カテゴリ

2025年5月28日水曜日

進んで弱者になりたい人達

―人は誰でも自分が生まれ育った国に「愛想尽かしする」権利を有しているからである。しかし、高度に発達した資本制社会である日本と原始共産制的社会を比較して原始共産制社会の優位を主張すること自体が、理念としては可能でも、現実的ではない。

          黒古 一夫『灰谷健次郎:― その「文学」と「優しさ」の陥穽』より

 

昨日の記事の最後で、元気があれば愚痴りたいというようなことを書いていましたが、幸い元気があったのでそうしようかなと思います(笑)

自作小説の参考文献に使うつもりで読んでいたホームレス関係の本ですが、なんか(敢えて書きますが)左派系知識人って、本当に(安全圏から)障害者とか貧困層を美化したがるなーと思いました。

もうここでも書いたことなんですが、文章の下の辺りに『だいすき!』っていう漫画を引き合いに出しています。それと、最近でも『ハッピークラシ―』という本を読んだ影響もありますが、ちゃんとした「衣食住」がない極限状況でぎりぎりの生活を送っている人に、「豊かさ」を見出し、自分もそういう生活に憧れてまねごとをやり始めるというのは、社会的弱者や福祉制度を舐め切った行為であると思います。それは、『だいすき!』で知的障害者達を「幸せだよな」と言い放った浪人生と同じだと感じます。そこに反論した安西さんと同じように、ホームレスや貧困層の人だって、全部が全部ユートピアンだからやってるわけではありません。椅子取りゲームに座れなかった結果として、負のスパイラルに絡めとられている状況を、反資本主義のアイドルとして祭り上げるような考えは、当事者の尊厳を逆に阻害しているともいえるでしょう。

近年、(サンデル本の影響もあるのでしょうが)能力主義や市場競争は批判の槍玉に上がりがちです。ですが、努力による獲得が前提となっている社会の安全保障に守られているような人間が、それらが嫌いだからといって貧困を美化して同化するようなゆるふわな姿勢に、私はこの漫画を想起してしまいます・・・。自分が勝ち取ってきた境遇に感謝せず、それが無いことで社会や個人がどうなるかという想像が欠落しているような議論は、ここで槍玉にあげたような本ではなく、巷には色々と溢れているわけですが・・・。