太陽フレアのことが心配ですが、ヤフコメでも指摘されていましたが、オーロラ程度の騒ぎじゃすまなくなることもあるわけで・・・。
で、ここで「生きづらさ」について書いていきたいと思います。
生きづらさ・・・そこら辺を取り上げた漫画とか小説が今、かなり人気ですが、どこかネオリベ化した個人主義の一環ではないのか・・・と感じたり・・・。私が『リベラル再生宣言』を読んだ影響もありますが・・・。
これは個人的な意見ですが、私も色々あって社会の「規範」や「正しさ」についてしんどさを感じることはあります。トータルで見れば、社会の方で(弱者やマイノリティに合わせて)是正されるべき部分だってあるでしょう。ですが、自分の「しんどさ」ばかりが主張され、それにただ寄り添うことは果たして正しいのか・・・という思いもあります。
色々そんな作品を見てきて(特にモヤモヤしたのは『ステイホーム』という児童書でしょうか)、なんかそこら辺を自分より不幸な人への同情に向けたりせず、寧ろ自分の生きづらさを主張する為に後者への加害すら容認してしまうような環境すらあるわけで、そういうことが社会の運営や個人の精神の健全化に、ちゃんと繋がるのか?という疑問があったりするわけです。
だからこそ、やっぱりどこかで「生きづらさ」を抱えた個人に対しては、ただ優しく同意することだけでなく、社会に馴致させるほのめかしや、疑問を呈することも必要ではないのか・・・と感じたりします。
乱暴な括りで本当にすみませんが、こうした慰撫の一環が安倍氏を殺害した犯人や、京王線で乗客を切りつけるような犯罪者への同意へと繋がっているような気がしてなりませんし、上に書いたように「生きづらさ」についての色々な作品を見てきたことと、『ステイホーム』を読んだことからしても、社会に対するしんどさが認められるというのは、他者への想像力を行使して初めて生まれるものじゃないんですか・・・?と思ったりします・・・。
まあ、ちょっとでもそこら辺に責任概念を向けたら、色々とアレな人達から右派扱いされるんでしょうけど・・・。