなら、「塵芥処理場にいる労働者やその子供達を、どうしてみんなは労わろうとないんですか!?だから、社会の底辺にいる人達が犯罪を犯すんですよ!」とかいう展開になってそうで、(これは皮肉ですが)面白そうだなあ・・・とも・・・。ああ・・・そういう風刺なら、『先生なんか消えちまえ』でも見たなぁ・・・。
で、拙作の話ですが、スリップ姿の珠代さんで、寝起きをイメージしてます。絶対にみんなの前でやらんようなポーズをとらせました・・・。でもやってるんでしょうね・・・逆をいうと・・・。人間だもの・・・。
ああいう人が伸びをしたらめっちゃ刺さってしまうな・・・と思って・・・。珠彦や珠樹までじゃないけど、珠代さんは珠子とあわせてかなりスレンダーな体形をしてるので・・・。
『昭和オトメ御伽話』でも常世ちゃんのスリップ姿がありますが、やっぱりエロいのは珠代さんだな・・・と・・・。
北斗の拳という漫画ですが、どの作品でも登場は僅かながら、重要な役割を示す存在がいるように、ジードも同じかと思います。ジードも(ケンシロウによる)やられ役の一人ですが、短い間に作中世界がどんな状況なのか、北斗神拳とはどのような威力を持っているのかを読者にわからせる重要な役割を背負わされていたと思います。
何かジードとは違いますけど、映画やアニメ等で脇役ながら重要な存在を示すキャラクターやガジェットってありますよね・・・。
で、話は変わりますが・・・まあ、これについてはあんましなぁ・・・という感じがせんでもないです。やめとこ・・・。次は久々に絵をこの公開日記でアップしようかと・・・考えています・・・。
(一部加筆修正しました)
一時、ロストプラネットというゲームの設定資料集を持っていたことがあります。そこで、スタッフのインタビューが収録されていて、(ゲーム中の惑星で)平和に暮らしていた原住生物のAKを迫害することがいいのか?問題提起がある・・・みたいなコメントがありました。で、最近Xで外来種の観察会で子供にアメザリやミシシッピアカミミガメを殺させたり、子供が「駆逐してやる!」と叫んでアメザリを踏み潰すことがあるというポストを見て、VSで蹂躙されるAKを思い出した訳です。生き物をガトリングガンやロケットランチャーを搭載したロボット兵器で叩き潰していくのはゲーム中の絵空事だから許されるけど、外来種を面白半分で殺すような子供達はそんな感覚だったんだと思います。
前置きが長くなりましたが、そんな所から、『野生動物は「やさしさ」だけで守れるか?』という本を読みました。まあ・・・上に書いた子供達がアメザリを殺す件が書いてあったので・・・。本書は「外来種でも殺すのは可哀想じゃない?」といった、私達のような部外者が誰でも抱きがちな情を否定し、心を鬼にしてでも駆除しなければ自然環境が守れない現実や、当事者が抱える葛藤が淡々と書き連ねられています。ですがそこは岩波ジュニア新書で、(それこそ他の新興新書レーベルがやりがちな)一般良識(と稚拙な感情論に基づき駆除に反対する人)をネット受けする敵意で論難したり、そういうところからリアリストぶりながら排他的な優越感に酔うような表現が一切ないのが良かったです。寧ろ、「かわいそう」という感情を持つことにも一定の理解を示しながら、安っぽい論破ではない現実の重みと(想定される)読者層に対する思いやりを感じられる1冊でした。
そして、Xのポストの話に戻りますが、子供が生き物(虫とか魚とか)を遊びで殺してしまうことはしょうがないと思います。私だって同じ罪を抱えてますし。だからこそ、この文章で紹介した本に登場した外来種を駆除する大人達が有している、社会的責任や倫理観が育ち切っていないのは当たり前のことで、大人がそうした行為を推奨するのは問題だなと・・・。
まあ・・・こうした所の逆張りから、子供に何をやらせようが自由だという話は、一部の意識高めの層に受けそうな感じがせんでもない・・・。
なんか、今日は雨が降ってて、季節外れの雷まで鳴ってて・・・本が濡れました(泣)なので、本屋で買いなおしましたよ・・・。
明日はちょっと公開日記の密度を上げたいと思います。読んだ本の感想を書きたいので・・・。
明日は6時起きだというのに、呑気にブログなんかやっとる場合かいな・・・と思いながらも書いてます(笑)
で、未完だった小説の足りん所を完成させたんで、スッキリしました。後はちょくちょく肉付けを・・・といった感じでしょうか・・・神にかかわる所なんで、余裕があったら許しとか神について書いた本を読みたいな・・・と思います。
そういえば、愛国ポルノ関係の広告がウザいです・・・はっきりいって・・・必死で(鬼の首を取ったように)中韓製品を叩いて無理にでもこじつけを駆使して日本をアげたがる負け犬根性は、見とって嫌になる・・・。 ぶ〇こみジャパ〇ーズも大概だったね・・・。人に恥をかかせるために下手にやるなんて、侮辱もいい所だよ・・・。
来る2024年11月中旬に、「novae」(企画・開催:アートコンプレックスセンター様)に、拙作を出展させて頂きます。開催時期や時刻などに関しての詳細は、こちらをご覧ください。
なお、私は11月14日(木)から11月17日(日)まで在廊させて頂きますので、どうかよろしくお願いいたします。
(注意)出展させて頂く作品は、人体損壊や流血などの表現があるので、そのような表現が苦手な方はどうかご注意ください。
磁気嵐がどーなるかで、ちょっと不安な状態ですし、だからといって素人がオタオタしててもどうにもならないと思うので、ゴッホの「ひまわり」にスープがかけられた事件・・・についてちょっと描いてみたいと思います。
これについてはここやここにあるような擁護意見(正当化)もいくつかあるわけですが、私はふと『善悪の屑』という漫画をうっすらと思い出しました。その中で主人公の復讐屋が犯行を自慢するようなターゲットに対し、「頭も努力も要らないバカでもできる事」と切り捨てています。復讐屋の言葉は殺人という行為に対してですが、名画にスープをかけるということ自体、「頭も努力も要らないバカでもできる事」ではないでしょうか。そんな事に理由付けや理念、それから捕まる自覚さえあればアートとして昇華される、これは現代アートの病巣なのかもしれません。もっとも、私もそうした潮流に乗っかってしまっている・・・という(それこそ)自覚があるし、作品や活動の一部には一理はある・・・と思っているのですが(汗)
ですが・・・リンク先のように、理念さえあれば(非暴力で)法を逸脱しても構わないという考えには判官贔屓的な同情が寄せられやすいですが、司法の手続きをバカにし、直接行動で社会に訴えるというやり方は、本当に権利や自由にアクセスできない層を抑圧に繋がっていると思いますし、その先にあるのはネオリベ化した個人主義が社会に振りかざされる修羅の国・・・だと憂慮しております・・・。
今日は図書館に行き、B-29関係の本をいくつか借りました。これから描く作品の資料集めのためです。で、どうでもいい話ですが、「あの花の咲く丘で、君とまた出会えたら」の映画(こちらでレビューしました)を始め、原作小説も漫画版も読んだクチですが、ちょっと気になる箇所がありました。原作小説の方で、B-29が「戦闘機」と書かれているんですが、正しくは「(戦略)爆撃機」ではないでしょうか・・・?いや、これはお互い様で、結構私も本業でキャプションの記載を間違えたり、正しい価格設定をしてなかったり、恥ずかしいミスは色々としてるので・・・。
そういや、またコインランドリーに行かなきゃいけないし、ラフをキャンバスに書かなきゃいけないしで、結構ビジーじゃなあ・・・。寝たいというのに(笑)
久々のキャンバス画「放課後ウォータイム」を描きました。
下に画像をアップしました。
拙作は、現在制作中の小説・・・といっても、もうPDFデータを作成して、印刷屋さんに持っていけばいい段階なんですが、その表紙イラストで使用するために制作しました。くわしくは書けませんが、一人の女の子(小5です)がとある事件をきっかけに、宇宙戦争の悪夢を見始めるようになったことから話が始まり、宇宙戦争に登場するロボット兵器と女子小学生の日常・・・みたいなものが上手く交わるように表現した・・・つもりですが、左下の少女漫画誌はもうちょっとクオリティが・・・と思いました。
自分の小学生時代を振り返ってみても、あんまし空気や流行に乗れてなかった所があるので、そこら辺が・・・とも・・・。ゾロリもあんまし読んでなかったし、ジャンプすら読んでなかったんじゃ・・・。
昨日、こんな記事をX経由で読みました。おいおい・・・マジかよ・・・。そりゃ遺族の激おこ案件かなと・・・。
自分も脳内汚染から不信感は抱いていたのですが、小笠原 慧名義での小説は面白かったのでよく買っていました。 でも、これで止めを刺された感じ・・・でしょうか・・・。冒涜と詰られても仕方がない気も・・・。
こういう偉人はADHDだの発達障害だの、ナンタラ障害だのといったマスコミへの露出が多く、書籍を多数出版している精神科医がリンク先の記事のような文章を手当たり次第に書いているのをよく見ますが、果たして許されることなのでしょうか?これだけではなく、一部のそうした精神科医が出演料や印税の為に、まるで前者の病名を無責任に特定の人間が有する特性につけて、自著やウェブ記事などで差別や偏見を煽るような言動を繰り返すのも見ていますが・・・。
メンタルヘルスというのは非物理的な側面が多い分、その性質上において素人でも語れるような敷居の低さがあるのだと思います。たとえそこら辺に関しての学識がなくとも、「コミュ障」とか「アスペ」とか、他者を認定できるような現状があるわけで・・・。
なんでも敷居を高くすれば、その分独り善がりな権威主義や排他的な選民思想によるエコーチェンバー現象が発するという弊害はありますが、必要悪として特定の職業や発言権への敷居は(※TPOと併せて)高くすべきだ・・・という考えが正直私にはあります。 以前の文章と併せて、巷にあふれるメンタルヘルスへのいい加減な概念が差別や偏見で巷に流布(だって、同人はともかく、商業出版されている漫画で「チー牛」という言葉が使われていたんですよ!?)しているのを見ると、そろそろ専門家による明確な鉄槌がタレント精神科医や障害名を乱用するポップカルチャー界隈に下ってもいいのではないか・・・そう感じています。
※当然、発信する側には「大いなる力には、大いなる責任が伴う」という自覚が必要とされるわけですが・・・。
こないだブックオフで、(当然)中古のサーフェスを買いました。
物理的な話ですが、ミニノートPCでも携帯するのは重いと感じてきたので・・・。
まあ、歳のせいじゃろうか(笑)でも、キーボードとかUSBハブ等の周辺機器を買ったせいで金かかりました。 安物買いの銭失いじゃ・・・。
で、今日は久々に宮島線を使いました。混んでる方向とは逆というのが、せめてもの救いでしたね・・・。
昨日の夕方、とある小学校の校庭の横を歩いていると、野球部の子供達が必死で練習をしていて、結構顧問らしき先生がパワハラチックな言葉をぶつけていました。聞いてる自分まで嫌な気分になって・・・衝動的に、『ラベンダーとソプラノ』という児童書を思い出しました。ああ、あと、この記事も・・・。
で、なんだか・・・勝利至上主義やお金の問題という点では同じなのに、フィクション上では(雑な比率ですが)どうしてスポーツやお絵描きはいつでも肯定的に描かれて、勉強や教育ばかりが批判的に取り上げられるのか・・・。と、攻撃的な言葉遣いをしている先生を見ながらぼんやりと思いました。あれじゃ子供が可哀想だ・・・。まだ発達段階上、そんな耐性ができてないのに、大人の立場から怒気に晒してたら、精神に悪影響が出るんじゃないのか・・・。
それから、本屋に立ち寄ったわけですが、新刊の漫画を漁っている中で、ちょっと衝撃を受けるものを見てしまって・・・だって、裏表紙の作品紹介で「チー牛」ですよ?ネットの日影でしか通用しない差別スラングが公共の場所で使われているという光景・・・。何かウェブ漫画に関するお気持ち表明系の動画と、そのコメント欄を見てて、やっぱりね・・・とか思ったわけです。いわんだけでみんなも思ってたじゃん・・・みたいな・・・。
単なる消費者でしかないのでもうずっと我慢していましたが、今までアレコレに関して腹の底から思っていたので敢えて書いてみます。まあ・・・「チー牛」という言葉が公共の場所で使用されていたというナーバスさも併せて・・・なんですが・・・。
あの動画と照らし合わせて、なんかネットで差別とか誹謗中傷を脊髄反射的に消費しているどうしようもない層と、そういう層に爆買いさせるために、 2ch寄りの動物的な刺激を「エサ」として提供する作り手がいて、あそこら界隈は本当に治安が悪いなー・・・とか感じたりするわけです。ウェブ漫画じゃなくとも、児童文庫も結構インフレーションは新書ブームよろしく起きてるし、さすがに一線は超えてはないものの、危なっかしーな・・・と思う所があったり・・・。だって、『推しの子』のノベライズだよ・・・?そして塗り絵コンテスト・・・。作画担当の横槍 メンゴ先生もX上で注意喚起はしてたし、それを裏切るようなことやってるじゃん・・・。
太陽フレアのことが心配ですが、ヤフコメでも指摘されていましたが、オーロラ程度の騒ぎじゃすまなくなることもあるわけで・・・。
で、ここで「生きづらさ」について書いていきたいと思います。
生きづらさ・・・そこら辺を取り上げた漫画とか小説が今、かなり人気ですが、どこかネオリベ化した個人主義の一環ではないのか・・・と感じたり・・・。私が『リベラル再生宣言』を読んだ影響もありますが・・・。
これは個人的な意見ですが、私も色々あって社会の「規範」や「正しさ」についてしんどさを感じることはあります。トータルで見れば、社会の方で(弱者やマイノリティに合わせて)是正されるべき部分だってあるでしょう。ですが、自分の「しんどさ」ばかりが主張され、それにただ寄り添うことは果たして正しいのか・・・という思いもあります。
色々そんな作品を見てきて(特にモヤモヤしたのは『ステイホーム』という児童書でしょうか)、なんかそこら辺を自分より不幸な人への同情に向けたりせず、寧ろ自分の生きづらさを主張する為に後者への加害すら容認してしまうような環境すらあるわけで、そういうことが社会の運営や個人の精神の健全化に、ちゃんと繋がるのか?という疑問があったりするわけです。
だからこそ、やっぱりどこかで「生きづらさ」を抱えた個人に対しては、ただ優しく同意することだけでなく、社会に馴致させるほのめかしや、疑問を呈することも必要ではないのか・・・と感じたりします。
乱暴な括りで本当にすみませんが、こうした慰撫の一環が安倍氏を殺害した犯人や、京王線で乗客を切りつけるような犯罪者への同意へと繋がっているような気がしてなりませんし、上に書いたように「生きづらさ」についての色々な作品を見てきたことと、『ステイホーム』を読んだことからしても、社会に対するしんどさが認められるというのは、他者への想像力を行使して初めて生まれるものじゃないんですか・・・?と思ったりします・・・。
まあ、ちょっとでもそこら辺に責任概念を向けたら、色々とアレな人達から右派扱いされるんでしょうけど・・・。
最近では、音楽はAmazonでダウンロード購入していますが、久々にタワレコでリアルなCDを買いました。PS版「攻殻機動隊」のサントラが再版されたとネットで知ったので・・・。
話は変わりますが、昨日は余計なことを書いてしまい、相手を傷つけてしまったかもしれません。ですが、実際に画廊に作品を出展していた身としては「どうよ?」的な部分が沢山あったので・・・。パトロン・・・ アートコレクター・・・もう無理じゃ・・・。
で、話をサントラに戻しますが、特典が2点ついてきたのが嬉しかったです。今日書けるのはこれくらいかな・・・。