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2025年11月11日火曜日

「ヤンキー」論的な

 何か自分から見て、粗暴だったり道理の合わない考え方をしている(表明している)人間を安直に「ヤンキー」というのは正直、あまり好きじゃないです・・・。まぁ、私もここで「ヤンキー」とかいっててアレな事は承知ですが・・・。

もうこの公開日記で何度か取り上げたとは思うし、同じシーンの説明になってはいるんですが、「12人の怒れる男」という映画で、陪審員の一人がスラムとその住民に対する差別を捲し立て、そっぽを向かれるというシーンがありますが、批判の文脈に「ヤンキー」という言葉を持ち込むことに、そういう無邪気な暴力性を感じます。ヤンキーって・・・マイルドヤンキーとかいいますけど、地方やそこで生きる労働者みたいなものを、都市目線で都合よく矮小化してヘイトするマジックワードじゃねぇか・・・。まぁ、私だってガラの悪い人は好きじゃないですがね・・・。でも・・・自分だって社会に迷惑かけとる部分はかなりあるしなぁ(汗)

まぁ・・・特にネットを見ると、西成は怖いとか、メリトクラシーの成功者は冷酷だとか、クルド人は犯罪予備軍だとか、フォビアの文脈で優位に立つことにより、社会や人との関係性をチャチャッと済ます風潮(これは菅野 仁氏が『友だち幻想』で指摘していた「コミュニケーション阻害語」の親戚ともいえるかもしれません)はどんどん強まっているように感じます。
私の絵の制作においては、党派性みたいなものでは無く、寧ろそこら辺の闇にいっちょ噛みするような感じでやっていきたいのです・・・。だからあんまし気づかれんし売れんのだとは思いますが、高く評価されているような反戦アートとか震災アートとかとは、本当に相性が悪いので・・・。