カテゴリ

2025年5月20日火曜日

クリーチャーとしての戦争被害者

 ずっと前に、ここで水俣病の朗読劇にエクソシストの音楽を使おうとすることについて書きました。そして結局、「それってダメじゃん?」ということで取りやめになりましたが・・・。

 で、話は変わりますが『絶叫学級 転生』においても「教室戦争」や「80年後の視線」等で戦争被害者が扱われていましたが、ホラーという文脈のクリーチャーとして、戦争被害者を描いてもいいのか・・・?という不安が正直頭をよぎりました。そこで水俣病患者の表現にエクソシストの音楽を使う、みたいな話がダブったというか・・・。

まぁ・・・作品のメッセージはわかるし、平和ボケへの風刺・・・みたいなストーリーもわかるのですが、何かモヤモヤが残るというか・・・。今も東京大空襲を始めとした無差別爆撃や、原爆投下の被害にあった人は(まだ)存命されてますし、じゃあ「永遠の僕たち 」のヒロシや、『まちんと』みたいな描き方ならいいのか・・・?といえばそうでもないわけで・・・。死人をイマジネーションで構築していくというのは、ジャンルがどうであれ、結構薄氷を踏むような行為だと感じています・・・。自分もそういう表現を度々している分・・・。

だからこそ、表現の自由が保障されているからといって、当事者の黙認や許しによりかかってはいけない・・・ということを、現代思想の最新号を閉じて再確認するのでした・・・。なんせ特集がタイムリーだったし、一応絵を描いてるから読まにゃ・・・思ってね・・・。

ていうか美術手帳とか芸術新潮みたいなものをちゃんと読めよお前って話ですが・・・(汗)