カテゴリ

2024年8月5日月曜日

9月1日目線

 


「9月1日目線」という作品を描きました。何か色々と・・・覚悟してやったような気はします。

まず最初に断っておきますが、私は東京という場所には非常にお世話になってきましたし、沢山の方々から多くの親切を頂き、感謝にたえない気持ちです。馴染みの深い場所だってあり、行く時には広島で生活している時よりもワクワクすることがあります。

だからこそ、これから拙作について語ることは、東京という自治体の立ち位置や、東京で生活されている方々を攻撃する意図は一切ありません。もし感じられたら、大変申し訳なく思います。 

本題に入りますが、去年の9月1日前後は関東大震災発生から100年ということで、ネット上でも新聞でも、それに関係した様々な特集が組まれていたと思います。確かに、首都圏が甚大な被害を受け、その犠牲者数が日本の近代史上で(未だに)最大数を記録しているということや、特定民族へのジェノサイドまで誘発(それを公権力やマスコミが煽った!!)してしまったことなどから、問題視すべき事柄が多数存在することは理解できますし、関東大震災に関して知らないで済まされないのは当然のことでしょう。

ですが・・・地方都市在住者として、少しだけ別の考え方がよぎったのです。これまで、日本は数々の災害に見舞われてきました。関東大震災100年、東日本大震災10年とはいいますが、阪神淡路大震災はともかく、戦後間もない時に起きた福井の大震災や、伊勢湾台風、最近の例でいえば熊本地震や西日本豪雨、それと能登半島地震ですが、果たしてそれだけの力を入れて伝えられているのだろうか・・・?と・・・。それと、都合のいいタイミングで防災やメディアリテラシーといった概念を、コンテンツとして便乗することばかりが優先されていないだろうか?とも・・・。確かに関東大震災も東日本大震災も、それだけのインパクトと被害をもたらした災害であることはわかるのですが・・・。

最初に書いたように、だからといって私は東京やそこに住んでいる人を糾弾したくて、拙作を描いたわけではありません。ジェノサイドの問題も「存在しなかった」というトンデモ発言が飛び出す中で、きちんと現実を学んでいくべきですし、加害者たる立場の日本人として知らんぷりは許されません。

 ですが、全ての災害で受けた被害や被災して死んだ人の重みは皆平等だと私は思うので、そうした思いを一つの幽霊画として表現いたしました。

少しナメてるかな・・・と思われるかもしれませんが、これは「キャスパー」という映画や、『花田少年史』のように、死者をポップに描くことで死の重みを表現した良質なメディアがあり、そうした作品が好きなのでそれらへのオマージュ・・・といった感じです。まあ、他の作品でもこの手法は使っておりますが・・・。なお、こち亀のアニメ版でも、関東大震災で死んだ幽霊の少女が出てきましたね・・・。

なんかまとまらない文章になってしまい非常に恐縮ながら、それだけではなんか不十分だと思うので、もし時間があれば関東大震災発生当時の渦中を描いた作品を描きたいな・・・とも感じています・・・。