『しょせん他人事ですから』という漫画で、野球選手がネットの誹謗中傷に晒されるエピソードがあったじゃないですか?で、何か(主人公の弁護士を通じて)「個人個人はそれぞれのストーリー(主観や信念)を有しているので、それを変えようとするのは徒労に終わるよ?」・・・的な話に落ち着き、結局は自分のストーリーを楽しむことに全力を尽くす・・・という感じでエピソードは締めくくられます。
で・・・保田弁護士のいってた「ストーリー」についてちょっと考えてみました。
確かに、劇中の神奈川 勇のように野球選手に「ガイジ野郎」とか「死ね」とかいった言葉を(ネット経由で)浴びせることが応援だと妄信している人間がいるように、放置しておいたらヤバいストーリーに従って生きている人がこの世にはわんさかいます。
障害者を殺すことが慈悲だというストーリーだったり、太平洋戦争はアジアの国々を解放するための正しい戦争だったというストーリーだったり、関東大震災における朝鮮人虐殺はなかったというストーリーだったり・・・こういう人たちは個人レベルでは太刀打ちできないから、(保田弁護士のように)「コントロールできないししようとしても無意味」ということで放っておくことも可能でしょう。寧ろそれが現実的だったりします。ですが(長期的に見れば)やっぱりそれじゃヤバいので、そういうストーリーに従っている人達が、社会や個人に影響する力を最小限にとどめる・・・大小はあれ、個人レベルでもそんな努力が必要なのかもしれません・・・。
今の第二次トランプ政権のアレコレをみながら、ふとそう思いました・・・。