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2025年5月25日日曜日

震災後文学

 ―大衆の興味が集中しているホットな話題にすぐに飛びついてプロットを立てるのも、また能のない話だ。

         ディーン・R・クーンツ『ベストセラー小説の書き方』より

 

 東日本大震災以降「震災後文学」なるものが多数生み出されてきましたが、個人的には「東日本大震災を題材にした小説」と書いた方がいいように思います。

 戦後最大の犠牲者数やチェルノブイリ(チョルノービリ)に匹敵する原発事故も併発したこともあり、阪神淡路大震災に代わり、すっかり(関東大震災と共に)災害を語る際のテンプレートとして定着した東日本大震災ですが、「震災後文学」というジャンルを確立させ、それを文化として継承させようと息巻いている作家たちは、果たして阪神淡路大震災はともかく、他の災害でここまで伝承しようとする努力はしてきたのでしょうか?

こういった話の蒸し返しになりますが、所詮は東京が壊滅の危機をつきつけられないと人は動かない。そんな残酷さと無神経さがあると思います。実際に東日本大震災の後に発生した熊本地震(あれは広島も揺れました)や西日本豪雨、能登半島地震に関してにそこまで熱を入れて「物語化」しているような作品は見当たりません。逆にいえば、そうした「物語化」や「代弁する使命感」が、豪雨や台風など、「ただの災害」の記憶を大きな声で排除してきたともいえるでしょう。

正直に書きますが、だからこそ私は「(主に東日本大)震災を語り継ぐ」みたいなムーブメントに素直に乗れなかったりします。 どうせやるんなら自分の描きたいことや特定の災害や事件などをナラティブとして騒ぎたてる・・・所への逆張りみたいな感じ、そんな使命感に冷水を浴びせるような感じで臨みたいと思います。色々何か挑戦してるかもしれないような文章になりましたが、それは覚悟の上・・・ということで・・・。