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2024年8月26日月曜日

デスゲーム的な話

(一部文章を書き換えました)

  なんか最近、木澤 佐登志氏目当て(と長期主義批判みたいな特集に興味を持って)で現代思想の最新号を買ったんですが、Xを覗いてみて、同じような発想に基づく(社会に対しての)提言じみたものなら山ほど見るじゃないか・・・と思ったりするわけです。最近の例でいえば、とあるフリーゲーム制作者でした。

で、木澤氏と言葉がダブるようですが、社会が平常運転されているそうじゃない時に、デスゲーム寄りの極限状況を突き付け、非情ともとれる二者択一を適応すべきだという話ですが、現実においても大規模な災害や戦争、そしてパンデミック下のように同様の状況は発生しており、どっちかといえば苦渋の決断として、トリアージ寄りの冷たい決断が行われることがあります。前者が本当にタチが悪いな・・・と思うのは、誰かがやむなく死ぬという状況で、良心のジレンマ(もっと雑にまとめれば、心の痛みとか後ろめたさ)に悩むことがなく、むしろ善意や逆張りの優越感として、リベラリズムへの愉快犯的な態度でその理念を振りかざしている所だと思うのです。

世の中にはネットのぬるま湯で好き勝手に過ごしながら、人権や福祉の理念、倫理的なことを理性派ぶりながら腐し、自分に関係ない所で誰かの生き死にを選別するようなことを、社会の健全な運営として堂々と主張できないことに被害者意識を抱いているネット論客崩れを大勢見かけます。トロッコ問題とはいいますが、多分彼らが線路上にいる作業員になることを想定はしてないんでしょうか?だからこそ、余計に声がでかくなるというか・・・。

不勉強な立場で色々余計なことを書いてしまったかもしれませんが、私からすれば命や生活の安全が保障されている中で、自分が有している特権が他人にも保障されていないという状況を自覚せず、寧ろ「なぜ人を殺してはいけないのか?」と大人に真顔で問う子供を想像してしまうのです・・・。

まあ・・・現代思想のみならず、『デジタル生存競争』を読んだからということもあるからでしょうか、色々書いてみたいな・・・という思いがありました・・・。