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2025年11月24日月曜日

『やさしさバトン』を読みました

 新井けいこ氏の児童書『やさしさバトン』を読みました。

まぁ、何というのか何でも損得勘定で考えがちな少女、有紗が主人公で、ひょんな事から視覚障害者の女性と交流した事から、果たして行為は損得、つまり自分のメリットだけで受けるものなのか・・・という考えを持ち始める有紗でしたが・・・。

基本的に、私は社会に能力や生産を提供する行動、つまり労働は金銭的なリワードが鉄則であり、それがない労働というのは詐欺師の常套手段か、偽善者の無自覚な搾取だと認識しています。 よくありますよね。「夢」とか「やりがい」みたいなもので人の善意につけ込み、タダ働きさせるような職場とか団体とか・・・。

ですが、社会というのは無償の善意や良識の応酬で運営されているのも事実です。災害のボランティアや、何かあった時に助けてくれる近所の人々、職を失い、金銭的に困窮している加害者家族を無償でサポートする弁護士、無料塾など・・・。私も色々と大勢の誰かに(正直ながら)無償の善意で助けられ、ここまで生きてこられたのでその価値は痛感しています。

『やさしさバトン』は、巷に横行している逆張りトリアージ言説へのアンチテーゼへの主張だと思いますが、私もその言説に反対する者として、いささか理論武装が・・・とは思いました。現代思想の長期主義特集でも木澤 佐登志氏がトリアージ思考を社会に強要するような言説に雷を落としていたと思いますが、他者への行為に善意や良識など、損得では割り切れない感情が何故重要なのかといえば、本書のように「やさしさ」が誰かと繋がっていくと幸せな気持ちになれる程度のことではないと思います。社会に損得や排他的功利主義を応用する事は、結局は人を殺さない(オーバーなメタファーで恐縮ながら)植松イズムを良しとする話であり、社会がそうならないために個人を尊重し、切り捨てる事に抵抗感を与える倫理的ブレーキは必須だと私は考えているわけです。

人を単なる(トロッコ問題的な)価値として扱わない、(必要もないのにわざわざ)排他的切り捨ての精神を持ち込むことが何故有害なのか、そこら辺の反論がいきわたらない限り、説得力は無いように思えます。はっきりいえば、(特にアマチュア界隈で)薄っぺらなエキセントリックと好き勝手な主張が児童書というフィールドで持て囃される風潮はありますが、それに勝つためにはもう少し無償労働のデメリットとか反論は詳しく・・・と感じました・・・。仮想敵として思いつくのは、ハ〇ブネ×ブック〇とか児〇書読〇日記とか、そういう所なんですが・・・。都合よく弱者をダシにして自民党一強政治を腐す癖に、似非文化左翼的な特権意識でその相手(貧困層とか生活保護受給者とか)を抑圧している事に無自覚なあの態度には、以前からかなり感じてました・・・。