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2025年5月13日火曜日

『アルジャーノンに花束を』リターンズ

 最近、書店の新書販売コーナーを見て「またか・・・」とため息をつきました。

もう・・・色々とヤバいさを隠さなくなってきましたね・・・コグトレ界隈が・・・。

ていうか、前からヤバさは孕んでたと思うんですけど・・・。

これは小学生の頃の(特定の学年における)担任がああだったんで色々わかっていますが、子供の苦手意識を「認知の歪み」として(保護者や教師の)不安を煽り、コグトレをして非行少年になるのを防ごう!みたいなことが商業的にチヤホヤされる構図は、どっかで破綻をきたすか、その筋の専門家がガチで鉄槌を下すかどうかすべき問題かと思います。 いや、ちゃんとした批判は出てるんですけど、(書き方は当事者にとって失礼ですが)猿回し師になっている人と、そのシンパのデカい声にかき消されてる・・・というのが実情かと・・・。

で、コグトレのみならず、弱者の能力不足をデカい声であげつらい、社会的な仕打ちをすることで商業的にチヤホヤされる支援者や教育者みたいな存在が、ネットを検索すればかなり出てきます。そういう時に、やっぱり私は『アルジャーノンに花束を』という小説を思い出すのです。

あれを読んでみればわかりますが、ニーマー教授は知的障害者のチャーリィを劣った存在として見做しており、IQを向上させる手術を施したことで「野蛮人を文明人に変えてあげた」ような 優越感を持つような奴でした。ですが、当のチャーリィから手術の欠陥を指摘され、IQはまた低下する事実を突きつけられた上に、自身の姿勢に対して雷を落とされます。

で、さっきの話に戻りますが、さっき上に書いたような支援者や教育者は、ニーマー教授の姿勢と驚くほど一致しているのです。だからこそ、反撃能力が無いからといって弱者をダシにしてバズや金を稼ぐようなことをしてれば、『アルジャーノンに花束を』のようにどこかでしっぺ返しが来る・・・そんな感じがしています。

ていうか、『アルジャーノンに花束を』はこの公開日記で何度も取り上げているけど、単に弱者に対する温かいヒューマニズムより、弱者を自己顕示欲の為に粗雑に扱う人間への辛辣な皮肉がある所が注目ポイントだと、私は何度も思ってるんですよね・・・。みんなそこら辺を見落としてるというか・・・。