磁気嵐がどーなるかで、ちょっと不安な状態ですし、だからといって素人がオタオタしててもどうにもならないと思うので、ゴッホの「ひまわり」にスープがかけられた事件・・・についてちょっと描いてみたいと思います。
これについてはここやここにあるような擁護意見(正当化)もいくつかあるわけですが、私はふと『善悪の屑』という漫画をうっすらと思い出しました。その中で主人公の復讐屋が犯行を自慢するようなターゲットに対し、「頭も努力も要らないバカでもできる事」と切り捨てています。復讐屋の言葉は殺人という行為に対してですが、名画にスープをかけるということ自体、「頭も努力も要らないバカでもできる事」ではないでしょうか。そんな事に理由付けや理念、それから捕まる自覚さえあればアートとして昇華される、これは現代アートの病巣なのかもしれません。もっとも、私もそうした潮流に乗っかってしまっている・・・という(それこそ)自覚があるし、作品や活動の一部には一理はある・・・と思っているのですが(汗)
ですが・・・リンク先のように、理念さえあれば(非暴力で)法を逸脱しても構わないという考えには判官贔屓的な同情が寄せられやすいですが、司法の手続きをバカにし、直接行動で社会に訴えるというやり方は、本当に権利や自由にアクセスできない層を抑圧に繋がっていると思いますし、その先にあるのはネオリベ化した個人主義が社会に振りかざされる修羅の国・・・だと憂慮しております・・・。